1-7 語らい、草原にて
お越しいただき、ありがとうございます!
もう1話だけおまけの更新です!
朝を迎え、森を包んでいた闇が去ると同時に出発したリンたちは、太陽が真上に来るより早く森を抜けて、草原に走る一本道を進んでいた。
リンが言うにはこの道に沿って行けば目的の街に着くことになっているらしい。
ハイファは、ほろ越しに荷台を温める日光を浴びながら、流れていく景色をぼんやりと追う。
カルテムに裂かれた服は大きな損傷こそなかったが、リンから羽織るようにと渡されたコートは言われた通りに身につけた。
『いいのいいの! それより街で可愛い服、見つけましょうね』
コートを受け取るときに言ってくれたリンの言葉に、ハイファの良心はちくりと痛んだが、リンの笑顔がそれを和らげた。
「こんなに、広い……」
無辺の青空に漂う小さな白い雲たちと、雲の影が流れる薄緑の草原。頬を撫でる風は温かく、遠くに草花の香りがする。
リンたちと出会った場所から森を抜けただけでこれほど風景が変わることに、ハイファは自分の世界が広がっていくのを感じた。
ハイファとは反対側に腰を下ろすシャンは、相変わらずの置物状態で会話の相手にさえならない。
しかし、いきなり話しかけられてもどうしていいかわからず、ハイファも自分から積極的に話しかける勇気がまだないので、特に不満はなかった。
緩やかな坂を上がりきったところで荷台が止まり、ひょっこりと荷物の向こうから顔を覗かせたハイファはちょうど振り返ったリンと目を合わせた。
「見えてきたわ。あれがコンベルよ」
リンが指さす坂の下に、建物の密集地帯が見える。その町はぐるりと背の高い壁に囲まれていた。
「この分だと予定よりも早く到着できそうね」
笑いかけてくるリンに、ハイファも少しだけ笑ってみせた。
「それじゃあ、今のうちに……」
おもむろにペックの背中から降りたリンは、ハイファに手招きして荷台から出てくるように指示した。
リンの意図を理解していないが、とりあえずハイファは指示通りに荷台を出る。素足で踏みしめた地面は柔らかく、陽を浴びているためか、ほんのりと温かい。
「どうしたの?」
「町に入る前に、ちょっとやることがあるわ」
「やること?」
「ほら、あれよ」
リンが顎をしゃくって示したのは、荷台で胡坐をかいているシャン。
「あの見た目のままだとさすがに怪しまれるわ。町の入り口の荷物検査で引っかかるかも」
全身に文様を刻み、取れない仮面を身に着け、背中から管を生やすシャンは人前に出すにはあまりよろしくない。そのことはなんとなくハイファにもわかっていた。
「というわけで、彼と一緒に町に入るための準備をするわ。ハイファはシャンと一緒に外に出て待っててちょうだい」
「いいけど、どうするの?」
「任せて。私にいい考えがあるから!」
キランと自信満々に目を光らせたリンに、ハイファは首をかしげるしかなかった。
リンが準備をしている間シャンと共に外で待つことになったハイファは、草原に腰を下ろし、膝を抱えて空を眺めていた。
その隣にはシャンもいる。ハイファが一緒に来るように言うと素直に従ったのだ。
「………………」
「………………」
流れる大小さまざまな雲が広大な草原に斑模様の影を落とす中、二人の間には一向に会話をする気配がない。
ハイファは時折ちらちらとシャンの方を見ているのだが、仮面を付けて正面を向いたままの大男の表情はどうにも読み取ることができず、話しかけづらい。
しかし、いつまでもこのままというわけにもいかない。
ハイファは一度深呼吸をして、勇気を振り絞った。
「ね、ねえ」
「………………」
「シャンはどこから来たの?」
無言。シャンからの返事はない。
「……私みたいに、何も覚えてないの?」
沈黙。会話は一度も弾まず、草原の土に埋もれていく。
いよいよ困り果てるハイファ。ふと、自身の腕が目に入った。
そこに会話の糸口を見出し、コートを脱ぐ。腕に走る傷が温かい外気にさらされた。
「こ、これっ。この腕のこと、何か知らない?」
だが、シャンは話そうとしない。まるで岩や樹木のように反応は無かった。
「だめか……」
もはや手が無いハイファは、現実に目を向けた。
「……私って、何なんだろうね」
克明に脳裏に浮かぶ昨夜の光景。
飢えた獣が剥いてきた牙の輝きを前に、腕を異形と化したあの瞬間。
そう簡単に忘れることなどできない。
「あの時、すごく怖かった。自分の腕が、自分のものじゃないみたいで……」
指先でなぞった傷は硬く、ざらざらしている。ここから闇が吹き出して、自分の腕は異形に変化したのだ。
「でも――」
傷から指を離したハイファは、その手を握った。
「嫌じゃないの。あの腕をまた使うことになっても、きっと私は使うと思う」
異形と化す腕より、その腕を許容してしまいそうになる自分が怖かった。そうした思いがハイファに一つの疑問を提示する。
「私は、この腕を使って何をしたのかな。こんな腕で、こんな気持ちになる私は、記憶をなくす前はどんな人だったのかな……」
リンにも話していないことを、なぜかこの物言わぬ大男には話せてしまう。
それはきっと彼が返事をしないからだ。
ふいに視線を感じた。ハイファは顔を上げる。
シャンが、こちらを見ていた。
「あ……」
それまで芳しい反応を示さなかったシャンが、突然こちらに関心を示したことにわずかな驚きを覚え、ハイファは取り繕う。
「ごめんなさい。こんなこと話しても、仕方ない……」
だが、ハイファの言葉は途中で途切れる。
「………………」
何も言わず、シャンの大きな手がハイファの頭を撫でた。
「ど、どう、したの?」
突然のことで困惑するハイファだが、思い至る。
初めてシャンと会ったあの時。怯えたハイファは避けてしまったが、あの時もシャンの手はハイファの頭に伸びていた。
「もしかして、励ましてくれるの?」
記憶を失い途方に暮れたハイファを。そして記憶を失う前の自分を憂うハイファを。
確証などない。だが、頭に乗る手は心地よい温もりを持っていた。
「……ありがとう。シャンは優しいんだね」
「お待たせー!」
荷台の方から、リンが走ってくる。
「準備できたわ! 戻ってきて!」
リンの声に頷いて、ハイファは立ち上がる。
「シャン、行こう」
シャンもハイファに従うように立ち上がり、荷台に向かうハイファを追った。
「リン、それでどうするの?」
箱の配置が少し変わった荷台に乗りこんだハイファが尋ねると、リンは右手を揺らして手招きした。
「ハイファはこっち。ペックに乗ってもらうわ」
「……? わかった」
ハイファは言われるがまま、リンの手助けを受けながらペックの鞍に乗る。
「ちょっと待っててね」
ハイファと代わるように荷台の中に入り込んだリンは、ハイファからも見えないようにほろを閉めきった。
「さーて、じっとしてなさいよー」
リンがほろの奥でそう言ってから、ガタガタ、ゴトゴトと物音だけが聞こえる。
中で何が起こっているのか全く見当がつかない。
少しすると音も収まり、ペックに乗ったままのハイファの前に、やりきった顔のリンが現れた。
「はー疲れた! でも、なんとかなったわ」
ハイファを前に動かしてから軽やかにペックに乗ったリンが手綱を握る。
「リン、シャンはどうしたの?」
「町に入ったあとで教えてあげる。さ、出発よ!」
妙にもったいつけたリンに首をかしげつつ、ハイファはペックから落ちないように鞍の縁に掴まった。
ご覧いただき、ありがとうございました!
更新は明日です!
少しでも続きが気になる、面白いと思っていただけましたら、ブクマ、評価の方をよろしくお願いします!
感想も随時受け付けております!