2-17 意志と覚悟
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「見ろ、兄さん。陽が沈む」
屋敷の二階。
突き出した露台から山の向こうに沈む太陽を窓越しに見送ったヒュウリが、椅子に座る兄へ話しかける。
「エルトたちの出発する時間だ。……ハイファはどうしている?」
「ああ、部屋に閉じこもっているよ」
ヒュウリは、テーブルの上で手を組みながら言うリュオンが浮かない顔をしているのが気になった。
「どうしたんだ、兄さん。なんでそんな顔をしている?」
「ヒュウリ。これで本当によかったのか? ハイファがここに残ると言ってくれたことは嬉しいが、リンさんはどうなる? 残された側の気持ちは、お前だってわかるだろう?」
リンの下した決断についてヒュウリから聞いたリュオンは、ハイファと改めて話がしたかった。だが、ハイファは部屋に閉じこもってしまい、それは叶わずにいる。
「今更何を言うんだ。ハイファがここに残ることを良しとしたのは彼女だ。あの子を私たちに託すことを選んだんだよ。彼女は」
夕日を背にまっすぐにこちらを見てくる弟に、リュオンは何も言えない。
確かに、踏ん切りがついていないのは自分だけ。あれだけ求めていた妹との再会を喜べないことは、リンに対しても、ここに残ることを選んだハイファにも不義理かもしれない。
「もう兄さんは自分を責める必要はない。これから二人で、あの子を育てよう。ユフィンとして。大丈夫。あの子もすぐに自分がユフィンだということを認めるさ」
両腕を広げるヒュウリの目に、喜悦の光が揺らめいている。いつも難しい顔ばかりしている弟のこんな顔を見たのはいつぶりだろうか。
しかし、それを見ても少しも嬉しく感じられない。
凪のように静かな心が、ある結末を望み、受け入れようとしている。
(僕も、覚悟を決めないといけないのかもな……)
胸中でつぶやいたリュオンは、組んだ手を口元に近づけた。
※※※
兄弟のいる露台からそう遠くない、本来はユフィンのものである部屋のベッドの上で、ハイファは膝を抱えていた。
沈む夕日を見ているその瞳も、まるで廃人のように虚ろだ。
今ごろ、リンはエルトと共に町を出たはずだ。リンは、エルトの師匠を見つけたらどうするのだろう。行商として、世界を巡る旅を続けるのだろうか。
答えを知る由もない疑問が、何度も何度も浮かんでは消える。
ここに残れば、リンを安心させることができる。
リンのために自分にできることをしたいと願うハイファは、この選択をしたことに後悔などないはずだった。
「これでいいの。きっと……」
自分に言い聞かせるようにつぶやき、膝を抱く腕に力を籠める。
その時、風がハイファの髪を撫でた。
「……?」
妙だ。扉も窓も締め切っている。風が吹くはずがない。
顔を上げて振り向いたハイファの後ろに、シャンが立っていた。
「シャン……」
「………………」
「どうしたの? リンたち、行っちゃうよ?」
もはや驚く気力もないハイファは、かすかな笑みさえ浮かべてみせた。
何も言わないシャンは、丸太のように太い腕が持ち上げ、緩く開いた手を窓にかざした。
閉めきられていた窓がカタカタと音を立て、そして見えない何かに押されるように外に向かって勢いよく開かれる。
「もしかして、迎えに来たの?」
ハイファの声に、窓の方を向いていたシャンが首を動かす。
まるで、ハイファが動くのを待っているようだ。
ベッドを降りて静かに窓辺に近づいたハイファを、太陽の最後の光が照らす。
「……でも」
ハイファはそこから動くことができない。
――リンさんはあなたを待っているはずです!
エルトの叫びが頭の中で反響する。
リンのために。自分ができることを。
けれど、それが正しいことなのか、ハイファにはもうわからなくなってしまっていた。
「私は、どうしたらいいの……!」
ハイファが再び振り返ったのと、シャンがハイファの頭に手を乗せたのは同時だった。
「え?」
ドクン、とハイファの心臓が跳ねた。身体の内側が熱を帯び始める。
「あ、ああ……」
胸の熱は両腕に流れて、闇という形をもって腕に刻まれた傷から漏れだした。
それは言葉ではない。シャンの思念と呼べるものが、ハイファは感じ取れた。
留まることは許されない。進まなくてはならない。
共に、行こう。
無言のはずの大男に、そう言われているような気がした。
「――そうだね」
霞のように空気に溶けていく闇にそっと触れたハイファは、神妙な面持ちで頷く。
「そういうこと、なんだよね」
進む先に、何が待ち受けているのか。
それが本当に求めるものなのか。
少女には何もわからない。
わかることは、たった一つ。
「リンもエルトも関係ない。私たちは、行かなくちゃいけないんだ」
傷から視線を戻したハイファの前に、すでにシャンの姿はなかった。
しかし、ハイファはシャンとはすぐにまた会えるような気がした。
「でも、もう少しだけ待ってて?」
一人だけの部屋。ベッドから下りたハイファは姿の見えないシャンに伝える。
「ひとつだけ、やらなきゃいけないことがあるの」
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