鏡ミラ ストーリー
たまたまデータが吹き飛ばなかった初期の頃の作品です。駄作ですが、手間のかかる、馬鹿な子ほど、みたいな感じで、結局作者は好きです。
ベッドの上で腰掛け、俺は時計を見ていた。午前七時三十分。そろそろ中学校へ行く準備をしなければいけない時間だ。
だが、なかなか動きたいと思わない。実をいうと、このごろ妙な気分なのだ。二週間ぐらい前からだろうか……俺はずっと違和感を感じるようになっていた。具体的にどこが、とはよく分からないのだが、こうして朝起きるたびに、何かを間違えている気分がして、どうにも居心地が悪い。
かといっても、このままでは遅刻してしまう。二週間前から同じように、制服を着けて、苦い気分のまま自室のドアを開けた。
二階から一階の台所まで行くと、母親が笑顔で「おはよう」と声をかける。俺も、優しい笑みを返して、椅子に座る。テーブルの上には緑黄色野菜のサラダと、摩り下ろし大根つきのサンマ、それに湯気が立ち上る味噌汁だ。
あ〜まさしく朝。
この光景があると、少しの不調も愚痴も消し飛んでしまう。俺は頭に残る煩わしさを気楽に考え、朝食の匂いを存分に吸う。
そこへ、新聞紙を持った馬男が、俺の対面の椅子に座った。馬男はヒヅメを器用に使って……ではなく、人間の手だったので、簡単に新聞紙をつかみ、記事に目を通していた。
俺は、馬男が無表情に新聞を読む姿を、前のめりになって見つめる。
なんてこった。
今日の最高気温は二十五度らしい。そこそこ暑いじゃないか。二月にこの気温は、異常じゃないか? これか? 俺が疑問に感じているのは。
……なわけないか。
それにしても、いたって日常的な風景だ。いったい、これのどこに異常があるのだろうか。
もったいないので、心で感じる『普通』という味をおかずに、白米を食べみる。
すると。
――『普通』の白米の味がする。
『普通』という感覚を味わいながら、ご飯を掻きこむと。
――『普通』の白米の味がする。
すごくない!!
うん?
いや、ちょっと待て。今、騙されそうになった。だめだめ、タイム、タイム、今から三秒ルール使います。
『普通』のことだよ。『普通』の味を『普通』に食べてみれば、『普通』の味がする、それは『普通』のことだよ。『普通』はそれが『普通』だろう。『普通』……。
頭に衝撃がはしった。
横を見ると、クラスメートで幼馴染のエリが立っていた。手には丸めた雑誌が。
「『普通』に痛い」
頭をさすりながら、話しかける。たぶん、シャレですまされる音はしなかったと思う。
「君は『普通』という単語を使ってはいけない人間だけど」
エリは、淡々としていて、あきれ果てているようにも見えた。しかし、ここで騙されてはいけない。エリという少女は、基本的に、今こうして俺の眼前の馬男? より顔が無表情で、声に熱を入れない少女だ。だから、普段は分からないが、こうして行動的に出るというときは、むしろそうとう怒っている、からーーーーーーーーーーー。
挽回しなければ。ご機嫌をとらなければ。
「どうしたんだい、エリエリ」
頭をはたかれる。二度目か。
「なんですか、その呼び方。今日からの初ネーミングはやめてください」
俺の脳細胞けっこう重症だろうな。しかし、雑誌のカドじゃないぶん、まだいいほうだと思う。
「わかった、わかった。じゃあ、たまたま同じ日本人で、たまたま同じ県に生まれ、たまたま 同じ年齢で、たまたま同じ学校で、たまたま同じクラスな……フウ」
ちょっと息が切れた。さすがに一口では無理だ。いや、それより飽きてきたかも。
「あのもうやめていいですか?」
懇願する俺にエリは冷たい目を送った。
「自分で始めたんですから、きっちり、やり通してください」
わかった、頑張ってみる。
「たまたま家が近くて、それで、たまたま、タマタマ、がなくて女なエリさんは、うぉ!!」
カドだ。カドで叩かれた。
あれっ、頭頂部に鈍い痛みがする。俺はたまらず、母親に駆け寄った。
「お母さん、俺の頭血がでてない」
「あら、大丈夫かしら?」
母親が調理をやめて俺の頭を見る。
でているのか? でていないのか?
俺の目を見て、母親はこう告げた。
「う〜ん、七対三ってところかしら」
「なら、安心だ」
母親が七対三といば大丈夫。日本に核ミサイルが何万発打ち込まれも大丈夫。でも、トイレで大便をしたあと紙がないと駄目。お尻が爆発して死ぬ。
横にいたエリが、俺たちに面度くさそうな顔をする。
「なんの割合なんですか? お母さんまで、一緒に悪乗りしないでください。聞いていますか、お母さん?」
エリが『お母さん』と、そういったとき、俺は頭が混乱した。
……なっ、なんだと。そっ、そんな馬鹿な。俺は自分の体を真剣に見てみた。手から始まり、次に胸、脚へといって、それから恐る恐る、自分の股間を確認。
――ちゃんと、ついてる!!
俺は顔を上げて堂々とエリを見つめた。
「君のことではないです」
目をあわせたエリは呆れながらいった。どうやら、俺のいうことを先読みしてしたようだ。しかし、全くもってその通りだ。俺が母親であるはずがない。
――なぜなら。
「俺はお前を生んだ覚えはないからな!!」
自信満々にエリを見返してやった。
エリは側頭部を押さえて、細い目をする。頭痛がしているようだった。どうやら、俺の一言に降参したらしい。その証拠に、エリは何度も『ああ』と呟いた。
「……もういい。その話はもういいから。なんで私がここにいるかを考えみませんか?」
エリは米神を引きつらせながら、微笑んでいた。
わざとらしい感じだ。どうやら都合が悪くなったので、話をずらす気のようだ。
だが、口実を作ってうまく逃げようとする少女を追い立てるほど、俺は無粋な男じゃない。 ここは、乗っかってやってやろう。
「なんでここにいるんだ」
って、うん?
エリをよく見たら、制服じゃない。今日は学校のはずだ。なのに下腹部まで届く大きめのTシャツ、それにそのシャツが揺れ動くたびに見え隠れする、肌に喰いこんだ小さめのホットパンツ。
なんの造作もなく、太ももがきわどい位置まで見えて、これで外を歩けば人の目を引くことになるだろう。もちろん、学校へ行くなんて、もってもない服装だ。
「本当になにしに来た」
……いや、待てよ。
こいつ俺の家まで来てる。ということは、そういうことか!!
……。
――どういうことだ?
ごめん今、知ったかぶりしました。ハイ、すみません。
あっ。
そうか、本当にひらめいたぞ。
「わかったぞ。お前のいいたいことが」
「やっと、ですけどね」
そういいながらも、エリは細い目をし続けた。信じていないような気がするが、俺は急いで携帯電話を取り出した。
「待ってろ、今からNASAに連絡をするから」
「違います。なんで、そんな大それた話になるんですか」
エリがすかさず俺の携帯を取り上げた。気が早いやつだ。まだ、番号すら押していないというのに。まあ、違ったのならば、電話しないにこしたことはないが。
「お前の家に宇宙人がきて、それで、着の身着のままここに来た、と思った」
「なわけないです。だいたい、どうしてNASAにかけるんですか!!」
「先月、愛想のいいNASAの人が家にきたから」
「何で、ですか?」
エリは怖い顔をしていた。ロクでもない話だと気めつけている感じだ。けど、見たもの聞いたものを、そのまま喋る権利は俺にだってある。むしろ、NASAの人は気のきくいい人だった。このまま誤解されるわけにはいかない。
「宇宙人を見たら電話してくれ、ってわざわざ尋ねてきてくれたんだよ。ついでに火事があると危険だからって、消火器も売ってくれたし」
「詐欺です」
エリは断固とした口調で、そういった。
二十万円の消火器が、五万円で買えたのに?
「だいたい、私の家にくるように……って頼んだら、ここに来ますけどね」
なぜ、ここに来るんだ? お前の家に呼んだのに。
いや、待てよ。
俺は対面に座っている馬を見つめた。完全に外部を遮断しているのか、馬はあいからわず新聞を読みむけっている。
「あれのせいではないです」
まだ、何もいってないのに、エリが勝手に答えた。(〜に〜した)不思議だったのはキツイ言いかただったのに、なぜかエリの方が目線を下げていた。さらに耳も赤くなっている。ぜんぜん、訳がわからない。
しかし、エリは一瞬にして顔を上げ、涼しい顔を保った。さっぱり意味がわからないが、エリは、それから馬のことには構わなかった。その代わり、微笑みながら俺に視線を合わせる。
「あのね、ここは君の家じゃありません、私の家なんです」
さらに、エリは一呼吸置いて、はっきりといった。
「そこのお母さんも、私のお母さんです」
俺は母親のほうを見た。
「マジでか」
「そうなっちゃうかな」
笑顔で母親はうなずいた。一瞬にして俺の母親は、エリの母親となった。もちろん、それが真実だというのならば、ちゃんと受け止めるが、なんだか寝取られたような気分だ。
「母親を間違えるのは君だけだよ。だいたい私のほうは三十代だけど、君のほうは五十代でしょ。明らかに違うよ」
淡々とエリは答えた。俺はその言葉にイラっときた。失礼な!! なにが五十代で明らかに違う、だ。
「なにいってるんだ、俺の母親はすでに六十代だ!!」
十も下げたら、悪質な年齢些少になるだろうが。まったく、年を間違うなんて、俺の母親が今のを聞いていたら、いったいどうなると思っているんだ。俺がこの前、七十過ぎに見えるといったときには、現代に鬼が復活……あれ? 少し待って。落ち着いて考えてみよう。え〜と、
「そもそも俺はここで何をしている」
俺は文句よりも先に、疑問がでた。これには、エリもガッカリしていた。
「君の両親は仕事で海外へ出張に行ってます。その間、一人は大変だろうからって、ここに居るんです。何で覚えてないんですか」
ああ、そういえば、そんなこともあったような。なるほどなー。それで、違和感を感じじるようになっていたのか。他人の家なのだから、それは落ち着かないわけだ。
一人で納得していると、俺はついでに、もう一つ思い出した。(文節にネをつける)
「あっ、だからか。お前、最近よく家にいるなーと思ってたんだよな。ここお前の家だったのか。そうか、毎日毎日、遊びに来てて、大丈夫かと心配したけど……そうか。まあ、よかった、よかった」
その当初の俺は不安を抱えていた。
エリは平気で誰の許可もなく家に入り、ご飯を食べていた。遠慮なく、本域で食事を済ませる幼なじみ。そんなエリの姿を見て、俺はアレだと気づいてしまった。
これは、ヨネスケ風食卓審査にちがいない、と。家々のご飯を食べ歩き、あとでその評価を発表されるという恐怖のシステムだ。この審査員は対象者には極秘にされていて、気づかぬうちに審査されているらしい。俺は見たことはないが、きっと結果は回覧板というやつで廻されているに違いない。
ここ最近の食卓といえば、味が薄いうえに品数が少なかったから……かなり危ない評価になっていたはずだ。いつこの痴態がご近所様にバレルのかと、俺は毎日のように眠れぬ日々を過ごしていた。
しかし、全ては俺の勘違いだったので本当によかった。というより、ここはエリの家だから、俺にはなんの関係もないではないか。
「何で勝手に満足しているんですか。よくないです。何一つとしてよくないです」
すべて解決した空気だったのに、急にエリが噛みついた。
「なんだと。下位になったらどうなるかと思っているんだ。ご近所様になにを噂されるかわかったもんじゃないんだぞ」
エリの顔の色んな部分が、一斉に動いた。怒っているわけではなさそうだが、不思議がっている感じだった。
「すみません、何の? ですか。君は何の話をしているんですか。絶対、妄想からきてますよね」
エリにしては珍しく興味があるようだ。俺は全てを喋ろうとした。食卓審査の話を、一から十まで。
しかし、エリはいきなり嫌そうな顔をして、俺の口を手で止めた。
「やっぱり、いいです。それより、君。自分の家だと勘違いしてるからだと思うけど、紙パックでロボット作ったり、見たことないような野生動物を拾ってきたりして、こっちは大変なんです。それに」
そこまで、出し抜けにいっておきながら、エリの言葉が詰まった。まだ、続くだろうと思った俺は、口をふさがれたままにしておいた。エリの手は熱っぽく、汗ばんでいた。どうやら、 内心はかなり動揺しているらしい。
そして、数回の呼吸のうち、やっとエリは決心したようだった。
「あ……あと、君が使いだしたタンスの上から二番目、ですけど。あれは……あれは私のした……私の下着入れですから!!」
最初は弱々しかったのに、最後のほうになると表情が一変した。とつぜん、『何か問題でも』という口調だった。たとえ天地が逆さまになったとしても、今のエリには、その態度を保つような気迫が、そこにある。
しかし、なんでまた、そんなに感情がごっちゃになったのか、意味が分からない。エリが、 幸いなことに口から手を離してくれたので、俺もなにか喋ろうとする。
でも、なにを?
そう思ったとき、俺は適当に喋っていた。
「すまん。でも。俺がそこに入れはじめたのは、三日も前だったと思うけど?」
エリの目玉が、一瞬、本当に一瞬だけだったが、飛び出しそうな勢いで俺を見た。顔が鬼みたいに赤い。
絶対だ、絶対に、俺はエリを怒らせた。でも、なにが、いけなかったのか。
「気づいたのは、昨日ですから」
ふてぶてしい態度の一言は、俺も『はい』としかいいようがない。はっきりいって、昨日気づいたというのは嘘だ。ただ、それよりも怒られることしか心配してなかった俺にとって、それはそれで良かった。いや、本当に良かった。
しかし、なんだか、変に気まずい雰囲気になってしまった。エリの目は潤んでいるような気がするし……俺は、なにをいえばいい?
「まあまあ、そんなにエリも怒らないで。ミラ君も、別に悪気はなかったんだし」
二人のへばりつくような空気を吹き飛ばしたのは、馬男だった。しかも、それはそれは流暢な 日本語を喋った。それも、まったく口を動かさずに。
「もう、お父さんたらいい加減にしてよ」
お父さん。エリは馬男に確かにそういった。
まずい。
エリのお父さんは、近いうちにNASAに連れて行かれる。見ず知らずの馬男だから放っておいたのに。
「そんな、まさかエリが馬との間に生まれた子だったとは」
「そんなこと、ありえないです」
なにを思ったか、エリは馬の首をつかみ、そして、細く柔らかそうな手で、馬の皮をずるずると剥ぎ取ってしまった。それは、まるで、どこかの残酷な民族儀式みたいだった。
「おまえ、いくら父親が馬だったからって……」
「ちゃんと、見てください」
俺が問い詰めると、剥ぎ取られた馬の首は、新たな首に替わっていた。しかも、さりげなく人間の首にだ。顔はオッサンそのものだった。だが、このオッサンは見たことがある。かつて、エリの父親だと覚えていた顔だ。
そんな馬鹿な、ということは。
「もしかして、馬人間はオッサンに化けることができるのか。もし、そうだとしたら、地球にいるオッサンという生き物は、馬人間だったのか――待てよ。そ、そんな、オッサンが馬だとしたら、俺だって父親は馬人間になるんじゃないか。だったら俺も馬の血を受け継いでるはずだ。そしていつの日か、朝起きると俺の顔が馬に」
エリが哀れむ目をして俺を見ていたので、俺はどうにか口を閉じることにした。エリの顔には、悲壮感が漂っている。きっと、動揺する俺を見て、真実を知ったころの自分と重ねているのだろう。これ以上、俺が醜い姿を見せれば、エリ自身が取り乱したときの自分を思い出すだけだ。今こそ、俺がしっかりしなければいけない。
「お父さんは、馬の覆面をしていただけです。君が来た二週間も前から」
なんの引っかかりもなく軽いトーンで喋るエリの声に、俺はとりあえず頷いてみた。
可哀想に。この子、気が動転してる。
「その顔、絶対にわかってませんよね? いいですか。はっきりいって馬人間なんて、この世にいるわけないんです」
エリがダメを押すようにいった。そこへ、オッサンが割り込んできた。
「いや、本当にミラ君すまなかった。騙すつもりはなかったんだけど、ずっと気づいてくれないから」
オッサンは平謝りした。だが、俺はそんなこと、もう、どうでもよかった。新しい人種の存在を信じていたのに。食ってるものを記録したり、家族構成を妄想していた労力が、これですべて無駄になった。
「まさか、そんな馬鹿な。ただのオッサンだったなんて」
絶望だ。新人類だと思っていた生物が、そこらじゅうにいるオッサンだったとは、無念としかいいようがない。
「というより、君は二週間もの間、なんで突っ込まなかったんですか。お父さんは君に気づいてもらうまで、ずっと喋りもせず、覆面を被りつづけてたんですよ」
だから、なんだ。こっちは、聞くも涙、語るも涙、の過去設定を勝手に想像してたっていうのに。
「馬には気づいていたけど、俺は、人種差別しないタイプなんだよ」
エリは首を斜めにして何度か唸ったが、言葉にするのは我慢したようだった。俺はこの一家の手のひらで踊らされていたのか。心に傷がありそうなので、ゆっくり相手の距離を詰めようとした俺の計画が。
「でも、こんな格好をしたお父さんも、悪いんですけどね」
エリは横目で、オッサンを睨みつける。
「いや、お父さん頑張ろうと思ったんだよ。だって、ミラ君がいつ家族になってもいいようにって、馴染ませようとしただけなんだ」
オッサンはそれ以上いわなかった。エリの顔を見て、しくじったかのような短い悲鳴をあげたからだ。
「もういいです。もう永久に喋らないでください」
エリの目は確実に殺意が入っていた。オッサンは、涙目になって頷いている。
「うう、でも、せっかく家で覆面をかぶり続けてきたのに」
「喋らないで下さいって、いいませんでしたか」
呻きながらも、オッサンは従った。いったい、どっちが親なのだろうか。
「そろそろ出ないと、皆遅刻するんじゃないかしら」
いっさい状況を気にしない穏やかな声は、エリの母親からだった。一人だけ中心から外れていたせいか、妙に落ち着いている。
「急いで着替えてきます」
「僕も出勤しなくちゃ」
しかし、そのおかげで、エリもオッサンも一瞬にして空気が変わった。エリは制服を着に、オッサンはスーツを探しに、台所から離れていった。俺も、口にするのを忘れていた朝食を食べ始めた。
無駄にテンションの高い報道番組を見ながら、サンマや、卵を口に入れる。なんだか、いろいろあったせいで、どれも味が鈍っているように感じる。
最後に残った、みそ汁をすすっていると、制服に身を包んだエリが戻ってきた。その背後にはオッサンもいる。
「もう、そろそろ出ないと遅刻します」
エリはそういって、俺の腕をつかみ、無理やり玄関へ引きずっていく。エリの力では大変なので、オッサンも一緒になってだ。
「いってらっしゃーい」
エリの母親が椅子に座り、片腕を振って送り出す。とりあえず、俺は片手を上げて、返事をした。
玄関までくると、さすがの俺も自分でちゃんと立って、ドアを開ける。すると、スーツ姿の外人さんが目の前にいた。この人は、見覚えがある。
「NASAの人だ!!」
「oh、アナタハ、コノマエノ、ボーイデスネ」
感動の再会だ。また会えるなんて。
「はいはい、もう遅刻しますからね。」
エリがさっさと俺の手をつかんで、道路にでる。歩いている途中、オッサンの『すごいや、本当にNASAの人なんですか』という声が聞こえてきた。
結局、額に手を当てたエリが、家まで引き返すことを決断した。外人が真っ青になるくらいの殺傷能力を持った論理的意見が、エリの口から連鎖、展開、立証、帰結、されるのを聞きながら、俺は遅刻を確信した。外人がすすり泣いたとしても、エリの無感情な知的考察は呪詛のように続いていて、俺は空を見上げ、高速で動くフリスビーのような平たい物体を目で追いながら、それがいくつあるか指折り数えていた。
すると、一匹の宇宙人が降りてきた。俺に二週間分の記憶を返しに来たそうだ。俺は、ありがとうと感謝する。こちらこそ、宇宙人はそう返事をして、光に包まれ消えた。すべての平たい物体が青空を駆け上がっていった。
ああ今日も平凡な一日が始まる。