2-10 『ユフィン』
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トレリアは山に近づくほど民家が増えていき、そして家も大きくなっていく。
しかし大きな家の持ち主のほとんどは地主や町に拠点を置く商人たちである。
自分の財力を見える形で誇示することで、町で同業たちに侮られないようにするためだ。
そんな住宅地の中心近くに立つ屋敷に、リンたちはいた。
「なんかすごいところに来ちゃったわね」
「僕も一緒に来ちゃいましたけど、いいんでしょうか?」
ペックを来客用の車庫に止めたあとに案内された応接間は、ここだけでもリンが知る宿の最上等級の部屋を越えていた。
今自分たちが座るこのソファもいったいどれだけの値打ちがするのかを考えるとどうにも落ち着かないリンだが、もっと気がかりなのは隣に座っているハイファだ。
ここまでの道中もずっと黙ったきりで、今も魂が抜けたように呆然としている。
「お待たせした」
リンがハイファに声をかけようとしたとき、閉じていた応接間の扉が開いた。
入ってきたのはリンの予想通り、往来でハイファを抱きしめたリュオンと、その弟ヒュウリだった。
脚の短いテーブルを挟んで三人の向かいのソファに座ったリュオンがハイファに向けて微笑みかけたが、ハイファは目を伏せて彼の顔を見なかった。
「改めて、先ほどは失礼した。まずは自己紹介だ」
リュオンの隣に腰を下ろすヒュウリが口火を切る。
「私はヒュウリ。こちらは兄のリュオンだ。この町で代々続けているシェルツ商会を兄弟で経営している」
「と言っても、経営はほとんどヒュウリがやってくれている次第でね。僕の仕事は町の人たちとの交流だよ。あ、シェルツっていうのは遠い昔に東の地からここに流れ着いた僕らの祖先の名前で……」
「兄さんは少し黙っていてくれ」
冷たい印象の弟とは対照的な兄に、リンはほんの少しだけ警戒心を解く。
「……リン。行商兼運送屋よ」
「エルトです。星皇教会の司教をしています」
「行商と司教さまか! これはまた面白い組み合わせだ」
そう言ったリュオンの表情や声音には、一切の皮肉はない。
「兄さん……」
眉間を抑えるヒュウリに二人の関係性を垣間見たリンは、会話の主導権を握らせまいとあえて自分から本題を切り出した。
「で、あなたたちハイファの何なわけ?」
「家族だ」
「言い切るな兄さん。まだ可能性が高いだけだ」
即答したリュオンをたしなめ、ヒュウリは説明に入る。
「五年前のことだ。私たちには、ユフィンという年の離れた妹がいた」
リンとエルトはリュオンが『いた』と過去の形を使ったことが引っかかったが、沈黙を守った。
「この商会は父の代では武具やその材料の金属、鉱石、木材を中心に扱っていたが、タチ悪い商人に騙されて、大損害を出した」
よくある話だ。リンは脳裏でそうつぶやいた。
あの国は政治的不安から内乱が起こる一歩手前まで来ている。武具を売りつければ金になるぞ。などとデマを流し、その気になった商会から金を巻き上げるような商人はリンも何人か知っている。
ゆえに、自分の経験と照らし合わせて、このあと何が起きたのかは即座に理解できた。
「売られたわけね。ユフィンは」
ヒュウリは、ただ頷き、ハイファをちらと見やってから言葉を重ねた。
「父と母の企てだった。『将来の勉強のために遠くの知り合いの家に預ける』なんて言っていたが、私たちも商会の事情は察していたし、すぐにわかった。だが、あの時の私たちはあまりに無力で、この町で奴隷を扱う店を手あたり次第に探すのが精いっぱいだった」
奥歯を噛み締めたリンが、漲る怒りを脚に送り、勢いよく立ち上がる。
「あんたたちの父親と母親は何してるの! この屋敷にいるんでしょ!」
だがヒュウリではなくリュオンがきわめて静かに、淡々と答えた。
「いないよ。二年前、ようやく損害を取り戻せたところで、この土地の風土病で死んでしまった。ラセン草の丸薬を飲んだ時には手遅れだった」
そして、やり場のない怒りを押さえつけたリンが座りなおしたところで、語り部もリュオンへと切り替わる。
「扱う商品も変えて、受け継いだ商会を生まれ変わらせた僕らは、今度こそユフィンを取り戻そうと必死にあの子を探した。なかなかうまくはいかなかったけどね」
リンの方を向いていたリュオンの顔がハイファに動く。
「でも、ようやく見つけることができた」
リュオンは立ち上がると、ハイファにゆっくりと近づき、跪いた。
「ユフィン。お兄さんだよ」
「おにい、さん……?」
「ああ。君のお兄さんだ」
ハイファと見つめ合うリュオンの前へ、リンは身を乗り出した。
「この子、記憶を失ってるの。出会ったときは自分の名前も覚えてなかったわ」
「なるほど。だから違う名前で呼ばれていたのか」
得心いったように首を揺らし、リュオンがハイファの髪を撫でる。
「覚えてないかい? こうすると、いつも嬉しそうに笑っていたじゃないか」
ヒュウリは椅子に座ったまま、ただ兄の行為を静観している。
ハイファは、何も感じなかった。
コンベルの町の服屋で今身に着けている服を見つけた時のような衝動も、リンとともにいることで感じるような温かさも、リュオンからは感じられない。
そんな自分への罪悪感だけが、胸に広がっていく。
「……ごめんなさい」
リュオンの手を離させようとして、指先が触れた時だった。
「っ!」
ハイファの頭の奥に、刺すような痛みが走った。
身体をびくりと強張らせたハイファに、リンたちは腰を浮かせる。
「ハイファ、どうしたのっ?」
「わからない……。少し、頭が……!」
言ったきり、ハイファの身体が糸の切れた人形のように傾いて、リュオンへ倒れ込んだ。
「ハイファ!」
「ヒュウリ、客人用の部屋は?」
「準備は終わってる。いつでも使えるよ」
「部屋? ちょっと、ハイファをどうするつもり!」
声を荒げるリンに、ハイファを抱え上げたリュオンが早口に答えた。
「みなさんに泊まってもらおうと思って用意した部屋に運びます。この屋敷は部屋だけは多いのでね」
ここで今夜の宿代が浮いたことを手放しで喜ぶほどリンは楽天家ではない。
「そんなこと言って、私たちとハイファを引き離そうってんじゃないでしょうね!」
リンの発言にたまらずエルトが諫めようとしたが、素早く、そして強くリュオンが反論した。
「そんなことはしない。この子に誓って」
まっすぐな眼差しに、まるで自分が悪者であるかのように思えてしまったリンは、何も言えなくなる。
「さあ、急ごう」
すでに応接間の扉を開けていたヒュウリに催促され、一同は応接間を出て屋敷の奥へ移動した。
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