2-35 矜持とともに
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地下牢にいたリンは強い振動と、天井から落ちてくる砂つぶに頭上を見やった。
「な、なに? 地震?」
「いえ、地震にしては断続的です。地上で何かが起きているようですね」
未だ枷が外れないラティアは冷静に分析するが、顔色はリンと会ったときよりもさらに衰弱していた。
「まずいわね。どんどん顔色が悪くなってる」
額に汗を浮かべるリンの顔にも疲れが見える。ゼモンが牢を去ってから、ずっと枷の破壊作業を続けていたのだ。
「……リンさん、もしものときは、私を置いて脱出してください」
低い声音で言うラティアに、リンは首を横に振った。
「だめよ! ここまで来て、諦めるもんですか!」
「ですが、あなたも背中に怪我を――」
「こんなの怪我にも入らないわ。昔もっとひどい目にあったか、ら!」
言い切った勢いで、握り締める石の先端を叩きつける。
しかし、それまでの例に漏れず、石の方が砕けてしまった。
「あーもう! 石はやめた! 他のもの使おう! あの鉄格子、外れるかしら?」
腰を上げたリンに後ろめたさを感じて枷を見るしかできなかったラティアは、枷の一部が削れて微弱だが光を放っていることに気づいた。
「これは……」
「ん? どうしたの?」
「あ、い、いえ。この枷が何で出来ているのかが、わかっただけです」
「何でって、石でしょ?」
「ただの石ではありません。この枷の材料になっているのは、ディアドライドという魔石。リンさんも行商なら聞いたことがあるのでは?」
リンはこれまでの魔石関連の取引を思い返したが、ラティアの口にした名前は心当たりがなかった。
「ごめん。魔石はあんまり専門的に扱ったことがなくて……。教えてくれる?」
ラティアは頷き、簡単な説明を始めた。
「ディアドライドは魔力を吸収できる特殊な魔石です。魔力を帯びていると、こうして淡い紫色に光り、内包する魔力量に比例して物理的な強度を上げます」
「道理で壊せないわけね。あなたの魔力を吸い続けてるんだもの。そりゃ硬いわ」
リンはこれまでの行動が徒労だったことを知り、その場でぺたんと座り込む。
「っていうか、詳しいのね」
「星皇教会の祭儀で、ディアドライドの塊を扱うことがあるので。ちなみに、この魔石は魔力を吸収しますけど、魔法には弱いんですよ」
「どういうこと?」
「魔法は魔力を変化させて発動するもの。この魔石は魔力を吸収できても、魔法を打ち消すことはできないのです。だから、初級の攻撃魔法で破壊できます」
「でも、今のあなたはその魔法が使えないんでしょ?」
リンの指摘に、ラティアはほんの少しだけ頭を動かした。
「……はい。申し訳ありません」
「それにしても、攻撃……。攻撃か……」
思案顔を作るリンは、はっと息を呑んだ。
「どうかされましたか?」
目だけを動かしたラティアに、リンは顔を寄せて問いかけた。
「ねえ、呪いって、攻撃魔法?」
きょとんとしたラティアだったが、答えとして首を縦に振る。
「え、ええ。他者へ害意をもって付与される呪いは、攻撃魔法と定義されます。それが、なにか?」
「あー、その、えっと……」
リンは少し迷うように視線を左右に振り、そして意を決した顔でラティアを見た。
「ラティア、ごめんなさい。先に謝っておくわ。私、あなたに隠してることがあったの。でも、うまくいけば、あなたを助けられる」
「何か方法があるのですかっ?」
「まあね。できれば、使いたくなかったけど」
立ち上がったリンは、おもむろに自分の衣服に手をかける。そしてボタンを外し、服をはだけさせた。
「あの……。リン、さん?」
リンの意図を読み取れないラティアは、半裸になったリンに怪訝な表情を向ける。
「……っ」
そして、リンは腹部に巻かれた包帯を勢いよく取り払った。
「あ――」
ラティアの表情が、驚きに変化する。
しかし、驚きはすぐに悲嘆に染まった。
「ああ、なんて、惨い……!」
ラティアの頬に涙が伝うのを見て、リンは力なく笑う。
「流石に大司教さまはわかっちゃうか。でも、何も言わないでくれると、嬉しいかな」
リンは自らの腹部に刻まれた奴隷の焼き印――呪いを付与された傷を、その指先で撫でた。
「どうして人が、人に対してそのようなことを……っ!」
社会制度として理解はしている。だが、それにも限度はあると、ラティアは憤った。
「やっぱりいい人だね、ラティアは。これを見て、そう言ってくれるんだ」
微笑んだリンは身をかがめて、左の靴の踵を外した。
転がり出たのは、小さな緑色の石。ラティアは一目でそれが魔石の一種だと理解できた。
続けて、リンは脱いだ服の裏地に縫い付けてあった色の違う布を剥ぎ取る。袋状になっていたその布からは、一枚の紙が取り出された。
「治癒魔法のスペルシート。応急処置用にいつも持ち歩いてるの」
「治癒……⁉ リンさん、まさかっ!」
リンが何をしようしているのかわかってしまったラティアは、声を荒げた。
「どうしてそこまでなさるのですか⁉ いくらエルトに協力しているからとは言っても、これではあなたが――!」
リンは止めようとするラティアの腕を掴んで言葉を遮る。
「エルトのことは、この際もう関係ないわ。私にも意地があるの。鎖に繋がれる苦しみも、痛みも、私は知ってるから」
そして、精いっぱい、強がった。
「大丈夫よ。痛いのは、私だけだから」
もう何も言えなくなってしまったラティアはリンにされるがまま、魔石の枷と奴隷刻印でスペルシートを挟んだ。
「……いくわよ」
片手をラティアの肩に置いたリンは、覚悟を決めてスペルシートに魔石を触れ合わせた。
魔石から魔力が流れ込み、スペルシートが癒しの光を放つ。
光はリンの腹に刻まれた奴隷の証を、ゆっくりと消し去った。
しかし、ここからが本番である。
「来る……!」
刻印があった位置に魔法陣が浮かびあがり、リンはこれから起こるおぞましいことに備えて歯を食いしばった。
魔法陣は枷をすり抜けてラティアの胸元まで移動すると、陣の中にリンの奴隷刻印と同じ形を描いた。
刻印に付与された呪いは二つ。
一つは、あらゆる治癒を打ち消す『不治癒』の呪い。
もう一つは、魔術による治療を受けると発動する――『再刻印』の呪い。
魔法陣が輝く。
描かれた焼き印の形をした光線が、枷を貫通してリンの腹に照射された。
「うぐ、うううう……!」
肉の焼けるような音と焦げ臭い匂いが、リンの悲鳴と混ざり合ってラティアの心を締めつける。
「ぎ、ぁ、あああぁぁあっ!」
絶叫するリン。ラティアは枷に亀裂が走り出したのに気づいて声をあげた。
「リンさん! 頑張って! もう少しです!」
下手をすれば自分の腕ごと焼かれてしまうことを知っていたラティアは、今の姿勢から動くことができない。リンが掴んでくる肩の痛みなど、リンが今まさに受けている痛みに比べれば、どうということはなかった。
「うあぁああっ! ああぁあっ!」
リンも激痛に苛まれながらも、懸命に姿勢を維持する。
尾を引く悲鳴が幾度となく反響し、ついに、枷が砕け散った。
同時に再刻印の呪いの発動も終わり、再び奴隷の焼き印を付けられたリンの身体が、ぐらりと崩れる。
「リンさんっ!」
ラティアは自身もひどく衰弱していることすら忘れて、リンを受け止めた。
「はぁ……はぁ……っ! どうやら、うまく……いったみたい、ね……! うぐっ!」
腕の中で未だ痛みに苦しむリンにラティアは涙ぐみながらも大司教として、そして一人の敬虔な信者として、言葉を紡いだ。
「……リンさん。私はあなたに心から敬意を表します。あなたの気高い意志を、必ずや星皇神もお認めになるでしょう」
リンに肩を貸して立ち上がったラティアは、空いた右手を高く掲げた。
「ここからは、――私の役目です」
ラティアの右手で光が爆ぜ、光の中から現れたものをラティアは掴んだ。
リンにはそれが何なのかわからなかったので、見たままの印象を口にした。
「なに、それ……。槍?」
「杖です」
「でも、先っぽ、すごく尖って――」
「杖です。私専用の」
ラティアは杖と言い張るが、右手に握るそれは杖と呼ぶにはあまりに先端が鋭利で、持ち主の見た目に反して攻撃的だった。
「リンさん、私にしっかり掴まっていてください」
「ん……」
リンが腰に両手を回してきたのを確認して、ラティアは杖に魔力をこめる。
「まいります!」
杖の先端に集中した魔力は、光の柱となって遺跡を貫いた。
「すご……。魔力、ずっと奪われてたのに……」
呆然とするリンは、自分とラティアがいつの間にか空中に浮いていることに気づいた。
「わ、う、浮いてるっ?」
「このまま上に出ます。まずは、ゼモンを捕らえましょう!」
守るべき民に救われた大司教が、その行いに報いるため、矜持と共に飛翔する。
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