2-15 焼きついた光景
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シェルツの屋敷。その食堂。
家族かもしれない男とテーブルを挟んで向き合うハイファは、カップに注がれた紅茶に映る自分の沈んだ顔を見つめていた。
「ヒュウリのやつ、今日くらい一緒に休めばいいのに。真面目過ぎるのも考えものだよ」
口ではそう言いながらどこか誇らしげなリュオンが同意を求めているようには見えないが、ハイファはぎこちなく笑う。
食事をしている間に、ハイファはリュオンから改めて兄弟の身の上を聞かされた。
妹――ユフィンが両親に売られたこと。
ユフィンを兄弟が長い間探し続けていること。
自分はユフィンによく似ていること。
ハイファにはどれも他人事のようにも思えた。
しかし、昨夜の頭痛を経た今では、それが自分のことなのかもしれないと、漠然とだが思えてしまう。なにより、リュオンを見ていると、ひどく心がざわついた。
「どうしたんだい? 浮かない顔をしているが、食事が口に合わなかったかな?」
「ううん。初めて食べたけど、美味しかった」
ふるふると首を振ったハイファは、返事に安堵したリュオンが自分とリンを無理に引き離そうとしていないことをなんとなくわかっていた。
この兄弟を拒絶して、すぐにリンのもとに駆けだせば話はそれで終わりな気もするが、どうにもハイファにはそんなことをする気が起きなかった。それがハイファを悩ませる。
「やっぱり、何も思い出せないかい?」
「え……」
目だけを動かして見たリュオンの顔は、寂しさを湛えて微笑していた。
「ご、ごめんなさい」
いたたまれなくなって謝りながら再び俯くハイファに、リュオンは手を振った。
「責めるつもりはないんだ。ただ、見れば見るほど君が成長したユフィンに思えてきてね。用意した着替えを着たら、もっとユフィンに近づくさ」
リュオンが風呂から上がったハイファに渡した着替えは白いワンピース型の服だったが、ハイファは今も元から着ていた黒い衣装を纏っていた。
「まだ、こっちの方が、落ち着くから」
「はは。そうか。構わないよ。好きにしたまえ」
リュオンは自分のカップを手に取って、紅茶を一口飲んだ。
「ヒュウリは、君をこの屋敷に留めようとしているよ」
いきなりヒュウリの名前が出てきたことにわずかに驚き、ハイファは顔を上げる。
「僕も大概だが、君が現れたことにヒュウリも内心は穏やかではないはずだ。あいつは僕以上に、ユフィンの存在を求めている。僕のために」
「どういうこと?」
「自分がおかしいなんてことは、自分が一番よくわかっているんだ。静かに狂っていると言ってもいいだろう。生きている保証もない妹を何年も探し続けているんだからね」
カップの持ち手を指でなぞりながら、リュオンは今ごろ別の商会と取引をしているであろう弟に想いを馳せた。
「けれど、いつの間にか僕よりもヒュウリの方がおかしくなってしまった。今ではどんな手段を使ってでも僕の前にユフィンを連れてこようとする。自分がどれほど罵られ、泥にまみれることになろうとも」
リュオンは指を止め、短いため息をついた。
「ユフィンだけじゃない。僕はヒュウリのことも愛している。兄妹が揃うとき、僕はあいつも笑顔でいてほしいんだよ」
ハイファは、こんな兄を持つヒュウリやユフィンは恵まれていると思った。
だが、それを安易に口にすることだけはしなかった。
「時折考えるよ。両親のようにユフィンのことを忘れることができたら、もうユフィンを探すのはやめるとヒュウリに言えたら、と」
リュオンの笑みはどこか疲れている。ハイファにはそう見えた。
「だけど生き別れた妹を忘れることなんて僕にはできない。だから、僕とヒュウリは、互いに静かに狂い続けるしかないんだ」
数瞬の沈黙のあと、リュオンは肩までかかる黒髪を揺らして身じろぎした。
「すまない。君にこんなことを話してもどうしようもないよね」
「ううん。聞かせてくれて、ありがとう」
リュオンは眉を下げて笑い、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「よかったら、ちょっと付き合ってくれるかな? 見せたいものがあるんだ」
そう言ってリュオンは屋敷の外にハイファを連れ出した。
辿り着いたのは屋敷の庭。敷地の端ではあるが手入れは行き届いているらしく、色とりどりの花が咲いている。
「ここは?」
花の香りが漂う庭に足を踏み入れたハイファは、隣に立つリュオンに尋ねた。
「ユフィンは草花が好きでね。この屋敷にいたころはよくここで遊んでいたんだよ」
少しだけ奥へ進むと、一本の木から伸びる太い枝に縄と木の板だけで作った遊具が吊るされていた。板には苔が生え、縄もほつれている。
「これ、ずっとここにあるの?」
「ああ。ユフィンのためにヒュウリと二人で作ったんだ。そう何回も使えなかったけど。よかったら座ってみて」
促され、ハイファは朽ちかけの板を壊さないように、そっと腰を下ろす。
「あ――」
次の瞬間、ハイファの視界で光が弾け、映像が浮かんだ。
正面に立っている二人の少年らしき人影。
顔は黒い線が無数に走っていてよく見えず、声も耳鳴りのせいで聞こえない。
だが、確かにその景色はハイファが今いる庭だった。
「うう……っ!」
刺すような痛みがハイファの頭を貫く。
「ハイファ⁉︎ ど、どうしたんだいっ?」
頭を押さえて呻くハイファに、リュオンは焦りの表情を作る。
「わか、らない……! また頭が……!」
体勢が崩れたハイファは地面に倒れた。芝生であることは幸いだった。
「人を呼んでくる! そこで待っててくれ!」
血相を変えて屋敷へと戻っていくリュオン。
うずくまったまま、頭痛と耳鳴りに耐えるハイファは、依然として脳裏に強く残る映像の奥にもう一人、別の誰かがいることに気づいた。
「どうして……っ! 私は、あの人たちを、知らないはずなのに……!」
それは、ハイファの独白でもあり、塗り潰された顔を向けてくる者への訴えでもあった。
「『私』は、何を覚えているの……⁉」
ふいに、耳鳴りが消えて、世界が静かになる。
「え……?」
背後で誰かが立つ気配がした。頭痛の止んだ頭を持ち上げて振り向き、ハイファは目を見張った。
「シャン!」
仮面の大男が、初めて会った時のように後ろに立っていた。
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