3-17 正しき決意
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「ぐ……おぉがああああっ! があああぁぁぁああっ!」
肉の焼けるような音とともに、岩に囲まれた空間に響く絶叫。
尾が抜けて地面に転がったアレンの腹に開いた風穴が、黒く溶けながら煙を吐いていた。
「アレンさん!」
その叫び声で我に返ったエルトは、未だに光に包まれているシィクの背中が、ごぼごぼと膨れ上がっているのを見た。
「あれは……」
直後にエルトの顔が再び戦慄に染まる。
シィクの背中を内側から突き破り、巨大な蠍の形をした黒い泥が、聖なる魔力を浴びたことで現れたのだ。
「そんな……あんなのもう、魔獣と変わらないじゃないか……!」
エルトの言葉の通り、背中を裂かれても虚ろな顔つきのままのシィクと繋がるそれは、もはやスコーピオンですらない、シィクの身体に寄生した名もなき魔獣である。
しかし、エルトは同時に気づいた。それまで濁りきって見えていなかったシィクの中で渦巻く魔力の流れが、あの尾を起点としている。
「脚じゃない……。あの尾が獣骸装なんだ……!」
ただ、それがわかったところで、どうしようもない。
「だけど、あの状態じゃあ、シィクさんは……」
救えない、頭に浮かんだ言葉に膝を折りそうになる。だが、エルトにはまだやることが残っていた。
「アレンさん……! 助けないと!」
エルトが動き出すのと、魔獣態となったシィクが光の戒めから解放され、倒れ伏したアレンに尾の先を合わるのはほぼ同時だった。
(詠唱破棄の防御魔法――ダメだ! 間に合わない……!)
エルトの背中に冷たい汗が流れる。だが、毒の刃はすでに動き出している。一瞬の時が引き伸びる感覚に、エルトは思わず目をつぶった。
「だめぇっ!」
悲痛な声と、轟音。
ほんの数秒前までシィクの立っていた地面は、落とした鏡のように砕かれていた。
「ハイファさん⁉」
アレンを守るように、異形の腕を顕現させた少女が立つ。
リンが止める間もなく。ハイファは飛び出していたのだ。
「ハイファ……お、まえ……!」
苦痛に苛まれながら、アレンが霞む視界でその背を睨む。
「こんなの……こんなの間違ってる! 大事な人と戦わなくちゃいけないなんて、殺そうとするなんて!」
ハイファの叫びは、アレンではなくシィクに向けたもの。しかし、シィクはなんの反応も示さず、その背中でつながる魔獣が新たな獲物を前に鋏を鳴らすだけだ。
「ハイファさん!」
ハイファの横へ駆けつけたエルトが、錫杖の先をシィクに向けたまま呼びかける。
「ごめん、エルト。ごめんなさい……」
謝罪の言葉を口にするハイファは、でも、と続けて拳を握った。
「私には、できるから。やらなくちゃいけない……。ううん、やらせてほしい!」
本当は、来てほしくはなかった。
エルトはそう言おうと吸った空気を圧し潰し、静かに吐き出した。
ハイファの瞳に宿る決意が、正しいと思えたから。
「……わかりました。僕たちでシィクさんを、シィクさんを苦しめるあの魔獣を討ちましょう!」
「うん……! 一緒に!」
光と闇。相反する二つの力を持つ少年と少女が、ここに並び立つ。
ハイファとエルトを見下ろしながら、魔獣がシィクの脚を動かして突進する。
二人は真正面から迎え撃つ選択を取った。
「ハイファさん! 尾を狙ってください! あの尾がシィクさんの獣骸装です!」
「わかった!」
ハイファの跳躍に合わせ、魔獣も地面を蹴る。
激突する異形の脚と拳。生身であっても極限に硬質化した二つの黒は、激しく火花を散らした。
しかし、魔獣にはまだ武器が残っている。
ハイファの顔面を目掛けて伸びる毒蠍の尾。ハイファは空いていた左手でシィクの右脚を掴み、そこを起点にして髪の毛一本分の至近距離で尾を躱す。
そして、シィクの両肩に足を乗せた。正面には、無防備を晒す蠍の魔獣。
「やぁっ!」
重たい衝撃音が洞窟を揺らす。
ハイファの一撃は――、届かなかった。
「う……⁉」
十字に交差させた鋏が盾の代わりとなり、ハイファの拳を受け止めたのだ。
「ハイファさん! 離れて!」
下から聞こえた声に反応してシィクの肩を飛び降りる。落下するハイファの横を、魔獣に向けて放たれた無数の光の弾丸が滑っていく。
着弾と同時に炸裂し、空中に煙の塊が浮かんだ。
「すごい……」
息を飲んだハイファの真下に半透明の光の板が現れた。エルトが用意したと直感し、そこへ着地する。
わずかに痺れる感覚があったが、即座に再びの跳躍に臨んだハイファには気にする間もなかった。
煙の中から、吼え猛る魔獣が飛び出す。
待っていたのは今度こそ必中の間合いに構えられた異形の拳だった。
「これならっ!」
振り抜かれる拳。シィクの背中から生える魔獣の胴体の上半分が粉砕されるのを、ハイファは手応えから確信する。
「危ない!」
エルトの叫びの意味をハイファが理解したのは、横から迫る尾を視認できた瞬間だった。受け止めた右腕に、鈍い痛みが走る。
「あう……っ!」
刺突ではなく切り払いであったため、毒の影響はなかったが、少女の身体は背中から地面に落ちてしまう。
「は、ハイファさん!」
無事では済まなそうな落ち方をしたハイファに、エルトの顔が蒼白となる。
だが、ハイファはすぐに起き上がってエルトの横に立った。
「大丈夫……! まだ、やれるよ!」
怪我のないこともそうだが、ハイファから戦う意思が消えていないことにもエルトは驚いた。けれどそれを口にして伝える余裕もない。
地面に降りた魔獣が、失った箇所を補うように、断面から新たな胴体を生やしたのだ。
「再生⁉ あんなことまでできるんですか⁉」
エルトはその光景に、かつてラティアとともに行ったスライムの討伐任務を思い出した。
ハイファに殴られる直前の姿に戻った魔獣が、シィクの身体を使って二人へ迫る。
エルトには脚が、ハイファには尾が、それぞれに狙いを定めて襲い掛かる。
「これじゃあ、シィクを助けられない……!」
ハイファの剛腕でも、再生されてしまえば意味はない。有効な攻撃手段を二人はすぐには見つけられずにいた。
繰り広げられる戦いの後方に、動く影が一つ。手負いとなったシャッドたちが止める間も無く、アレンの救援に向かったリンである。
「二人が頑張ってるのに、私だけ何もしないわけにはいかないわよね……!」
戦闘をハイファとエルトに引き継がれたことで、地面に倒れたままになっていたアレンのもとへ、リンが音を殺しながら滑り込んだ。
「アレン!」
「お前まで、来やがったのか……」
荒い呼吸のまま、辛うじて呆れているとわかる声を絞り出すアレンの腹部は、赤と黒、そして濃い紫が無秩序に散乱している。
加えて鼻をつく異臭。毒に侵された肉体が腐敗を始めている証拠だ。
「待ってて。今、回復魔法のスペルシートを――」
「そんなもんが……効くかよ……っ!」
「でも!」
「肩……借りるぞ……」
リンの肩を支えにして、よろめきながら立ち上がたるアレン。その足元に淀んだ色の血と溶けた肉片が落ちた。
「なんとなく……こうなるんじゃないかと、思ってたんだ……。あのクソ女が、まともなわけが、ないからな……!」
「まだ戦うつもり⁉︎ 無茶よ! 立つのもやっとじゃない!」
アレンの意志がそうさせるのか、異形の脚はまだ維持されている。それでもリンには彼が戦えるようには見えなかった。
満身創痍のまま、アレンは一歩、また一歩と前に進む。
「シィクを助けるのは、俺だ……。これだけは……他の誰でも、ない……! 俺がやらなくちゃいけないんだよ……っ!」
その身体には穴が開き、その命は今にも潰えてしまいそうなのに、男の目は何も諦めてはいなかった。
「……ハイファ!」
叫ぶようなその呼び声に、ハイファが振り向く。
一瞬遅れてハイファと同じ方向を見たエルトも、その光景に目を見張った。
「あんな身体でなにを⁉」
「アレン……」
言葉はなくとも不安のこもる眼差しを向けるハイファに、アレンは薄く笑う。
「本当は、ジジイと一緒に、もっとしっかり教えてやりたかったが……。悪いな」
アレンの脚から闇色の魔力が噴き出し、巻き上がる渦となってアレンを包みこんでいく。それと同時に、彼の髪が焼け残る灰のように色を変えた。
「見せてやる。――龍骸装の本当の使い方を!」
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