2-40 旅立ちに祈りを
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今回で第2章が完結です。
遺跡近くに建つ石造りの小屋。
倉庫代わりに使われているそこに、ゼモンは後ろ手に縛られた状態で閉じ込められていた。
「なんとか、なんとかして、ここを出なければ……」
縄を解くために身じろぎするゼモンの顔は、焦燥に駆られている。
『お前の目的なんぞどうでもいい。次に俺がここに来たときが、お前の最期だ』
ここに放り入れられた時に見たレイバの冷たい視線は、本気だった。
「ここにいては間違いなく殺される……!」
右腕の負傷は応急処置を施されているが、まともに動かすことはできず、ゼモン自身が魔法に明るいわけでもないため、魔法を使った逃亡も不可能。
しかし、ここに閉じ込められたのは僥倖であった。拘束さえ解けば脱出に役立ちそうな道具は散見できる。
「こんなところで死ぬのはごめんだ……!」
ついに縄がほどける。同時に、唯一の出入り口である扉が重たい音と共に開いた。
見上げたゼモンは、その者がレイバでないことだけは理解できた。
「だ、誰だ!」
「……お前に聞きたいことがある」
名乗らずに言い放ったのは、アレンであった。
「この村の者ではないな。あの娘どもの仲間か!」
手負いの獣のように吠えるゼモンに、アレンはため息をつく。
「質問してるのはこっちなんだがな……」
アレンが取り出したのは、一枚のスペルシート。小さな魔石を押し当てると、魔法陣が輝き、陣の中から何かが転がり出た。
二人の間に転がったのは、チャフだった魔獣がハイファの最後の一撃を受けた後に残った肉塊。
「龍骸装……⁉」
「これを、どこで手に入れた」
アレンの問いにゼモンは顔を逸らした。
「ふん、見くびるな。誰が言うか」
「……そうか」
アレンは無表情のまましゃがみこむと、ゼモンの右腕を掴んだ。
「ぎゃああっ⁉ や、やめろぉっ!」
アレンはもがくゼモンを頑なに放さず、淡々と続けた。
「自分の立場がわかってないみたいだな。このまま、この腕を握り潰してやろうか?」
ゼモンの腕の包帯の下から、赤い色が滲み始める。
「言っとくが、俺はあいつらみたいに甘くはないぞ」
「わ、わかった! 言う! 龍瞳教団の女神官だ! それを使って、最強の魔獣を作り出せと言われた!」
「なるほど」
アレンの手から力を抜ける。
だが、すぐにまたゼモンの腕を握りしめた。
「があああっ⁉」
「その女神官から、理由は聞いたか?」
「し、知らん! リューゲルの国王ヴァルマ様の命令だとしか言っていなかった!」
「……ふむ」
今度こそ、アレンは手を放す。
肉塊を拾って立ち上がり、脂汗を浮かべて荒い呼吸を繰り返すゼモンを一瞥すると、外套を翻して扉の方へ歩き出した。
「俺の用は済んだ。あとは、好きにしろ」
まるで誰かに言うような発言に、ゼモンは誰がいるのかを確かめようと顔を上げる。
「な……!」
ゼモンの目が驚愕によって大きく開く。
「……………」
異形の大男。シャンである。
仮面によって表情は読み取れない。ただ、そこに立っているだけ。
だが、ゼモンの本能が警鐘を鳴らしていた。
――これは、『死』だ。
全身から冷たい汗が吹き出し、苦悶していたはずの痛みさえ、恐怖に掻き消される。
「た、頼む! 助けてくれっ!」
まだ留まっていたアレンに懇願する。しかし、アレンは振り向きさえしない。
「諦めな。こいつに手を出した時点で、お前は終わりだ。たとえ、あの女に誑かされたからだとしてもな」
シャンの背から、紫の煙が溢れ、ゼモンに纏わりついてく。
「あ、ああ……?」
煙は濃さと量を増し、ゼモンを完全に包み込み、そして――。
鮮血が爆ぜた。
煙がシャンに吸い込まれ、中からゼモンが吐き出される。
しかし、彼の右腕と心臓は、削り取られたように消えていた。
小屋の中が、アレンとシャンだけになる。
「……ああいう死に方だけは、したくないな」
ゼモンの最期を見たアレンは渋面を作った。
「……………」
シャンがアレンに振り返る。だが、返事をするためではない。そのことはアレンもわかっていた。
「悪いな。おあずけをくらわせて。ほらよ」
肉塊をシャンの足元に滑らせると、シャンは背中の管から黒煙を吐き出した。
黒煙はまるで意思があるかのように肉塊へと伸び、触れる。
だが、黒煙はそれだけで、肉塊を包み込まずに霧散してしまう。
「どうした? いらないのか?」
アレンが声をかけるが、シャンは何も言わず、煙となって消えた。
またしても取り残されてしまったアレンは、つまらなそうに嵌め殺しの窓の外へと視線を投げた。
「どうやら嫌われてるな、こりゃ」
※※※
太陽が空の一番高い位置に上ったころ。
トレリアとは反対側の山道に続く、村の門の前。
「これでよし、と」
ペックに乗せた鞍の留め具を確認したリンは、腰を捻って顔を後ろに向けた。
「あなたについていけば、その龍の魔峰っていう場所に行けるのね?」
「ああ」
木に背を預けて準備が終わるのを待っていたアレンは、短く答えた。
「しかし、本当に信じるのか? 俺の言葉を」
アレンはシャンによるゼモンへの粛清を見届けたあと、ハイファたちの部屋へと戻り、改めて自己紹介をした。
自分はある目的のために、ハイファと同じく龍骸装を持つ者。
そして、ハイファとシャンを龍の魔峰へと連れてくるよう、ガリ・シャッドという人物から遣わされた者だ。と。
「自分で言うのもなんだが、怪しいだろ、俺。一戦交えるのも覚悟の上で来たんだが」
「あなたを信用しきったわけじゃないわ。でも……」
「リン、積み荷の固定、終わったよ」
荷台から、ほろを上げたハイファが顔を覗かせた。振った腕の付け袖が空気を掴んで、ふわりと膨らむ。
「あの子が行くと言ったなら、連れて行ってあげたいの。ありがとう! すぐに出発するから、中で待ってて!」
ハイファはリンの言葉に従って、荷台の中に引っ込む。泣き止んでからのハイファは人が変わったように、とまではいかないが、気丈に振る舞っていた。
アレンの『すべては龍の魔峰で話す』という言葉を警戒するリンに、ハイファはそこへ向かうことを提案した。その時は自嘲気味に笑っていたアレンさえ、目を丸くしたものだった。
「来てくれるに越したことはないが、あの子は、無理をしてるんじゃないのか?」
「……多分ね。本当はまだ、自分を許せていないはずよ」
「だったら、なぜだ? この村にいても、辛いだけだからか?」
「それもあるだろうけど、あなたが行くべき場所を示したからだと、私は思うわ」
「俺が?」
「立ち止まって泣いているより、涙を拭いて進むことを選んだのよ。ハイファは」
「……そうかい。見上げた根性だ」
「リンさん」
聞こえた声に振り向く。星皇教会の大司教とその弟子だった。
「ラティア。見送りに来てくれたの?」
「間に合って良かった。もう、行ってしまわれるのですね?」
「ええ。レイバたちに気を使わせても悪いしね」
「お二人から、リンさんたちによろしくと伝えるよう言われました。私からも、お礼を言わせてください。本当に、ありがとうございました」
「こっちこそ、ラティアがいなかったら危なかったわ」
頷いたラティアは懐から筒状に丸めた一枚の紙を取り出し、リンに差し出す。
「リンさん、これを」
受け取ったリンは紙を開いて眉を上げた。
「これって、スペルシート?」
「はい。エルトから聞きました。助力の報酬に、あなたが私の魔法を封じこめたスペルシートを要求していたと」
「え? ……ああ! 確かにそんなこと言ったわね。すっかり忘れてたわ」
リンはこの村に来るまでの道中でエルトと会話した内容を思い出した。
「でもこれ、いつの間に用意したの? 私、白紙のスペルシートを渡した覚えがないんだけど」
「村の方のご厚意で、白紙のものを譲っていただきました」
「そういうことね。ありがたく受け取らせてもらうわ。ちなみに、どんな魔法を?」
「《エク・ル・パルジア》。星皇教会において魔を退けるための魔法です」
「へえ、なんかすごそうね!」
「あ、でも不用意に魔石に触れさせないでくださいね」
「え?」
「この魔法は、大群で押し寄せる害的な魔獣を掃討するための強力な魔力放射です。うっかり使うと、大変なことになりますよ」
リンの肩越しに覗き込んだアレンは、見たことのない複雑な魔法陣が刻まれているスペルシートに目を疑った。
「……それ、かなり危険なんじゃないか? 所有者が」
「注意していれば問題ありませんよ」
ラティアは善意しかない笑みを浮かべる。
「あ、ありがとう。大事にするわね」
リンは顔を引きつらせて、収集家に売りつけるにはあまりに危険なスペルシートを再び丸めた。
「はい。あとは……」
ラティアの目が、隣に立つエルトに向けられた。
「あ、あのっ! リンさん!」
黙っていたエルトがリンの名を呼んだ。
「エルト? どうしたの、いきなり」
「リンさんに、お願いがあります」
「お願い?」
大きく息を吸ったエルトは、声を張り上げた。
「僕を、みなさんの旅に加えてはもらえませんか!」
「え……⁉」
驚くリンを前に、エルトはさらに言葉を重ねた。
「僕は、短い間でも、みなさんと行動を共にして、得難い経験をしました! みなさんにお会いして、みなさんを知って、みなさんの旅を、最後まで見届けたいと思いました! だから……!」
「ちょ、ちょっと待って待って!」
リンはまくし立てるエルトを手で制して、彼の師匠を見た。
「これ、止めなくていいの? 星皇教会的に。私たち、これから邪教がらみの話に首を突っ込むことになるのよ?」
だが、ラティアは笑みを消さなかった。
「修行の一環ということにしましょう。なにより、怖がりで引っ込み思案だった弟子が自分で決めたことです。師としては応援してあげたいのですが、いかがでしょう。ご迷惑なら、私から言って聞かせますが……」
「えっと……?」
アレンはリンに視線を向けられ、どうでもよさそうに答えた。
「俺は別に構わないぜ。ジジイにはあの二人を連れてくるように言われただけだからな。付き添いが何人いようが問題ないさ」
「そ、そうなのね」
「エルトも、一緒に来てくれるの?」
荷台から、さきほどと同じようにハイファが顔を出していた。エルトの声量からして、聞こえてない方が不自然だろう。
「ハイファはどう思う? エルトはそうしたいみたいなんだけど……」
「うん。いいと思う。一緒だと、嬉しい」
ハイファも、エルトを歓迎している。
残るはリンだけ。エルトがまっすぐ、緊張した顔つきで見つめてくる。
だが、リンの答えは初めから決まっていた。
「……わかったわ。でも、いろいろ手伝ってもらうから、そのつもりでね?」
「……! はいっ!」
エルトの表情が一瞬の歓喜のあと、真剣なものに変わる。
「じゃあ、ラティア、そういうわけだから、あなたのお弟子さん、預かるわね」
「よろしくお願いします。エルト、リンさんの言うことを、ちゃんと聞くのですよ」
「はい、師匠! 行ってまいります!」
ラティアに向けて深々と一礼すると、エルトは荷台へと乗り込んだ。
「さて、アレンだったわね。待たせてごめんなさい。行きましょうか」
「ああ。道案内は任せろ」
アレンを先導に、リンが跨ったペックが荷台を引き、轍を作る。
微笑みと共に一行を見送るラティア。やがて、荷台が見えなくなる。
「……………」
その顔から微笑みが消え、目に鋭い光が宿った。
「龍の魔峰……ハイファ……。どこかで、聞いたことがあるような……」
思案するラティアは、アレンの話を聞いた時から、密かに妙な胸騒ぎを感じていた。
「……ですが、今は彼女たちの道行きの無事を祈りましょう」
ラティアは両手を組み、偉大なる自らの主に願った。
「偉大なる我らが主よ、どうか、彼の者たちに祝福を。彼の者たちの旅路に、幸福な結末をお与えください」
祈りは風にほどけ、空高く舞い上がる。
そのどこまでも広がる青い空に、山道を進むリンの荷台を監視する一対の瞳があることを、地上の何人も知ることはなかった。
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更新は明日、第3章のスタートです!
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