2-32 恐怖を乗り越えて
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『ふーむ』
鎧の上に作業着という奇妙な出で立ちのリューゲル国王ヴァルマ。
彼は今、リューゲルの城の最深。自身の工房にいた。
足元には機械部品が散乱し、壁には薬品に漬かった様々な生物の部位が瓶詰めにされて並ぶ。
一見すると乱雑な印象の空間だが、全てのものが彼のこだわりによって置かれており、模様替えなど、五十年前にやったきりだ。
『ふむふむ、そうかそうか……』
彼が向かっている机の上には、ある地帯を鳥瞰した図が投影されている。
そのある地帯とは、トレリア付近の森林地帯。
なぜそこを見ているのか。決まっている。
彼と、彼女がいるからだ。
『………………』
腰かけていた椅子から立ち上がり、悠然と歩くこと三歩。
『ほらもーっ! やっぱり僕の言った通りになったじゃないかー!』
頭を抱え、しゃがみこんだ。
『去り際の言い方からして、彼女も理解してるよね、なんて淡い期待した僕が浅はかだった! 我慢なんて全っ然できてない! 盛りのついた犬と変わらないよ!』
ごろんごろんと床を転がるヴァルマは、勢いよく立ち上がると再び机に向かった。
『鎧を潰されてでも、もっと強く止めておけばよかった! 腕と翼だけならともかく、こんなところで胴と頭まで揃うなんてことになったら、僕の計画は台無しだ!』
投影されている紫色の光は、彼女たちの魔力を示している。
『僕が出向くか? いや、ダメだ。ここを離れるわけにはいかない。ああ、もう! どうしたら……』
思考するヴァルマは、投影図の端に何か動くものを見た。
『ん?』
最初は気のせいかと思ったが、違った。厳然たる事実であった。
もう一つ、紫の光が高速で動いている。
『嘘だろ……。脚まで近づいてきてるじゃないか!』
※※※
「だああっ!」
「ふ……!」
鋭刃と堅角の激突が幾度となく繰り返される。
レイバとノイド。二人は互いを睨み合い、互いの持てる力の全てを、互いを倒すために振るっていた。
魔獣と蟲を相手取るオルネスも、八本の触手を巧みに操り、なんとか渡りあっている。
「………………」
ただ一人、ハイファは壁のくぼみの中。
剣戟の音と誰かの叫びが聞こえるたび怖気を震わせていたハイファは、いつの間にか音が遠くなっていることに気づいた。
「どう、なったの?」
ノイドの言いつけもあったが、気にならないと言えば嘘になる。
何より、エルトとチャフが気がかりだった。
ゆっくり、そっと、首を出して外の様子を確かめる。音こそすれど、戦いの光景は無い。
くぼみを出たハイファは音のする方へ歩き出す。
通路は松明によって暗くはない。呼吸をすると、冷たい空気が肺を満たした。
「リン、探さなくちゃ……」
道中で見つけることが叶えば、事情を説明して力を貸してもらえるはず。願いを抱きながら、通路を進んだ。
「――ッ!」
獣の叫ぶ声。おそらくチャフだった魔獣だ。
「ひ……!」
足がすくんで、その場でうずくまる。
大きな音と叫び声も聞こえ始めた。戦場は、ハイファが思っていた以上に近い。
軽度の恐慌状態に陥り、引き返すという選択肢すらハイファの頭には出なかった。
腕が、思い出したかのように熱を帯び始めた。
「怖い……。怖いよ……。リン……!」
今すぐ会いたい。抱きしめたい。抱きしめてもらいたい。
迷子のように、声を上げて泣いてしまいたかった。
だが、その衝動は、ハイファの注意が視界の端に映ったものに向いたことで掻き消える。
「あ……」
見覚えのある錫杖の底部。その持ち主の顔が脳裏をよぎる。
「エルト……!」
気づいた時には駆け出していた。
「エルト! エルト……っ!」
角を飛び出したハイファが、倒れ伏すエルトの肩を掴んで揺する。エルトは薄く目を開いた。
「ハイファ……さん……?」
「しっかりして……!」
抱き起したエルトの身体が怖いくらいに軽く思えて、ハイファは意味が分からない涙を流してしまう。
「怪我っ、してるの? い、痛いの?」
「だめ……です、よ。ここは……危険……」
ぽつり、ぽつりと、弱弱しい声で、自分よりもハイファを案じるエルトに、ハイファは首を何度も横に振る。
「やだ、やだ! エルト、しっかりしてよ!」
「ハイファちゃん⁉」
いち早く気づいたのは、比較的近くで戦っていたオルネスだった。
「ハイファだとっ?」
オルネスの声に振り向いたレイバも、エルトに寄り添うハイファの姿を目視した。
「あいつ、なんでこっちに!」
「よそ見をしてる余裕があるか!」
ノイドはレイバに思考する時間すら与えず、剣を振るう。
「くっ、オルネス! ハイファを守れるか!」
攻撃を受け止めながらレイバが叫ぶと、オルネスも怒鳴り返し。
「やってみます! が、いかんせん相手が……!」
ほんの一瞬、魔獣が触手の渦を抜けてハイファへと迫った。
「あ……」
動くことさえかなわず、その場に縫い付けられたハイファは、変わり果てた友達の姿に頭が真っ白になる。
「チャフ! いい加減にしなさい!」
六本の触手が魔獣に絡みつき、動きを止めた。
「チャフ……」
息づかいが感じられるほどの距離。ほんの数秒、ハイファは魔獣と視線を交えた。
こちらに腕を伸ばしてくる魔獣の顔が、哀しそうに見える。
「う、おおおおっ!」
オルネスが力いっぱい触手を引き上げ、ハイファから魔獣を引き離す。
魔獣が落下した際に出た土煙で見えなくなっているうちに、オルネスはハイファに向けて叫んだ。
「ハイファちゃん! エルトくんを連れて逃げてください! できるだけ遠くに!」
ハイファとエルトを庇うように立ちまわるオルネスの言葉に、ハイファは一瞬従いそうになる。
けれど、腕の中に沈む友達に、魔獣と化した友達に。
何もしないでいることは、絶対にしてはいけないことだと思えた。
腕は、痛いくらいに熱を帯びている。
もう一度、エルトを見た。
「………………」
異形の腕を見たら、どんな反応をされるだろうか。
恐ろしいと、コンベルの人々のように拒絶されてしまう? ――それでもいい。
騙していたのかと、ヒュウリのように憤慨される? ――構わない。
腕を役立てようとしても、結局は何にもならない? ――そうはさせない。
嫌だ。
怖い。
友達を、失いたくない。
だけど、喪いたくない――!
「に、げて……。ハイファさ……」
ハイファはか細い声をあげたエルトに微笑んで、付け袖を地面に落とす。
「エルト、ごめんなさい。私……エルトに隠し事してた」
出会って初めて目にしたハイファの腕に、エルトは閉じかけの瞼をわずかに上げた。
「でも、私はエルトを……」
レイバやオルネスよりも一層濃い色をした闇が、傷口から瀑布のように湧き上がり、ハイファの腕を包み込む。
「友達を、助けたい!」
闇が弾け、異形の腕が顕現した。
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