1-4 異形の腕
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「この魔法陣の上に魔石を置いて、と」
リンは木箱に入っていた麻袋から虹色に輝く小石を摘み取り、陣の中心に添える。すると、魔力を帯びた小石は赤く発光を始め、またたく間に炎へと姿を変えた。
「すごい……! リン、魔法が使えるの?」
少女の尊敬のまなざしを笑って受け流し、リンは手を左右に振った。
「違う違う。スペルシートっていって、火炎の魔法を封じ込めてあるの。外からの魔力の供給さえあれば簡単に火がつけれられて、面倒な火起こしもいらないってわけ」
自慢げに能書きを述べるリンに、少女は火を見つめながら問いかけた。
「これも、売り物?」
「私物よ。前の持ち主が火起こしに使う魔石の量を間違えて、火柱を出して大火傷したからもういらないって安値で売ってきたの。便利だからそのまま自分のものにしちゃった」
話しながらもテキパキと準備をするリンに、少女は一歩前に出て言葉を紡ぐ。
「なにか、手伝えることはない? 私も、なにかしたい」
「助かるわ。それじゃあ荷台から木箱をもう四つ持ってきて。手前のやつは軽いから、あなたでも運べると思うから」
頷いてから駆け出した少女は、自分でもできることを見つけてそれに従事する。
少しして、食事の準備が整った。
テーブル代わりにした木箱の上に、切ったパンと数種類の果物が並ぶ。
「野宿で食べるにしては上等ね。はい、どうぞ」
リンからスペルシートの火で調理したスープを注いだ器を受け取り、ほどよく温かい飲み物を体内に注いだ少女は、まだ強張っていた身体がほぐれていくのを感じた。
「あなたは? スープくらい飲んだら?」
リンや少女と同じく木箱に座る大男は、やはり声を出さない。見かねた少女が「食べないの?」と聞くが、今度は少女まで無視されてしまった。
「まあ、大丈夫そうだし、いいんじゃない? もしかしたら先に果物を食べてたのかも」
リンはそう割り切り、自分の分のスープを飲んだ。
「それにしても、誰かとご飯を食べるなんて、いつぶりかしら」
上機嫌で千切ったパンを口に放ったリンの発言に、少女はスープの器から顔を離した。
「いつも、一人なの?」
「まあね。仕事が仕事だから、ひとどころには留まれないの」
「寂しくない?」
「始めたころは心細かったけど、もう慣れちゃったわ。一人でも、いろいろなところを見て回るのって楽しいものよ。火山地帯で噴火に巻き込まれたり、川辺の街で洪水に遭ったり、渓谷で突風に吹き飛ばされたり」
「それ、楽しいの……?」
少女が怪訝な表情を作ると、リンの背後、木に繋がれていたペックがけたたましい鳴き声をあげた。
「ああ、ごめんごめん。ペックもいたわね。一人じゃ……っ⁉」
最後まで言い切らず、リンは勢いよく立ち上がった。
「どうしたの?」
「静かに。じっとしてて」
振り返ったままのリンは、傍らに置いていた鞄の中から折り畳み式の小型ボウガンを抜き、矢をつがえた。
困惑するばかりの少女がボウガンを構えたリンの見つめる方向に視線を投げると、前方の茂みが不自然に揺れた。次の瞬間、茂みからひとつの大きな影が躍り出た。
《カルテム》という魔獣である。大型犬のような姿をしているが、爪と牙は鋭く、前脚の付け根からは骨で形成された甲殻が生え、身体を守っている。
「な、なにっ?」
「この森に住みついてる魔獣ね。縄張りだったみたい。あなたたちは動かないで。私がなんとかするわ。こういうのには慣れてるから」
リンが少女と大男を守るように魔獣の前に立つ。
カルテムは目を血走らせ、口の端からは涎を垂らしている。
飢えている。少女はそう感じ取った。
「どうするの?」
「実力行使に決まってるでしょ!」
ボウガンのトリガーにリンの指がかけられた刹那、カルテムは地面を蹴って襲いかかった。放たれた矢はカルテムの進路の地面に突き刺さり、カルテムの動きを止めた。
目の前の獲物候補が抵抗する手段を持っていることを理解したのか、カルテムはじっとリンを見たまま、左右に歩き回る。対するリンはトリガーから手を離さず、カルテムの出方をうかがった。
「そのまま、回れ右してくれると助かるんだけど」
数秒の睨み合いのあと、カルテムが再度攻勢に出た。
「そうもいかないか!」
再び矢が空を切る。直進する矢の軌道を見切ったカルテムは右への跳躍で回避した。だが、カルテムの目が捉えたのは、自分に向けられる矢をつがえたボウガン。リンは魔獣の動きを読んでいた。
リンの使うボウガンは矢を放つと同時に自動で弦が引き戻され、銃身内部に収納した次の矢が装填される仕組みになっている。一発目の直後に二発目を撃つことなど、造作もない。
「そこっ!」
カルテムは跳躍したため空中にいる。左右に避けるのは不可能。リンは命中を確信した。
乾いた音がリンの鼓膜を振動させる。けれどその音は、勢いの死んだ矢が地面に落ちた音で、リンの想像していたものではなかった。カルテムは身体を捻って、前脚から生える甲殻で矢を防いでみせたのだ。
「なんて器用……!」
着地したカルテムは、三発、四発と飛来する矢をジグザグに走ることで避け、リンに照準を定めさせない。
「や、やばっ! 来る⁉」
距離を詰められて身構えるリンだったが、カルテムにはリンは既に眼中になかった。
「え――」
リンの真横をすり抜けたカルテムが、本能的に恐怖するはずの火をものともせず、少女へ疾駆した。
飢えた魔獣は、少しでも喰らいつきやすい獲物を選んだのである。
「危ないっ!」
リンが叫んだ時には、カルテムが少女を巻き込んで地面を転がっていた。
「ううっ……!」
突然のことに頭が真っ白になっていた少女は、自分に覆いかぶさった魔獣の眼光に射抜かれて、ようやく状況を理解する。
このままでは、喰われる。
「い、いや! 放して!」
脱出しようにも、爪を立てた前脚で肩を押さえつけられているため満足に身動きが取れない。もがくたびにカルテムの爪が服を裂いていく。
「待ってて! すぐに助け……!」
ボウガンを構えるリン。しかし、もがく少女に矢が当たってしまう可能性もあってトリガーを引くことができなかった。
その間も必死に抵抗を続けていた少女であったが、ついにカルテムの月光を反射して凶暴に光る牙が、少女の柔肌を引き裂かんと迫った。
「いやあああああああっ!」
悲鳴をあげる少女が盾にした右腕に、魔獣の牙が触れそうになったその瞬間、少女の右腕が黒く輝いた。
カルテムは獲物の異変に反応してすぐさま飛び退く。
「な、なにっ⁉」
リンも目の前の光景に驚愕する。
「……う……?」
目を開けた少女が見たのは、『異形』だった。
闇を形にしたようなものが、自分の目の前にある。
その先は五つに分かれ、人の指のようになっており、意のままに動かすことができる。
そして少女は気づく。
これは、腕だ。
右腕が、袖を内側から破るほど巨大で鋭利な異形へと姿を変えたのだ。
「あ、な、なに……これ……」
事態を飲み込めない少女は起き上がり、形に反して羽のように軽い右腕を上げる。
まさか左腕も。そう考えて目をやると。左腕はもとの細腕のままだった。
小さく安堵したのも束の間、咆哮した魔獣が少女に向かって飛びかかった。
「こ、来ないでっ!」
肉薄するカルテムを追い払おうと、とっさに右腕を振るう。
ぐしゃり、と剣呑な音が夜の森に反響した。
少女の右の拳が、カルテムの甲殻を砕いたのだ。
「え……」
少女は驚きに声を失う。自分がやったことだとはすぐに信じられなかったが、魔獣の甲殻の破片と血が付着した拳が、淡々と事実を物語っていた。
「ど、どうなってるの?」
立ち上がったカルテムは、怒り狂ったように身体を震わせ、唸り声をあげる。
突如、カルテムの身体が宙に浮いた。
「………………」
それまで沈黙を守っていた大男が、右手でカルテムの首を掴み、その身体を軽々と持ち上げたのだ。
四肢をばたつかせるカルテムだったが、大男は全く意に介さず、乱暴に投げ飛ばした。
甲殻を砕かれていたカルテムはその剥き出しの身体を木に激突させ、悲鳴のような甲高い鳴き声をあげて森の中に逃げていった。
「……はあっ」
少女は立ち上がることもできずに座り込む。すると巨大化した少女の右腕が再び輝いて、魔獣に襲われる前と同じ形になった。
ただ破れた袖は戻らず、奇妙な傷と突起を持つ腕が夜のいっそう冷えた空気にさらされている。
「大丈夫⁉」
駆け寄ってきたリンが、膝をついて少女の肩に手を添える。
「怪我してない? 噛まれなかった?」
荒い呼吸のまま、ふるふると首を振って否定した少女は、リンの顔を見た途端、緊張が解けて言葉と涙を溢れさせた。
「わ、わたっ、わたしの……腕、あ、あんな、あんな……っ!」
しかし、自分の身体が異形と化した混乱と魔獣に襲われた恐怖が、今になって同時に押し寄せたことで、すぐに嗚咽を漏らして泣くだけになってしまう。
リンはそんな少女を自分の胸に押し付けるようにして、強く抱きしめた。
「大丈夫。大丈夫だから」
少女の涙で服を濡らしながらも、言い聞かせるように耳元でささやく。
「もう魔獣はいないわ。安心して。大丈夫……」
リンになだめられながら、少女は泣き続けた。それがどれくらいの時間だったのか、その場の誰にもわからない。ようやく少女が落ち着いたころには、スペルシートの上の火は消えていた。
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