36 水竜
空路で移動してきたのは、フェイにとっては懐かしい地だ。
懐かしいと言ってもいい感情はあまりないのだが、アグリムと出会った地であるというそれだけで悪感情の半分ほどは消し飛ばせる程度の想いしかない土地でもある。
フェイの生まれた国があるのが、この大陸だ。来るのは何年ぶりになるだろうか。
ピュメから降りたのは大陸のちょうど中心あたりで、此処からどこへ行こうかと話し合った結果、とりあえず大陸中央にある山脈にでも行ってみるかという話になった。
何があるわけでもない場所だが、人もいないのでのんびり過ごすにはちょうどいい。
「なんか妙な気配がすんな」
「人ですか?」
「いや、人じゃねぇ。水ん中だ」
山を登った先にある大きな湖の前でアグリムが足を止め、湖の中を覗き込んでいるのでフェイは一歩下がりながらそれに倣った。
アグリムが何かを感じたなら何かしらは居るんだろう、と思いながら覗き込んでいた湖が急に波打ち始めたので、フェイは慌てて後ろに下がった。
湖に居た何かしらもアグリムの存在を感じ取ったのか、大きく動きがあったらしい。
斧を構えたアグリムの前に姿を現したのは巨大な魚のような、蛇のような生き物で、その大きさにフェイは思わず感嘆の声を漏らした。
「フェイ、こいつなんだ?」
「分かりませんが……この地方の伝説か何かに、似たものが記されていた気がします」
「ざっくり言うとなんだ?」
「ドラゴンの一種です」
話している間に、目の前の仮称水竜はアグリムに標的を定めたようだった。
咆哮と共に魔法を放ってきた水竜に対して斧を振ったアグリムが、フェイを背に庇いつつのんびりと声を出す。
「ドラゴンか……よし、倒していくぞ」
「かしこまりました」
突発的に始まった戦闘は、湖の上という圧倒的に相手に有利な場所で行われている。
フェイを巻き込まないためにアグリムが湖の中央へと移動したが故にその場所が戦闘の中心地になっているのだが、アグリムは一切不自由を感じさせずに動き回っていた。
そもそも空中を歩ける男なので、水の上でもそう勝手は変わらないのだろう。
フェイはその戦闘の様子を眺めながら巻き込まれない位置で食事を作っていた。
何せ突発で始まった戦闘なので、意識が戦闘に切り替わったアグリムはともかくフェイは普通にお腹が空く。アグリムが食べるかどうかは分からないが、片手間に食べられるものを作れば多少の役には立つかもしれない。
そんなわけで持ってきていた食料で食事を作り、水上で行われている戦闘を観察しているのである。
過去二回ほどドラゴンと戦っているアグリムだが、今回はその二回比べて随分と余裕があるように見える。違いは武器だろうか。
ドラゴンの鱗出てきている斧はドラゴンに対しても有効なようで、魔力を込めたり魔法で強化したりという作業が必要ない分、余裕があるのかもしれない。
「アグリム様、昼食はお召し上がりになりますか?」
「おう、食う」
声を掛けるとすぐにやってきて、差し出したサンドイッチを持って戦いに戻って行った。
片手に斧、片手に昼食の戦闘スタイルだ。そんな状態でドラゴンと戦うなど、アグリム以外には出来ない芸当だろう。
フェイも昼食を食べながら、楽しそうに水上を駆けているアグリムを眺める。
帝国では満足のいく戦闘は出来なかったが、その不満を発散することは出来ていそうだ。
やはりアグリムを満足させるのは、人間よりもドラゴンである。
水竜とアグリムの戦いは、日が暮れる事には終わった。
魔力の爆発が起こり、アグリムに庇われたことで終わったのを察したフェイは、満足そうなアグリムを腕の中から見上げた。
「怪我は?」
「ありません。アグリム様は……」
「大体返り血だ。前のやつの方が強かったが……ま、いい運動だな」
「素材はどうなさいますか?」
「別に必要ねぇしなぁ……湖に沈めるか」
「かしこまりました」
爆発が収まった後、湖の中央に浮いていた水竜の亡骸を沈めて、少し移動することにした。
どうやらアグリムはこの戦闘でかなり満足したようで、しばらくどこかでのんびり過ごすか、という話になる。
フェイとしてはアグリムと共に過ごせるなら何だっていいので、同意して拠点の場所を探すことにした。
資材の確保は村や街で行うが、アグリムの足なら移動にはそう時間が掛からないので、距離はそこまで気にしなくていい。
となれば人の来ない、見つからない静かな場所を選ぶことになるのだが……ちょうど今いるあたりが、条件も揃っているので、付近を探索してみることにした。
とはいえ今日は既に日が暮れて来ているので、適当に夜を明かして翌日から本格的に場所を探すことにする。
アグリムは戦闘の興奮が後を引いているのかあまり眠気は無いらしく、フェイを抱えて寝かしつける姿勢を整えていた。そのまま夜を過ごすつもりらしい。
「……落ち着かないようでしたら、移動してくださっても構いませんよ?」
「別に急いでねぇし、落ち着く時間も必要だろ」
いいから寝とけ、と外套で包まれて抱えられては、フェイに抵抗の術はない。
大人しく目を閉じてじっとしている間に眠りに落ちていて、そのまま健やかに朝まで夢の中に居た。




