回想 出会い(フェイ)
「血統魔法の魔力も感じる。貴女、どこか良家のお嬢さんなんじゃ」
女の言葉が脳内をグルグルと回っている。
考えもしないのだろう。血統魔法が貴族となんの関りも無いような平民の家の子に現れるなど。
そして、それがどんな事を引き起こすのかを。
とある平和な街に暮らす平凡な夫婦の間に、一人の女の子が生まれた。
平凡で、平和で、何の変哲もない光景だ。
それが揺らいだのは娘が七歳になる頃。
娘が、両親のどちらも見たことのない血統魔法を使ったのだ。
血統魔法は、貴族が使うものという印象が強い。その魔法を受け継いだ子供に家を継がせることもあるし、何より強い魔力と魔法適性を持った人間を引き込んでいく貴族の方が、血統魔法を扱う土台を持ち合わせているからだ。
当然娘の両親は貴族と関りはなく、二人とも自分の親戚がそんな魔法を使う所を見たことも無かった。
そもそも、魔法自体普通の家はそう扱いはしない。
だから、当然のように、父親は母親の不貞を疑った。
両親は毎日喧嘩をするようになり、ある日ついに父親は家を出て行った。
母親は娘を呪った。お前さえいなければ、と恨んだ。
だから娘は、なるべく家にはいないようにした。とはいえまだ子供なので、出来るだけ帰るのを遅くして、出来るだけ母親と顔を合わせないようにするくらいしか出来る事はなかったが。
それでも、そうして数年間は家で暮らすことが出来た。
状況が変わったのは、娘が十歳になる頃。
いつも通り家の外で時間を潰して、日が暮れた頃に家に戻ると、キッチンに母親がいたのだ。
その姿に危機感を覚えた。
帰ってはいけない、逃げなくてはならないと本能が警告を鳴らした。
後から思い返すと、あの日の母親は手に包丁を持っていた。
本能の警告に従って、娘は家から逃げ出した。
そこからは帰る場所も無く、頼る者も居ない生活が始まった。
娘のそれなりに整った容姿が仇となって色々なものに狙われた。
せめてもの救いは、娘が非常に賢かったことだ。
逃げて、隠れて、時に荷馬車に紛れ込んで街を出て、どうにかこうにか男たちの手をすり抜ける。
その繰り返しで、魔法での隠匿、隠蔽がやたらと上手くなった。血統魔法などより、よっぽど便利で使う回数も多かったが、魔法を使うのにも体力が居るから、そのうち滅多には使えなくなっていた。
そうして、どれだけの時間が流れたのだろうか。娘にはもはや分からない。そんなことを気にしている余裕はなかったのだ。
ともかくどれくらいか時間が経って、娘はその日、限界を感じ取って安全な場所で眠ろうと街を出ていた。
人間に捕まるくらいなら、魔物に食べられた方がマシだったから、眠る時はいつも人のいない森や木陰や洞窟を選んでいた。
その日もいつもと同じように、眠るために街を離れて、人の来ない小さな森の中で座り込む。
そうして目を閉じようとしたとき、足音が聞こえたのだ。
目を開けて足音の方を見ると、男が立っていた。
けれどその男からは、嫌な目線を感じなくて、だから逃げることもせずにただ男を見上げた。
「お前、何してんだ?」
「……なに、も。ただ、ねむい、だけ」
静かな問いに答えを返すと、男は娘の目の前にしゃがんだ。
そして、何を思ったのかパンを取り出して差し出してくる。
少しだけ、考えた。警戒しなかったわけではない。けれど、この人に騙されたのなら、まぁ仕方ないかと思えたので、そのパンを受け取って口を付けた。
久々の、本当に久々のまともな食事だった。
ついでと言わんばかりに水まで差し出されたので、それにも口をつける。
縮んだ胃はそれほど大きくないパンを全て食べることも出来なかったけれど、いつ以来かも分からない満腹感に気が緩んだ。
「お前、名前は?」
「なまえ……なん、だった、っけ」
「忘れたのか」
「うん……なくした……」
血統魔法を使ったあの日から、親から呼ばれることが無くなった名前。
どのくらいかも分からない一人逃げる生活で、気にする余裕もなかったもの。
いつからか分からないが、娘は名前もどこかに無くしたらしい。
まぁ、いいか、と名前のことなどさっさと放置して、娘が重たい眼をどうにか持ち上げようと苦心している間、男は何かを考えていた。
そして、娘の顎を掬って自分の方を向かせ、静かに言った。
「なら、お前はフェイだ」
「……ふぇい?」
「そうだ。お前は今日からフェイだ」
「ふぇい……フェイ、うん、わかった」
眠気からか、それとも男の絶対的な強者の気配からか、娘はそれを素直に受け取った。
そうしてフェイと言う名になった娘は、とうとう眠気に逆らいきれずに眠りに落ちた。
次に目が覚めたら見知らぬ街におり、自分を連れて来たらしい男がアグリムと言うのだと教えられ、いつまでかは分からないが、アグリムが飽きるまで、自分を連れて行くうちは傍にいようと決めたのだ。
荒れ果てた髪も、やせ細った身体も、全てアグリムが手をかけて美しく育て上げたから、要らないと言われるまでは、傍に。
それが名前すら無くした娘を拾い上げた男への恩返しになるだろうか、と、そんなことを思ったのだ。




