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2-39 慟哭の夜明け

お越しいただきありがとうございます!

 少年は、逃げていた。

 森の木々の間を抜けながら、息せき切って、ひたすら前へ走っていた。

 振り返ると、全身が毛で覆われ異様に腕の長い魔獣が、目を赤く光らせながら追いかけてきている。

 それも一体ではない。複数の魔獣が、少年を追い詰めている。

 足が木の根にとられ、少年は地面に転がった。


 起き上がった少年が見たのは、一斉に飛びかかってくる魔獣たち。

 喰われる。

 そう思った時、少年の視界を光が埋め尽くした。

 光は、魔獣を掻き消し、少年を包む闇を払いのけた。

 呆然と光を見つめる少年の前に、女性の姿がひとつ。

 差し伸べられたその手を取った時、少年は、自らの運命を選んだのだ。


 ※※※


「……う」


 目を閉じたままでも感じる光に、意識が混沌から浮かび上がる。

 横たわる全身を包み込む温もりに、エルトは覚えがあった。

 いつかの修行の折に魔力切れを起こして倒れ、その時もこうしてラティアから魔力を……。

 そこまで思考して、静かに目を開ける。

 ぼやけた視界が定まり、視線を左に動かすと、自分を見下ろしている顔を認識した。


「師匠……」


 吐息とともに零れる声。


「はい。私ですよ。エルト」


 朝日に髪を煌めかせ、ラティアは微笑んだ。


「しっ、師匠⁉」


 飛び起きたエルトはベッドの上に座り、ラティアを真正面からまじまじと見つめる。


「本当だ。ほんとうに、師匠だ……っ!」


 笑顔を作ろうとしても、目から熱い水が溢れてくる。息が、うまく吸えない。


「よかっ、よかった……! ご無事だったのですね!」

「ええ。ですが……」


 ラティアはエルトの額を指で軽く小突いた。


「あいたっ」

「あなたは、かなりの無茶をしたようですね。聞きましたよ。一人で私を探して神殿を飛び出すなんて」

「す、すみませんでした。ですが、いてもたってもいられなくて、僕……」


 しょげ返るエルト。ラティアはそんなエルトの頭を撫でた。


「よいのです。わかっていますよ。リンさんやレイバさんからも、あなたを叱らないように言われていますが、私にもそんなつもりはありません」

「師匠……!」

「よく頑張りましたね。助けに来てくれて、ありがとうございます」


 その言葉で、自分のこれまでは報われたと、エルトは迷わずそう思えた。

 しかし、まだ気がかりがある。


「師匠、ハイファさんはっ?」

「あの少女なら、隣の部屋ですよ。あちらも気がついたようですが、なにやら泣き声のようなものが聞こえてきました」

「ありがとうございます!」


 早口に言って、ベッドを降りようとしたエルトは、手を滑らせてずり落ちそうになった。


「エルトッ!」


 すんでのところでラティアが腕を伸ばし、エルトを支えた。


「どうしたのですか? 起きたばかりでそんな……」


 汗を滲ませ、ふらつきながら、それでも進もうとするエルトの目は、ただ前を見ていた。


「行かなくちゃ……! ハイファさんのところへ!」


 哀しそうに笑った、あの少女に伝えるために。


 ※※※


 空も大地も覆っていた夜の色が、昇る朝日に流されて、世界が色を取り戻していく。

 リンは、この光景が好きだった。

 しかし、今はそれを楽しめる気分にはなれない。

 顔を上げれば、無残に半壊した遺跡が窓越しに嫌でも視界に入る。


「あれを、この子が……」


 椅子に座るリンの前には、ベッドの上で眠ったままのハイファ。

 リンの脳裏には自分に襲い掛かったハイファの姿が焼き付いている。

 それでも、ひどく衰弱したハイファの様子からは、とても大破壊の張本人とは思えなかった。


「ハイファ……」


 そっと頬を撫でる。拭いきれていなかった目元の血が、涙のように見えた。


「ねえ、あなたはあれが何か知ってるの?」


 傍らに立つシャンは、黙したまま答えることはない。


「いい加減、何か教えてほしいところなんだけどね」

「――リン?」


 羽音のような、小さな声。それでも確かに聞こえた。

 ぼんやりと目を開けたハイファに、リンの顔がわずかに上気する。


「ハイファ! よかった、気がついたのね!」

「ここは……」

「私たちが借りた部屋よ。何があったか、覚えてる?」


 ハイファは虚空へ視線を投げた。


「リンを探して、エルトたちと……。遺跡に行って、それで……チャフが、魔獣に、なって……!」


 二人の名前を口にした瞬間、ハイファは上体を跳ね起こした。


「リン、エルトはどうなったの? チャフはっ?」

「エルトは無事よ。隣の部屋にいるわ。今はラティアがついてる」

「ラティア?」

「ほら、エルトが探していたお師匠さんよ。遺跡の地下に閉じ込められてたの」


 リンの説明に、ハイファは胸を撫で下ろす。


「よかった。エルト、会えたんだ。それじゃあ、チャフは? どこにいるの?」

「……っ」


 その問いに、リンはすぐに答えることができなかった。


「リン? どうしたの?」


 不安そうに揺れるハイファの瞳が、リンに嘘をつくことを選ばせる。


「……チャフは――」

「死んだよ」


 リンの行為を阻んだのは、聞き慣れない声。

 部屋に入ってきたのは、アレンと名乗る男だった。異形だったはずの脚は、黒い腰履に包まれ、すらりとしたものに変わっていた。


「死ん、だ……?」


 ハイファの表情が困惑に染まる。アレンは感情を殺したような無表情で淡々と事実を述べた。


「ああ。チャフとやらがどんなやつだったかは知らんが、跡形もなく、な」


 突然現れた男に信じ難いことを言われ、ハイファは感情を大きく揺さぶられる。


「うそ……嘘だ! そんなのっ、そんなの嘘……!」

「嘘じゃない。何が起きたか、心当たりはあるんじゃないのか?」


 ハイファは押し黙る。それは、自らの行動を振り返るため。


「……私、じゃ……」


 そして、意識を失う直前を、思い出した。


「私じゃない誰かの声が聞こえて……聞こえて……っ!」


 頭を抱えたハイファの視界が滲んで輪郭を失っていく。


「あ、あぁ……」


 記憶はなくとも、確信があった。


「あああぁぁぁぁ……!」


 ハイファの悲鳴が、尾を引く。


「ハイファ……」


 リンはハイファを抱きしめ、アレンは黙ったままその姿を見守る。ハイファは流れる涙を拭うことなく、自身に向けた怨嗟の声をあげた。


「どうして……! 友達だったのに! 助けたかったのにっ!」


 震える手が、血に染まって見えた。


「なのにっ、私、私はチャフを――!」

「違う!」


 叫んだのはリンではなく、アレンだった。


「お前がやったんじゃない。龍骸装(ドラグファクト)がお前の身体を乗っ取ったんだ!」

「龍骸装が……?」


 しゃくりあげるハイファにアレンは頷き、言い聞かせる。


「お前は龍骸装に飲まれた! それだけだ!」


 さきほどと打って変わった感情的なその様子に驚き、リンは詰め寄るアレンを止めることさえ忘れてしまう。

 アレンは我に返った様子で、短く咳払いをした。


「気にするなとは言わない。だが、自分を責め過ぎるな。龍骸装を持たされた時点で、お前も被害者なんだからな」


 そう言って、アレンは踵を返す。


「ま、待って!」


 リンに呼び止められ、その背中が止まる。


「なんだ」

「……ありがとう。この子のために」


 短い言葉にアレンは薄く笑った。


「別に礼を言われるようなことはしていない。話はまたあとだ」


 アレンが歩き出す。すると、その動きに合わせるようにシャンも同じ方向に進み始めた。


「シャン? ど、どこ行くのよっ」


 無言のシャンの代わりに、アレンが肩越しに返事をした。


「俺とこいつは、少しやることがある」

「やること? っていうか、あなた、シャンと知り合いなの?」

「まあ、そんなところだ」


 シャンを引き連れ、今度こそ部屋から出て行くアレン。それと入れ違いで、レイバとオルネスがやって来た。


「よう、気がついたみたいだな」


 挨拶してくるレイバを見て、リンはハイファを守るように抱き寄せた。


「よせよ。別にハイファをどうこうしようなんて思っちゃいない」

「どうこうできる気も、しませんけどね」


 苦笑する二人は、どちらも満身創痍で、その姿もハイファの罪悪感を苛んだ。


「リンにもさっき話した通り、黒幕はゼモンだ。あいつが自分の獣骸装を使って人を操ってたんだ。俺たちを含めた、村のやつらをな」

「ですが彼の獣骸装は大きく損傷し、もはや使い物になりません。これ以上彼に利用される者は現れないでしょう」


 警戒を解いたリンは、ハイファを抱いたままレイバとオルネスを交互に見た。


「二人はどうするの? 洗脳が解けたなら、ここにいる意味もないんじゃない?」


 レイバは頭に手をやり、小さく肩を上下させた。


「そうもいかないんだよな、これが」


 言うと、隣に立つオルネスに「なあ?」と話を振った。


「この村には、本当に行くあてが無い者が多くいます。彼らのためにも、ここを捨てるわけにはいきません」

「表面上はこれまで通りにやるさ。……ん?」


 レイバはリンの腕の陰から覗くハイファの視線に気づいた。


「ハイファ、頼むからそんな目をしないでくれよ。さっきも言った――」

「……ノイドは?」


 平静を装おうとしていたレイバの顔が強張り、息が詰まる。

 しまったと、レイバ自身が後悔した時にはもう遅い。


「やっぱり、そう、なんだ……」


 ハイファの表情が絶望に歪んだ。


「私は、チャフだけじゃなくて、ノイドも……」


 いてもたってもいられなくなったオルネスが一歩、前に出た。


「ハイファちゃん、あなたは――」

「オルネス、黙ってろ」

「レイバ……⁉」


 オルネスを遮って、レイバが踏み出す。そして、奪い取るようにリンをハイファから剥ぎ取り、その胸ぐらを掴んだ。


「そうだ! 死んじまった! チャフも、ノイドも! 救えたのかもしれない! わかり合えたかもしれない!」

「……!」


 リンもオルネスも、レイバがハイファを弾劾しようとしていると考えていた。


「でもな、あの時の俺たちにはどうすることもできなかった! あのまま戦い続けても、どの道全滅だった! あの状況をひっくり返すなんて、できっこなかったんだよ!」


 しかし、続いた言葉に違和感を覚えた。


「お前がいなかったら、俺たちは()()()()()()()! お前がいたから、俺もオルネスも、リンたちも助かった! 俺はそう考えてる!」

「わた、しが……?」


 ハイファの瞳に、わずかに光が戻る。


「……レイバの言う通りかもしれません」


 レイバの啖呵にオルネスも同調した。


「洗脳が解けたノイドは、ゼモン側に立っていました。チャフも、あの時すでにチャフとしての意識はほとんど失われていた。そんな状況から、この結果に持ち込むことができたのは、ハイファちゃんの存在があってこそです」

「でも、私は……」

「ハイファさん!」


 開いたままだった扉から、ラティアに支えられたエルトが部屋に入ってきた。


「エルト……」

「気がついたのね」


 リンと目が合ったラティアがこくりと頷く。エルトはラティアから離れ、自分の足でハイファに近づいていく。


「チャフさんとノイドさんのことは、残念です。でも、ハイファさんは優しい人だと僕は知っています。あの拳は、僕たちを助けるために使ったことも、わかっています」


 エルトは、ベッドの上に降ろされたハイファの肩に手を乗せた。


「あなたに僕たちは救われたんです。それを、どうか忘れないでください……!」


 ハイファは俯いたまま、エルトの手に自らの手を重ねる。


「レイバ、エルト、みんなも、ありがとう……」


 しかし、ハイファの手はすぐにエルトの手から離れ、力なく垂れた。


「ハイファさん?」

「ありがとう。……だけど、だけど今は……いま、は……っ!」


 一度引いた涙が、また溢れ出す。


「ハイファ」


 静かに動いたリンが、ハイファの背に両手を回して、抱きしめた。


「今の私にはこれくらいしかできない。できないけど、あなたの涙は、私が受け止めるわ。いくらでも、ずっと……」


 リンの鼓動が、とても近くに聞こえる。そこが、ハイファの限界だった。


「う、ぁ、うああぁぁあぁあああぁぁ……!」


 少女の慟哭が、夜明けの世界に木霊する。

 いくら泣いたところで、なかったことにはならない。ハイファ自身がそうわかっていても、嗚咽を止めることはできなかった。

ご覧いただきありがとうございます!


次回更新は明日です!


少しでも続きが気になる、面白いと思っていただけましたら、ブクマ、評価の方をよろしくお願いします!


感想、レビューも随時受け付けております!

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