29 帝国
帝国領が海の向こうに見えてきた頃、アグリムが小さく声を上げた。
その様子から以前と同じ場所に渡し守が居たことを認識して、フェイはひとまず息を吐いた。別の場所に移っていたら探さないといけなかったので、まずは一安心だ。
後は大人しく乗せてくれるかどうか、と考えながら進み、渡し守の顔が見えるくらいまで近付いた時にあることに気が付いた。
「お客か……って、あんた!あんたら!」
「あ……?」
「アグリム様、この者、以前帝国に入る時にも利用した渡し守です」
「そうなのか?」
「そうでございやす!帝国にお戻りになったんですかい!?」
「うるせぇな……」
低く唸るような声を出したアグリムに、渡し守が慌てて手で口を塞いだ。
数年前、帝国に立ち寄った際に利用したのもこの男の船だった。ついでに言うと、帝国から出る時にもこの男の船に乗っている。
その時にはアグリムは既に大犯罪者として帝国全土で捜索されていたのだが、それでも船に乗せて出国させた男だ。脅すまでも無く船を出したので、何故だか敵ではないらしいとフェイは認識していた。
「まぁいい。船だせ」
「へい」
今回もまた、素直に船を出すらしい。
アグリムに抱えられて船に乗ったフェイは、腰を落ち着けてから渡し守を見上げた。
見えている距離とはいえ、帝国に入るまでには少し時間が掛かる。
「帝国はあれ以降何か大きな変化がありましたか」
「へい、まずは皇帝が替わりやした。三年前くらいのことでやす。そんで、国の中は改革だのなんだのって一気に色々変わって、細かい所には混乱も残ってやす」
「ほー。ならまぁ、隠れやすくはあるか」
「隠れるんで?また大暴れに来たもんかと……」
「兵士だのなんだの、来るなら斬るが?」
「あぁ、おかわり無いようで……」
フェイが話しかけたからか、アグリムも特に何かするわけでもなく普通に会話に参加した。
実は珍しい事なのだが、渡し守は以前にもこうして船に揺られる間に二人と話していたので、特に何も思う所はないらしい。
さらにはアグリムの大暴れ……つまりは兵士との戦闘を望んでいるような事を言う。
ウルムワの住民とはまた少し違う形だが、アグリムに憧れやら尊敬やら、恐れも含んで好意的な感情を向けているのかもしれない。
そんなことを考えながら、フェイは少し首を傾げた。
他に聞いておくべきことは、何があっただろうか。
「アグリム様の名はまだ国内で聞きますか」
「へい。国を出てからしばらくして、聞かなくなってたんでやすが……しばらく前から、また騒ぎになってやした。脱獄だのなんだのって」
「ここまで伝わってんのか」
「いや、いやいや!捕まってたんですかい!?本当に!?」
「うるせぇよ」
「すいやせん」
先ほどよりも苛立ちは感じない声だ。それでも素直に声を小さくした渡し守は、船を漕ぎつつぼんやりと声を出す。
「捕まったのが本当だとして……何があったんです?捕まらないと出来ない事でもあったんですかい?」
「あ?あー……まぁ、そうだな」
「目的は達成しましたね」
「おう」
ははぁ、と納得したような声を出して、渡し守は頷く。
アグリムが捕まる事などありえないと思っているようで、何か別の目的があってわざと捕まったのなら納得が出来るらしい。
実際、アグリムが捕まったのには理由がある。
その理由までは聞いてこない渡し守に、こういった線引きを理解できるからアグリムに斬り捨てられることも無く三度も船に乗っているのだろう、とフェイはのんびり考えていた。
「帝国内で今騒がれていることなどはありますか?」
「今は……妃がどうのって、一年前くらいからごたごたしているみたいでやす。国の中の重鎮の娘が妃になるだの、別の国から姫が嫁いで来るだの」
「他は?」
「別の国から姫が嫁いでくるんなら、そっちの国との交易がどうの、他の国との繋がりがどうのって……俺らみたいなのには、よく分かんねぇ話でやすが」
「なるほど」
帝国内は安定しているとは言い切れない状態が続いているようだ。
混乱が大きいわけではないようだが、細かい所まで目を向けている余裕はないのだろう。
それならば何かと動きやすいので、こちらとしてはその混乱が続くことを願うことになる。
「あとは東の半島の方じゃ、独立だのなんだのって話も出てるそうで」
「ほー。面白そうな事してんじゃねぇか」
戦いの気配に食いついたアグリムが、楽しそうにフェイを見る。
頷きを返しながら記憶を掘り起こしたフェイは、脳内を整理しながら静かに声を出した。
「東の半島……ギエペ半島でしたら、以前帝国に居た時にアグリム様が滅ぼした街がある場所かと」
「……どれだ?いくつかあるだろ」
「長剣を使う将軍と戦った土地です」
「あー……あそこか。確かに街だのなんだの、ぶっ壊したな」
そんな懐かしい話などをしている間に船は進んで、帝国の地が近付いてきた。
渡し守が他の人間が居ない場所へと船をつけてくれたので、人目に付くことなく二人は帝国領へと足を踏み入れた。




