すてぃーる・はあと
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朝起きたら隣で裸の――相棒の○○が寝ていて、私も裸で、だからそれはもう安心した。私は永遠にも押しつけられやしない結構な臆病者だから、目が覚めて○○がいなかったらどうしようかといつも考えている。それでもなんだかんだで毎日眠りにつくあたり……私は間抜けなのだろう、眠りが浅いのは言うまでもない。
いきなり勢い良く相棒ががばっと身体を起こした。その唐突さにびっくりしたものの、そこまでびっくりはしていない。何事もある程度は慣れっこだ。
「どした、相棒?」
気づけば相棒は額に汗を浮かべていた。
「やべーよ。くそっ。らしくもねー。正直、ビビっちまった」
「だから、なんの話?」
「全部が破滅した夢だ。全部がなくなっちまった夢だ」
相棒は「ちくしょう……」と舌打ちをして、右手で前髪を掻き上げた。「まったく、俺はなにを恐れてるんだろうな。なにについてビビッてんだろうな。そのへん、まるっきりわからねーよ」
「嘘つけ、馬鹿」
「ああん?」
「あんたが恐れてること。それは私がいなくなっちゃうことでしょ?」
半分冗談で、半分本気で言った。相棒は馬鹿みたいに反論し、馬鹿みたいに怒ると思った。でも、彼は重そうに首を前にもたげ、それから、「なあ、相棒」と私に口を利いた。
「うん? なに?」
「仕事はやる。でも、それ以外はちょっと離れてみねーか?」
私はドキッとさせられた。でもすぐに気分を持ち直し、それから「その目的は? いったいなに?」と問い返した。
「おまえの魔力みたいなもんに引きつけられっぱなしだけど、それがなけりゃあ、俺がおまえと組む理由なんてガチでねーんだ」
私は眉をひそめた。
私はうーんと考え、それから「やだ」と一言、返事をした。
「いいとかやだとかの問題じゃねーんだよ。ぶっちゃけるぜ。俺はおまえとは一緒にいたくねぇ」
あまりに身勝手な物言いに腹が立ち、私は相棒の横っ面を張ってやろうとした。――が、そこは強靭な相棒だ。きちっと防いで見せた。
私はなかばキレた。
「わかった。バディは解消ってことでいいんだね?」
「いいよ、それで。いままで世話んなったな、センパイ」
「私の部屋にはもう、一歩も入れてあげないから」
「だからいいよ、それで」
「身体にも触らないでよね」
「触るかよ」
速やかにシャワーを浴びると、スーツ姿で相棒はラブホ――この部屋から出ていった。視界から相棒が出るとき、その広く大きな背中に見惚れた。いろいろとお互い、冗談で物を言っているつもりなんだけれど、いつか私は、相棒を失うことになってしまうのだろうか。
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街に出た。えらく身体が重い。シャワーを浴びてそのまま出てきたので髪は濡れたまま。街中のラブホだったので、自車を止めてあるコインパーキングまでには少し距離がある。頭痛がする。二日酔い? あるいは目下の課題のせい? 後者だろうな――と少々おかしく思っていると、正面から高校生と思しき緑のブレザー姿の男子が駆けてきた。彼の後方左右の路地から湧き出る格好で――たぶんヤクザだな、それらが追ってくる。べつに男子が死んだところでかまわないのだけれど、乗りかかった船というやつだ。左の懐から九ミリを抜いて、追手と応戦した。だいじょうぶ。マガジンは残り二つある。なんとかなるだろう。――というわけで、駆逐に成功した。
「やったやったっ、おねえさん、やった!」
いきなり男子が後ろから抱きついてきた。軽い女に見られることは多いが触れていい男は選んできたつもりだし、だから私は「馴れ馴れしいな」と頭のてっぺんに肘打ちをかましてやった。
「ど、どうしよう。警察沙汰は面倒だよぅ」
「私も面倒だ。だからついてきな」
「う、うん。それにしてもさ」
「うん?」
「どうして髪がびっしょりなの?」
「大人にはいろいろあるんだよ」
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コインパーキングに止めてあった黄色いスポーツカーに乗り込んだ。ここまでくればまずだいじょうぶ。いちゃもんをつけられる、あるいは職質で問題が発生したところで問題なんかないのだ。ウチのボスはそういうことについて関係部署と話をつけられる稀有なニンゲンなのだから――というわけなのできちんとボスに一報を入れておこうと思う。ホウ・レン・ソウ、ホウ・レン・ソウ。
「家まで送ればいいの?」
「そうしてもらってかまいません」
「なにかヤバいことに手を染めていたんじゃないの?」
「もう充分稼いだんだ。だから、そろそろ足を洗おうかな、って」
「なにをやっていたの?」
「コカインの輸入と流通、それに販売」
私は難しい顔をして、男子のほうを見た。男子がサイドポケットから取り出したそれを、渡してきた。馬だろうか、それをかたちどった、白い人形細工に見える。
「それがそう、コカイン。うまくできてるでしょ?」
「そのへんについて、ヤクザが目をつけてきたってこと?」
「個人でやる分には限界があったし、だったらそのうち、当然、ヤクザも目をつけてくるよね」
「おまえ」
「なに?」
「おまえ、ヤクザが見逃してくれると思っていたの?」
「なんとかやるって思ってた」
こいつは馬鹿だなと思わされた。
まるきり大人の世界を舐めているガキではないか。
「ところで、おねえさん」
「じつはそろそろおばさんだったりするんだけど?」
「まあそれは置いといて、おねえさん、めちゃくちゃおっぱいおっきいよね。なにせハリがハンパないし。パンパンだし。バルンバルンだし。真の爆乳っておねえさんのためにある言葉だよね」
「胸が大きいのは認めるよ。が、真のほにゃららのくだりはよくわからない」
「ねぇ、触っちゃダメ? 揉んじゃダメ?」
「どちらもダメだよ。そうしていい男はもう決めてる」
「ケチ」
「ケチでいいよ」
――銃声が鳴った。愛車の窓が銃弾を防いだ。防弾であり、相手も九ミリだから良かったものの、いろいろヤバければいろいろヤバかった。しつこい。まもなく警察の手もかかろうというんだぞ。
「おい、がきんちょ」
男子は「が、がきんちょ?!」と少々慌てたふうに問うた。きちんと身は低くしている。感心できる。いちいち指示を出さずに済むのだからそれなりに尊い。
「おまえ、クスリのやり取り以外にヤクザとなにかあったんじゃないの?」
「な、ないよ。そんなのない。だけど……」
「だけど?」
「金額がすごかったんだ。都心のマンションだっていくつも買えるくらい」
「それを馬鹿だと言うんだ。出すぞ」
「えっ、この状況で?」
「この状況だからこそ出すんだよ。じき、連中は警察に捕まる」
「ド、ドライだね」
「そういう性格であり、そうでないといけない職場でもあるんだよ」
コインパーキングから勢い良く車を出し、逃げの一手。ニ、三、敵さんを撥ね飛ばしてしまったが、気にするようなことでもない。私はそういう組織の一員だ。
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男子という名のがきんちょが、帰りに「喫茶店に寄りたいです!」などと言った。めんどくさいから御免被りたかったのだけれど、高校生の男子らしからぬていねいさでしきりに頭を下げるものだから、チェーン店ながらも高級さを売りにしている店に案内してやった。私はブラックを頼み、がきんちょは「オレンジジュースがいいです!」となんだか馬鹿みたいな無邪気さをもって幼稚な品をオーダーをした。
お互いのもとに、注文した品が運ばれてきた。
「いやあ、やっぱりすごいなぁ、驚きだなぁ、圧巻だなぁ」
「がきんちょ、なんの話だ」
「あなたのおっぱいの話です」
「おまえ、いい加減にしないと容赦なく馬鹿認定してやるぞ」
「その、おっぱいの張りがもう。っていうか、見られたくないのであればきちんと隠すべきです。そんなに胸元を露わにすべきではないです」
「やかましい、ほっとけ」
「にしてもほんとうに、ハリが、ハリが」
ハリが、ハリが。
どうあれ重くてしょうがないだけなのだけれど。
二人で面白くもない会話をかわしていた。がきんちょはきちんと高校にも通っていて、きちんと恋もしているのだという。その女子もまた胸が大きいらしい。胸の大小で相手を選んでいると「そのうち失敗するんじゃないか」と提言しておいた。なんとなくだ。「俺、おっぱいが好きだから」と返ってきた。だったら一人で二度三度とすっころべばいい。十代の恋愛なんて、えてしてそんなものだろう。
コーヒーカップに口をつけた。妙な胸騒ぎ、続いてローター音。どんどん近づいてくる。まさかそんんわけ――っ。がきんちょが背にしているガラス壁の向こうに突然ヘリがお目見えした。明らかに目の前に浮遊している。上下左右の態勢が整い次第、すぐに撃ってくるだろう――そんな構え。あんた、がきんちょ、あんたはどこまでヤバいことをやったの?
「がきんちょ、屈みな!」
「えっ、えっ! これってどういうこと?」
「あんた、取引先のヤクザになんかやったんでしょ?」
「それは……心当たりがありすぎて、言い切れないなぁ……」
がきんちょが慌てた様子で回避の姿勢を見せつつ――屈みつつ、その一方で私は壁の陰に隠れた。嘆きの吐息をつく。ヒトを一人二人殺したいがためにヘリまで持ち出してくるかね。異常な行為にしか思えないが、そこはやはり、がきんちょがなにかとことん怒りを買ったということなのだろう。
さぁて、ヘリはいつまで居座るつもりだろうか。ヘリの援護ありきで歩兵が侵入してくるとそれはそれで厄介なのだけれど……。
ガンガンガァンッッ!! 唐突に、外で大口径の拳銃の音が鳴った。そして、それはまもなくしてのことだった。私は壁の陰から表に顔を向ける。まさにヘリが炎と煙とを上げて墜落するところだった。ちょっとちょっと、どういうわけ? 世の警察はすでにそこまで優秀で危なっかしい組織だってこと?
「○○さん!」
「うっさい、黙れ! がきんちょはそこで寝てろ!!」
私は飛ぶようにして階段を下り、表に出た。ヘリがごうごうと音を立てながら炎を上げている。
男は――相棒はつまらなそうにヘリを見ていた。殺した者は殺した者としたものとして南無三、そういうことなのだろう。ヘリを落とすと決めた時点で生存者なんか望んでいなかったのだろう。そのへん、潔いと言える。
私はたたと駆け、相棒に駆け寄った。
「どうあれ鉄砲で落としたの?」
「いちいちロケランなんざ要らねーってこった」
「っていうか、あんた、私がいるから、ここに来たんだよね?」
「そこになにか問題が?」
「どうして知ったの?」
相棒はバツが悪そうに、右手で頭を掻いた。
「ジャケットに発信機だ」
「えっ」
「それだけでなにもかも察せよ、ばーか」
そこに私は愛を見た。
がきんちょが追いついてきた。
「わっ、大きな男性ですね。ひょっとして……?」
「そうだよ」私は相棒の左腕に両腕を絡みつけた「こいつが私の相棒だよ」
「いいなぁ。おっぱい、触り放題だもんなぁ」
すると一転、相棒は難しい顔をして。
がきんちょの頭をぽかっと一発、右手で引っぱたいて。
「馬鹿なこと言うな、虫唾が走んだよ」
「ど、どうしてですか?」
「女の価値が胸のでかさで決まってたまっかよ」
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帰りの夜道。
「ほんとさ、私のことが心配だから、発信機、つけたの?」
「そうだよ。そのとおりだよ、馬鹿野郎が、先輩様よ」
「やっぱりそこには?」
「察しろって言ったぜ」
「心配してくれたんだね」
相棒は深くため息をつき、それから「情けねぇよなぁ」と苦笑した。
「なにが情けないの?」
「聞きたいか?」
「聞きたい聞きたいっ」
それから優しげに微笑んだ相棒である。
「馬鹿みてーなことだから、一度しか言わないぜ?」
「それでいいよ」
「二日までならだいじょうぶだ。でも、三日は無理だな」
「なんの話?」
「おまえとの話だよ」
……そっか。
あんたもそんなふうに思ってくれてるのか。
「ねぇ」
「あん?」
「おっぱい、揉む?」
「ああん?」
「わたしのおっぱいはすごく実りがいいらしいよ?」
「んなこたずっと触ってんだから知ってんよ、ばーか」
悪戯っ子みたいにそう言うと、相棒は走りだした。私もダッシュして追いかけ、追いつき、そして相棒の背に飛びついた。首に両腕を回して二人して笑い合う。大好きだよ、相棒、大好き大好き大好きっ。