3-40 願いのために
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ハイファの拳は必中の間合い。だが、ネヴァンの口元には、笑みが浮かんでいた。
「それなりに使いこなしてるじゃない」
ハイファの拳がネヴァンの上半身を捉える。
手応えは、なかった。
「え……⁉」
ネヴァンの身体が、ハイファの拳を避けるように形を崩す。
「でも、まだまだね?」
人の形に戻ったネヴァンの蹴りを、ハイファはかろうじて防御した。
「うぅっ!」
しかし勢いは殺しきれず、壁際に積まれた本の山へ激突してしまう。
「これで終わりと思ったら――」
畳みかけようとしたネヴァンを、黒煙の渦が阻む。
「シャン! やっぱりあの子を守るのねっ!」
煙から飛び出した剛腕が、ネヴァンの顔面を捉えて吹き飛ばす。
硬化させた流体魔力を杭の代わりにして踏み留まったネヴァンが反撃に転じ、シャンも再び黒煙へと姿を変えて応戦する。
本の山を抜け出したハイファは、床を蹴ってネヴァンへ肉迫。突き出した拳はネヴァンの手に受け止められた。
「私に喰われないように無意識に魔力で自分を守ってるわね。小賢しいこと」
「どうしてっ、シャンをバラバラにしたのっ!」
「愛してるからって言ってもわからないかしら。あなたも好きな人ができたらわかるかもね」
「本当は龍の王国を追い出されたこと、怒ってるからじゃないの⁉」
ネヴァンが放つハイファの背中を狙う攻撃は、シャンの煙によって邪魔される。
「……子どもね」
ネヴァンはつまらなそうに吐き捨て、触手の一本がハイファの足首を掴み、壁に投げ飛ばす。壁にぶつかる前に黒煙になったシャンがハイファを受け止めたが、棚からは古い文献や干からびた魔獣の身体の一部が入った瓶が散乱した。
『あーあ、派手にやってくれちゃって。あとで戻すからいいけ――どぉっ⁉』
気の抜けた台詞を吐くヴァルマは言葉尻が驚きの声になった。リンが兜の隙間に指を突っ込んで引き寄せてきたのだ。
『な、なんだい?』
「ハイファが死なずに済む方法! あなた、さっき別の方法を言いかけてたわよね! それはなに⁉」
先ほどとは打って変わった剣幕に、ルナやエルトだけでなく、ヴァルマ自身も戸惑った。
『それを君が聞いてどうする? ただの人間の君が』
「いいから答えて!」
『わからないな。なぜ君がそこまで必死になるんだ』
「決まってるでしょ……!」
兜を掴む手に力が入る。
「ハイファから、これ以上何も奪わせたくないからよ!」
初めて会った時から、予感はあった。
リンが感じていたそれは、旅を続けるほど確信へと変わっていき、そしてこの空間にたどり着いたことで揺るぎないものとなった。
「あんな場所にいた奴隷の女の子の死に方が、まともなわけがないわ!」
リンの断言に、エルトは目を伏せる。
龍の魔峰を目指す旅へ出る前に、ラティアからリンの素性は聞かされていた。
ラティアに言われるまでもなく、それまでと変わらず接することを決めてはいたが、それゆえにリンの言葉の重みが理解できてしまう。
リンは知っているのだ。子どもの奴隷がどういう扱いを受けるのかを。
「あの子を勝手に生き返らせて、また勝手に殺すなんて、そんなの絶対に許さない!」
『……………』
詰め寄るリンに、ヴァルマはわずかな沈黙の後、端的に答えた。
『シャン殿とネヴァン、その両方を今の時点で倒すこと。それが話そうとしたもうひとつの方法だよ』
「シャンを……?」
『現状維持は確かに方法のひとつだけど、現実的じゃない』
ヴァルマとリンが対峙する間も、戦闘は続いている。ハイファは視界の端にリンたちの様子を捉えていたが、気を向ける余裕がなかった。
『だから、あの二人を排除して、この世界で龍骸装を必要とする者をハイファだけにすればいい』
「そんなこと――!」
『そんなことはできない? だろうね。あの子、優しいから。これをさっき話しても、すぐに却下されただろう』
言葉を被せられ、リンは怒気のこもった視線とともに声を荒げようとしたが、さらにヴァルマは続けた。
『けど、状況は変わった。シャン殿が人間を助けたという事実を知ったおかげで、僕の想定より幾分マシな可能性が生まれたよ』
ヴァルマが右腕で自らの左腕を掴み、捩じって取り外す。すると中から細長い塊が二つ滑り出た。一つはリンにも見覚えがあった。
「それ、私の……」
リンのボウガンである。
『龍骸装を探しているときに見つけたんだ。使えそうだったから少し弄っておいた。こっちはとある龍の骨を魔力で加工した矢。三本しか間に合わなかったけど、ネヴァンによく効くはずさ』
手渡されたボウガンの見た目や、握った持ち手から伝わる感覚には変化はない。
そしてもう一つ。箱に収まる矢は、紫紺の結晶が矢じりとしてついていた。
『まずはネヴァンを倒すんだ。彼女も自分の願いのために龍骸装を奪おうとしている。君も、君の願いのために戦うといい。そのための力は、用意したよ』
ヴァルマが付けなおした左腕で示す先には、流体の魔力を振るう女神官。対峙するハイファとシャンは一進一退の戦いを続けている。
「私の願い……」
リンは龍の魔峰においてネヴァンに何もできないまま一撃で昏倒させられた。
相手は自分よりはるかに強い。
それでも、誰かに押し付けることだけはしたくなかった。
矢を一本つがえ、残りはボウガンの下部に装填する。
「ペック、悪いけど付き合ってくれる?」
いつの間にか傍にいた相棒は、リンの意志を肯定するように背中を差し出す。
「ありがとう。――いくわよ!」
ペックの背に飛び乗り、リンはハイファたちの戦いへ向けて駆けた。
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