3-7 龍姫物語
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エノに連れられてリンたちがやって来たのは、集落で最も大きな平家づくりの屋敷だった。
玄関で出迎えてくれたエノの祖母に屋敷の奥の一室へ案内されると、一人の老人が待っていた。
「よくぞ参られた、お客人。私はザルシ。この集落の長をしている。どうやら、龍の魔峰について聞いて回っているそうだが……」
「ああ。そうだ」
リンが答えるより先に、アレンが前に出る。
「何を知っているのか聞かせてもらおうか」
「ちょっとアレン、いきなり失礼でしょ」
最短距離で話を進めようとするアレンを諫め、リンはザルシに顔を向けた。
「ごめんなさい。私たち、どうしても龍の魔峰ってところに行かなくちゃいけないの」
ザルシは頷き、一行の顔を見て語り出す。
「龍の魔峰は、この世界とは隔絶された空間に存在している。こちら側から行くことはほぼ不可能だ」
「そ、そんな!」
「だが、方法がないわけではない」
ザルシが傍らに置いていた木箱をリンたちの前に押す。エルトが手を伸ばし、箱を開けた。
「これは……本、でしょうか?」
色褪せた表紙を捲ったエルトの横から覗き込んだハイファは、すぐに自分には読めそうにないと直感した。
「エルト、なんて書いてあるの?」
パラパラと本をめくるエルトは、次第に怪訝な顔つきになっていく。
「ぜ、全然読めません……。この本、僕の知ってる言語で書かれてないですよ」
「無理もない。その書物はどの言語にも当てはまらない文字で書かれている。解読できる者がいるかどうか……」
「誰にも読めない文字……」
「いつか龍の魔峰についてこの集落へ尋ねて来る者にその本を渡すよう、ある者から頼まれている。それが君たちなのだろうな。その本は、龍の魔峰へ君たちを導く鍵だ。どう使うかまでは知らないがな」
「その友人とやらはまさか、ジジイ……ガリ・シャッドか?」
険しい表情のアレンが問うが、ザルシは小さく首を振った。
「答えかねる。彼は、名も聞かぬうちに私の前から去ってしまった」
返事に納得がいかず、アレンは眉間の皺を深くする。
「そんな得体の知れないやつからの頼みを、律義に守っていたのか?」
呆れ顔を作るアレンを尻目に、未知の言語で記された書物に行商としての興味を惹かれ、リンは好奇心を口にした。
「この本、いったいどんな内容なの? あなたは読めるんでしょう?」
瞳の光をわずかに揺らして、老人は額に右手をやった。
「生憎だが、私もさっぱりでな。だが、彼から大まかな内容は聞き及んでいる。種を越えて愛を成そうとした、ある女の戦いの物語。本の名は、そう……」
思い出すかのように虚空に投げた視線が、再び一同に向けられた、
「――龍姫物語」
「えっ⁉︎」
直後に、リンの目が驚きとともに大きく開かれた。
「リン? どうしたの?」
「……ハイファ、あなたとシャンの名前、おじいさんから聞いたお話から取ったこと、覚えてる?」
「うん。覚えてるよ」
「そのお話の題名も、龍姫物語なの」
リンが驚いた意味を理解して、ハイファはザルシのあまり表情が読めない顔を見た。さらにリンは続ける。
「でも、こんなに分厚い本になるような内容だったかしら……?」
「おそらく、君が知っているのは伝わっていく途中で形が変わったものなのだろう。この本はその原典だ。ふむ、面白い偶然だな」
言う割りには鉄面皮のザルシは淡々と分析して、続く言葉を紡いだ。
「ともかく、それは君たちのものだ。どう使うかはわからないが、持っているといい」
「は、はあ……」
あいまいな返事しかできなかったエルトが、ひとまず本が入っていた箱の蓋を戻す。ザルシはそれでこの話は終わりとばかりに自分の膝を軽く叩いた。
「さて、話は変わるのだが、よければ今夜の宴の席に加わってもらえないか?」
「宴って、結婚のお祝いの?」
リンは外で行われていた祝いの宴の準備を思い出した。
「でも、いいの? 私たち、ついさっき来たばかりよ?」
「遠慮することはない。ろくな歓迎もできなかったせめてもの詫びだ」
「……だそうよ。みんな、どうする?」
リンに話を振られて、エルトは温和に笑った。
「僕はみなさんに合わせます。ハイファさんはどうです?」
「わ、私も――」
言いかけたところで、音もなくアレンが腰を上げた。
「悪いが、参加するならお前たちだけにしろ。俺は外させてもらう」
ぶっきらぼうに、反論の余地を与えず、アレンは部屋を去っていく。
「あ、アレンっ? もう、どうしたってのよ……」
アレンの考えが読めず、困り顔になるリン。けれど、言葉を喉奥に残していたハイファは、去り際に見えたアレンの目が、昨夜の川辺で見たものに酷く似ているように思えて、捨て置くことができなかった。
「……っ」
ハイファはおもむろに立ち上がり、アレンの後を追いかけて部屋を飛び出した。
「アレン!」
部屋と曲がり角の中間地点にいたアレンが足を止める。
「なんだ?」
「どうして、一人になろうとするの?」
その問いかけに、アレンはハイファと正面から向かい合った。
「昨日もそうだった。どこか遠くを見ていて、寂しそうで、なのに一人で……」
「ハハ。よく見てくれてるんだな、俺のこと」
おどけた調子で言ってみたが、ハイファの表情は真剣だった。
それがアレンをいよいよ困らせる。
「はあ……。俺が一人になっちゃいけないのか? 俺は別にお前たちと仲良しごっこがしたいわけじゃない。言うなら仕事の関係だ。わかるか?」
身をかがめてハイファと目線を合わせたアレンが言い諭す。
「でも、自分から一人になるのは……辛いよ」
ハイファの目がわずかに揺らぐ。
少女の心は、自分から選ぶ孤独の痛みを知っていた。
「あのな……ん?」
ふと、アレンは気配を感じて振り返る。
「あ……」
曲がり角からこちらを覗いていたエノと視線がぶつかった。
エノは自分の倍近い身の丈の男を前に、勇気を出して躍り出る。
「お話、聞こえました。お、お願いします。今日のお祝い、出てくれませんか? お姉ちゃんも、きっと人が多い方が嬉しいから、ずっと楽しみにしてたから……」
「おいおい、だから俺は……」
言いかけて、アレンはエノの瞳が潤んでいるのに気づく。
前後から二人の少女から無言で見つめられ、自分の状況を客観視したアレンは言葉に窮してしまう。
「……まいったな。これじゃあ、俺が悪者みたいだ」
観念したようにため息をつき、アレンは折れた。
「わかったよ。俺の負けだ。出りゃいいんだろ。出りゃあ」
そう言った途端、エノの表情が華やいだ。
ほっと身体の緊張を解いたハイファは、身体を傾けてこちらを見てきたエノに、自然と小さな笑みをこぼすのだった
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