2-25 夜を駆ける
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リンが地下牢に落ちたのと時を同じくして、リンたちに貸し出された空き家の外。
荷台に鎮座していたシャンが、何かに気づいたかのように顔を上げ、そしてその姿が掻き消えた。
パサリ、と被せられていた布が落ちる。ペックはその音に気づいて頭をもたげたが、閉じられたほろの奥を確かめることはできず、休憩の態勢に戻った。
シャンの姿は夜闇と完全に同化した霧の形のまま村を漂う。
だが、彼の動きはただの漂泊ではなく、意思を持った移動であった。
道を横切り、家屋を飛び越え、村を出る。
霧が大男の姿を取り戻したのは、村からそう遠くはない森の中。
獲物を探して森を跋扈する獣たちは突然現れたヒトの形に僅かに注意を向けるが、一瞥しただけで理解した。
この生き物は、格が違う。
蜘蛛の子を散らすように逃げる獣たち。シャンの周囲から一瞬で生命の気配が消えた。
「………………」
直立するシャンは、荷台にいる時と同じように無言にして不動。
「――やっぱり、気づいていたのね」
背後からの声。シャンは振り向いた。
闇色のローブに身を包み、薄く笑う金色の髪の美女。
龍瞳教団の女神官だ。
「久しぶり。元気そうね」
異形の男を前にしても恐れるそぶりはなく、悠然と歩み寄った。
「会えて、嬉しいわ」
女神官の細い指がシャンの顎を撫でる。
まるで一組の男女の密かな逢引のような光景。しかし――。
「………………」
森に鈍い音が轟く。
「……ぐふっ」
女神官の口の端から、赤い血が零れる。
シャンの拳が、彼女の腹にめり込んでいた。
殴られた腹を押え、よろよろと後ずさる女神官だが、その口には笑みが浮かんでいる。
「容赦ないわね……。でも、あなただけよ。私に痛みを与えてくれるのは、いつもあなた」
恍惚な表情のままシャンの顔を見つめる女神官は、おもむろに自らの服のボタンを外し始めた。
「あなたに、いいものを見せてあげる」
そのまま胸をはだけさせ、白い肌が夜の空気に晒される。
「あなたが、求めてやまないものよ……」
たわわな二つの膨らみの中間が、蠢く。
身体の内側から押し出されるように、あるものがシャンに見せつけられた。
それは、頭部。
硬い鱗に包まれ、角と牙を持つ、龍の頭。
目は閉ざされ、眠っているように見える。あるいは、死んでいるようにも。
「ふふふ……あははははっ!」
シャンの視線を確かに感じる女神官の喉奥から、哄笑が溢れ出す。
「わかる。わかるわ。憎いのね? あなたをそんな身体にした私が……。あなたをこうした私が!」
無言の大男に、女神官は歌うように問いかけた。
「私を引き裂いてしまいたい? 首をへし折って、ぐちゃぐちゃにしたい……?」
自らの腕を抱いて、女神官は妄想にぞくぞくと身震いした。その瞳が狂気に光る。
「ああ、だめ、だめ! 私、あなたを見ているだけで昂ぶりが治まらないわ!」
龍の頭が再び埋没し、女神官の身体から赤く煌めく魔力が迸った。
それに応えるように、シャンの背中の管から、黒煙が吹き出す。
黒煙が触れた木々の枝葉が朽ちていく。
死の概念が形を得たような煙を従えるシャンを見ても、女の笑みは消えなかった。
「そうよ。私にぶつけて! 気高き死を司る龍神の誇りを、私に見せて!」
シャンの足がじりと動き、女が唇を舐めた。
「さあ、熱い夜を過ごしましょう?」
二つの闇が、激突する。
※※※
「エルト。起きて。ねえ、起きて」
「う、うぅん?」
身体を揺すられて眠りから引き戻されたエルトは、ベッドの横に立っていたハイファの姿を見て一気に覚醒した。
「ハイファさん? どうしてこっちに? もう朝食の時間ですか?」
エルトが半身を起こしながらのん気に言う。
しかし、ハイファはふるふると首を振って否定する。
「リンがいないの」
「……え?」
「リンがいなくなっちゃったの……!」
涙目のハイファに、エルトはすぐさま身支度を整えた。
「では、一緒のベッドで寝ていたはずなのに目が覚めたらリンさんが消えていた、ということで間違いありませんね?」
「うん。家中探したけど、いないの」
明かりを点けた部屋でハイファから詳細を聞いたエルトは、考えるように顎に手をやる。
「変ですね。どこに行ったって言うんでしょう」
「……もしかして」
俯いていたハイファのか細い声をエルトは聞き逃さなかった。
「もしかして、私たちを置いて、村を出て行っちゃったのかな……」
「まさか! トレリアでのことがあったのに、そんなことありえませんよ」
エルトはハイファの手を取り、家から出る。すぐにペックと目が合った。
「ほら、ペックも荷台もそのままですし、この村を出たとは考えにくいです」
目を潤ませつつも頷いたハイファは、ふと荷台に視線を移した。
「そうだ、シャン……!」
駆けだしたハイファは、ほろを開ける。
だが、すぐにその顔に怪訝の色が差した。
「あれ……」
「どうしました?」
「シャンも、いない……」
「ええっ?」
ハイファの肩越しに荷台を覗き込んだエルトは、確かに数刻前まではいたはずの巨大な男がいなくなっていることを確認した。
「どうしてシャンさんまで?」
疑問符ばかりが頭に浮かぶ二人はいよいよ困り果て、レイバたちの家の戸を叩いた。
「誰だぁ、こんな夜更けに」
レイバが眠そうな顔で現れる。
「や、夜分遅くに失礼します」
「おう? エルトとハイファか。どうした?」
「実は……」
「リンがいないの。どこに行ったか知らない?」
エルトを押しやって詰め寄ってくるハイファの必死な様子に、レイバはただ事ではないことを察知した。
「……待ってろ。オルネスたちも呼んでくる」
一度家の中に戻ったレイバ。
次に扉が開いた時、レイバはオルネスとチャフとともに現れた。
「本当ですか、リンさんがいなくなったって」
「大変ダ! 行方不明ダ!」
「でも、こんな夜更けにどこに行ったのでしょう?」
「それが分かれば苦労しないだろ」
そこでエルトは気づく。一人足りない。
「あの、ノイドさんは?」
エルトの問いにレイバは首を横に振る。
「ダメだ。『知らん。俺には関係ない』とか言って寝ちまったよ。面倒だから放置することにした」
「な、なるほど……」
いてもたってもいられないハイファは、付け袖を翻しながら四人に訴えた。
「はっ、はやく、探しに行こう……!」
「そうですね。ここでじっとしていても仕方ありません。私たちは村の外縁を探してきます、お二人はこの周辺を」
「うん!」
「わ、わかりました!」
動き出そうとしたレイバは、ふいに足を止めてハイファの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「大丈夫だ。絶対に見つける。もし日の出までに見つからなかったら、村長と村のやつらにも手伝わせるからな」
ハイファは強く頷いて、エルトとともに夜の村に繰り出した。
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