1-5 あなたの名前
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荷台に戻った三人は、明日の出発に備えて身体を休めることにした。
だが、荷台の上は重苦しい沈黙に支配され、誰も口を動かさずにいる。
コートを毛布代わりにするリンに抱かれるようにしていた少女は沈みきった表情で、置かれたランタンに照らされる足元の木目をぼんやりと眺めている。
「……………」
少女は、いよいよ自分という存在がわからなくなっていた。
目を覚ませば記憶はなく、不気味な大男がそばにいて、魔獣に襲われれば右腕は姿を変えた。
目覚める前の自分はいったいどんな人間だったのか。それを考えるだけで、胸が苦しくなり、背中に冷たい恐怖が走る。
「どうしたの?」
震えそうになる身体をきつく抱いた少女の怯えを感じ取ったのか、リンが穏やかな声音で話しかけた。
「まだ怖い? 大丈夫よ。彼が出した消えない黄色の煙が荷台の周りを囲んでるし」
リンが正面に座っている大男へ顔を向ける。荷台に上がる少し前、大男は背中の管から黄色の煙を噴き出した。その煙はまるで意思を持つかのように動き、ぐるりと荷台の周囲を取り囲んだのだ。
「近づいたペックが嫌がってたから、きっと魔獣除けの類よ。意外と気が利くわよね」
「違う……。そうじゃない。そうじゃないの」
会話のきっかけを手に入れて話し続けるリンに、少女は沈んだ声音で告げる。
「怖いのは、私のこと。リンだって、私が怖いはず」
このまま拒絶されてもおかしくないと、少女は思い込んでいた。
「いいえ。怖くなんてないわ」
けれど、少女の予想は裏切られる。
「だって、あなたは優しいもの」
「優しい?」
「さっきの腕はそりゃあ驚きはしたけど、あなたも驚いて、怖がって、大泣きして、こうして落ち込んでる」
「う……」
「それで十分じゃない。自分の力に酔うんじゃなくて、怖がることができる。それだけあなたは優しいってこと。だから、私はあなたが怖くない」
諭すように言ったリンが服の上から少女の腕、繋ぎ目のような傷跡を撫でる。
「……よくわからない」
「わからないなら、それでいいのよ」
苦笑したリンは、さらに続けた。
「ねえ、さっき話そうとしたことなんだけど」
リンは空いていた少女の手に自分の手を重ねた。
「あなたたちの名前、決めようと思うの」
「名前?」
「ずっとあなたって呼ぶのも、なにかと不便でしょ。ご飯食べてるときに決めちゃいたかったんだけど、さっきのことですっかり忘れてた。けど、おかげでいいのを思いついたわ」
リンは少女を抱いたまま、「こんなおとぎ話があるわ」と語りだした。
「人と龍が平和に暮らす小さな国に、強大な魔獣が攻めてきて、その国を支配しようとするの。その魔獣を龍と一緒に魔獣を退治したのが、その国のお姫様――龍姫ハイファ」
「ハイファ……」
「さっきのあれを見たら、ビビッっとね」
リンは少女の反応を待つように少女に顔を寄せた。
「どうかしら? 響きは悪くないと思うんだけど」
どう、と言われても少女には何も答えられなかった。だが、響きは確かに悪くない。
「じゃあ、それで」
「うんうん! 今からあなたの名前はハイファね!」
満面の笑みを浮かべたリンは、再び顔を上げた。
「で、今度はあなたなんだけど」
大男に話を振ったリンは、返事を待つことをせずに話を進めていく。
「ハイファには、一緒に魔獣と戦った相棒の龍がいるの。名前はシャン。お話の中だと勇敢な龍なのよ」
リンがつらつらと説明するが、大男は無反応だ。
「うん! もう面倒だから問答無用であなたの名前はシャンに決定ね!」
ビシッと指さしたリンに、大男に代わって少女――ハイファが礼を言った。
「ありがとう。ちょっとだけど、気持ちが軽くなった」
「本当⁉ よかった! ずっと落ち込んでたから、心配だったのよ」
頭を撫でてくれたリンの手の感触と、包み込む温もりが、とても落ち着く。
「……なんだか……眠い……」
少女の声がしぼむように小さくなっていく。同調するように、少女の瞼も低く上下していた。
「疲れたのよ。そろそろ明かりを消すわね」
そう言ってリンが置いてあったランタンの火を消したことで、荷台は途端に夜の闇に同化する。リンはその中で、抱いていたハイファの鼓動を感じた。
「ねえ、リン。明日には街に着く……?」
「そうね。着いたら、ちゃんとしたご飯を食べましょ。あ、お風呂も外せないか。新しい服も調達しないといけないわね。袖、破れちゃったし。ふふふ、やることがいっぱい」
「嬉しそう、だね……」
「まあね。さ、寝ましょうか。……おやすみなさい。ハイファ」
「うん……。おや……す……み……」
記憶も失い、身体が異形になっても、受け入れ、名前を与えてくれる人がいる。
その事実に安堵して、ハイファは意識を静かに手放した。
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