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佐久間咲17歳、高校2年生。
獅子座のO型。
容姿、成績、運動、家柄オール平均。
平凡を絵に書いたような平凡。
平凡オブザイヤー。
Mr.アベレージ。
平凡の権化。
平凡が服を着て歩いている。
そんな普通な男が、この俺という存在だった。
確かに、昨日までは。
***
カーテンから差し込む日の光りが眩しくてゆっくりと瞼を開くと、いつも見ている低い木目の天井が霞む視界に入る。
………はずだったんだけど。
漸くクリアになった視界に入ったのは染み一つない白く高い天井。
いやいや、俺は確かにいつも通り自分のベッドに入って眠ったはずだ!
ギギギッと動きの鈍い首を捻って横を見ると、明らかに自分の部屋ではない広々とした空間には白を基調としたシンプルながら高級そうな家具が並んでいる。
そして何より俺が今横になっているベッドは、ベッドと言うか豪奢な寝台と言ったようなデカさで肌触りのいい布がふんだんに使われていた。
…あれ?
というか、身体が動かないんですけど…!?
辛うじて首は動いたものの、何故か俺の身体は俺の意志に反して起き上がろうとはしてくれない。
それどころか、指の一本さえ持ち上がっちゃくれないようだ。
「―――ッ! ……!?」
気合いを入れて『どっこいしょ!!』って言おうとしたけど、どうやら声も出ないらしい。
こっ、これって…まさか、よもや、ひょっとして、金縛りってヤツか!?
最初は自分の置かれている状況にテンパってたけど、最早そんなモンどうだっていい!!
この金縛りをどうにかしてくれ!!!!
俺、幽霊とか妖怪とか怪談とか苦手なんだよ!!
だぁーっれーっかーっ!!
生身の人間なら誰でもいいから助けてくださいぃいっ!!!!
余りの恐怖にもがくことも忘れて、段々と涙が滲んできた。
もう男の子とか関係ないもんね!
口もきけず動くことも出来ないんだから、これはもう泣くしかないだろ。
どうせ俺はチキンさ!!
思う存分嘲笑うがいい!
「―――まさか!!」
ハッ、人の声!?
エグエグ泣いていたらいつの間にか人が入ってきていたらしい。
唯一動く首を捻って声がした方に目を向けると、銀で出来た洗面器を抱えているイケメンが驚愕の表情で立っていた。
頬に掛かる艶やかな黒髪に、目は青みがかった紫色…カラコンかも知れないけどメチャメチャ綺麗だ。
背も高いし布を幾重にも巻いたような服越しにでもわかる、男らしい良く締まった身体つきをしている。
…って俺、何冷静に観察しているんだ!
今こそ助けを求める時!!
「……っ…!、……!!」
身体が動かないと必死に口をパクパクさせてイケメンに訴えかけると、何を思ったのかくるりと踵を返して足速に部屋を出て行ってしまった。
え、ナニコレ…
もしかして必死に助けを求めている俺の顔がキモかったから逃げたってこと!?
メチャメチャ傷付くんですけど!!
てかもう助けてくれなくていいから傍にいてくださいッ!!
俺を一人にしないでぇえええっっ!!!!
去って行った希望に追い縋りたくて懸命に身体を動かそうとするけど、スプリングがギシギシと軋むくらいで金縛りが解ける気配すらない。
ちょっとも動いてないのにもう体力の限界に達してしまい、抵抗を諦めてぐったりと力を抜いた。
次から次へと溢れてくる涙すら拭えず、最早号泣と化した涙腺の決壊は止められない。
凄まじい顔になっていること請け合いだ。
もうこのまま霊に呪い殺されるんだと心の中で両親に別れを告げようとした矢先、遠くから複数の足音が聞こえてきた。
もしかしてさっきのイケメンが助けを呼んでくれたのか!?
無慈悲な奴だとチラッとでも思ってしまってゴメンナサイ!
貴方はメシアだ!!
走っているらしいそれに期待を込めて、やたらデカくて豪華なドアを首を傾けて見詰める。
ドカァアッッ!!
「―――っ!!!?」
突如吹き飛ぶんじゃないかと思うくらい勢いよくドアが開けられた。
いや、あれは絶対に脚で蹴り飛ばしたな…
余りの暴挙に目を見開いている俺を置き去りに、部屋へと次々に人が入ってくる。
一人はダンディなオジ様で、残りの二人はさっきのイケメンにも劣らないイケてるメンズだ。
驚きに涙が止まったのは良かったけど、動けない俺にオジ様がガバリと抱き着いてきた。
「あぁっ、神よ! アーレを加護せし慈悲の女神リシャウよっ、心から感謝致しますぅうーっ!!」
えぇーッ!
ちょっ、待っ!!
メッチャ泣いてる!
イケメンなオジ様が、俺を力の限り抱き締めて号泣してる!!
何か肩の辺りがビショビショになるくらい泣いてるぅうっ!!
…ってか苦しいんだけどッ、締めすぎなんですけどぉおっ!!
オイオイ泣いているオジ様の肩越しに最初に見たイケメンを見付けて、頼れる人は彼しかいないと必死に助けてオーラを出す。
いや、最早ビームと言ってもいい。
「…あの、陛下。王子は目覚められたばかりですので、余り無茶は……」
必死過ぎる強い眼光に気付いたらしいイケメンが、咽び泣くオジ様に進言してくれる。
嗚呼、ありがとうイケメンさん。
正直オジ様のお髭が頬にチクチクして痛かったんですよね…
「すまない、ミュラ。苦しかったな…」
漸く解放してくれたオジ様は、澄んだ紫の目に茶色の髪がちょっと色っぽいイケメンさんだ。
痛かった髭もダンディ度を上げていて、涙に濡れた優しげな眼差しに不覚にも胸がキュンとなってしまった。
パパっ子な俺としては申し訳なく下がった眉尻を見逃すことが出来ずに、気にするなという意味を込めて首を左右に振ってみる。
すると、オジ様が驚いたように目を丸くした。
…ん?
何か変なことしたか?
不安になって周りを見渡して見るけど、黒髪のイケメンさんも黙って食い入るようにこっちを見ていた二人のイケメンズも目を見開いている。
あ、イケメンズもオジ様と同じ綺麗な紫の瞳だ。
金髪だけど…あれ、もしかしてこの二人双子かな?
「ミュラ…私の言っていることがわかるのか…?」
さっきも出た『ミュラ』ってのは、もしかして俺のことなのだろうか。
ここはとりあえず頷いておこう。
小さく頷いた俺を見て、オジ様は信じられないとばかりにワナワナと震えはじめた。
もしかして、言葉がわかったらまずかったのだろうか…
「父上、ミュラが戸惑っています」
俺は相当不安そうな顔をしていたんだろう、そっくりな顔をしたイケメンズの片割れ、長髪の方がオジ様を押し退ける。
この人達、親子だったんだ。
通りで同じ色の目をしていたはずだ。
ということはカラコンじゃないということか…
「初めまして、ミュラ。この人はアーレ国のラグス国王で、私は第一王子のロレス。あそこにいる同じ顔をしたのが双子の弟ルクス。扉の近くに立っている黒髪の彼はパオだよ。今まで君の世話をしていた者だ」
漸く名前がわかった。
これでイケメンを連呼しなくて済むな。
いや、それどころじゃないか。
国王とか王子とか言ってるし、アーレ国なんて聞いたこともない。
……ハッ、もしかして俺は拉致られたのか!?
身体が動かないのも声が出ないのも、変な薬を使われたとしたら説明がつく。
どんどんと悪い方へと転がる思考に青ざめていると、いつの間にか傍にきていた弟王子のルクスが俺の頬にある涙の跡を指先で拭ってくれた。
長い金髪をひとつに結んでいる兄とは違って、この人は肩に付くか付かないかの長さに切り揃えられている。
「ミュラはね、俺らの弟なんだよ」
………は?
「生まれてから今まで、ずぅーっと眠り続けていたんだ」
…え、いや…何かの間違いだろ。
俺、昨日まで普通に生活してたし…
チラリと黒髪のパオを見ると小さく頷いていた。
オジ様も双子も嘘をついているなんてとても思えない。
思えないけど、だからといってそんなこと受け入れられるはずもない。
俺には佐久間咲って名前があるし、両親もちゃんといる。
高校に通っていて、彼女はいないけど友達はたくさんいた。
「私達はずっと君が目覚めるのを心待ちにしていたんだよ」
「我が末の息子、良く目覚めてくれた」
「言葉が理解できるのはビビッたけどね」
「今は不自由でしょうが、リハビリをすれば話せるようにも歩けるようにもなります」
―――誰か嘘だって言ってくれ…
これはきっと夢なんだ。
今までの日々が夢のはずがない。
こっちが夢なんだ!!
頼むから、誰か…――ッ
止まっていた涙が再び溢れ出した。
***
あれから精神的なダメージで気を失ってしまった俺は、目覚めても変わらない豪奢な白い部屋に再び絶望を叩き付けられた。
身体が動かなかったのは金縛りでも薬のせいでもなかった。
あの人達の言葉を信じるのなら、一度も使われていない身体が動かないのは当たり前だし声が出ないのも当然だろう。
呆然としている俺の傍にはパオが付き添ってくれているらしい。
温かなお湯で顔を拭かれても、ストレッチなのか脚や腕を曲げ伸ばしされてもどこか人事のように感じてしまう。
俺のために頑張ってくれているのに、俺はこの世界を拒絶するように頑なに目を閉じていた。
受け入れられる訳ない。
俺はあの世界に帰りたいんだ…
差し出されたスープにも一切口を開けなかった。
悪いとは思ったけど空腹を感じないし、何より口に入れたら吐き出してしまいそうだったから。
だけど首を振って拒絶する俺を見て、傷付いたように眉を寄せて瞳を揺らすパオには微かに罪悪感が込み上げた。
横たわっていても身体に悪いと、大量の柔らかなクッションを背中に挟まれ上半身を起こすように座らされている。
窓からは赤い光りが差し込んでいるから夕方なのだろう。
それを確認するとまたすぐに目を閉じて現実を拒絶する。
パオも俺の気持ちを組んでくれているのか、必要なこと以外は全く話さない。
静かな室内にドアを開く音が響いても、僅かに離れたところで息を飲む声が聞こえても俺は反応を返さない。
だけど不意にベッドが軋み、肩を強い力で掴まれてしまっては話しが別だ。
驚きと微かな痛みに反射的に目を開けてしまった。
視界を占めるのは美しい顔をくしゃりと歪め、今にも泣き出しそうな2番目の兄、ルクスの顔…
「……また、眠りについてしまったかと…ッ」
あぁ、不安にさせてしまったのか…
俺の目を覗き込んで今度は安堵の余り泣き出しそうになる兄の表情に、強張らせていた身体からゆっくりと力を抜いた。
いくらこの世界を受け入れたくなくても、誰かを傷付けるのは許されることじゃない。
後でパオにも謝らないとな…
せめてもの謝罪を込めて、俺は笑って見せた。
顔の筋肉も衰えているから実際には口の端が僅かに持ち上がったくらいだろうけど、それでもこんな自己中な俺を心配してくれたルクスを安心させたかった。
間近に見える紫の目がこれでもかってくらいに見開かれて、瞬く間にその広い胸に抱き締められた。
背中と後頭部に回った腕が微かに震えている。
この体勢ではルクスの顔を見ることは出来ないけど、もしかしたら泣いて―――…
「可愛―――いっ!!」
…あれ?
「何この子! そんなに可愛く微笑まれたら、お兄ちゃんアブノーマルな世界の扉開いちゃうよ!! オープン・ザ・ニューゲイトだよ!! 嗚呼…早くお前の声が聞きたいっ、きっと可愛い声なんだろうね! 話せるようになった暁には、是非とも第一声は『ルクスお兄ちゃん』でよろしく!!」
いやいやいや、どうしちゃったの貴方!?
今までのシリアスな空気は何処に行っちゃったんですかマイブラザー!!
抵抗も抗議も出来ないのをいいことに、何ギュウギュウ抱き締めながら変態発言してるんですか!?
ほら、パオ君も呆れた視線送ってますよ!
あの視線…一国の王子に向けちゃダメな種類の、侮蔑や嫌悪や蔑みや嘲笑満載な系統のヤツですよ!!
気付いてルクスお兄様!!
「こんなに細い身体じゃすぐに壊れちゃうよ? お昼も食べなかったみたいだし…呪術で何とか身体は維持してるけど、食物を摂取しなきゃいつまでもベッドの上だよ?」
急にまともなことを言い始めた兄についていけず首を傾げていると、僅かに腕の力が緩んでルクスが俺の顔を見詰め微笑んでくる。
いくら兄だと言われても、芸能人顔負けのイケメンが放つキラキラオーラに顔が赤くなってしまうのは仕方がないことだ。
決して俺が面食いという訳じゃないからな!?
というかそれよりも『呪術』に反応するべきか?
不思議体験の連続で、何だかもうちょっとやそっとのことじゃ驚かなくなってしまった…
これって立派な現実逃避だよな。
「歩けるようになったら外に連れて行ってあげる。このアーレは小国だけど美しい国でね、リシャウっていう慈悲の女神と同じ名前をした宝石がたくさん採れるんだ。俺達王族の目と同じ、とっても綺麗な紫色の宝石なんだよ。町並みも石畳や煉瓦造りが素晴らしくて、民衆も心優しくおおらかだし、何よりこの城の外観はまさに芸術…」
「ルクスッ、お前は仕事をサボって抜け駆けか!」
楽しそうに話しているルクスにつられて段々と気持ちが軽くなっていくのを感じていると、いつの間にやって来たのか長男のロレスが柳眉を吊り上げてルクスの肩を掴んでいた。
「…チッ、バレたか…」
「当たり前だろう! 全く、お前という愚弟は…」
「そう言うロレスだって、仕事サボってミュラに逢いにきたんだろうがっ」
「お前と一緒にするな。私はミュラが混乱しているだろうからと、事情を説明するために仕事を片付けて来たんだ」
同じ顔の美形が言い争っている姿はかなりの迫力がある。
ルクスはさっきから俺を抱き締めて離さないし、そんなルクスをロレスが引き剥がそうと青筋を立てて威嚇している。
ガクガクと揺さ振られる俺の身にもなってくれ…
「…王子殿下、ミュラ様が苦しがっておられます」
おぉっ、パオから後光が差している!!
俺の顔色が悪くなったことに気付いたのか、控えめだけどはっきりと進言してくれたパオに心からの感謝の眼差しを向ける。
言い争っていた双子も漸く状況が飲み込めたのか、決まりが悪そうに微妙な空気の中離れてくれた。
そんな様子が可笑しくて、俺はまたクッションにもたれ掛かりながら笑ってしまった。
すると途端に息を飲む音が聞こえる。
ロレスのものだろうか…
「ミュラ…君はなんて可愛らしい顔で笑うんだ…! まさにリシャウの微笑み…美しい紫電の宝石さえ、ミュラの前では霞んで見えるだろう…っ」
恐ろしく甘ったるい台詞を吐きながら迫ってくるロレスに身体を硬直させてしまうけど、双子に阻まれ…というかお互いに牽制し合ってて抱き着くまでには到らないみたいだ。
とりあえず一安心。
チラッとパオを見ると、何故か頬を染めて目を逸らされてしまった。
やっぱりこの変な双子の行動は直視出来ないよな。
わかるわかる、俺も同じ気持ちだし。
「ルクスッ、兄の邪魔をするんじゃない! 私はミュラをこの胸に抱いて思う存分愛でたいんだ!」
「誰がさせるかっ、このムッツリ! ミュラの笑顔は俺が最初に見たんだし、これからだって俺だけのものだ!」
「誰がムッツリだっ、お前こそ手当たり次第の下半身男だろうが!!」
「ミュッ、ミュラの前で何てこと言ってんだ!! ミュラ、違うんだっ、これはその…と、とにかく違うんだ!」
何だこの、浮気がバレて慌てる彼氏のようなアホな台詞は…
勝手に俺を修羅場的状況に巻き込むんじゃない!
俺はルクスの下半身が緩いこととか、ロレスがムッツリだとか正直どうでもいい。
…そろそろキレてもいいだろうか…
いくら俺が平凡野郎でも、チキンハートでも、こんな不毛な言い争いされたら堪忍袋の尾が擦り切れる。
冒頭のシリアスな雰囲気をぶち壊すアホ過ぎる台詞の数々に、筋肉がないにも関わらず暴れ出してしまいそうだ。
パオも余りのことで目を白黒させてるし、腐っても王子な双子に対して怒鳴る訳にはいかないのだろう。
「ミュラ、コイツは貴族の娘や城の女中だけじゃ飽きたらず、男にまで手を出す節操無しの害虫だ! 近付いたら孕まさせられるから、必ず半径10m以上離れるんだよ?」
「うぎゃーーっ!! 何言ってんのッ? 何言っちゃってんのバカ兄!! それを言うならお前だって、目を覚まさないミュラの顔見ちゃオナッてたクセに!!」
「貴様ァッ言ってはならんことを!! 私だって知っているんだぞっ、セフレとヤる時ミュラの名前を叫んで達するらしいな? そこら辺の尻軽をミュラの代用品にするなど、ミュラへの冒涜に他ならない!」
「なっ、違う!! 俺は脳内で鮮明なミュラの身体を想像して、ヤッてる最中は目を閉じて精神統一をしてだなぁっ」
―――ブチッ!
「うるせぇんだよっ、大馬鹿ドスケベ双子ぉおおおおっっ!!!!」
こうして、俺がミュラとしてこの世界で初めに発した言葉は『罵声』という名のツッコミと相成った。
***
side:ルクス
俺には双子の兄がいる。
同じ顔をしているコイツは王になる器に相応しく、策略的な腹黒野郎だ。
生まれた時から一緒にいるけど、全くもって可愛くない。
学問に秀でたロレス。
武術に秀でた俺。
似ているのは顔だけで、性格も才能もまるで正反対だった。
そんな俺達が8歳になった時、アーレ国でも美しいと評判の母上が子供を産んだ。
俺に初めて弟ができたのだ。
白く柔らかな子供、ミュラはロレスと違ってそれはそれは可愛らしい。
だけど、難産だったからか一向に目を覚ます気配がない。
城付きの医師は眠っているだけだと言うばかりで、全く役に立たなかった。
仕方なく医療呪術に秀でたバマン大国から一番優秀な呪術師を連れて来ても、生命維持の呪術をかけるのが精一杯でミュラの瞳が開くことは適わない。
国中の者達がミュラの目覚めを一心に祈っている。
昏々と眠り続けるミュラに心を痛めたのか、産後の肥立ちがよくなかった母上が身罷ってしまった。
女神リシャウの下へと召された母上。
最愛の伴侶を失った父上は、けれど賢王の名を汚すことなく前以上に国政に力を入れた。
でも、俺達は知っている。
母上の忘れ形見であるミュラを溺愛することで、父上は悲しみを癒そうとしていることに。
それは俺やロレスも変わらない。
年々面差しが母上に似てくるミュラを、誰もが愛した。
いつ目覚めても良いように、乳兄弟として育った乳母の息子パオをミュラの世話役に置いた。
愛しいミュラ。
俺の弟。
君はどんな声をしているんだろう…
17歳の誕生日を迎えた君は、誰よりも美しく育ったよ。
だけどきっと君は無垢なままだろうから、勉学はロレスに教わるといい。
武術や遊びは俺が教えてあげる。
だから早く、その瞳を開けてあけておくれ。
愛しいミュラ。
俺の弟。
信じられない。
今まで眠り続けていたミュラが、目を開いて涙を流していた。
泣き縋っている父上を気にかけることもできないくらい、今の俺は衝撃を受けている。
隣に立つロレスも、それは同じだろう。
いつもは寡黙で冷静なパオもそわそわと落ち着かないようだ。
そんなパオに止められて父上がミュラから離れる。
謝罪を口にする父上だったが、不意にそれに応えるようにミュラが小さく首を振った。
その時の驚きを何と表現したらいいだろう。
ミュラは今まで眠っていて、言葉なんか知らないはずなのに父上に頷き返したんだ。
そりゃ驚くに決まっている。
不思議だけど、そんな奇跡に俺は心の底から感謝した。
だってあのミュラと話ができる!
17年、ただ見ていることしかできなかったミュラと、今は声が出ないみたいだけど少しすれば普通に話せるようになる。
期待に胸を踊らせ、白く柔らかなシーツに覆われた寝台に歩み寄った。
俺達よりもずっと澄んでいる瞳には理性が宿っているように見え、やっぱりちゃんとした知識があるらしいことが伺える。
先に話し掛けたロレスに続いて、俺もミュラを近くで見下ろす。
すると、ミュラの瞳がしっかりと俺を捉らえた。
―――ドクンッ
大きく高鳴る鼓動。
夢にまで見た光景に、目が眩むような高揚感が込み上げてくる。
喜びに身体が細かく震えはじめた。
気を緩めたら父上のような醜態を曝してしまいそうで、そこは何とかグッと耐え抜く。
喉が乾いてヒリつきそうになるけど、ミュラを怯えさせないよう努めて優しく言葉を唇に乗せた。
「ミュラはね、俺らの弟なんだよ」
愛しいミュラ。
俺の弟。
やっと君に出会えたね。
いっぱい話をしよう。
いっぱい遊ぼう。
君のことをもっと知りたいんだ。
これまでも、これからも、俺が君を守っていくよ。
大切な大切な俺の弟。
***
きっかけはどうであれ、俺は喋れるようになった。
双子に罵声を浴びせ掛けた日は流石に喉が枯れて声が出なかったけど、次の日には問題なく普通に声が出た。
その知らせを受けてか王様も公務を放って駆け付けるし、双子達は嬉しそうにメチャクチャ話し掛けてくるし、パオも僅かに頬を緩めていろいろと世話を焼いてくれる。
周りが賑やかだからか、家族と離れてしまった寂しさを、実は余り感じていない。
俺には良くできた弟がいたから、父さんも母さんも安心して老後が送れるだろう。
心配させてしまっているかもしれないけど、あの人達なら前向きに生きてくれると信じている。
だから俺も、この世界で前向きに生きて行こうと決心したんだ。
まだすぐには王様を父さんとも、双子を兄さんとも思えないけど、みんなの優しさや暖かさに触れ合っていくうちに自然と受け入れられる日が来ると思う。
俺はこのアーレ国、第三王子ミュラとして生きていく。
「ミュラ、今日から勉強してもらうからね?」
まだ思うように身体を動かせない俺を気遣って、ロレスが寝台に本を置く。
椅子を引き寄せて俺の隣に腰をかける姿は、変態を抜きにして絵になる。
「ロレスの髪って綺麗だな。長くて金色でサラサラだし」
背中でひとつに結っているロレスの金髪は、女の人のようにサラサラツヤツヤだ。
もし手が動くんなら触ってみたい。
「何を言ってるんだい。ミュラの方が綺麗だよ」
うわ、またこの人は恥ずかしいことを平気で言ってるし!
褒められ慣れていない俺としては赤面ものなんですけど!
「私なんかより余程長いし艶やかだよ。母上譲りの銀糸の髪が、ミュラの透き通るような紫の瞳によく映えてる」
「そんなことないって。俺は平凡だし、こんな銀の髪…………………銀の髪ぃいいいっっ!!!?」
ちょちょちょっ!
俺は黒髪黒目の純和風顔だしッ、平凡が取り柄の一般ピーポーだし!
え、何!?
どういうこと!?
「……あぁ、ミュラはまだ鏡を見たことがないんだね。ほらご覧、これが君だよ」
半端なくテンパっている俺にいち早く状況を理解したらしいロレスが、鏡のようにピッカピカに磨き上げられた銀のお盆を目の前に差し出してくれた。
「………………誰?」
お盆に映し出されたのは、サラッサラな白っぽい長髪に紫の瞳を持ったどこか儚げな人だった。
スッと通った鼻筋に薄い唇、線の細い身体に透けるように白い肌。
何処からどう見ても絶世の美貌。
もしかしたらロレス達より美形かもしれない。
中性的だからイケメンとは言えないけど…
「アーレ国第三王子にして私の愛する弟でもあるミュラ・リシャウ・アーレ。つまりは君だよ」
何処か誇らしげなロレスの笑顔が眩しい。
取り合えず片目を閉じたり口を開いたりして見たけど、俺がする通りにお盆に映った美人さんも動く。
信じられない。
信じられないけど、認めるしかないみたいだ。
目を覚ましたら美形になっていたなんて、まるで夢物語みたいだな…
ガックリとうなだれた俺を見て何を思ったのか、お盆をテーブルに戻したロレスがふわりと抱き締めてきた。
「……ロレス?」
「君は不思議だね。眠っていたはずなのに言葉がわかるし、美醜を区別できる審美眼も持っている」
実は、俺が地球からやって来たことをまだ誰にも話していない。
気持ち悪がられると思ったからだ。
この人達に嫌われたくない。
だけど、いつまでも黙っているつもりはない。
もっと絆が確かなものになったら、俺から話すつもりでいる。
でも、それまでは…
「あの、ロレス…それは、」
「大丈夫、まだ聞かないよ。目覚めたばかりで混乱もあるだろうからね。だけどミュラ、これだけは言っておくよ。私は、勿論ルクスや父上も、君を愛している。君がどんな秘密を持っていても、例え悪魔でも、私達は君を離さない」
俺の頭を優しい仕種で撫でるロレスの顔は、とても慈悲深い表情をしていた。
疑うことができないくらい真摯な言葉を聞いて、俺は秘密を打ち明ける日がそう遠くないと確信する。
「ありがとう。……ロレス、兄さん」
初めて口にする『兄さん』は、何だかむず痒い。
ロレス兄さんもむず痒いのか、俺の身体に回った腕に少し力が篭ったようだ。
「礼には及ばないよ、愛しいミュラ。私の弟…」
この人達の家族になれて良かったと思う。
噛み締めるようにして呟かれた言葉を耳にしながら、俺は胸が暖かくなるような幸福を感じていた。
***
「今日は外でお茶にしましょう」
この世界に来て一番安心したのは、食べ物が向こうの世界と同じだってことだ。
毎日同じ時間にパオが入れてくれる紅茶も、詳しくはないけど飲んだことのある味がする。
「ホントか!? 俺、外に出てもいいの!?」
少しずつ食べられるようになってきて、自分でもぎこちないながら動けるようになった。
それに伴って、俺にかけられていた生命維持の呪術とかいうのも解かれた。
だけど、外はまだ身体に悪いと過保護過ぎる父さんや兄さん達に止められて、俺は未だにこの部屋から出たことがない。
そこにさっきの言葉だ、テンションが高くなっても可笑しくはないだろう。
「はい。医師の許可は取っておりますからご安心下さい」
紅茶の道具や茶菓子を乗せたワゴンを部屋に面したバルコニーに押して行きながら、パオがぶっきらぼうに応える。
パオはいつも無表情だ。
最初の日こそ驚いたり戸惑ったりしていたけど、基本的には無愛想で無表情で無口みたいだ。
だけど、こうやって常に俺のことを考えてくれる。
外に出たいなんて言ったことないのに、パオには全部お見通しみたいだ。
「今日は暖かいですし、それにミュラ様宛てに贈り物が届いています」
「贈り物?」
「はい。隣のバマン大国ティオニ国王陛下からの賜り物です。先日ミュラ様の呪術を解きにいらした方は、ティオニ陛下のお抱え医療呪術師なんです。ですからミュラ様の目覚めを知って、国王直々に祝いの品を賜れたようですよ」
たしかロレス兄さんとの勉強で習ったはずだ。
このアーレ王国はバマン大国とジェザノイド帝国に挟まれていて、バマン大国は医療や学問が盛んだった気がする。
そうか、俺はいろいろなところでお世話になってるんだな。
「だけど、なんで外に出る必要があるんだ? 贈り物ならここに持ってくればいいじゃん」
「それは、来ていただけたらわかります」
教えてくれる気がないパオが、いつものように俺の背中と膝裏に手を差し込んで横抱きに持ち上げる。
同じ男としてこうも軽々と抱き上げられたら面白くない。
とはいえ、まだ満足に歩くこともできないから仕方がないんだけど。
極力揺らさないように気を配るパオに抱かれて、俺は初めて外に出た。
今はポカポカと春のように暖かい。
ウッドテラスになっているそこにはテーブルセットが置いてあって、ゆっくりとクッションが敷いてある椅子に下ろされた。
「ありがと、パオ」
「当然のことをしたまでです」
運んでくれたことと外に連れ出したことにお礼を言うけど、俺の膝にブランケットをかけてくれているパオは相変わらず素っ気ない。
ま、お礼は自己満足だから気にしないけど。
「それで、ティオニ陛下からの贈り物ってのは?」
「もうそろそろ着くかと…」
「グガァアアーーッ!!」
草木に彩られた庭に轟く鳴き声。
うん、多分鳴き声だと思う。
ズシンズシンと地面を揺らし、建物の角を曲がって現れたのは、
「…………ドラゴン?」
太い脚に小さな前脚。
爬虫類のような尻尾に蝙蝠のような大きな翼。
全身を薄い紫色の鱗に覆われた全長5mはあろうかという生物は、いつか映画で見たドラゴンと酷似していた。
「こちらが、ティオニ陛下が賜れた竜です」
竜ですって言われても、太い首輪に繋がった鎖を何人もの兵士が引っ張っているけど、どう贔屓目に見ても振り回されているようにしか見えない。
というか、暴れてないか?
「紫はアーレ王国では神聖な色とされていますし、紫の竜は大変珍しいとティオニ陛下が…」
隣で立っているパオが説明してくれるけど、今はそれどころじゃないだろ!
「ギャオォオーーッ!!」
やっぱ暴れてるコレ!
メッチャ暴れてるコレェエッ!!
竜って火噴いたりするのか!?
いや、その前に踏み潰される!!
「名前をつけたらいかがですか?」
お前天然!?
何を悠長なこと言ってるんだ!
「グガォオオーーッ!!」
竜が首を振ったら鎖を持っていた兵士が次々とブッ飛んでいった。
ズシンズシンと地鳴りを轟かせ、自由になった竜が近寄ってくる。
来たぁあーー!!
こっち来たーーっ!!!!
「ちょっ、ストップ! 竜! いや、竜様!! 止まって下さいお願いしますっ、俺動けないんで逃げられないんで食べても美味しくないんで!!」
「ミュラ様、『ストップ』とは何ですか?」
お前はいいな!
呑気で!!
そうこうしている間にも竜が着実に近付いて来てる。
頬まで裂けたデカイ口で、俺なんかひと飲みだよ!
「待てっつってんだろうがッ、このバカ竜ーっ!!」
この世界に来てこんなに叫んだのは最初の時以来だ。
ギュッと目を硬く閉じてやって来るであろう衝撃に身構える。
俺の一生も17年で幕を閉じるのか…
………
……
…
「あれ?」
いつまで経ってもやって来ない衝撃と、いつの間にか静かになった喧騒に怖ず怖ずと目を開けてみる。
すると…
目の前にまで迫っていた竜が、大人しく座っていた。
……何コレ…
しかも綺麗な金色の目が何処となく悲しそうに揺れている気がして、何だか物凄くいたたまれない。
「キュー…」
おい、なんか可愛く鳴いてるぞ。
もしかして俺が『待て』って言ったから待ってるのか?
隣にいるパオを見上げても、呑気に紅茶を入れているばかりで役に立たない。
「……キュー…」
ウルウルと潤む目で見てくる竜に、意を決して手を伸ばしてみる。
すると途端に上半身を折り曲げて、俺の掌にデカイ鼻先を押し付けてきた。
一瞬噛み付かれるんじゃないかって思ったけど、そんなものは杞憂だったみたいだ。
嬉しそうにしている竜が、段々と可愛く見えてきた。
今度は両手を広げてみると、俺の腹に鼻先を擦り付けてグリグリと甘えてくる。
「キュー、キュー…」
デカイのに可愛い声だな、オイ。
「紅茶が入りましたよ、ミュラ様」
パオ、今の状況見えてるのかお前は…
目を閉じて鳴きながら甘えてくる竜の頬や口の上を撫でてやり、その硬くしなやかな鱗をまじまじと観察してみる。
温かくも冷たくもない竜の体温。
「……これ、どういうこと?」
「その高い声は、子竜が母親に甘える時のものです。つまり、ミュラ様を母親だと思っているということです」
…なんでとかどうしてとか言っても現状が変わるわけじゃないし、俺は片手で竜の眉間を撫でながらもう片方の手でティーカップを持ち上げる。
今日の紅茶は甘い香りがする。
「…美味しいよ、パオ」
いつものように感謝の気持ちを込めて言えば、いつものように素っ気なく頷かれた。
ホントに無愛想だな。
「キュルルッ」
紅茶を飲んでいたら撫でていた手が止まっていたらしい。
竜がもっと撫でろと言わんばかりに声を上げる。
ヤバイ。
これは可愛い。
ティーカップをテーブルに戻すと、また両手で撫で繰り回してやる。
さっき兵士達をブッ飛ばして暴れていたのに、今はデカイ図体を窮屈そうに折り曲げて甘えてくる竜の姿に口がニヤけてきた。
怖かったけど懐かれると可愛く思えるから不思議だよな…
「俺が母親か…何か擽ったいな」
もっと小さかったら一緒に寝たりしたいのに残念だ。
「ミュラ様、名前は決まりましたか?」
「名前…」
名前か。
いつまでも『竜』じゃ可哀相だしな。
腕の中の白に近い紫色をした竜を見詰め、うんうんと唸りながら思考を巡らせる。
「白っぽいし目も金色だから、もう『白金』でいいだろ」
「シロガネ、ですか」
「クルルルッ」
名前をつけてやると嬉しそうに喉を鳴らす白金に、やっぱり口がニヤけてくる。
「気に入っているようですし、中々良い名前ですね」
珍しいパオからの褒め言葉に、緩む頬が止まらない。
「あー…マジで、白金ちっこくなればいいのに。そしたら抱っこしてやれたのになぁ…」
「ミュラ様の体力では、例え小さくなっても…」
ボフッ!
俺の胸に何かが飛びついてきた。
反射的に受け止めるようにして抱き締めると、さっきまでいた白金がいなくなっていた。
…これは、まさか…
「ミーッ、ミー!」
恐る恐る胸に抱いたものを見下ろすと、案の定小さくなっている白金らしき竜が可愛く鳴いていた。
ファンタジーコノヤローッ!!
どうやったら5mが50cmになるんだ!?
ホントご都合主義だな!!
「変化…これは竜ではなく竜王種かもしれません。まさか生きてこの目で見られるとは…」
あのパオでさえ驚いてるってことは、相当珍しいんだろうな。
全身で甘えるように俺の膝の上で身体を擦り付けてくる可愛い白金。
ま、俺だって美形になってるし、これで一緒に寝れるわけだからご都合主義でもいいよな。
パオが用意してくれたクッキーを食べながら、また新しい家族が加わったことに嬉しくなってきた。
「今日からよろしくな、白金」
「キュルルッ!」
***
ただベッドとサイドテーブル、必要最低限しか置かれていなかった俺の部屋に、最近物が増えてきた。
それは俺が目覚めた時に備えて用意されていた家具だったり、白金用のベッドだったりするんだけどそれはそんなに邪魔じゃない。
問題はこれだ。
「こちらがレミロア公爵からの織物で、こちらがイリュガー男爵からのブレスレットで、こちらがハロルド子爵からの花束でございます」
「こちらはバマン大国からの品で、ティオニ国王陛下の妹君から賜った気の巡りを良くする丸薬でございます」
「こちらはジェザノイド帝国からの品で、宰相殿より遥か海の果てから取り寄せた世にも貴重な炎を閉じ込めた水晶にございます」
「父君より新しく誂えた礼服が届けられております」
「ロレス王子から髪留めを、ルクス王子から絵画が届けられております」
この前、ティオニ国王陛下から貰った馬鹿デカイ白金のせいで、俺が目覚めたことが大陸中に広まったらしい。
次の日から怒涛のプレゼント攻撃がはじまって、部屋の物を貴賓室に持って行く早さを上回るスピードで贈り物が届けられる。
みんなの気持ちは嬉しいんだけど、正直ここまでになるとちょっと困る。
それに何故か張り合うようにして、父さんや兄さん達までプレゼントしはじめたからもう収拾がつかない。
「大体、どうして会ったこともない俺なんかに贈り物するんだよ…」
ベッドヘッドにもたれ掛かるようにして座り、膝の上で甘えてくる白金を撫でながらついぼやいてしまった。
その間にも運ばれてくる品々に、溜息が出るのを止められない。
「アーレの民を伴侶にすることは、他国の者にとって名誉なことなのです。特にミュラ様はアーレの眠れる至宝とまで言われていますから、性別など関係なく万人が貴方を娶ろうとしておられるのですよ」
いつものように傍に立っているパオだけど、言葉の端々に刺があるような気がする。
って…
「娶る!? ちょっ、これってもしかして…求婚されてるのか!? いやいやいや、目覚めたお祝いだって言ってたじゃん!!」
「建前はそうですけど、どの品にも下心が多分に含まれているということです」
うわー…余計に迷惑なんだけど。
この世界の常識がどうなのかは知らないけど、俺は女の子が大好きな普通の男だ。
知らないおっさんから贈られた物なんか受け取りたくない。
だけど、受け取らないと王族としての器が疑われるとか何とか言ってたし、八方塞がりだ。
いっそフリーマーケットでも開くか?
「うわっ、これは凄いね」
続々と品物を持って入ってくる使者達に紛れて、ルクス兄さんが部屋に顔を出した。
「そう思うんだったら、せめてルクス兄さんだけでも贈り物やめてくれよ…」
「ミュラ! 何でそんなこと言うの? 他の奴らからは貰えても、俺のは貰えないってこと!? いらないってこと!? それに兄と呼んでくれるのは嬉しいけど『ルクスお兄ちゃん』って呼んでって言ったよね? お兄ちゃんお願いしたよね!? それは俺のことが嫌いってこと? 俺よりロレスがいいってこと? クソッ、ロレスばっかりミュラと勉強しやがってあのムッツリ! 俺だってもう少しミュラの体力がついたらいろんな遊びを教えてやる!! 何処にだって連れてってあげる! ミュラが望むなら何だってしてあげる!! だからミュラッ、お兄ちゃんを嫌いにならないで!!!!」
シーツ越しに俺の足に縋り付いて滝のように喋り続けるルクス兄さんに、各国の使者やパオ、白金までもかなり引いていた。
もちろん俺もドン引きだ。
「ル、ルクス兄さ」
「お兄ちゃん!」
「…お兄ちゃん。俺が贈り物をいらないって言ったのは、そんな物よりもこうやって一緒にいてくれる方が嬉しいからだ。他のみんなとは違う。ルクスにい…お兄ちゃんは俺の大切な家族なんだから」
我ながらクサイこと言ってるのは自覚がある。
だけどこの数日で、ルクス兄さん達にはこう言った方が効き目があることを学んだんだ。
「―――ミュラ!! そうだねっ、俺達は家族だから贈り物より一緒にいる方が良いに決まってるよね!! 嗚呼、可愛いミュラ! お前はなんて心が清らかなんだろう!! 愛してるよっ、ミュラ!!」
何回ミュラって言うんだ…
俺の言葉に痛く感激したらしいルクス兄さんが、ベッドに乗り上げて抱き締めてくる。
兄さん、パオが凄い目で見てるよ。
いつもは無表情なのに、今は汚物を見てるような眼差しになってるよ…
もう、王族の威厳とかどうでもいいから取り合えず退いてほしい。
俺達の間に挟まれた白金が苦しそうだ。
***
先日ルクス兄さんに言ったことが父さんやロレス兄さんの耳にも入ったみたいで、突然部屋に来たかと思えば謝りながら抱き締められた。
もちろん、いつものように膝の上を陣取っていた白金はまた潰されてしまった。
3人はリアクションが全く同じだな。
性格は違うのに、俺が絡むと途端に行動パターンが似てくるから被害が3倍になる。
今回はそれが功を奏して、少しだけどプレゼントが減ったのは喜ばしいな。
まさにナントカとハサミは使い様。
「もう少しです。ほら、諦めないで力を入れて」
パオが俺に向かって両手を広げている。
俺はと言えば、ヨロヨロとした足取りながらも自力で歩いている最中だ。
毎日欠かさず筋トレやマッサージとリハビリに勤しんでいた成果か、通常よりも早く歩けるようになった。
…というか、今更だけどパオはカッコイイ。
兄さん達のような華やかな美形じゃないけど、ストイックな感じの美形だ。
前髪と襟足がちょっと長めの黒い髪で、身長もスラリと高い。
そんなイケメンに両手を広げて待ち構えられるのは、いくらリハビリのためだからってかなり恥ずかしい。
だけど今の俺は贅沢なんか言ってられない。
まるでスケート初心者のようによろけながら、腕を前に伸ばしてパオに縋ろうとする。
「キュイーッ!!」
「うごっ!!」
突如、弾丸のように白金が俺の腹に飛び込んできた。
もちろんただでさえ筋力のない俺の身体は簡単に傾いていく。
あぁ、床に倒れる。
白金コノヤローッ、後でお仕置きだ!
「―――っ!」
潔く覚悟を決めようとした矢先、伸ばしていた腕を引っ張られグッと腰を抱き寄せられた。
「…大丈夫ですか? お怪我は…」
一瞬何が起きたのかわからなくて硬直してしまったけど、近くから聞こえる静かな声に反射的に顔を上げてまた硬直してしまった。
ちょっとパオさん、イケてるお顔が近いです。
そして、きつく抱き寄せてるから俺の腹にへばり付いている白金が苦しそうです。
なんか最近こんなんばっかだな、白金。
「だい、じょうぶ。ありがとな、パオ。助かったよ」
「いえ、役得です」
「は?」
いつもみたいに「当然のことを~」って言うと思ってたから、後半を聞いていなかった。
だけど、パオの顔は相変わらず無表情だし、もしかしたら大したことじゃないのかも。
「運びます」
前触れもなく声をかけられ、理解する間もなく横向きに抱き上げられてしまった。
「うっ、わ! せめて返事を聞いてから抱えてくれよっ」
「はいはい、わかりましたから暴れないで下さい」
完璧に子供扱いだな…
確かに俺は17歳でパオは兄さん達と同じ25歳だけど。
あれ、バマン大国のティオニ国王陛下とジェザノイド帝国のヴォルグ皇帝も25歳じゃなかったか?
25年前は空前のベビーラッシュだったのかも知れないな。
「また下らないことを考えておられるのですか」
気付いたらベッドに下ろされていた。
腹にはまだ白金がへばり付いている。
「……何でわかるんだよ」
「俺は10年間眠り続けるあなたのお世話をしてきました。そのうち微かな反応でもその時の体調や感情を読み取ることができるようになり、今に到るというわけです」
つまりは、寝ていても俺の気持ちがわかるってことか?
一体どれだけ眺めていたらそんなことができるようになるんだ…
「そっか、なら今は何考えてるかわかるか?」
「恐らく、何故白金が飛び付いてきたのかとかその辺りでしょう」
「……正解」
パオ、恐ろしい男!
コイツの前では変なこと考えられないな。
「白金は貴方を守ろうとしたのですよ」
「……え、何で?」
「俺を敵だと思っているようですから。それに、人を無闇に傷付けるなとミュラ様から言い付けられていたため、ああいった形でしか貴方を守ることができなかったんでしょう」
白金…
一生懸命腹にへばり付いている白金の背中をゆっくりと撫でてやり、小さな頭に軽いキスを降らせる。
「ありがとな、白金。お前、俺との約束守ってくれてるんだな」
その代わり俺が怪我しそうだったけどな。
「でも、パオは敵じゃないから安心しろ」
「いえ、そこは敵で構いません。実際にそうですし」
「は?」
意味がわからん。
パオが敵視されたままだと、また今日みたいにタックルされてしまうかもしれない。
それは御免被りたいんだけど。
「俺も白金も、男だということですよ」
いや、だから意味がわからないから!
***
……あぁ、何故こんなことになったんだろう…
見渡せばいつもの白い部屋じゃなくて、荘厳華麗な『謁見の間』とかいうだだっ広い空間。
太い柱が均等に並んでいて高い天井を支えている。
真ん中には細かな模様が描かれた絨毯が真っ直ぐ敷かれ、一番奥にある玉座まで続いていた。
その玉座といえば、階段を上がらなければいけないくらい高くにあって、金色の装飾に縁取られている真ん中に威厳たっぷりの父さんが座っている。
そしてそれを挟むように立っている、美貌の双子王子。
全くもって絵になることこの上ない。
玉座の隣に置かれた椅子に、俺さえ座っていなければ…な。
この雰囲気の中かなり浮いているだろう俺は、いつもの白いパジャマみたいな服ではなく、白と紫を基調とした軍服みないなのを着ている。
父さんは暗褐色、ロレス兄さんは暗紅色、ルクス兄さんは紺碧色と一様に落ち着いた色の軍服もどきなのに、何で俺だけこんなに明るいんだよ!
しかも、俺の髪の毛が膝くらいまであるのがいけないのかもしれないけど、複雑に編み込まれて残った髪を肩から前に流すという女みたいなヘアスタイルになっている。
髪が余りにも邪魔過ぎて切りたいって言ったら、父さんに泣きながら止められたんだよコンチクショー。
今日この状況に陥ったのだってそうだ。
泣けば何でもかんでも許されると思ってんじゃねぇ!!
…と叫べたら、どれだけいいだろう。
絨毯の上で片膝を付き最敬礼をしている2人の男。
その2人を前に僅かに身体を強張らせている父さんと兄さん達。
重ねて言おう。
何故こんなことになったんだろう…
「お二方、顔を下げる必要はない」
少し困ったような父さんの声で、下げていた顔を上げる二人。
一人は紺色の髪を肩の辺りまで伸ばした優しそうな美男子。
もう一人は燃えるような紅の髪を緩くウェーブさせたショートヘアの野性的な美青年。
「まさかお二方自らいらっしゃるとは思いもよりませんでした」
ロレス兄さんの声はどうも二人を歓迎しているようには聞こえない。
それはルクス兄さんの顔を見てもわかる。
「ティオニ国王陛下には医療呪術師の件でお世話になったが、ヴォルグ帝王陛下は如何なされたか」
…なんてこった。
俺達よりも下段で膝を付いているのは、アーレ王国とは比べものにならないくらいの強国、バマン大国とジェザノイド帝国のトップだったのか!
逃げたい!
一刻でも早く部屋に逃げ込んで、白金の頭を撫で繰り回したい!!
「目を覚まされたミュラ王子に祝いの品を献上しようと思ったまでだ。バマンには先を越されたから、謁見は先手を取ろうとしたんだが…」
「貴方の行動類型がわからないとでも? ミュラ王子が歩けるまでに回復したと聞き付ければ、貴方が早々に謁見しようとすることなど考えなくてもわかります」
「それに合わせてやって来るなんて、相変わらずの陰険振りだなティオニ国王」
「貴方こそ、軍国を率いているとは思えないほど短絡的な思考ですねヴォルグ帝王」
どうやら赤い髪に金色の目の男がヴォルグ帝王陛下で、青い髪に碧眼の男が白金をくれたティオニ国王陛下みたいだな。
「俺はミュラ王子が5歳の時に婚約を交わしたんだぞ。お前の出る幕はない」
「それは貴方が眠るミュラ王子に一方的に宣言しただけでしょ? 僕の力がなければミュラ王子はこうして目覚めることもできなかったんですよ」
「お前じゃなくて医療呪術師の力だろうが。大体ティオニは昔からそうだっ、俺が気に入ったものをいつも後から来て掻っ攫っていきやがる!」
「子供の頃を引き合いに出すなんて、歳をとった証拠ですよヴォルグ」
「俺はまだ25だ! ってか、お前も同い年だろうが!!」
「とにかく、今回も僕が貰いますから」
「ふざけんなっ、今回はお前には譲らない!!」
…あれ、こんなの前にもなかったか?
デジャヴュ?
「「いい加減にしろ!!」」
素晴らしくハモった声が、膝を付いたまま言い争っていた二人の王様を怒鳴り付けた。
言わずもがな、双子王子だ。
「ふざけてんなよ! こっちが国を背負ってる国賓として迎えてやってると思えば付け上がって!!」
「お前達がただの『ヴォルグ』と『ティオニ』としてこの場にいるのだったら、もう敬意を払う気はない」
「「ミュラが関わっている以上、幼馴染みだからって容赦しない!!」」
あ、この4人…幼馴染みだったんだ。
あれから1時間。
ちなみに4人の喧嘩はまだ続いています。
「テメェッ、アーレがジェザノイドにそんな口利いて許されると思ってんのか!?」
「相変わらず国の名前を出せば優位に立てると思っているんだな? 一人の男として勝負できないお前に、ミュラを娶る資格などない!」
「それはミュラ王子が決めることでしょう? 所詮貴方達は僕等を嫉んでいるんですよ。どう頑張ったところで兄弟とは結婚できませんからね」
「ざけんな! 結婚なんかしなくたって、俺とミュラはずっとこの城で過ごすんだよ!」
とまぁ、こんな調子だ。
いつの間にかヴォルグ帝王VSティオニ国王から、王様VS双子王子に変わってる。
この4人を唯一戒められるであろう父さんは、「子供の喧嘩に親が出る必要はない」と実に大人な意見を述べて執務に戻ってしまった。
いつもは子供っぽい父さんの、父親らしい一面に感心した。
けど、どうせなら俺も連れ出してほしかった…
「ミュラ王子、僕からの贈り物は喜んで頂けましたか?」
おっと、こっちに話が回ってきた。
「はい、『白金』という名前を付けて可愛がっています。わざわざありがとうございました」
一応国のトップらしいから、余所行きの笑顔を張り付けて応えた。
するとさっきまで荒々しく口喧嘩していた4人が、一斉に俺の顔を見て目を見開く。
そんな変な顔してたか?
王様2人は別として、兄さん達は毎日顔を突き合わせてるんだからいい加減慣れてほしい。
「メ……チャクチャ可愛いじゃねぇか!! 何だこりゃっ、美人かと思えば笑った顔は可愛いし!」
「今まで眠った顔しか拝見できませんでしたからね。これは想像以上の愛らしさです」
あれ、これのリアクションもデジャヴュか?
ったく、人の平凡顔見てどいつもこいつも…
………
あ、俺…今の顔は超美形だったんだ…
忘れてた!!
てか、美形ってどんな顔してればいいんだ!?
美形取扱説明書とかないのかよ!
「お前らっ、ミュラを邪まな目で見るな! ミュラが汚れる!!」
「お前達に見せるとミュラが減る!!」
兄さん達、俺は何処から突っ込めば良いのかわかりません。
俺自身もこの顔面のせいでテンパってるのに、他の奴らにまで気なんか回せないよ…
疲れてきた俺に気付いたのか、隅に控えていたパオが歩み寄ってきた。
「パオ、勝手に上段に上がるんじゃない」
王族の許しなく上がれない上段に足を向けたパオに、礼節に煩いロレス兄さんが窘めた。
他の3人もパオに視線を集中させる。
やっぱり腐っても王族なんだな。
非難がましい視線を向けられたパオだけど、その足を止めることなくついには俺の隣にまで上がってきた。
そっと首筋に当てられた掌が冷たくて気持ちが良い。
「パオ! ミュラに触んなよ!」
「いくら乳兄弟でも許されないぞっ」
「勝手に上段に上るなど、随分躾のなっていない従者ですね」
「ミュラ王子は俺の婚約者だぞっ、その肌は俺のだ!!」
「ならば、言わせて頂きます。ミュラ様は歩くことができるようになったとは言え、まだ寝台で過ごされることの方が多いのです。しかし、同盟国の君主が謁見を申し込んだからと無理を押して此処に座っていらっしゃる。にも関わらず諸公が下らない言い争いをしているせいで、1時間もこの寒い謁見の間でミュラ様を放っておかれた。諸公は気付いておられましたか? 今ミュラ様が熱を召されていることを」
俺、熱があったんだ…
道理で4人の喧嘩の内容が頭に入らないはずだ。
それにしてもあの無口なパオが良く喋ったな。
やっぱり誤解されたままじゃ、ただの無礼者になっちゃうもんな。
パオの言葉を聞いて、みんなの顔が一気に青ざめた。
特に同じ上段にいた兄さん達の顔色の悪さは、生きた人間とは思えないほどだ。
「本当かッ、ミュラ!」
「ごめんね、ミュラ…!」
今にも駆け寄って来ようとする兄さん達を押し止め、パオがいつものように俺を抱き上げる。
「いや、俺も気付いてなかったから。でも、もう部屋に戻るな。ティオニ国王陛下、ヴォルグ帝王陛下、今度はゆっくりお話しましょう」
悔やむように唇を噛む兄さん達や王様達に小さくお辞儀をすると、素晴らしい早さでパオがデカイ扉に向かって歩き出す。
走っているわけではないのにかなりの早さで、堪らずに縋り付くように首に腕を回してしまった。
「浅はかなのは俺達の方だ…」
閉まる扉の向こうで呟かれた声が、運ばれて行く俺の耳に届くことはなかった。
***
side:ロレス
何てことをしてしまったのだろう。
何よりも誰よりも大切なミュラに無理をさせていただなんて…
それに気付かなかっただなんて…
兄失格だ。
あんなどこぞの馬鹿王達にかまけていたばっかりに、パオにまで迷惑をかけてしまった。
二人が出ていった謁見の間は重苦しい雰囲気が支配していた。
他の3人も、パオの言葉に目が覚めたんだろう。
だが、いつまでもこんなところにいる訳にはいかない。
苦い表情を浮かべている幼馴染みと弟を連れて、私の部屋へと移動する。
本当ならすぐにでもミュラの傍に行きたいけれど、無理をさせてはいけない。
儚い容姿とは違って口調は荒く男前な性格をしているミュラだが、人の気持ちを推し量ることのできる子だ。
私達が見舞いに行けば、気を使ってまた無理をさせてしまうに違いない。
白く艶やかな大理石の廊下を行き、細かな細工が施された扉を目指す。
このアーレ王国の第一王位継承者である私の部屋は無駄に広い。
両開きの扉を開けば豪奢な家具が並ぶ応接用のスペースが見え、奥にある扉は書斎と寝室に繋がっている。
我ながら無駄な広さだな。
「好きに腰掛けてくれ」
女中にティーセットを頼み振り返ると、すでにソファを我が物顔で占拠している幼馴染み達がいた。
相変わらず図々しいにもほどがある。
王位を継承してからというもの、輪をかけて図々しさが増したように思う。
態度しかり言動しかり、ミュラについてしかり。
幼少のみぎりよりミュラに好意を寄せていた私達4人は、国や立場を越えてライバルとして育った。
君主としてではない。
ミュラを巡る一人の男として、だ。
幼馴染み達の向かいのソファに座っている弟の隣に腰を下ろす。
「僕は何と疎かだったのでしょう…。愛する人を苦しめるだなんて…」
いつもは腹黒い笑みを絶やさないティオニが、沈痛な面持ちで俯く。
「初対面がこれじゃ、ぜってぇ嫌われた…ッ」
どんな劣勢の戦況でもふてぶてしい態度を崩さないヴォルグが、不様に頭を抱えて嘆いている。
国家を率いている勇ましい国王達に、こんな情けない顔をさせているのがミュラだと思うと複雑だ。
「パオにまで悪態ついて…お兄ちゃん失格だ! いつでもミュラの前では格好良くて優しくて、ちょっぴりエッチなお兄ちゃんでいたかったのに!! ミュラは最近じゃパオとばかり歩行訓練して、白金とばかり一緒にいたからお兄ちゃんはミュラ不足だったんだよ!! イライラしてたんだよ!! そこにもって馬鹿王達がミュラにモーションかけ始めちゃうものだから、お兄ちゃん軽くキレちゃったんだよ! 不可抗力だったんだよ!! ゴメンね、ミュラ!! 未熟なお兄ちゃんでゴメンね!! こんなだからいつまで経ってもミュラに『ルクスお兄ちゃん』って呼んでもらえないんだ!! 俺の馬鹿!! 時間を巻き戻してあの時の俺を殴ってやりたい!! ミュラァアアッ!!」
…ルクス、我が弟よ。
普段は飄々とのらりくらりしているのに、何故ミュラが関わると馬鹿丸出しになってしまうんだ…
さっきまで自己嫌悪に浸っていた幼馴染み達も、物凄い顔でお前を見ているよ。
というか、余りの慟哭に引いている。
流石の私も引いているよ、ルクス。
「……おい、こりゃどうしたってんだよ。いつもは同じ面並べて憎たらしい嘲笑浮かべてるクセに……てか、ルクスお前変態だったんだな…」
「あの小憎らしい双子がこんなに殊勝にうなだれているなんて…、というかルクス、泣き喚かないでくださいよ。こっちまで唾が飛んできます」
「私をコレと同列に並べないでくれ」
双子というだけでルクスと同等に思われるのは心外だ。
確かにミュラに『ロレスお兄ちゃん』なんて言われたら、理性が飛んでしまうこと請け合いだ。
それでも私はミュラの前では理知的に振る舞うことを心掛けている。
こんな獣とは違う。
「…どんなに取り繕ったって、お前達も俺と同じ気持ちなんだでしょ!? ミュラに嫌われたら生きていけない! ミュラに無理させてしまった自分が許せない!! パオを蔑んでしまった自分が恥ずかしい!! 何より、死ぬほどパオが羨ましいッ!!」
泣きながらテーブルに拳を叩き付けるルクスの姿が情けなくて哀れで、まるで内なる自分を見ているようで涙が出そうだ。
他の者も私と同じ気持ちなのか、顔を険しく歪めている。
…今回はパオの完全勝利だった。
だけど、次もとは限らない。
愛しいミュラ。
もう二度と君を苦しめたりしない。
とにかく、差し当たってのライバルはパオだ。
私は明日にでも見舞いに行くことを決意して、小さく拳を握り締めた。
***
「何かあればお呼び下さい」
俺を恭しくベッドに寝かしつけると、気を使ってパオが部屋から出ていった。
額に乗った布が冷たくて気持ちがいい。
何とかっていう平べったい冷たい石を布に包んで巻いてるんだけど、熱を吸収する特殊な医療呪術が施されてるらしい。
あー、失敗したな。
きっとみんな心配してる。
変な人達だけど、いい人だってことくらいわかるから心苦しくて仕方がない。
枕の横に座っている白金も、心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。
綺麗な金色の瞳だ。
そういえばジェザノイド帝国のヴォルグ帝王も、綺麗な金色の瞳をしてたっけ。
わざわざプレゼントを持って来てくれたのに、受け取る前に熱が出てしまうなんて自分が情けない。
きっとパオも、王族なのにって呆れてるに違いない。
「ミー、ミー…」
自己嫌悪に浸っていたら、白金が慰めるように頬に小さな頭を擦り付けてくる。
あぁ、白金にまで気を使わせてしまった。
「ありがとな、白金。俺なら平気だから、んな声で鳴くな」
布団から出した掌で白金の薄紫色の身体を撫でる。
俺が発熱しているからか、指から伝わってくる温度はひんやりとしていた。
「……ヤバ、寒くなってきた」
本格的に熱が上がり始めているらしい。
ゾクゾクとした悪寒が肌を粟立たせる。
これはパオを呼んだ方がいいかも知れないな…
俺が声を出そうとした瞬間、室内が眩しい光に包まれた。
「はっ!? 何コレ!! 目がぁああっ!! 目が潰れるううう!!」
余りに強烈な白い光に、堪らず目を閉じてしまった。
いや、閉じなかったらマジで目が潰れていたかもしれない。
更に目を覆うように両腕で顔をガードしていると、不意に身体を抱き締められた。
これは、暖かい…腕?
いやいやいや、まさかな。
いくらファンタジーだからって、5mのドラゴンが50cmになるのとはわけが違うぞ。
でもこれは、どう考えても人間の腕だ。
ドアは開いていない、と思う。
ということは、最早答えはひとつしかない。
布団の中に入って俺を抱き締めているのは…
恐る恐る腕を退けてゆっくり目を開くと、視界に飛び込んできたのは薄紫色の髪。
「流石にこれは、想定外だな…」
俺の胸に頬を擦り付けてくる浮世離れした美貌の男。
美しい金色の瞳に俺の間抜け面が映り込んでいるのは滑稽だ。
「母上様、寒いのでしたら白金が暖めて差し上げます」
顔が良い奴は声も良いんだな…
白金……やっぱり夢じゃない。
俺よりも体格がいいから身長も高いんだろう…
いや、それよりも白金が人間に…
いやいや、それよりも俺を母上様って…
いやいやいや、それよりも何で…
「何で裸なんだお前はぁあああっ!!」
布団から出ている肩口は程よい筋肉がついていて、薄い寝間着を着た俺の太腿には…その、男のシンボルらしきモノが当たっている。
俺がデカイ声でツッこむと、途端に白金らしき男の端正な顔がクシャリと歪んだ。
これはアレだ、泣き出す直前みたいな…
「…ご、ごめんなさい…っ、服までは具現化できなくて…、力の及ばない白金を許してください…!」
「うわっ、いや、ゴメン! 怒鳴って悪かった。だから泣くなって白金…!」
みたいじゃなくて、現にポロポロと涙を流しはじめた白金に、慌ててその濡れた頬を両手で拭ってやる。
見た感じ俺よりも大人だろう男が子供みたいに泣く姿は、普通なら引くかも知れないけど何故か可愛く思ってしまった。
これが白金だってわかってるからかな。
「母上様、母上様ぁ…っ」
泣きながらも嬉しそうに笑う白金が堪らなく可愛い。
ヤバイ、かなりキュンときた。
「はいはい、わかったから。もう母上でいいから泣き止め。俺を暖めてくれるんだろ?」
「…ッ…はい!」
宥めるようにサラサラのショートヘアを撫でてやると、白金がいい子の返事で力強く頷いた。
胴体には腕を回し、足同士を絡めるようにして密着してくる白金にちょっといたたまれない。
純粋に暖めようとしてくれてるのがわかる分、裸だとかシンボルだとかが気になって仕方がない俺はかなり不純かもしれない。
胸に頬を乗せている白金の頭を撫でながら、俺はゆっくりと睡魔が訪れるのを感じていた。
人肌は暖かいな。
熱があったからか物凄く熟睡した気がする。
もしかしたら人肌の温もりに安心したのかも知れない。
何にせよ俺の意識はゆっくりと浮上していく。
うっすらと瞼を持ち上げても、覚醒しきっていない頭では即座に状況を把握できないのは仕方がないことだ。
俺の身体に巻き付いている長い手足。
シーツから顔を出しているらしいそいつは、薄紫色の髪の毛からして白金だ。
いや、それはいいんだけど…何故この部屋にロレス兄さんとルクス兄さんがいるんだろう?
そして何故白金と言い争っているんだろう?
状況が全くわからない。
頭が痛い。
体調でいったら、もう熱は下がっているみたいだけど俺の頭が現実を受け入れられず許容オーバーしてるのかも。
「ただの竜が人間になるわけないでしょ!? こんな夜中に…、夜這いに決まってる!!」
「しかも何故裸なんだ!? いい加減にミュラから離れろ!!」
「黙るがいいっ、人間風情が! 我等竜王種に対してそのような振る舞い、万死に値する!!」
あれ、最後の誰が言ったの?
あー…きっと聞き間違いだ、だって眠る前と全然違うもん。
面影無いもん。
「竜王種だとっ、馬鹿な!」
「竜王種は中々子孫を残せなくて、500年前に滅んだって…ッ」
「我が最後の竜王種。齢500歳と若輩ながら、貴様等人間とは格が違うのだ」
完全に現実逃避モードに移行した俺を置き去りに、どんどん話が進んでいってるようだ。
メッチャ偉そうな奴の声に聞き覚えがある。
というか、そいつが喋ると俺に抱き着いている白金の頭が揺れる。
あーあ、どんどん覚醒していくよ…
もう寝ぼけていたからっていう言い訳はできないな。
こればどう考えても…
「白金、お前キャラ違くね?」
呟いた途端みんなの視線が俺に向く。
兄さん達と言い争っていたらしい白金も振り返り、それはそれは美しい笑みを浮かべて俺を見上げてくる。
「母上様っ、目が覚められたのですね! 白金は約束通りずっとお身体を暖めておりました!」
途端にギュウギュウと抱き締めてくる白金の頭を褒めるように撫でてやりながら、やっぱりさっきまでの偉そうな喋り方は夢だったのかとさえ思えてきた。
目を真ん丸にして驚いている双子王子さえいなければ。
「お前っ、さっきまでと全然性格が違うじゃないか!!」
「ミュラの前でだけ猫被って! 竜王種だろうが何だろうが、こんな奴と親しくなるなんてお兄ちゃん許しません!!」
俺に抱き着く白金を、ベッドの両サイドに立ったそれぞれの兄さんが引き剥がそうとしている。
だけど、そこは5mを超える竜。
そう簡単には離れない白金に兄達がどんどんムキになっていく。
「離れないかっ、ペットの分際で!!」
「ミュラと添い寝なんて俺もしたことないのに!!」
「我は母上様と湯殿を共にしたことがあるぞ」
「「何ぃいいいいっっ!!!?」」
とうとうベッドに膝立ちで乗り上げてきた兄さん達が、白金の言葉に室内が震えるほどの絶叫を上げる。
今は夜中なんだから大声は控えろよ…
「ほほほほ本当なのかっ、ミュラ!!」
「おおおおお兄ちゃんよりもペットの方が良いっていうの!?」
「違うよ、白金を洗ってあげたんだ。一緒には入ってない」
哀れなほどに取り乱している二人に溜息をつきながら訂正すると、何故かぐったりとベッドに突っ伏してしまった。
「母上様、別に訂正しなくても構わなかったのに…」
「不服そうにしてんじゃないの、この小悪魔め。罰として今日は一緒に寝てやらねぇ」
「そんなっ、許してください母上様! 白金はこれからいい子になりますから、一緒に眠らせてください!!」
「………小竜の姿なら許す」
やっぱり俺は甘いな。
綺麗な金色の目をうるうるとされては拒絶することができない。
「ミュラッミュラ! 俺もミュラと一緒に寝たい!!」
「もう遅いから、私もここで眠らせてくれないか?」
また光りだした白金に慌ててシーツを被せると、腹の上にいつもの重みが戻ってき、俺の両側には同じ顔をした兄さんがいそいそとシーツに入ってくる。
シーツを押し退けて顔だけを出す白金に笑みを誘われるが、胸には白金、両腕には兄がベッタリとくっついているから寝苦しくて堪らない。
「オヤスミ、可愛いミュラ」
「良い夢を見るんだよ」
「ミー、ミー」
……ま、たまにはこんな夜も良いか。
「オヤスミ、みんな」
***
……いや、やっぱりパオは最強だな…
いつものように朝起こしに来てくれたパオは、俺の状況を見て静かにキレたらしい。
らしいというのは、俺が眠っている間に双子王子が文字通りぶん殴られて叩き起こされたそうだからだ。
俺は朝から凄まじいマシンガントークをかますルクス兄さんと、何だかんだ屁理屈を並べ立ててベッドから降りようとしないロレス兄さんに挟まれて、その煩さと息苦しさに目が覚めた。
ベッドの脇にはいつも以上に冷たい眼差しで見下ろしてくるパオの恐ろしい顔。
兄さん達は凄いな、こんな不機嫌そうなパオを相手に好き勝手なことを言えるなんて…
流石は幼馴染みと言ったところか。
取り合えず両側の兄さん達が煩い。
抱き着いてきて苦しいし、今はすっかり熱が下がってるみたいだけどこれでも病人だったんだぞ、少しは加減してくれ。
げんなりとしはじめた矢先、俺の両側から兄さん達が消えた。
間違った。
正しくはパオ側にいたロレス兄さんがパオに襟首を持たれてベッドから放り出され、それと同時にパオの長い足がルクス兄さんを床へと蹴り飛ばしたのだ。
仮にも、例え変態だとしても次期国王と王子相手に何という暴挙だ。
いや、俺は助かったんだけど…
「おはようございます、ミュラ様。今日はお加減がよろしいようですね」
何事もなかったように、パオが俺の上半身を起こしてくれる。
……うん、パオ最強。
床で痛みに悶絶している兄さん達も、パオには文句のひとつも言えないみたいだ。
「おはよ、パオ。もう熱は下がったみたいだから大丈夫だ」
俺が起き上がるとパオが背中にクッションを挟んでくれる。
胸の上で眠っていた白金は、ちゃっかり膝の上に移動していた。
ちらりとシーツをめくって丸くなって眠っている白金を見ていたら、スッとティーカップが差し出された。
これはモーニングティーみたいなものらしく、目を覚ますためにベッドで紅茶を飲むらしいんだけど、日本人の俺としては病気でもないのに布団の中で飲み食いするのは抵抗がある。
だけど、これがここの風習だって言われたら何も言えない。
大人しくティーカップを受け取って口につける。
それをいつの間にか立ち上がった兄さん達とパオにジッと見られる。
凄く飲みづらいんだけど…
「…ミュラ、可愛いっ」
「ティーカップを両手で持つなんて、何と愛らしい…」
「17歳とはとても思えませんね…」
美形トリオが何か話してるけど俺のところにまでは聞こえてこない。
俺を前に堂々と陰口だなんて、本当に根性ひん曲がってんな。
ま、花のような香りがする紅茶の効果でまったりしてるから、特別に怒るのはやめてやるけど。
「はぁー…美味いな、これ」
「今日の茶葉は北に位置するグノンアーデ和国のものです。豊かな香りとほのかな甘味が今巷で人気があるそうですよ」
丁寧に答えてくれるパオに、俺が城下街に出られるのはいつになることやらと溜息が出てしまいそうになる。
歩けるようにはなったけど、ただ座って話を聞いていただけで熱を出すなんて軟弱過ぎるよ…
「あーあ、城の外を見てみたいな。この国やジェザノイド帝国やバマン大国、いろんなところを見て歩きたいな」
「大丈夫だよ、ミュラ。今はまだ難しいけれど、ゆっくり頑張っていけばそう遠くない未来に出歩くことができるようになる」
「約束したでしょ? いろんな遊びを教えてあげるって。もちろん他国にもお兄ちゃんが連れてってあげるよ!」
「病は気からといいます。前向きに考えていれば、すぐにでも城下街くらい行けるようになります」
「ミーッ、ミー!」
俺がちょっと弱音を吐いただけでみんなが励ましてくれる。
さっきはウザイとか思ってたけど、確実にみんなは俺よりも大人で頼りになる。
膝の上で見上げてくる白金の頭を撫でながら、俺は勝手に緩んでいく口元を止められなかった。
きっと凄まじく間の抜けたような顔になっているだろう。
「「……ッ! その笑顔、反則…!!」」
こうやってみんなが俺のことを大切に思ってくれているから、俺は今日も一日頑張っていける。
「パオ、腹減った! 今日のパンは大盛にしといてくれ」
「かしこまりました」
***
side:???
この世は不公平だ。
どんなに綺麗事を並べようと、誰かを踏み付けなければ生きていけないのがこの国だ。
歎きと悲しみの上に揺れる喜びと幸福。
一握りの幸福のために、この国は大陸から見放された。
人が住むには苛酷な国。
北に位置するため冬の寒さや餓えで命を落とす者も少なくないが、それ以上にこの国は大きな問題を抱えている。
氷に閉ざされた魔物の国と、森を挟んで隣り合っているのだ。
魔物、寒さ、餓え。
この全てが民から生きる希望を奪っている。
魔物さえいなければ、この国は格段に豊かになるはずなのだ。
しかし、貧しい国では破魔の護符を買うことすらままならない。
大陸の中心に居るという破魔神子の力も、こんな北の端までは届かない。
日々、王族でさえ魔物の恐怖に怯え暮らさなければならない現状を、変えたいと思うのは至極当然のことだろう。
例えこの命が朽ちようとも。
例え死よりも苦痛を伴う仕打ちを受けようとも。
例え―――誰かの命を奪うことになろうとも…
私に立ち止まることは許されない。
***
歩けるようになってから、俺はみんなと一緒に朝食をとるようになった。
みんなと言っても、父さんと兄さん達なんだけど。
パオは俺達の後に使用人のみんなで食べるらしい。
だから俺が食べている間は、かいがいしく給仕をしてくれている。
給仕っていうのは食事のお世話をすることで、メイドさんがワゴンで運んできた料理をテーブルに置いたり、パンを取ってくれたり、飲み物を注いでくれたりする。
父さんや兄さん達にも一人ずつ男の給仕がついている。
男の主人に使えている使用人はみんな男なんだって。
メイドさんは基本的に女主人にしかつかないらしくって、男の夢『可愛いメイドさんに囲まれてウッハウハライフ☆』は有り得ないとのことだ。
これを知った時には、かなりガッカリした。
決してパオに不満があるとかじゃないんだけど、やっぱり男に生まれたからにはハーレムは夢でしょ!
まぁ、そんな心の叫びは置いておいて、家族団欒の朝食に今日は更に2人が加わっている。
長ーいテーブルの端と端に俺と父さんが座ってて、側面の俺の両斜め前に兄さん達が腰をかけている。
ここまではいつも通りだけど、顔を上げれば父さんの両斜め前には見目麗しい若き王様達が座っていた。
どうやら帰らずにあのまま泊まっていったらしい。
それにしても、音がしない。
会話がないわけじゃなくて、食事をする音が全くしないんだよ。
父さんや中身は変態だけど気品溢れる兄さん達、理性的で知的なティオニ国王は納得できるしキャラに合ってる。
だけど、男らしいヴォルグが優雅な所作で食事をする姿が激しく似合っていない。
スープを飲むときにも前屈みにならず背筋を伸ばしたまま、一滴も零すことなく飲んでいく。
さすがは王様といったところなのかな…
俺なんて前屈み気味でも零してしまいそうになるのに。
ちらりと横目で傍らを見ると、近くに置かれたワゴンの上で白金が食事をしている。
本当は5mを越える凶悪顔にも関わらず、白金は果物が大好きだ。
今も器用に短い前足で林檎を押さえて、シャリシャリと美味しそうにかじり付いている。
俺もあんな風に手掴みで食べることが出来たらどんなに楽だろう。
みんなはテーブルマナーは気にしなくてもいいって言ってくれてるけど、こうも一様に優雅に食べられたら俺だけ音を立てて食事をすることなんてできる訳がない。
ナイフとフォークを持ちながら、不意に箸が恋しくなってくる。
箸を思い出せば、後は芋づる式に元の世界の様々なことを思い出してしまう。
優しかった両親。
生意気だった弟。
可愛がっていた3匹の猫。
熱血だった先生。
学校の友達。
脱ぎっぱなしにしていたブレザー。
もうすぐ控えていた修学旅行。
まだ5ヶ月も余裕があるバスの定期。
借りたまま観ていないDVD。
お気に入りの抱き枕。
現像したての夏休みの写真。
じゃんけんで勝ち取って冷蔵庫に上納された高級プリン。
隠してある赤点の答案。
みんなが俺を呼ぶ声―――
『…咲…』
今じゃ呼ばれなくなった俺の名前…
『…咲…』
『…咲…』
『…咲…』
「―――…ミュラ!」
「…!!」
不意に我に返って顔を上げると、心配そうに俺を見ている兄さん達の良く似た顔。
遠くでは3人の王様も俺を見詰めていて、傍らでは床に屈んでいたらしいパオが立ち上がる。
その手に持っているフォークが見えると、いつの間にか自分の手にフォークが無くなっていたことにようやく気が付いた。
どうやら俺はフォークを落としたことさえわからないほど、ドップリと思い出に浸ってしまっていたらしい。
そっと新しいフォークを差し出してくるパオに慌てて受け取ると、余りの気まずさに眉を寄せて苦笑を浮かべる。
「ありがと、パオ。みんなも大丈夫だから、食事続けてくれよ」
きっとまだ熱があるんじゃないかと疑っているだろうみんなに笑いかけると、少し顔を和らげて再び静かな食事が始まった。
元の世界で起こった全てを『ミュラ』が見た夢だとは思えない。
俺は確かに佐久間咲として17年間生きてきた。
きっともう帰れないことはわかっている。
もし帰れるのだとしても、『ミュラ』としてここにいる人達を切り捨てることなんてできない。
だけど俺は、『佐久間咲』でもある。
嗚呼…悩みは尽きない。
***
side:パオ
今から17年前、俺が8歳の頃。
乳母の息子であった俺にまで優しくしてくれていたお后様が、子供の命と引き換えに亡くなられた。
国王陛下の悲しみは深く、俺と幼馴染みとして育ってきた双子王子もまた悲しみに打ち拉しがれていた。
そんな彼等の心を癒したのは、亡きお后様の忘れ形見でもあるミュラ様だった。
生まれながらにして美しい銀色の髪を有しているミュラ様は、誰もが庇護欲を掻き立てられるそれはそれは愛らしい赤子であった。
目を覚ますことのないミュラ様には生命維持の医療呪術が施され、眠っていることを除けばまるで普通の子供のようにすくすくと成長していった。
ミュラ様の身の回りのお世話を一手に行っていた俺の母が持病の腰痛を患い、代わりに騎士として働いていた俺がミュラ様の世話人兼護衛を仰せ付かった。
それが確か15歳の頃だったと記憶している。
騎士団の中でも大出世だとは言われていたが、俺ははっきり言って乗り気じゃなかった。
騎士としての自負もあったし、何より子供の世話など全くやり甲斐がないと思っていたからだ。
7歳になったミュラ様は相変わらず眠り続けていたが、髪は伸びこの年頃特有のしなやかな四肢が彼の成長を物語っている。
この日から俺の生活は一変した。
それまで寄宿舎で寝起きしていたのが、ミュラ様の隣にある小さな個室へと移り一日の殆どをミュラ様と過ごした。
身体を拭き服を着替えさせたりする以外は、俺はミュラ様の部屋で人知れず鍛練を続けていた。
時折というには頻繁に顔を出す国王陛下と双子王子の溺愛振りを端で眺めては、いつか騎士に戻る日を待ち侘びて与えられた仕事を淡々と熟していった。
そんな生活が3年も続くと、俺はミュラ様の感情を肌で感じられるまでになっていた。
元より騎士だった俺は他人の気配に敏感だったせいもあり、ミュラ様の些細な変化に様々なことを読み取れるようになった。
どうやらミュラ様は常に夢を見ているようで、余り表情こそ変わらないものの嬉しそうだったり悲しそうだったりと刻一刻とその感情は変わり続けている。
この世に生を受けて一度も外界を見たことがないミュラ様は、一体どんな夢を見ているのだろうか。
17歳を迎えますます美しく成長したミュラ様に仕えて早10年。
俺はもう騎士に戻りたいという気持ちは微塵も残っていなかった。
ただ眠っている子供というだけではないミュラ様に興味を持ったし、何よりこんなにも儚い生き物を守ってやらなければという妙な責任感が芽生えていたからだ。
ミュラ様を狙う輩は後を絶たない。
眠っているのをいいことに攫おうとする不届き者、寝込みを襲おうとするアホ双子。
そんな輩から白く美しい少年を守ることに、俺はいつの間にか妄執していたのかもしれない。
俺が傍で守り続けてきた、唯一無二の我が主君。
ミュラ様が目を覚まされた時、先ずはじめに感じたことは俺の任務が終わりを迎えたという喪失感だった。
確かに瞳を開き俺を見詰めてくるミュラ様に熱い感情が込み上げてくるのも感じたが、それ以上に切なさや寂しさが俺の心を覆っていた。
しかしそれは杞憂に終わった。
何故か言葉を理解できるミュラ様だったが、生まれてから一度も自発的に筋肉を使っていなかったため動くことは疎か声を出すことさえ出来なかったのだ。
恐らくミュラ様が一人で不自由なく過ごすことが可能になるまで、俺の任が解かれることはないだろう。
安心したと同時に、目覚められたミュラ様を前以上に溺愛する双子が煩わしくて仕方がなくなってきた。
話すことが出来るようになったミュラ様は、外見の印象とは違い気さくで明るく好奇心旺盛な普通の少年だった。
最初の頃は落ち込んでいたようだったが、今では歩行訓練も積極的だし勉強にも熱心に取り組んでいる。
しかし、ミュラ様は大きな秘密を抱えている。
7年間お傍に仕えていた俺がそう感じるのだから、まず間違いはないだろう。
年相応の知性と理性、思いやりや慈しむ心を持っていること自体が不自然なのだからアホな双子王子でも流石に気付いているようだ。
けれど、聞かない。
ミュラ様自身から話をしてくれるまで、俺達は待つことにした。
17年もの間待ったのだ、もう待つことには慣れている。
だからミュラ様、すぐにとは言いません。
しかし、いつかは打ち明けてくれると信じています。
ミュラ様が目覚められ、学問に優れたバマン大国のティオニ国王から竜王種である白金が贈られたことを皮切りに、大陸中からこぞって贈り物が届けられるようになった。
その内容は多岐に渡り、宝石や黄金などの貴金属から始まりシルクの織物や豪奢な絨毯、呪術に使われる水晶や薬や宝剣、高価な茶葉や菓子などの飲食物、果ては家具やらティーセットやら服やら靴やら。
かなりの余裕があったはずの宝物庫にすら収まりきれず、急遽新しい宝物庫を用意しなければならないほどの殺到振りだ。
恐らくこれらの贈り物だけで、小さなこの国の財政はざっと百年は持つだろう。
確かに国は潤うかもしれないが、俺個人としては全くもって気に入らない。
一体この中のどれだけが、本当にミュラ様への祝いが込められたものだと言えるのだろうか。
下心が見え見えの品物を見る度に、どれほど内密に破棄してしまおうと思ったことか。
しかし幸か不幸かミュラ様は物欲が希薄らしく、届けられる贈り物に戸惑いしか感じていないようだった。
今も朝食の席だというのに、無礼を承知でジェザノイド帝国のヴォルグ帝王がミュラ様に懐剣を贈られている。
「昨日は無理をさせたみてぇで悪かったな。これはその詫びと目覚めの祝いだ」
「…えっと、これは…剣、ですか?」
無駄な装飾こそないが、女性が持っていたとしても違和感がないほど華奢で繊細な作りの短い剣を持ちミュラ様が今回も戸惑っているようだ。
「こちらは懐剣として使われるものだから短いのですよ。主に護身用です」
脇に控えていた俺が説明すると、ミュラ様はようやく合点がいったように大きく頷いていた。
ゆっくりと鞘から抜かれた刀身を見下ろし、思わずといったようにミュラ様が息を吐き出す。
元騎士の俺から見ても、溜息が出そうなほど見事な懐剣だった。
「これは…まさかナーデアの剣じゃないか?」
それまで黙っていたロレス様が口を開くと、途端にこの部屋を包む雰囲気が一変した。
「えぇっ!? ナーデアの剣って、正気なのヴォルグ!」
「信じられませんね…自国の宝剣を贈るなんて」
「うるせぇな。俺が贈りたいものを贈って何が悪い」
確かにヴォルグ帝王の言う通りだが、この世に又とないナーデアの剣を贈るなど正気の沙汰ではない。
「なぁなぁ、パオ。ナーデアの剣って何だ?」
和やかだった食卓が一変、ヴォルグ帝王を幼馴染み達がこぞって責め立てている様子に驚いたのか、ミュラ様がこっそりと声を忍ばせて問い掛けてきた。
椅子に座っているから必然的に上目使いになるミュラ様に、わざとじゃないとわかっていても溜息が出てしまいそうになる。
こんなに無防備だから、今朝もアホ双子と寝台を共にするような羽目になるんだ。
あの光景を思い出しただけで腸が煮え繰り返りそうになるが、何とかいつもの無表情を張り付けてミュラ様の耳に顔を寄せる。
「ナーデアの剣とは希少価値が最も高い魔力を含んだ金属『魔鋼』から作られた、代々ジェザノイド帝国に受け継がれている宝剣です。長さこそ短いですが、持ち主の切りたいと思った物はどんな物でも切ることができるそうです」
「切りたいと思った物?」
「はい。これは実際に見ていただいた方がわかりやすいでしょう。ミュラ様、失礼致します」
ミュラ様の懐から恭しく剣を取ると、近くにあったバナナを一本テーブルに置いた。
抜き身の剣を構える俺を、ミュラ様が期待の眼差しで見詰めてくる。
片手で持った剣を最小限の動きで振り下ろした。
すると不思議なことにバナナは疎か、剣はテーブルさえ擦り抜けてしまう。
やはり噂は本当だったわけだ。
「……え? 今、通り抜けた?」
剣を鞘に戻す俺に、大きな目をぱちりとしばたかせるミュラ様の仕種がまるで子供のようで、自然と頬が綻んでしまいそうになる。
「バナナを剥いてみてください」
俺が剣をテーブルの端に置きながら言うと、半信半疑のままミュラ様がバナナの皮を剥いていく。
「うわっ、中身だけ切れてる!」
キラキラと紫の瞳を輝かせて切れているバナナと俺を交互に見るミュラ様の愛らしい姿に、いつの間に言い争いを止めたのかアホカルテットが蕩けそうな眼差しで見ていた。
「この剣だったら、間違って人を傷付けたりしなくて済むな! こんなに貴重な物を頂いて、本当にありがとうございますヴォルグ帝王陛下」
ミュラ様の嬉しそうな笑顔に、ヴォルグ帝王の野性的な美貌と評される顔面が間抜け面に変わる。
全く、ミュラ様は傾国の王子かもしれないな。