1-8 記憶の残り香
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コンベルは魔獣から街を守るために造られた壁に囲まれており、その南北には出入りするための門が一つずつある。街に入るためにはその門の前で門番による荷物検査を受けなくてはならない。
入り口側の門の近くには小屋が設けられ、門番たちは昼と夜の交代制で外を見張っている。だが、外部から人が来なければ、小屋から外を見ているだけの仕事なので退屈極まりない。それを裏付けるように昼間を担当する門番の男が、一人きりの小屋で大欠伸をしている。
「大丈夫なの?」
リンと一緒にペックの鞍に乗っていたハイファは、素直に不安を口にした。
「ん? まあ、門番だって人だから、欠伸くらいするでしょ」
「そっちじゃなくて、その……」
後ろを振り向きそうになるハイファの肩を、表情から余裕を消さないリンが軽く叩いた。
「心配ないわ。ほら、門番が出てきたわよ」
こちらに気づいた門番の男が槍を手に小屋から出てきた。
「何者だぁ?」
声を張り上げながら駆けてきた体格のいい髭面の男に、リンは鞄から出した一枚の紙を見せた。
「行商です。この街で休息を取ろうと思ってます。こちら、営業許可証ですよ」
紙を受け取った男は、紙とリンの顔を交互に見てからすぐにリンに紙を返した。
「ご苦労さん。こっちに来て荷台を止めてくれ」
男に誘導され、リンは小屋の横に荷台を止めた。
「じゃ、荷物検査するからな」
「どうぞどうぞ」
荷台の後ろに回る男へリンはにこやかに頷くが、ハイファは小さな手を固く握りしめて、じっと俯いたまま動かない。
「じっとしててね」
そうハイファに釘を刺してから、地面に降りたリンは男と一緒に荷台に向かっていく。
「どうです? 怪しいものは積んではないつもりなんですけど」
「んー? まあ、今のところはな。にしても、君みたいな若いのが行商か。それもあんな小さな子を連れて。妹さんかい? あんまり似てないけど」
「ええ、姉妹二人でやらせてもらってます」
「ほー、立派だねぇ」
荷台の後ろでのんびりとした会話が繰り広げられているが、ハイファは気が気ではない。
リンが何をしたかは知らないが、荷台にはシャンがいる。見つかりでもしたら大ごとだ。
「さて、それじゃあ最後にこの大きいやつだな」
どきり、と心臓が跳ねる。男が荷台に上がる音がした。
シャンが見つかってしまう。そう予感した。
しかし。
「……特に問題はなし、と。行っていいぞ」
門番の声に、ハイファは思わず振り返る。
「ありがとうございまーす」
戻ってきたリンはハイファにだけ見えるように得意げな表情を作る。
「門を開けぇ!」
男が上に向かって声を張り上げると、閉ざされていた門が大きな音を立てて開く。
「お嬢ちゃん、お姉さんと仲良くな」
男が声をかけたのが、ペックに乗ったリンではなく自分なのだということに遅れて気づいたハイファは、小さく会釈した。
門の内側は石造りの建物が林立し、人の往来の激しさゆえか、門に直接通じる大通りには様々な商店がならび活気に満ちている。
「どう? うまくいったでしょ」
門が再び閉ざされてから、リンはハイファの耳元に顔を寄せた。
「うん。でも、どうやったの?」
いたずらっぽく笑ったリンは、荷台を人目につかない道の端で止めた。
「荷台の中を見て来てみなさい。ハイファは見つけられるかしら?」
最後の一言が気になったが、ハイファはペックから降り、閉じていたほろを上げて荷台の中を覗く。
「あれ?」
シャンの巨体が荷台のどこにもない。
草原に置いてきた、という線は考えにくい。となれば怪しいのは、荷台の奥に置かれた一番大きな木箱だ。
他の荷物を蹴らないようにそっと近づき、背伸びをして蓋を開ける。
「……あれ?」
中には、商品らしき色とりどりの果物の瓶詰が整然と並んでいた。
答えの解らないハイファは、荷台前側のほろを上げてリンに話しかけた。
「リン、シャンはどこ?」
「んふふー。わからないでしょ? それじゃあ種明かしよ」
自身もペックから降りたリンは、荷台に入ると、ハイファのいる木箱の前に立った。
「ここに注目したまではよかったわね」
「うん、でも、中にはいなかった」
「いるのよね、これが」
言葉の意味を理解しかねているハイファを横目に、リンは木箱の中の瓶詰を取り出していく。すべてを取りだし、瓶の下に敷かれていた布が露わになると、リンはそれを剥ぎ取った。
中には、一回り小さいもう一つの箱。
「あ」
気づいたハイファの口から声が漏れる。
リンがもう一つの箱を開けると、中ではシャンが座っていた。
「こうなってたんだ……」
「私にかかればざっとこんなものよ。門番なんて、要所じゃなければ基本はいい加減なんだから。中身まで漁るようなこともしないしね」
「でも、窮屈そう」
「そうね。街には入れたことだし、もう隠す必要はないか」
空の木箱は軽い。リンは簡単に箱を持ち上げると、立てかけてあった木箱の一面である板を大中それぞれの箱にはめた。
収納されていたシャンは、特に動きは見せず、じっとしている。
「シャン、大人しく従ってくれたけど、嫌なら嫌って言っていいんだからね」
箱から出していた荷物を詰めなおしながら、リンはシャンをいたわる言葉をかけた。
「これでよし、と。さて、まずは宿の確保ね」
道に設置される看板を頼りに移動を開始した荷台は、町の奥の宿屋が並ぶ地区へやって来た。幅の広い道にはペックのように主を背に乗せて荷台を引く牛や馬、そして魔獣などが行き交っている。
「いっぱいいる……。この人たちもリンと同じ行商なの?」
「そういう人はいると思うけど、旅人も多いんじゃないかしら。だから、こういう宿探しは町に来て最初にやると、あとで困らなくていいのよ」
それから間もなく、リンたちの前に客引きらしき男が躍り出てきた。
「そこのお嬢さんたち! 宿をお探しかい?」
「ええ。私とこの子の二人で泊まれる宿を探してるの」
「だったらうちの宿だな! そのレックレリムと荷台も客用の納屋に入れていいよ!」
男は自身の真後ろの門の奥にそびえるレンガ造りの建物を示す。掃除したばかりなのか、門にかかる看板は日を浴びて輝いている。
「ふうん? 素敵だけど、やっぱりお代が気になるわね。一泊おいくら?」
「レウン銀貨二枚だ。ここまで安いところはそう無いよ!」
「だって。ハイファ、どうする?」
「えっ? あ、えっと、リンがいいなら……」
いきなり話を振られて背筋をピンと伸ばしたハイファの返事を聞いてから、リンは男に答えた。
「じゃあここにするわ」
「毎度! 二名様ご案内!」
男が声を張り、門の奥へ入っていく。リンもそれを追うように荷台を動かし、男の言っていた納屋まで移動した。
「荷台の中の荷物はそのままで。必要になったら自分たちで取りに戻るから」
男にそう言いながら地面に降りたリンは、ハイファを降ろしてから両手でペックの首を撫でた。
「じゃあペック、荷物番はよろしくね。街であなたの分のお土産も買ってくるわ」
言葉を理解しているのか、ペックはクエーと鳴いてリンの頬に嘴を擦り付けた。
「おじさん、私たちこれから買い物に出るの。部屋代はここで払うってことで良いかしら?」
リンの問いかけに鷹揚に首肯して、男は腰に手をやった。
「かまわないよ。買い物に行くなら東の商店街に行くといい。食い物から雑貨までいろいろ売ってて、町の門前よりここに近い」
「どうもありがとう。ハイファ、行ってみましょうか」
「あ、ま、待って」
荷台に入ったハイファは、木箱を跨いで奥へ移動し、座ったままのシャンに話しかけた。
「じっとしててね? すぐに、帰ってこれると思うから」
シャンは返事はしない。それでも、伝えておきたかった。
荷台を出ると、少し離れたところでリンが男に料金分の銀貨を渡しているところだった。
「ごめん。リン。お待たせ」
「ううん、大丈夫よ。お金を払ってたところだったから」
支払いを済ませると、さっそくリンはハイファの手を引いて町へと繰り出した。
東の商店街は、確かに最初に入った門付近の地域に引けを取らない人の多さだった。
「あのおじさんはいろいろ売ってるって言ってたけど、服屋はあるかしら。服屋服屋……」
ハイファと手をつないだまま道を進み、視線を左右に巡らせるリンは、思いのほかすぐに服を売っている店を見つけることができた。
しかし、入ってみたはいいものの、店内は妙にさびれていて、客はリンたちを除けば片手で数えられる程度しかいなかった。奥では店主らしい老婆が椅子に座って仏頂面で頬杖をついている。
「ん~……」
リンは並んでいる服たちを見ながら、これなら自分の買い取る中古の服と大して差がないのでは? などと考え、唸る。
「他をあたった方がいいかなぁ?」
ぼそりとつぶやいただけなのに、店主の老婆がクワッと目を開いて吠えた。
「言っとくけど、うち以外にこの商店街で服売ってる店はないよ!」
「ウソ⁉ 聞こえてた⁉」
「まったく。最近の客は、やれ売る側の態度が悪いだの、売ってる服がダサいだの勝手なことを言って……」
「え、私、怒られてる? 明らかに店側に問題があるのに、怒られてる?」
リンと店主のやり取りを聞き流しつつ、ハイファはリンの傍でぼんやりと服を眺めていたが、ふと、一着の服が目に留まって、それに視線が釘付けになった。
袖のない鮮やかな緑色の服。それと合わせになる丈の短いズボンと、簡素な履き物。
なんということはないはずだが、なぜか胸の奥が締め付けられるようで、駆け出して抱きしめたくなるような衝動に駆られる。ただ、その理由がわからない。
ハイファは誘われるようにふらふらとその服へと近づき、そして手に取った。
「あれ? ハイファ? その服がどうかしたの?」
「これ……知ってる気がする」
「知ってるって……もしかして、なにか思い出したの⁉」
「ううん。でも、なんだか、とても懐かしいような……」
「大変……! すっ、すみませーん! ちょっと聞きたいことが!」
「なんだい、買うのかい? よっこらせ」
リンに呼ばれ、老婆は椅子から立ち上がって二人のもとに来る。
「あ、あのっ、この服って?」
「ああ、それかい。結構前に、顔にでかい傷がある変なジジイが買い取ってほしいって渡してきたもんだよ。詳しい話は忘れたが、どこぞの遠い国の民族衣装だとさ」
「遠い国……」
ハイファは指先で滑らかな感触の生地をなぞる。老婆は服とハイファを交互に見てから、フンと短く笑った。
「お前さんなら着れるんじゃないか?興味があるなら試着しても構わないよ」
「で、でも……」
「うんうん! 着てみなよハイファ!」
リンに背中を押されて店の奥に足を運んだハイファは、そのまま服を渡されて試着室に入らされてしまった。
「着たら開けてねー」
カーテンの向こう側からリンの声が一度だけして、ハイファの世界は静かになる。
「私は、どうして……」
手に持っているこの服に、強く惹かれる。
可愛いからだとか、似合いそうだからだとか、そういうものじゃない。
『これは、私が持っていなくてはならない』
単純にそう思えてしまうのだ。
頭に声が響くようで、空恐ろしく感じさえする。
自分でも戸惑ってしまう感情。けれど、理由を少しでも知れるのなら。
「………………」
ハイファは意を決し、身に着けていた服を脱いだ。
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