筋肉さえあれば呪いの魔道具くらい壊せます
恋愛ものですがコメディです、格好いいヒーローはいません。
「この国家転覆計画を貴女だけが気付いたとしてももう手遅れですわ、シャーロット様。だって、この呪いの魔道具は既にあたしにも制御ができません。……今更、あたしを殺したって無駄ですよ。所詮あたしも捨て駒ですから」
先日、私に向かってそう笑った彼女は目の前の騒ぎを呆然としながら見つめている。彼女が制御不能だと言った呪いの魔道具である【魅惑のペンダント】は、私の婚約者の手によって木端微塵になっていた。
年に一度の建国記念日の夜会で、国家転覆計画とやらは失敗に終わったのだ。
「努力と筋肉は裏切らない! この鍛え上げられた肉体さえあれば、呪いなど恐るるに足らず!」
「うおおおお!」
「さすがアレクサンダー様です!」
次期軍事総監としての呼び声高い私の婚約者の周りには、筋骨隆々で暑苦し……頼もしい軍人たちが集まり野太い歓声を上げている。その少し離れた所から、私を含めた彼らの婚約者や夫人たちが何とも言えない表情でその光景を眺めているが、それには気付いていないらしい。
しかしそう、これはいつものことである。
「そ、そんな、馬鹿な……。五百年前の大魔女が死ぬ間際に作った、世界最高の呪具が……」
「アリスさん」
私が声をかけると彼女、アリス・エギュイーユはびくりと肩を震わせぐっと唇を噛んだ。
半年前にいきなり現れたこの美しいアリスという少女は、エギュイーユ男爵家の養子として振る舞っていた。実際の彼女は隣国の出身で隣国からこの国を混乱させる為に送り込まれたスパイだったのだが、その情報を掴むのは少し骨が折れた。彼女はその美しさと呪いの魔道具を使い、この国の上位職の男たちを篭絡させることが目的だったらしい。エギュイーユ男爵夫妻は自身に子どもがおらず、篤志家として相続権を与えない養子を持っていたので、この計画にはうってつけだったのだろう。
しかし、ことはそう簡単には進まなかった。私と同い年であるアリスはまだ十八歳であったからだ。彼女は隣国から将来有望な若い男を一人でも多く誑かし、そのコネクションを使って更に上位の人間に近づくよう言われていたようだ。しかし我が国は他国のように、男女が机を並べて同じ学問を学ぶことがない。貴族子女の為の学校というものはあるにはあるが、上位貴族たちは学校と自宅学習を併用するので彼女の望むような男は初めから接触ができなかった。
それでもアリスはめげずに貴族の為の女学院で友人を作りその兄弟を紹介してもらい、更にそこから友人たちを紹介してもらうという地道な努力を続けた。呪いの魔道具の効力もあっただろうが、彼女自身の力量も大いに関係していただろう。そしてこの夜会で複数の高位貴族の男性たちを一斉に操り場を混乱させ、それに乗じて隣国が戦争を吹っ掛ける予定だったらしい。それが、見事に潰されたのだ。
アリスは深呼吸をしたあとに、素晴らしく丁寧に礼をした。隣国で平民だった彼女が貴族と同等の礼儀作法を身に付けるには、どのくらいの努力が必要だったのか。
「何の御用でしょうとお聞きするのはさすがに憚られますわ、シャーロット・エクラタン公爵令嬢。ここまで来てはどうしようもございません。煮るなり焼くなりお好きになさって」
「まあ、それは追々。ですが、まずご覧になって、アリスさん。あの、筋肉信者たちを」
「……ええ、ええと、スゴイデスネ」
「そう、我が国の男性陣は皆、筋肉さえあれば万事うまくいくと信じているのです。そこに政治的な思惑ややり取りなどはありません」
「……」
「嘆かわしいことに、古来より力は絶対です。どんなに弁を振るおうと、それは拳一つで潰されてしまう。人間も動物ですからね、ある程度は仕方のないことなのでしょう。ですが今の彼らを見て、率直にどう思います?」
何故かぶつかり合いや腕相撲を始めてしまった男性陣を見ながら、私は笑みを深めた。アリスは怪訝そうに、そして嫌そうに口を開く。
「……暑苦しい、汗臭そう、煩い、野蛮」
「ねー」
「ねー、じゃなくないです!? 貴女、あっち側ですよね!?」
「わたくしはこの国と家と婚約者と友人たちの味方ですが、あっち側って言われるのはちょっと……」
「ちょっとって……」
アリスの言いたいことは分かるが、それでもちょっと嫌だ。私はコホンと咳ばらいをした。
「我が国の男性陣は、筋肉を信仰しています。実際の信仰対象は母神である女神さまですが、それとは別にという意味で。この半年間で、何となくお分かりでしょう?」
「……ええ、確かにあれはもう信仰ですね」
「ですが、アリスさん。それで国が成り立つと思いますか?」
「思いません。この国に来てからずっと不思議でした。謀略という言葉を知らずにどうやって国を成り立たせているのです?」
「それが、我々女性陣の仕事ですわ」
「……え?」
「他国では、まだあまり女性は政治をしないのでしょう? まあ我が国も大々的にしている訳ではないですが、政治的決議のほとんどは夫人と呼ばれる方々がお茶会をしながら執り行っておりますわ」
「そ、そんなこと、あり得るはずが……」
「あり得ちゃうんですよね。だからこそ、我が国は国の体裁を保っているのです。あ、勿論、男性も政治をしますよ? しない人の方が多いってだけです」
「も、問題しかない……」
「ねー」
「ねーじゃなくて!」
問題が多いのはこの国で育った私でも理解している。けれど、私が生まれた時にはもうこういう制度でやっていたのだから仕方がないのだ。この国は女王は立たないのに、決定権は王妃にある。男性陣は筋肉と軍のことばかりに頭を使って、政治にはあまり興味がない人がほとんどだ。そしてこの国に生まれた貴族女性たちは母親や叔母や祖母たちから政治を学び、結婚してからその手腕を振るう。この国は、そうやって成り立っている。
「だって貴女、不思議に思いませんでした? 他国では女性に対してあそこまで政治の教育を施さない筈です」
「……母国では、学校には通わなかったので」
「まあ、それであの高成績ですか。アリスさん自身が優秀であることが大前提でしょうが、やはりお婆様が捕らえられているとやる気がでないとは言えませんものね?」
「な、何故それを……!」
私は簡単に動揺するアリスが可哀想で、そして可愛らしくて少し笑ってしまった。決して侮りや侮蔑ではない。子どもが失敗をしてしまった時の微笑ましさに似ているのだ。
「お婆様、今度はわたくしがお預かりしていると言ったらどうします?」
今度こそアリスは固まってしまった。彼女からすれば、今の私は最悪を具現化したようなものなのだろう。
「嫌だわ、そんな顔をしないで。悪いようにはしませんわ。貴女がお婆様を人質にこんなことをさせられていたことは同情できます。ただ、ね? 貴女のやったことは許されることではなく、そして罪には罰が必要ですもの」
本当に、悪いようにするつもりはない。私はただ、優秀な女性の働き手が欲しいだけだ。
まだ後ろでわあわあと盛り上がっている婚約者とそのお友だちをどうやって落ち着かせようか、それとももう放って帰ってしまおうか、そんなことを頭の隅で考えつつ、私はアリスに向かって微笑んだ。
───
「何で! 私を! 置いて! 帰ったんだ!」
結局アリスを警備隊に引き渡したあと、私はそのほかの多くの女性たちと同様に婚約者を置いて自宅へ戻った。だって、収拾がつかなかったのだもの。国王やそのほかの上位貴族男性たちまでも交ざってしまい、王妃でさえもにこりと微笑んでそそくさと会場をあとにしていたから、あれで正しいのだ。
しかし私の婚約者、アレクサンダー・ゼル公爵令息殿はそれが気に食わなかったらしい。次の日には屋敷に乗り込んできて、絨毯が敷いてあるとはいえ床に座り私の膝を抱え込んで泣いている。……そう、泣いているのだ、この筋骨隆々の大男。しかしこれは異様なことではない。この国の男性は皆、総じてこんな感じだ。父も兄も、ほかの友人の婚約者たちも全員こんなふうだと聞くので、アレクサンダーだけがおかしいという訳ではない。
「置いて帰ったのではありませんよ。とても楽しそうでしたので、邪魔をしてはいけないとそっとしておいて差し上げただけです」
「……それを置いて帰ったというのでは?」
「違いますわ。ね、ほら、誤解だったのですからもう泣かないで。お隣に座ってくださいな」
疑念を持った顔を隠そうともしていなかったけれど、アレクサンダーは渋々といった体で私の隣に座った。こうなればこちらのものなのだ。昔からにこりと微笑んで頬を撫でてやれば、彼の機嫌は大抵取れた。
「騒がしくしたのが煩わしくなって置いて帰ったんじゃないのか?」
「まあ、そんなことがある筈がないでしょう。アレクサンダーは、あのおかしな魔道具を筋力のみで壊した英雄です。貴方のことを煩わしく思う人なんていませんよ」
大型犬を撫でているような気分で、よしよしと顔や頭を撫でて続ける。いつものアレクサンダーならすぐに「そうか、そうだろう?」と得意げに笑うのに、今日に限ってはむっつりとむくれたままだ。
「私は、シャーロットが言うから、あのアリスという娘から魔道具を取り上げた」
「そうですね」
「魔道具はあり得ない力で私の精神を乗っ取ろうとした。けれど、この鍛え上げた筋肉のおかげで何とかなった」
「そうでしたね、素晴らしかったですわ」
「しかし!」
「はあ……」
「飽きるな、私の話に!」
「飽きてませんったら」
しかし今日はしつこいな。顔に出さずにそんなことを考えつつ、私はアレクサンダーを撫で続けた。何だかんだと文句を言っているわりにそれを止めないのは、彼もまだ撫でられたいからなのだろう。
「……もし、私があの魔道具に負けて、君以外の人に求愛でもしていたらどうするつもりだったんだ」
「あら」
「あら、じゃないだろう」
「考えていなかったので……」
「なっ、いつでも三手以上先を考えているシャーロットが!?」
「いつでもという訳ではないですわ。でも、不必要でしょう。アレクサンダーは必ず魔道具に打ち勝つと分かっていたのですから」
アレクサンダーはむにゅと口を尖らせて、自分の頬を撫でる私の手を握った。これは嬉しい時の表情だ。彼は何故か子どもの頃から喜びを表に出すのが苦手な人で、恥ずかしがって口を尖らせる癖がある。
「……しかし、だな。その信頼は嬉しいが、もしもということがあるだろう」
「確かにそうですね。物事に絶対はありませんもの」
「で、もし私がシャーロット以外に求愛したらどうするつもりだったんだ?」
「普通に婚約は解消するんですけれども」
「待ってくれ」
「はい?」
「き、君、あれが精神干渉する魔道具と知って、私に破壊するように言ってきたよな?」
「はい」
「それなのに、問答無用で婚約の解消なのか?」
アレクサンダーは顔を青くして、私の手を下ろしてぎゅうと握った。彼の握力であれば私の手などすぐにぽきりと折れてしまうだろうけれど、その辺りの力加減は絶妙で決して振り払うことはできないが痛みすらない。
「だって、あの魔道具は使用者に興味関心を持った時点で作動するんですよ?」
「それは事前に聞いていたが、興味関心って幅広いだろう」
「ええ、ですから興味関心が少なければ少ない程、魔道具による作用も少ないのです。我を忘れて求愛してしまう程に作用するということは、その程度には惹き付けられてしまったあとということなので婚約は解消した方がお互いによいでしょう?」
「シャ、シャーロット、君、わ、私と、結婚……っ」
「しますよ、結婚。貴方は見事あの魔道具を壊したじゃないですか」
返答が気に入らなかったのか、アレクサンダーは口を引き結び私の手を握ったままでぽろぽろと涙を流した。いつもならすぐに涙を拭いてあげるのに、手が使えないからどうしてあげることもできない。
「き、君は、君はそんなに簡単に、どうして、婚約解消なんて……っ」
「だって、あり得ないことですから。……ねえ、アレクサンダー、泣かないでください」
「昨日だって、お、置いて帰るし……!」
そんなに置いて帰ったことが不満だったのか。いや、この問答も駄目だったのだろう。私はふうと息を吐いた。
「ねえ、アレクサンダー。わたくしのこと、嫌いになりました?」
「そ! それは、君だろう!? シャーロットは私のことなんて、どうでも……!」
「わたくしはアレクサンダーのことが大好きだわ」
「っんぐ」
「格好いいし優しいし、何より逞しいもの。貴方以上の人なんていないわ」
これは事実だ。アレクサンダーは黙っていれば凛々しく、何よりいつも私に優しい。肉体は別にここまで筋骨隆々である必要はないと思うのだけれど、この国に生まれた男性である以上はこの逞しさこそが美なのである。だからこそ男性たちは自分の肉体美を褒められることをとても喜ぶのだ。努力の結晶であることには変わりがないのだから、褒められて然るべきだと私も思う。
少し冷静になったらしいアレクサンダーは、それでもじとりと恨めしげにこちらを見ていた。
「……なら、どうしてあんなに簡単に、婚約解消なんて」
「簡単に言った訳ではないわ。でも、あり得ないから簡単に言ったように聞こえたのかもしれませんね。誤解をさせてしまってごめんなさい」
「……」
「でもねえ、アレクサンダー? 貴方は本当に、わたくしと結婚してもいいのかしら?」
「どっ、どういう意味だ?」
「だって、貴方は公爵家の跡取り息子で」
「君だって、公爵令嬢だろう」
「父君の跡を継いで次期軍事総監になるだろうと皆に一目置かれているし」
「君だって王妃様からの信頼が篤いじゃないか。今回の件だって、一任されていた」
「休みの日も鍛練を欠かさず、筋肉も育つ一方で」
「君も毎日勉強やお稽古ごとを欠かさないだろう。だ、だから、何なんだ!?」
「だから、貴方ってわたくしと無理に結婚をしないでもいいのよねって思って。どんな家のご令嬢でも、きっと貴方と結婚したいと言う筈です。選り取り見取りでしょうね」
あまりのしつこさに辟易して意地悪を言うと、アレクサンダーははくはくと口を動かしてまた涙を零した。言葉が出てこないのだろう。彼は昔からこうだった。感情が高ぶると話せなくなってすぐに泣く。こんなに大きくなったのに、二周り以上も小さな私にいつまでも泣かされているのはいっそ可哀想だった。
ずっと握られていた手の力が抜けたので引き抜き、涙まみれの頬をそっと拭ってやる。
「まったくもう、泣き虫さん」
「ぅ、うぅぅー……っ」
「厳しい訓練でも複雑骨折しても泣かないでけろっとしているのに、ねえ?」
「き、君と、結婚できないなら、生きている意味がない……!」
「ありますよ、大袈裟ねえ」
「ないんだよ、本当なんだ」
アレクサンダーがくすんくすんと子どものように泣くので、私はそんな彼をそっと抱きしめる。ぽんぽんと背を叩いてやると、やっと泣くのをやめて私の肩に頭を預けてきた。
「結婚する。絶対に結婚するからな」
「そうですね、しましょうね。その為に婚約しているんですからね」
「シャーロットが嫌だって言ってもする」
「言いませんよ」
「……もう、置いていかないでくれ」
「はい、分かりました。……寂しかったんです?」
「寂しかった……」
ぎゅうと抱きかかえられて少し苦しいけれど、まあこのくらいなら許せる。子どもの頃から私がいないと寂しくて泣きじゃくるアレクサンダーのことは、私が責任を持って面倒を見なければいけない。これは一種の義務感であり、けれどそれこそが私の愛でもある。
屈強な男性が自分の前でだけ泣いたり甘えたりするのは、とてもよいものなのだ。他国では違うのだと聞いたこともあるけれど、それはきっとそういう人に巡り合えていないからだと皆笑っていた。夫や恋人をどれだけ自分の前で可愛らしくさせるのか、それは女性側の腕の見せ所でもある。
「アレクサンダー、わたくしの可愛い人。昨夜の貴方は本当に素晴らしかったわ。あんなに愛らしいアリスさんが近寄ってきたのに目もくれず、素早く魔道具を取り上げてあっという間に壊してしまって」
「別に、あのくらい簡単なことだった。だが君、あのアリスという人に興味があるのか?」
「……まあ貴方、もう、ふふっ」
「な、何を笑うことがある?」
「わたくしには貴方だけですよ、アレクサンダー。大丈夫、貴方だけが可愛くて貴方だけが愛おしいから」
私がそう言うとアレクサンダーはまた口を尖らせて、そしてやっと笑った。彼は私がほかの誰かを褒めたり評価することを嫌うのだ。さすがに仕事や学業、政治に絡んだことには嫉妬しなくなったが、今回のは駄目だったらしい。
やっと機嫌の直ったアレクサンダーの頬にキスをしながら、私は自身の婚約者の愛らしさに笑ってしまった。
───
建国記念日から半年がたってもう来月には結婚式を控えている私は、働き者のメイドが淹れてくれた紅茶をゆっくりと楽しんでいた。半年前に我が家に来てくれたばかりのこのメイドは優秀ですぐに仕事を覚えたので、私の好みの茶葉も温度もそれに合う茶菓子も完璧に用意できる。
「……あの、シャーロット様」
「何です、アリス?」
「正気ですか?」
「わたくしはいつでも正気ですが?」
「正気のご令嬢は普通、ご自身の婚約者を含めた貴族男性たちを誘惑しようとした敵国間者に縁談持って来ないんですよ」
我が家のメイド服を着たアリスは、はあとため息を吐きながら釣書を閉じた。まあ釣書の中身は彼女も知っている人なので、問題はない。そもそも釣書自体も必要性がないが、これはこういうしきたりなのである。
「あら、何を言っているんです、アリス。駄目よ?」
「何がですか」
「自分ばっかり逃げようとしても駄目ですからね。この国で一度できると思われた女性は逃げられません。ええ、逃がしませんとも」
「何の話なんですか!?」
アリスは賢いのに、たまに察しが悪くていけない。私はふうと息を吐いた。
「言ったでしょう? この国を動かしているのはご夫人方です。男性陣の手綱を持つ手は一人でも多く欲しいのです」
「だ、だからって、それにあたしは平民で……」
「貴女がエギュイーユ男爵家の養子であることは事実ですからね。逃がしませんよ?」
「……裏切るかもしれませんよ」
「もうあの国はないのに?」
建国記念日の夜会で、アリスの持っていた呪いの魔道具である【魅惑のペンダント】は破壊された。あれは大昔の魔女が作った魔道具で、自身の意のままに人を操ることができる代物だった。代償に使用者の魔力や命を削るそうだが、アリスはここぞという時にしか使わなかったからか後遺症はもうない。
そして隣国の思惑を知った我が国はすぐに宣戦布告し、一月もしない内にあの国はなくなってしまったのだ。戦いに飢えている軍人たちに、戦う口実を与えてはいけない。無辜の民の保護や移動は大変なので、本当に止めてほしいと思う。
勿論間者としてアリスも一時捕らえられたが、人質を取られていたことや隣国での酷い待遇が証明され、エギュイーユ男爵家と我がエクラタン公爵家が後見をするという条件で解放されて今に至る。何事にも絶対はないが、アリスがあの国の為にわざわざ危険を冒すことはないだろう。
「ふ、復讐とか……」
「そこでどもってはいけません。まったく貴女ったら、いつまでも可愛らしいままなのだから。もっと、しっかりなさって。まあ、子爵と結婚して子爵夫人となれば、守るべきものができますから自ずとそうなるでしょう」
「ええ……?」
「いいじゃないですか。貴女、彼のこと好きでしょう?」
「~~っ、もう! シャーロット様!」
「ふふふ」
アリスに渡した釣書の中の人物は、アレクサンダーの部下だ。部下だけれど彼よりも年上の人で、それなのに今まで浮いた話の一つもなかった。絵に描いたように実直でいい人だが、男兄弟ばかりで女性と話すのがあまりにも下手だった。
この国の女性たちは男性に代わって政治を行うが、それはつまり文字通り公私共に支えていくことを意味する。それなのに会話すらままならないとなると、結婚後の苦労が易々と想像できるからと婚約に至らない。良家の女性は見切りをつけるのが早いのだ。
その点アリスはそういったことに偏見がないらしく、口下手なアレクサンダーの部下とも和やかに話すことができていた。彼はもうこの機を逃せば結婚できないと必死にアプローチを続けていたし、アリスもまんざらでもなさそう。
であれば、結婚を推し進めることに何の障害もない。アリスが夫を持ち、この国にいついてくれるのならば、それが後々私の為にもなるのだ。頭がよく度胸もある彼女には、夫を支えつつ私の派閥で働いてもらわなければならない。私はにっこりと微笑みながら、紅茶に口をつけた。
そうやってのんびりと過ごしていると、いきなり自室の扉が大きな音を立ててひどく無作法に開いた。
「シャーロット、君はまたそうやって笑顔をふりまいて!」
「あら、アレクサンダー、こんにちは。今日はどんなご用事?」
「気の多い婚約者の顔を見に来ただけだが?」
アリスはアレクサンダーの入室に一瞬だけ思い切り顔を顰め、しかしすぐに笑顔で礼をとって退室していった。最近の彼は多方面に嫉妬をするから面倒なのだ。義姉に聞けば、これはマリッジブルーというものらしい。
「まあ、気が多いだなんてひどいわ。わたくしにはアレクサンダーだけですのに」
「前から思っていたんだが、君、本当は女性が好きだとか言わないよな」
「あら、女性でも男性でも好きな人は好きですよ。でも、アレクサンダーだけは特別だわ」
「……本当に?」
「ええ、本当に」
「そ、そうだな。私程、素晴らしい筋肉美を持つ者もいないしな!」
「正直筋肉はどうでもいいんですけどね」
「え?」
まずい。私は瞬時に話題を変えることにした。筋肉がどうでもいいなんて、そんな本音を知られてはいけないのだ。
「あっ、アレクサンダー? 丁度よかったです。結婚式に使うお花が数種類変更になりそうなの、それでですね……」
「筋肉がどうでもいい……?」
「何のことです? ほら、これなんですけど」
「あ、ああ……。そうだよな、筋肉がどうでもいいなんて、そんなことはあり得ないから……」
「もうっ、聞いていますか、アレクサンダー?」
「聞いてる聞いてる、花が何だって?」
「ですから、お花が上手く咲かなかったようで数種類変更になりますの。なので、アクセサリーの色を変えた方がいいかしらって。本当はドレスの色も変更した方がいいのですが、時間の都合上さすがにできなくて」
「シャーロットは何を着ても美しいが、その時に一番に映えるものを選ぶべきだ。新しい花の色とアクセサリーのカタログはあるか?」
「ええ、こちらに。それで、わたくしのものを変えるならアレクサンダーのものも変えなくては――」
全ての物事を筋肉で解決できると思っている男性陣と、そんな筈がないと分かっている女性陣の間には深い深い溝があるがそれを悟られてはいけない。これはこの国で生きる淑女の嗜みなのだ。
まあでも、五百年ものの呪いの魔道具も素手で壊せたのだから、もしかすると筋肉で解決できることは私が思っているよりは多いのかもしれない。そんなことを考えながら、私はアレクサンダーの太い腕にそっと寄りかかった。
読んでいただき、ありがとうございます。
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作者はもしかするとスパダリが書けない呪いにかかっているのかもしれません……。