3 平穏
山に作った拠点は、中々快適なものだった。
追っ手はまるで現れず、時折山の反対側へと物資を調達に行くときも脅威には出会わない。
フェイは真新しいもこもこのコートを着込んで、木を切り倒しているアグリムを眺めながら、平和だ、と小さく呟いて白い息を吐いた。
アグリムは斧を振って木をいともたやすく切り倒していく。
ちょうどいい運動だ、と言っているが、本当はこれでも少し動き足りないのだろうとフェイは予想していた。
彼が周りに恐れられるようになったのはその強さが理由の一つにある。
討伐隊が組まれたこともあるが、その全てを一人で返り討ちにした伝説を持つ男だ。
天性の才として持っている戦いの勘と思いのままに動く身体に無尽蔵の体力、そして魔法も巧みに操って一体多の戦いを蹂躙する。
時にはフェイを抱えたまま戦うこともあった。
彼はフェイが戦いに参加するのを嫌がるので(参加したとて何も言いはしないが、明らかに嫌そうな顔をする)フェイはいつもアグリムが戦う姿を近くで見ているだけだった。
彼女に戦いの才はさほどなく、魔法も多くを扱えるわけではない。
風が吹いて、フェイの髪が乱れる。
視界を覆った深紫を整えていると、アグリムが笑っているのが見えた。
フェイの扱う魔法は、髪の色を変えるというものだ。
技術として習得できるものではなく、血に宿る魔法の種類で血統魔法と呼ばれる類のもの。
けれどフェイの父も母もそんな魔法を使っていた記憶は無く、先祖返りなのかフェイにだけ現れた魔法だ。昔は嫌な記憶にしかならないものだったが、アグリムと出会ってからは便利なものとしてそれなりに好きになった。
「落ち葉ついてるぞ」
「どこに?」
先ほどの風で舞った落ち葉が髪についたらしいが、フェイが触った限り手には当たらない。
見当違いの場所を探してたのか、アグリムが近付いてきた。
手を下げて大人しくしているとカサリと音がして髪から落ち葉が外され、地面に落とされる。
「今夜は冷えるだろうな」
「そうですね。明日は吹雪そうな気もします」
「それなら一日籠ることになる。薪は足りるか」
「アグリム様が沢山作って下さいましたから」
「寒がりだからな、お前は」
穏やかな会話の後、新しく作った薪を抱えて洞窟に戻り、今日までに作った薪の横に今日作った分を置く。
入口を軽く塞いだ洞窟の中は外に比べて暖かい。
アグリムが焚火に魔法で火をつけると、パチパチと薪が音を立てた。
動きやすいように薄着になっていたアグリムも上着を羽織って座り、その膝の上にフェイが上がり込む。
懐いた猫のように肩口に頭を寄せて甘えれば、アグリムはどこからか櫛を取り出した。
「お前を飾るものが足りんなぁ」
「私は別に要りませんが」
「俺が飾りたいんだよ」
過去何度もした会話を繰り返して、アグリムは何か調達できる場所は、と思考を巡らせた。
フェイを美しく着飾らせることはアグリムの楽しみの一つで、自分は要らんと言いつつドレスだのなんだのを着せていた。
今の服装も悪いわけではない。町娘のような恰好だが、その中でもフェイに似合うものをいくつか持ってきた。
その上寒がりな彼女がコートを着込んでもこもこになっているのは、中々良いものだ。
寒いからと寄ってくるのも良い。寒くなくとも寄ってくるが、寒いと分かりやすくいつもより近くにいる。アグリムは自分の基礎体温が高い事に、その時だけは感謝している。
二人が穏やかな時間を過ごしていたその頃、王都は未だ混乱の中にあった。
アグリムがどこに逃げたのか、詳しいことが分からないのだ。
森の中に落ちて行ったと見張りが言ったが、王都の横に広がる森は広大だ。
天空監獄の真下とその付近を調べるだけでもかなりの人員と時間が必要で、結果としてアグリムが着地したのであろうクレーターが見つかったのは翌日の遅くの事だった。
混乱が広がり情報の統制が出来ず、調査は思うように進まない。
街道近くで男に馬と荷物を奪われたという訴えがあるが、それがアグリムである可能性は高くとも断言はできない状態だった。
馬を奪ったのであれば、もう王都の近くには居ないだろう。けれど、絶対に居ないと言い切れない現状で守りを手薄にするわけにもいかず、時間だけがただ流れていく。
彼らにとって不運だったのは、アグリムが道中襲った村が主要な街道から外れた場所にあり、王都まで情報が届かなかったことだ。
村人からしても、アグリムが脱獄したなどということは知らないので、村が襲われて物が奪われたとしか訴えようがない。
痕跡を消して動くのはアグリムではなくフェイの特徴で、彼女が道中意識して痕跡を消していたこともあり、彼らの居場所は未だ王都の者たちに尻尾すら掴まれていなかった。
当然王城のメイド「オリエッタ」も何の情報も無く、調べる事すらない状態だ。
アグリムの行動を予測するのは難しい。
気の向くままにふるまう男なので、脱獄した時の気分でどこへなりと行く可能性があった。
現状派手に襲われた村の話は聞かず、どこかで男が暴れて壊滅したなどと知らせが入れば分かりやすいのに、など考える始末だ。
どこを探せばいいのやら、そもそも探すべきなのかという話にまでなり、王都の中は混乱と恐怖で暗い空気に包まれていた。