2-12 神殿へ
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目を覚ましたハイファは、すぐに自分が意識を失っていたことを思い出した。
見たことのない部屋。見たことのないベッド。まだあの屋敷にいるらしい。
判然としない頭で思考して、重たい身体を起こす。
「やあ、目が覚めたかな?」
ふいにかけられた声に首を左に動かした。
黒髪の男が、ベッドの傍に置いた椅子に腰を下ろしていた。
昨日の夜、誰か知らない人の名前を口にしながら抱きしめてきた男だ。たしかリュオンと言ったか。
「おはよう。といってももう昼前か。具合はどうだい?」
優しい眼差しを受けながら、ハイファはきょろきょろと部屋の中を観察する。
そして、見慣れた姿がいないことに気づく。
「リンはどこ? エルトもいない」
一瞬だけ目を逸らしたリュオンは、すぐに視線をハイファに戻し、微笑を浮かべて説明に移った。
「あの二人なら、少し前にここを出たよ」
「え……?」
「ああ、いや、言い方が悪かった。リンさんに、ここで君のことを少し預かっておいてほしいと頼まれてね。エルトくんの用事を手伝うとかなんとか」
「リンが?」
「そう。彼女たちが戻ってくるまでは僕らが君のお世話をするよ。ユフィ……いや、ハイファと呼んでいいかな?」
ハイファは無言で頷く。少なくとも、この男に敵意は無いように思えた。
「ありがとう。じゃあまずは朝食を取ろう。あ、でもその前に風呂か。うん。そうだな。女の子なんだから。一日風呂に入らないのは嫌だろうし。うん」
途中から独り言を言い出したリュオンがなぜだか楽しそうで、ハイファは彼を不思議そうに眺めた。
「よし、行こうか。ハイファ、手を」
差し出された手に、ハイファはわずかに手を伸ばし、けれど重ねることはせずに自力でベッドから下りた。
「一人で、大丈夫」
「……そうか。この屋敷は広いからね。風呂場まで案内するよ」
歩き出したリュオンのあとを、五歩分ほど距離をとって追う。
部屋を出る直前、ハイファは窓越しに遠く見えるトレリアの街の風景を目にした。
「リン……」
その吐息混じりの呼び声は誰に聞き入れられるでもなく、陽光に温められた部屋の空気に溶けていった。
※※※
「よかったんですか?」
午前の活気に満ち溢れたトレリアの中心部に足を踏み入れたところで、荷台に乗ったエルトがそう切り出した。
「何が?」
ペックの手綱を握ったままのリンは、振り向かずに質問を返す。
「何がって……ハイファさんですよ。リンさん、ハイファさんを置いて僕と一緒にお屋敷を出てきちゃったじゃないですか」
「あー、いいのいいの。寝てるハイファを起こすのも良くないし。どうせ暇だし」
「手伝ってくださるのはありがたいことですけど、それではハイファさんが――」
「ペック、急ぐわよー」
リンはエルトの続く言葉を遮るように手綱を引き、移動速度を速めた。その勢いでエルトが荷台の中で倒れる。
「いたたた……」
エルトが倒れたのは、ちょうどシャンと顔を向き合わせる位置だった。
「ヒィッ⁉ す、すみません!」
俊敏な挙動で起き上がり、ペコペコと頭を下げまくるエルトだが、シャンは沈黙したまま反応しない。エルトは改めて、こんな得体の知れない大男とこの荷台で共に過ごすハイファに敬服するほかなかった。
ほどなくして、一行はエルトが昨日訪れた星皇教会の神殿に到着した。
陽の光を受けてその白い外壁を輝かせる建物は、商人の街に存在するわりに質素な造りをしていた。
だが、中に入ればと神殿らしい厳かな空気の漂う広い空間を持っており、整然と並べられた長椅子には祈りを捧げに来ている信者たちの姿が見える。
「へえ、結構立派なものね」
椅子と椅子の間、神殿の中央を走る通路を進むリンの後ろを、エルトは落ち着かない様子で歩く。
「り、リンさん、やっぱり引き返しませんか」
「何言ってんの。師匠さんの手がかりを探すんでしょ」
「ですが、ここには昨日も来ましたし、何よりあの人に見つかるとまずいですよ」
「あの人?」
「懲りずにまた来たのか!」
エルトは背後から聞こえた声にがくりと肩を落とした。
「ああ、やっぱり……」
振り返ったリンが見たのは、大股でこちらに近づいてくる禿頭の男。纏う白い装束からこの男がエ
ルトを叱り飛ばした司教だとリンは判断した。
「帰るように言っただろう! 迎えが来るまで説教部屋に閉じ込められたいのか!」
しかし司教はリンなど見ておらず、エルトに向けて怒声を浴びせかける。
「す、すみません! ですが、やっぱり気になってしまって……」
「昨日も言ったはずだ。ここには大司教など来ていない。早く出ていきなさい!」
委縮しきったエルトを外に放り出そうと、司教がエルトの細い腕を引く。
「ちょっと」
そこに、司教の肩を掴んだリンが割って入った。
「子ども相手にそんな乱暴することないでしょ。放しなさいよ」
「リンさん?」
「な、なんですかな、あなたは」
司教の問いかけには答えず、リンは言葉を繰り返した。
「放しなさいって言ってるの」
リンに凄まれ、ただならぬ雰囲気を感じ取った司教は言われた通りにエルトを解放する。
「……見苦しいところを見せたことはお詫びしましょう。ですが、これは我々の問題。首を突っ込まないでもらいたい」
「生憎と、エルトの事情にはもう全身突っ込んでるのよ」
前に出て男と顔を突き合わせるリンに、エルトはわずかに恐怖を覚えた。
明らかに、リンの様子がおかしい。
「ならば、その未熟者の事情も知っているはずだ。自己の研鑽を怠り、このような場所に来ていることは、星皇神に仕える者として言語道断。省みるべきなのだ」
司教の声音が一段階低くなる。口調も厳然なものに変わっていた。
しかし、その程度で引き下がるリンではない。
「行方不明の師匠を探しに行って何が悪いの。だいたい、あなたこそこんなところで何やってるわけ?」
「なんだと……?」
目の端をピクリと動かした司教。リンはたたみかける。
「湖の魔獣! どうして放っておいてるのよ! 魔獣退治だって司教の仕事でしょ! 昨日も湖の魔獣に襲われて人が死んだって聞いたわよ!」
「そ、それは……」
口ごもる司教にさらに詰め寄った。
「ここでお説教してるより、エルトみたいに行動できてる方が立派よ!」
いつの間にか、周囲の視線がリンたちに集まっていた。
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