1-3 黙する者
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道は舗装されているわけではないので、左右一対の車輪が、小石や道の凹凸を踏んでガタゴトと揺れる。
荷台に取り付けられたほろの隙間に、遠ざかっていく瓦礫の山を見ながら、少女は自分の腕の傷に触れた。硬くざらついた感触が指先に当たる。
「……………」
少女はもう一度、自分がなぜあの場にいたのかを考えた。やはり何も思い出せなかったが、それでも自分がなにかとんでもないことの渦中にいるような気がしてならない。
大男の方を見るが、ただじっと座っているだけで、まるで最初からこの荷台に積まれていた荷物のように沈黙している。
そこで、少女はリンの方へ首を動かした。
「あの、リン……さん」
「リンでいいわ。なぁに?」
「さっき、私のことを奴隷って言ったけど、どうしてわかったの?」
「え? あ、あー……」
ペックの手綱を握ったまま言葉を探すように唸ったリンは、ぼそりとつぶやいた。
「『印』があったのよ」
「印?」
「奴隷ってね、売り買いするときの手違いを防ぐために、身体のどこかに奴隷の証として焼き印を押されるの。それが、あなたの首の横にね」
話を聞き、少女は包帯の巻かれた首に手をやった。包帯越しに、肌の起伏を感じた。おそらく、その焼き印とやらだろう。
「首の包帯は怪我の手当てもあったけど、一番の理由はその印を隠すためよ。その印を見ただけで態度を豹変させる人もいるんだから」
荷台は森の中に入っており、瓦礫の山はもう見えなくなっている。前を向いたままのリンの表情は、荷台にいる少女には見えない。荷台に吹き込んだ風が、少女の不安を駆り立てた。
「私たちを、売るの?」
「まさか!」
驚いたように勢いよくこちらに振り返ったリンの、束ねられた長い髪が揺れた。
「そんなことしない。絶対に!」
リンはそのまま激しく左右に首を振る。
「私は奴隷の売買なんてしないわ!」
声を荒げて宣言してから、驚いた顔の少女を見たリンは、しまったと表情を曇らせた。
「ご、ごめんなさい。いきなり怒鳴っちゃって。怖がらせちゃったかしら……」
「ううん……。でも、どうして?」
「嫌いだからよ。そういうのが。命には変わりがないのに、それを物みたいに扱うなんて、私にはできないし、やりたくない」
真剣な声音に、少女は動かないまま聞く姿勢をとっていた。けれど、茜色の髪の女はすぐに困ったような、それでいて底抜けに明るい笑顔を見せた。
「まあ、私みたいな行商は奴隷を売るより食べ物とか、その土地の名産を売る方がやりやすいからっていうのが本音だけどね」
たははと笑うリン。しかし少女にはリンの信条は眩しく、気高く見えた。
「じゃあ、私たちをどうするの?」
「街に着いてから考えるわ。大丈夫。悪いようにはしないから」
それからしばらく一行は森の中を進み続けたが、森の闇が深くなり始めたあたりで荷台は池の畔に止まった。
「もう日も暮れるし、今日はここで休みましょうか」
リンがペックの背から降りて鞄を地面に置き、慣れた手つきで手近な木にペックを繋ぐ。鞄から取り出して火を灯したランタンを手に、荷台へ歩いてきたリンは、そのまま上がり込んで、少女の前に立った。
「夜の森は冷えるし、さすがにそのままの恰好でいさせるわけにはいかないわね。たしかこのあたりの箱に……」
ランタンを置いて背後に積まれていた木箱の山を崩し、リンが一つ一つ蓋を開けて中を漁る。しばらくして、彼女の手は止まった。
「あったあった!」
リンが少女へと身体を反転させ、ずいっと近づけたのは、畳まれた服であった。
「……え?」
展開を読みかねている少女に、リンは満面の笑みを浮かべる。
「これ、着ていいわよ!」
少女はどうしていいかわからず、目を泳がせる。
「えっと、でもそれ、売り物じゃあ……」
「いーのいーの! タダ同然で買い取ったものだし、需要と供給が噛み合ってるから!」
「じゅよー? きょーきゅー?」
疑問符を頭に浮かべる少女に服を押し付け、リンはさきほどからじっと動かない大男にぐるりと首を動かした。
「あなたは外に出てなさい。女の子が着替えるんだから、男は外で待機よ」
しかし、大男は微動だにしない。
「ちょっと、聞こえてるの? もしもーし?」
リンが男の顔の真横で声を張るが、何も起こらない。
「……あのねえ、いつまでそうしてるつもりなのよ」
業を煮やしたリンが大男の頭を平手で何度か叩く。
「というか、その仮面はなに! 顔くらいちゃんと見せなさいって!」
続けて仮面を引き剥がそうと大男の顔に手を伸ばすも、仮面はびくともしない。
大男の仮面は、まるで打ち込まれているのか、それとも身体の一部なのか、とにかく外れることがない。
少女はリンの行動で大男があの紫色の煙を出すのではないかと肝を冷やしたが、大男はリンに対して何の反応も示さなかった。
「どうしたものかしら……」
お手上げだと言いたげなリンに見られた少女は、おずおずと大男に近寄った。
「そ、外で、待ってて?」
少女がそう言うと、大男はゆっくりとした動作で立ち上がり、荷台から降りていった。
「あなたの言うことは聞くみたいよね」
不思議そうに大男を見送ったリンが耳打ちする。
「彼、あなたの知り合いなんじゃないの?」
明確な答えを出せない少女は、曖昧な表情で首をひねるしかなかった。
「まあいいわ。さ、着替えた着替えた!」
リンに促され、というよりもほとんど無理矢理に服に袖を通すことになった。
その服は水色の貫頭衣と白いズボンを細い帯で巻いて留める仕様になっていた。いささかサイズが合わないが、リンのコートを羽織るだけだったときよりも格段に温かい。
「うん! ちょっとダボついてるけど、いいんじゃないかしら。可愛いわよ!」
着替えを完了させた少女を見てリンが満足げに頷く。
「やっぱり服装って大事よね。誰も今のあなたを奴隷だなんて思わないわ」
言いながら、リンは箱を積みなおし、置いていたランタンを拾い上げた。
「せっかくだから彼にも見てもらいましょうよ。あなたの可愛さにびっくりして声を出すかも!」
「え、あ、待って……」
リンに手を引かれて少女は荷台を降りた。あたりはすっかり暗くなっており、明かりはリンの持つランタンと、池に反射する月光だけ。
そのような闇のなかで大男の姿を探したが、夜の森の静けさだけがあたりを漂っていた。
「いない……」
「おかしいわね。どこ行っちゃったのかしら」
リンと一緒に大男の姿を探した少女は、荷台を繋げた木よりも奥の木陰から出てくる大男を見つけた。
「リン、あっち」
少女がリンに教えると、大男もこちらに気づいたようで、鈍重な足取りで近づいてくる。
「もう。夜の森でろくな装備もせずに歩き回っちゃダメよ。……ん?」
大男に注意したリンは、その腕の中に大量の果物が抱えられているのを見つけた。
「どうしたの、それ?」
答えないまま、大男は腕をさげる。重力に従って落ちた果物が地面に転がり、リンはそのひとつ、丸く黄色いものを拾い上げて見分する。
「私が仕入れたやつじゃないわね。もしかして、採ってきたの?」
大男は物言わぬ石像のように、棒立ちのまま動かない。もちろん問いかけに返事もしない。
早々に会話を諦めたリンは大きなため息をついて、持っていた果物を少女に渡した。
「食事にしましょうか。それ、パルネイの実っていって、味もよくて栄養満点。他のも街で買おうとしたら結構な値段になるやつよ」
後半の声量を大きくしたリンの説明を受け、少女は黄色の果物に目を落とす。小さな手におさまる丸い実から、甘い匂いが漂う。くう、と少女のお腹が鳴った。
「あ……」
「あはは。すぐ用意するから少し待っていて。……スープの缶、まだあったわよね?」
思わず赤面する少女に笑みを向けたリンは、独り言をつぶやき荷台に引っ込むと、すぐに木箱を一つ抱えて戻ってきた。他の木箱とは違って蓋はなく、中に入った小さい鍋や調理器具が歩行の揺れでカチャカチャと音を立てている。
「面白いものがあるの。きっと驚くわよ」
リンは木箱から筒状に丸められた赤い紙を取り出し、地面に置いて広げる。飛ばされないように四隅に足元に転がっていた石を置かれた紙の中央には、魔法陣が描かれていた。
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