2-37 降り注ぐ執念
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「ふふふふっ! あはははははっ!」
森全体を震わせる地鳴りのような音と、女の笑い声が夜天に溶けていく。
「いい! いいわっ! あなたはやっぱり最高よ!」
歓喜に濡れた声を飛散させる女神官は、地面を穿つ威力を持ったシャンの拳を華麗に、踊るように躱し、袖の下から伸ばした赤黒い半透明の物質を、鞭のようにしならせて応戦する。
対するシャンは女神官の攻撃に怯む様子もなく、確かな足取りで立ち向かい、女神官を叩き潰そうと幾度となく拳を振るう。
背中の管から吹き出す黒煙は触れたものの命を剥奪し、二人の周囲の木々はすでに枯れ果てた姿を晒していた。
「そんな浅ましい手段でないと攻撃もできない今のあなた、とっても可愛いわ!」
異形の男に向けるにはおよそ相応しくない言葉をかけ、なおも哄笑する女神官。
「さあ! もっと私に見せて! 浴びせて! あなたの全てを感じさせて!」
柔と剛。二つの力のぶつかり合いは、女神官の想像を超える形で終わることになる。
「あなたの怒り! あなたの憎しみ! あなたの愛! あなたが私に向ける思いの全てが、私に――上っ⁉」
認識した瞬間、地面を陥没させるほどの衝撃が森を揺るがした。
「ぐう……っ!」
短く声を漏らし、地面に転がる女神官の身体は、肩口から両断されている。
「……………」
それを冷たい眼差しで見下ろすのは、女神官がコンベル付近の森にて対面した痩せぎすの男だった。
「どうだ。お前が言った通り喰らわせたぞ。一撃を」
男の脚は、黒く禍々しい『闇』を帯びている。
足先は鋭利に尖り、脚全体が巨大な刃と化していた。
「あなたねぇ……!」
仰向けに倒れた女神官の目が激情に染まって男を睨む。
女神官の身体が溶けて赤黒い液状になると、男の足元をすり抜けて再び人の形へと変化した。裸体を晒す女神官の表情に恥じらいはなく、怒りだけがあった。
「ああもう! 本当に無粋! どういう神経してたら私たちの間に割り込めるの⁉」
強く地面を踏みつけた女神官に、男は乾いた笑みを浮かべた。
「ハッ、悪いな。お前に向けるほど上等な神経なぞ、とっくの昔に捨てた」
男はシャンの方へ顔を向け、軽く手を上げた。
「そっちも邪魔したようなら謝るが、そうでもないだろ?」
シャンは男を数秒見ると、すぐに女神官に視線を戻した。
「……あのジジイの言ってた通りだな。さて」
笑みを消した男は、身構えながら女神官へ叫ぶ。
「さあ、教えてもらおうか。シィクはどこにいる!」
女神官は男の問いに短く答える。
「こんなやり方で、答えると思うわけ?」
男のこめかみに血管が浮かび、ジャリ、と脚に力を籠められた。
「なんなら、お前が自分から言いたくなるまでやってもいいんだぜ? むしろ、俺としてはそっちの方が都合がいい……!」
男の眼に殺意が宿る。
「へえ? 泣きながら睨みつけてくるだけだったあなたが、言うようになったわね?」
女神官は薄笑いを浮かべ、男を嘲弄した。
無言の睨み合い。枯れ木の間をすり抜ける風の音だけが鳴る。
「……やめたわ。すっかり萎えちゃった」
肩をすくめて首を横に振った女神官が、漲らせていた殺気を解く。
「それに、今日は彼の顔を見に来ただけだもの。これ以上すると本当にあの子に何言われるかわからないわ」
片手を腰にやって苦笑する女神官に男は怒気を孕んだ声で吠える。
「ふざけるな! 俺はお前を倒してシィクを――!」
「ええ。ええ。わかってるわ」
手をひらひらと振って男の言葉を遮った女神官は、足元から地面に沈んでいく。
「近いうちに会わせてあげる。愛しの奥さんに。ちゃあんと、ね」
「待て! 逃がすかっ!」
駆けだした男は、すでに胸から下が地面に沈んだ女神官に脚を振り下ろす。
「また会いましょう。次は、あなたの腕も一緒がいいわ」
その言葉は男にではなく、シャンへ向けられていた。
その身体が完全に地面に沈んだ直後、男の脚が地面を穿つ。
しかし、女神官の姿はどこにもなく、砕かれた地面が外気に晒されるのみだった。
「チッ……! また逃がしちまった」
つぶやいた男は、シャンに振り返った。
「よう、助かったぜ。お前さんのおかげであの女に一発お見舞いできた」
「……………」
シャンは黙したままだが、その視線が男の異形の脚に向いていることに、男自身も気づいていた。
「やっぱりこいつが気になるか?」
答えの代わりとなる紫の煙がシャンの背中の管から噴き出し、男に殺到する。
「だよな。けど、こいつはまだ渡せない。……ガリ・シャッド!」
叫んだ男が懐から取り出したのは、薄汚れた襤褸切れ。その表面には、古代文字が記されていた。
煙が男の鼻先で止まる。男は襤褸切れを突き出したまま口を動かす。
「覚えてるだろ? お前さんがよく知る名前だ。あのジジイから、伝言を預かってる」
男は眼前に迫る『死』を前に表情を変えることなく言葉を紡いだ。
「『龍の魔峰にて待つ』だとよ」
「……………」
二人の間に静寂が漂い、男がごくりと唾を飲んだ。
やがて、煙がシャンのもとへ引き戻された。男はほっと息を吐き、襤褸切れを懐に戻した。
「信じてくれて何よりだ。ここで死んじまったら、あのジジイを呪い殺してやるとこだったぜ」
軽口を叩いた男は、異形の右脚を左右に振った。
「この脚も事が済んだら返す。必ず。それまでは俺に預けておいてほしい」
男の頼みを聞き入れたのか、シャンは脚から視線を外し、静かに背を向ける。
「待ってくれ。もう一つ伝えておく」
シャンを呼び止めた男は、真剣な表情で自身の後方を親指を立てて示した。
「お前の連れ、なかなかまずい状況になってるみたいだ。収めるなら急いだ方がいい」
男の言葉に反応せず、シャンの身体は紫色の煙に包まれ、そして消えた。
枯れた木々の中に一人になった男は、頭の後ろを掻いた。
「言われるまでもねぇってか。俺も急がないとな」
そう言うと男は地面を蹴り、その場を去った。
夜の森に、静けさが戻る。再生にどれだけの時を要するかわからない傷を負って。
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