3-22 呪い祓う拳
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ラティアとロマリーの視線に予想通りの驚きが籠るのを感じつつ、ディアンサは光球を見つめたまま続く言葉を紡ぐ。
「正直、私も意外だったわ。まさか、あなたたちが龍の話に首を突っ込むなんて」
「その本を、どこで?」
ラティアの問いかけに、ディアンサは遠いまなざしを虚空に投げた。
「今から五十年ほど前よ。大嵐の夜、街の見回りをしていた私の前に、ひどい怪我をした若い男が現れてこの本を渡してきたの。そいつは本を渡すと、そのまま嵐の中に消えたわ」
「五十年前……。え? 五十年⁉」
ロマリーの声が反響する。ディアンサの見た目は、とても老けてなど見えない。
「あのぅ、失礼を承知でお伺いしますけど、教皇さまっておいくつ……?」
「あら、勉強不足ね。『始まりの四人と星の御遣い』の話は教典にも載っているでしょ?」
「それって、あれですよね? 後に教皇となる『名の無い女』を含めた四人の旅人が、星皇神の遣われた精霊から知恵と力を授かって、教えを広め始めたっていう……」
「そう。その『名の無い女』っていうのが私のこと。リュオもクランゼもピスケスもとっくに死んだけど、私はそういうのにされたみたいで」
リュオ、クランゼ、ピスケスの名前は確かに『始まりの四人』の残り三人だった。
「ラティアさん。私の記憶が確かなら、教典に記された出来事って、最低でも七百年は前のことだと習ったんですが……」
「彼女の言っていることは本当です。私も以前、証明として樹齢千年を超える神樹に宿る精霊を紹介されました」
「ああ、精霊は嘘をつくことができませんからね。私も実家の近くの森にいた精霊とよく話を……え、じゃあやっぱり本当に⁉」
「ラティアを含めて私の正体を知ってるのはほんの僅かだから、ロマリーも秘密にしてね。でないとあなたの記憶を消したうえで、いろいろ手を回さないといけないの」
「よかったですね、ロマリー。あなたもそのほんの僅かの仲間入りです」
ラティアの手がロマリーの肩に置かれる。ロマリーは力なく笑うほかなかった。
「話を戻しましょ。どうしてこの本にこんな封印を施したのかだけど……」
ディアンサの目に鋭い光が灯る。
「この本にはね、強い呪いがかけられていたの」
「呪い?」
ロマリーが繰り返したあと、ディアンサは光から離れて壁に寄りかかった。
「とてつもない憎悪が込められた死の呪いよ。最初に開いたのが私でよかったわ。普通の人間が開いたらひとたまりもなかったでしょうね」
「それで、書庫の地下に封印した、と」
「そんな……。それじゃあ読めないじゃないですか」
嘆くロマリーにディアンサは「そうでもないわ」と応じた。
「呪いが発動するのは本を開いたとき。それを弾くことができれば読めるわよ。正確には、見ることができる、だけどね」
そう言ってディアンサがちらつかせたのは、ロマリーによる龍の文字の書き写しであった。
「いつの間に⁉」
「ふふ、よく書けてるわ。ロマリー、これ読めなかったでしょ?」
言い当てられ、小さく頷く。
「も、もしかしたら龍の文字なんじゃないかって話をしていて……」
「その通りよ。これは龍の文字。そして、その本は龍の文字で書かれているの」
「………………」
ふと、ラティアが光球に向けて歩き出した。
「ラティアさん?」
「呪いを弾けば、この本を読むことができるのですね? なら、私がやります」
光に手をあて、解除の魔法を行使する。光は四方に散らばり、何も載せられていない燭台へと収まった。色褪せて表紙も朽ちかけの本は、ラティアの両手に静かに落ちた。
「き、危険ですよぉっ! だって、死の呪いが!」
「だから、私をここへ連れてきたのでしょう?」
振り向いたラティアと目が合い、ディアンサは怪しく笑った。
「ええ。あなたなら大丈夫だと思って。だってあなたは星に選ばれた子。私が認めた次なる教皇に相応しい女だもの」
「身は捧げても、心まで捧げ尽くす気はないと、前から言っているのですが……」
「え、え……?」
二人の間に突如として張り詰めた空気が漂い、ロマリーは混乱する。
だがその空気はすぐに消え、ディアンサは朗らかに表情になった。
「ま、今回はそういうのは抜きにしてあげるわ。安心して? 危なそうだったら私が割って入るわ」
軽い口調で言うディアンサに、同様に緊張を解いたラティアも微笑む。
「ええ。その時はよろしくお願いしますね」
「もうなんなの、この人たち……」
ただ一人、ロマリーだけはどっと疲れていた。
「では、――いきます」
ラティアがついに、『龍姫物語』の表紙に手をかける。
次の瞬間、黒い炎のような魔力が噴きあがった。膨れ上がったそれは、獣のような形になりラティアに向かって咆哮する。
「これが……!」
「ひゃあ! 呪いというか、もはや魔獣じゃないですかぁ!」
巻き起こった風に、思わず頭をかばうロマリーの横で、ディアンサは傍観を貫く。
「あれが死の呪いよ。飲まれれば終わり。私でも弾いて押さえつけるのが精一杯で、完全に解くことはできなかったわ。さあ、どうするのかしら」
形を持った呪いと対峙するラティアはその禍々しさを肌で感じていた。
「伝わります。この呪いを施した者の怒り、憎しみ、悲しみが。……けれど!」
ラティアが握る右の拳が輝きを放つ。
「単なる力比べならば、負けはしません!」
腰を捻り、振りかぶったラティアは、呪いの顔面に全力で拳を叩きつけた。
眩い光が視界を埋め尽くしていく。
ロマリーはその中でラティアの放つ力の直撃を受けた呪いが霧散するのを見た。
光が消え、再びラティアの姿を視認する。彼女の持つ本は、ただの本へと戻っていた。
「ふう……。よかった。うまくいきましたね」
表紙を撫でるラティアは、慈愛に満ちた表情を浮かべている。
「の、呪いを殴って消し飛ばした……!」
事実を再認識し、戦慄するロマリー。彼女の隣で笑い声が爆ぜた。
「あはははっ! 綺麗な顔して、清々しいまでに力業! そういうところが好きなんだけど!」
「もう、ディアンサ! あまり笑わないでください! 私だって多少は気にしているのに……」
「ごめんごめん。でも、これで読めるようになったわね」
ロマリーはディアンサに先んじてラティアの傍に駆け寄り、本を覗き込む。確かにそこには解読不能な文字が並んでいた。
「わあ、本当に読めませんね……」
ロマリーがつぶやくと、ラティアがぽつりと零した
「……『これは、我らの国に一人の人間の幼子が現れたことから始まる』」
「え?」
ラティアが口にしたのは、まさしく『龍姫物語』の第一文であった。
「ディアンサ、あなたはなぜ私に龍の魔峰やハイファという言葉に聞き覚えがあるのか、その理由を教えると言いましたね。これが、その答えですか」
怒りというよりも呆れに近いラティアの声色に、ディアンサはくすくすと喉を震わせた。
「そういうこと。あなたは一度ここへ来ているの。まだ小さかったころに。その時に私とも出会った。私はあなたに龍の文字の知識を与え、記憶に蓋をして、そしてたった今、その蓋を外したの」
「なぜ、そんな回りくどいことを」
「あなたにはいろいろなものを純粋に見て、感じてほしかったのよ。年端のいかない子どもの読み物にしては、ちょっと過激な内容だから」
二人の間で目を白黒させるばかりのロマリーをよそに、ラティアは苦笑する。
「では、今はもう問題ないと?」
「そうよ。さあ、改めて読んでみて。あなたの知りたいことが、そこにあるわ」
ディアンサの透き通るように白い指が虚空を撫でる。すると『龍姫物語』が宙に浮き、あるページまで開かれた。
ディアンサの意のままのようで癪だったが、真実を知るためならば。
「……ロマリーもこちらへ。私が読み上げます」
「は、はいっ」
これまで協力してくれたロマリーと共に、ラティアは龍の文字の海へ飛び込むのだった。
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