1-2 廻り出す運命
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「待ってても受取人が来ないから奥まで入ってみたけど、どうなっちゃってんの⁉」
少女の後方。屋敷の門にあたる場所に立っていたのは、夕日の色に似た明るい橙色の髪を後ろで高く束ねた若い女性だった。旅人なのか、白い服の上によれたコートを羽織っている。
少女と目があった女性は、門をくぐって敷地に足を踏み入れる。
「ねえ! そこのあなた! 何が……って、きゃあ⁉」
少女へ向かって歩き出した女性だが、すぐに大男の姿を見て足を止めた。
「な、なんなのそいつ? でかすぎない? 近づいて平気?」
警戒心を露わにする女性へ、少女は反射的に声を発した。
「大丈夫だと思う。たぶん」
「たぶんって……」
歩いてくる女性を見たまま、少女は大男の手に触れる。冷たくも温かくもなかった。
「煙は、出さないでね」
大男の反応は無い。少女に近づく女性は、ある程度の距離まで来ると、少女の身体が傷だらけで血に汚れていることに気づいた。
「やだ、怪我してるの⁉ 待ってて! すぐ手当てするから! ああもう、なにこの煙!」
少女の前で膝をついた女性は、肩から提げていた大きな鞄から革製の水筒と布を取り出し、少女を包んでいた赤い煙を手で払った。
「ちょっとしみるかもだけど、我慢して」
水筒の水で濡らした布を使って手際よく少女の額から流れる血をぬぐい、続けて少女の胸の乾いた血を取り除く。その動きに連動して女性の束ねた髪が揺れ、ふわりと優しい匂いが少女の鼻の先を撫でた。
そうしてしばらく女性にされるがままでいると、少女は額と首から胸にかけて包帯を巻かれ、女性が羽織っていたコートを肩にかけられた。
「これでよし、と。で、なにがあったの? 奴隷の子みたいだけど、なにか知ってる?」
奴隷。その言葉の響きが、少女の心にさざ波を起こす。けれど、その波はすぐに凪いでしまった。
「わからない……。気がついたら、ここにいたから」
「それじゃあ、あなたの名前は? 歳は? 生まれはどのあたり?」
少女は続けざまに尋ねられた質問に対して、首を横に振るしかなかった。
「わからない。なにも、なにも思い出せない……!」
膨れ上がった不安が、涙になって少女の視界の輪郭を曖昧にしていく。
「な、泣かないで! ああ、そうだ! これっ!」
慌てた女性が腰につけた巾着から取り出したのは、人差し指の先ほどの大きさをした白い立方体。
「食べてみて。落ち着くわよ」
女性の言った通りに受け取ったそれを口に入れると、舌の上で形が崩れ、甘い味が広がった。
「おいしい……」
「でしょ? キャンデルっていうの。砂糖で作ったお菓子。私も好きなんだ」
人懐っこい笑みを見せた女性は、大男にも同じものを差し出した。
「そっちのあなたは……どう? 食べる?」
だが、女性のわりと勇気を振り絞った行動に大男は反応を示さない。
「もしかして、いらない? なら、私がもらっちゃおっかな」
自分の口にキャンデルを放り込み、数度の咀嚼ののちに飲み込んで、女性は少女に話しかけた。
「そういえば自己紹介がまだだったわね。私はリン。行商兼運送屋よ。ここには物資を届けるように依頼されて来たの。送り先はなくなってたけど」
苦笑した女性――リンは、すぐにがっくりと肩を落とした。
「やっぱりちゃんとした依頼じゃなかったかー……」
一人芝居でもするように大仰に動く行商人の女性を、少女は赤い瞳で覗き込んだ。
「実はね、ここに物資を運ぶように依頼されたとき、依頼人は突然現れてその場で結構な額の前金を渡してきたの。金貨を十枚も! しかも依頼をこなせたら、さらに金貨二十枚! おいしい話って考えるよりも、まず怪しんだわ」
聞いてもいないのによく喋って難しい顔で唸るリンに、少女は矛盾を感じた。
「でも、来てる。どうして?」
純粋な瞳に直視され、リンは言いづらそうに視線を逸らす。
「そ、それは……お金が欲しかったから、です。はい」
「……正直」
「そ、そりゃあ、商売人である前に大人だから! 子ども相手に嘘なんてつかないって」
胸を張ったリンに、少女は微笑む。
「正直で、優しい人」
「め、面と向かって言われると、なんだか照れるな……。でも、ありがとね」
少女の頭を撫でたリンは積み重なる瓦礫に移動し、足でその表面を少し物色すると、一瞬の硬直の後、笑顔で少女へ振り向いた。
「……さて、この瓦礫の山を調べてもいいことはなさそうだし、一緒に街の方まで行かない?」
「まち……?」
「本当はもう一つ向こうのトレリアが目的地だったんだけど、必要な寄り道よね。あなたたちのことも、何かわかるかもしれないし」
少女は行く当てもないが、ここから離れたいのも確かだった。その手助けをしてくれるというなら、願ってもない。
「うん。行きたい」
リンは少女の言葉に鷹揚に頷いた。
「そっちのあなたはどうするの?」
話を振られた大男は、依然として仮面をつけた顔をリンではなく少女に向けている。
「というか、本当に何なの、あなたは。その背中の骨? いや、管? 絶対普通じゃないわよね。その仮面もなんだか不気味だし」
顎に手をやり警戒の眼差しで大男を観察するリン。
確かに得体も知れず、意思の疎通も満足にできないが、赤い煙の温かさがまだ肩に残っていた少女は、彼をここに置いていくことが不憫に思えた。
「行こう。いっしょに」
少女の呼びかけに応じてか、大男の足が動き、少女との距離を少し縮めた。
「ついてくる、ってことかしらね。いいわ。まとめて面倒みてあげる!」
荷物をまとめたリンが歩き出し、少女が追いかける。大男は少女と一定の距離を保ったまま、荒れた庭を進んだ。
リンに続いて門をくぐった少女は、霧の奥に止まる荷台を見つけた。その荷台には巨大な鳥型魔獣が繋がれている。少女はその魔獣を知っていた。
「《レックレリム》……」
レックレリムは空を飛べない代わりに脚が異常なまで発達しており、丸太の如く太い二本脚を用いて、見た目に反して機敏に動きまわる。猛禽によく似た頭をしており、その鋭い目で少女を見据えている。
「怖がらなくていいわ。この子、とってもおとなしいから。ペック、街に戻るわよ」
リンに首を撫でられるレックレリムの背に鞍があることを認めた少女は、ペックというのがこの巨鳥の名前なのだと察知した。
「二人は荷台に乗ってちょうだい」
荷台の後ろに回り込んだリンが少女を持ち上げて荷台に乗せる。少女は食糧や日用品が入った大小さまざまな木箱が整然と並んでいる荷台の後ろ側の隅に座り込んだ。
大男もその巨体を押し込むように荷台に入ると、荷台からミシ、と少し心配になる音がしたが、それ以上のことは起らず、そのままなぜか少女の隣に座った。
少女と大男が荷台の中に収まったことに確認して、リンはペックの背中の鞍へ腰を下ろし、ペックの頭をぐるりと回る手綱を掴んだ。
「それじゃあ、出発!」
手綱を一度振るうとペックが歩き出し、連動して荷台が動き始めた。
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