2-8 信じられるから
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取引を終えたリンとハイファは街の中央広場まで戻ると、すぐに荷台を止めて休息をとることになった。
だが、休息と言っても名目に過ぎず、本当は商会を出てからずっと沈んでいるハイファを見かねたリンの心遣いである。
「ハイファ、元気出して。あなたが気にすることないんだから」
商会で新たに買った物資を乗せた荷台を横に止め、ベンチに腰を下ろしたリンは、隣に座るハイファに言い聞かせた。
「あなたのおかげで私も助かったし、ラセン草も思ったよりお金になったし、いいことよ」
「うん。でも……」
魔獣はまだ残っている。それも、自分たちの知らない魔獣が。
異形の力で人助けができたと思ったのに、まったく見当違いの顛末を迎えてしまったことがハイファの心に暗く影を落とした。
「あのね、ハイファ」
リンがハイファの顔を覗き込み、ハイファの瞳がそれに反応してぴく、と動いた。
「私はハイファがその腕を誰かのために使いたいって考えること、素敵だと思う。だけど間違えないで」
ハイファの手を握るリンの手に力が籠る。
「あなたは全知全能の神様でも、物語の中の本当のハイファでもないの。わざわざ頼まれてもいないのに、危険に首を突っ込む必要はないのよ」
使う言葉は物騒でも、その語り口は優しい。
それは、十分過ぎるほど傷ついたはずのハイファをこれ以上傷つけたくないリンの願いそのものだった。
「あなたじゃなくたって、この町にはきっと強い人がいるわ。だから……え?」
「?」
急に言葉を止めたリンに戸惑うハイファだったが、振り返った瞬間にその理由を知った。
広場の入り口付近。正確には、その近くのベンチに腰かけている人物。
見覚えのある白い装束の少年が、この世の全ての不幸を背負ったかのような暗い顔をして黄昏ていた。
「エルト……?」
「何してるのかしら」
立ち上がったリンはペックの手綱を引いてエルトの方へ向かう。ハイファもその跡を追いかけた。
「おーい、エルトー」
呼び声に気づいたエルトは目だけを動かし、二人の姿を認めた。
「あ、リンさん。ハイファさんも……。ご用事はもう済んだのですか?」
「まあね。それよりどうしたのよ、そんなところに座り込んで」
「神殿に行ったんじゃないの?」
不思議そうな顔をする二人に、エルトは消沈しきった表情のままだ。
「確かに行きましたが、その、追い出されてしまって」
掠れた声は出来事を端的に述べ、それを聞いたリンは首をかしげた。
「なんでよ。あなた司教なんでしょ?」
「ここの司教に『自らの務めを放棄するなど言語道断!』と怒られてしまいました。事実なので反論もできず……」
「あー……」
リンにはエルトが自分たちと別れてからの展開が容易に想像できた。同時に『同じ宗派の子どもを追い出すなどいくらなんでもやりすぎだ』と顔も知らないこの町の司教に対する怒りも募る。
「しかも師匠はこの街には来ていないようで、もう散々です」
落ち込みぶりは凄まじく、エルトは今にも透明になって消えてしまいそうだ。
「大変、だったね」
さっきまで自分も落ち込んでいたハイファさえ、エルトに同情の声をかけた。
「お二人に助けていただいて、せっかくここまで来たのに。これから僕はどうしたらいいのでしょう……」
目尻に涙を浮かべるエルト。ハイファもどうしていいかわからずリンを見る。
「……よしっ!」
パン、と手を打ったリンに、ハイファとエルトはわずかに身じろぎした。
「こうなったらパーッといきましょう! パーッと! 使えるお金はできたから!」
「ぱーっと?」
「リンさん、それは、どういう?」
兄妹のような背格好の二人に、リンはフフンと鼻を鳴らした。
「決まってるじゃない! 食って飲んで騒ぎまくるのよ!」
※※※
陽が落ちてもなお、トレリアの街から喧騒が止むことはない。
商店が営業を終えると、今度は入れ替わるように酒場から賑やかな声が立ち始めるのだ。
商人や旅人、街の住民。身分も立場も異なる人々が集まって「今年は不作で作物を外国に出荷できるか怪しい」、「町に来てる旅芸人一座の踊り子が可愛い」など、真剣な話から他愛のない話まで、さまざまな話題を肴に酒を飲み干していく。
「んぐっ、んぐっ、プハーッ! 美味い!」
「お嬢ちゃん、いい飲みっぷりだなぁ! そら、こいつは俺の奢りだ!」
「やった! おじさんありがとう! じゃあ、かんぱーい!」
男たちに混ざって手持ち木樽に並々と注がれた酒をぐびぐびと飲むリン。ハイファとエルトはその様子を店の端で傍観していた。
エルトは星皇教会の司教としての立場が一応あるので、リンから借りたローブを羽織っている。シャンは相変わらずペックと一緒に外で待機だ。
ハイファとエルトが使う席のテーブルにも男たちが食べているものと同じ料理が置かれているが、二人はまだ子どもなので、店が出した飲み物は果実水である。
「あの、ハイファさん? リンさんは、いつもあのような……?」
「わからない。私もあんなリン、初めて見た」
「初めて、ですか?」
「うん」
「………………」
エルトは僅かな沈黙のあと、右隣に座るハイファと少しだけ間隔を狭めた。
「つかぬ事をお伺いしますが、リンさんとはどれくらい一緒に旅を?」
「え? えっと……」
両手の指を折って数えるハイファは、十三回目でその動作を止めた。
「これくらい、かな。シャンも同じだよ」
「怖くはないんですか? 記憶を失くして、見ず知らずの人と旅をするなんて。とてもじゃないですが、僕には……」
数秒の間エルトを見ていたハイファは、「私ね」と言ってリンの方へ顔を戻す。
「自分のこともだけど、リンのことも、まだよく知らない。でもね、リンがどんな人なのかは、知ってるよ」
「それは、どのような?」
「ちょっと抜けてて、お金儲けのことになると我慢できなくて」
「ええ……」
「でも、優しくて、一緒にいると安心する。胸のあたりがあったかくなるの」
付け袖を大事そうに撫でたハイファは、もう一度エルトと目を合わせた。
「私はリンと一緒にいれて嬉しい。だから、大丈夫」
向けられた屈託のない笑顔に、エルトは何も言えなくなる。果実水を飲んだハイファはさらに続けた。
「それにリンがここに連れて来てくれたのも、私だけじゃなくてエルトも元気づけようとしてくれてるんだと思う」
「リンさんが、僕のことも?」
エルトも正面に顔を上げて、カウンター近くで男たちと笑いあうリンを視界に収める。
「リンはそういう人だから。エルトの師匠さんは、どんな人?」
「し、師匠ですか?」
突然自分が問われる側になって胸を突かれたエルトは、ハイファの澄んだ瞳に思わず顔を俯けてしまう。
「師匠は……」
思い返されるのは、いつも自分を気にかけていてくれた師ラティアとの日々。
そしてあの日、金色の世界で交わした約束。
自然と、口元に笑みが浮かんだ。
「……そうですね。師匠も、そういうお人です。しっかりしてそうなのにちょっと抜けていて、でも、優しく僕を導いてくれます」
「うん。なら、よかった」
ハイファは頷いて、笑ってくれた。
身体の中に沈殿していた暗い気持ちもいつの間にか消えている。
リンには感謝しなくては。エルトがそう考えた矢先、当のリンがこちらのテーブルに近づいてきた。
「あらぁ? ふたりでおはなしちゅー?」
酒を片手にやって来たリンの頬は紅く上気していて、声もどこかふらついている。
「なぁに? なんのはなししてたのよぉ?」
瞳がとろんとしているリンは空いていたエルトの左隣に座り、肩に腕を回す。
「り、リンさんっ? そんな、大したお話は……」
しどろもどろになるエルトの代わりに、ハイファが答えた。
「エルトの師匠さんがね、リンみたいに優しい人だって話だよ」
「んー? ……んふぅ」
謎の短い間のあと、リンは得意げに笑った
「そうよぉ、わたしやさしいんだからぁ、せーおーきょーかいともよろしくやっていきたいんですよぉ、しきょーさまぁ。うりうり~」
人差し指でエルトの頬を押すリン。エルトはそんな彼女を見て、教えを説きに行った村でたまに見かける昼から飲んだくれているごろつきを思い出した。
「や、やめてくださいリンさん! うわっ、お酒くさっ」
「――二人とも、元気になってくれたみたいね」
唐突に、リンの声がまともに戻る。離れようとしていたエルトが見たのは、酔っ払いとは思えない穏やかな顔で微笑むリンだった。
「楽しい雰囲気の場所に行けば、少しは気もまぎれると思ったんだけど。どうやら正解だったわね」
エルトは頭を撫でられ、思わずハイファの方へ振り返る。エルトに続いて頭を撫でられたハイファは、エルトの視線に気づくと静かに笑った。
「どうかした?」
二人のやり取りを受け、リンが問いかけると、エルトは別に慌てる必要はないのに、慌ててリンに向きなおった。
「い、いえっ! こちらこそ、その、あ、ありがとうございます!」
「おいおい! そんなもんかよー!」
姿勢を正して礼を述べたエルトが頷いた矢先、店の中央からそんな声が飛び出した。
エルトが見たのは、肩で息をしながら火の玉を手に浮かべて小さく上下左右に動かしている魔法使い。
「リン、あれなに?」
エルトが疑問を口にするより先にハイファがリンに問いかけていた。
「ああ、流しの魔法使いね。こういう酒場なんかに来て、魔法を見せてお金をもらうのよ。私も何度か見たことがあるわ」
「その割にはいささか地味ですね。お疲れのようですし、魔力が枯渇気味なのでしょうか」
果実水を飲んでから、エルトは所感を述べる。
「あれなら、僕がやった方がいくらかマシかもですよ」
なんとは無しに冗談半分に言ったつもりだった。だが、酔っ払いの顔つきに戻っていたリンは耳ざとくエルトの言葉を拾い上げた。
「お、言ったわね! じゃあ見せてもらっちゃおうかしら!」
「へ?」
リンと一緒に立ち上がらされたエルトは、そのまま、魔法を見物していた客たちの後ろに立たされる。
「あの、リンさん?」
「はいはーい! 今からこのエルトくんが、すっごい魔法を見せてくれまーす!」
「え……ええええっ⁉」
絶叫するエルト。だが、すでに遅かった。
「おお! そいつぁいい! お嬢ちゃんの連れの魔法使いさんか!」
「おいおい、ガキじゃねぇか。大丈夫かぁ?」
「いいぞいいぞ! 見せてくれー!」
振り返った客たちの視線が一気に集中し、エルトは思わず後ずさる。
「ちょ、ちょっとリンさん! 無茶振りですって!」
しかし、すぐそばにいたはずのリンはいつの間にかカウンターに移動して店主に注文をしていた。
「おじさん! さっきと同じお酒、もう一杯ちょうだい!」
「見てもなければ聞いてもいない⁉」
焚きつけた張本人がまったくこちらに意識を向けていない状況で、エルトは期待の眼差しの集中砲火を喰らう。
「火だ! 火を出してくれ! 派手なのをバーンと!」
「何言ってんだ! ここは猛獣をドーンとだな!」
「バカ野郎、美人のねーちゃんをポーンだろが!」
「どれも無理ですってば! ハイファさん! 助けてください!」
いよいよ困ったエルトは、背後からこちらを見ていたハイファに助けを求める。
「すっごい魔法……!」
「あ、ダメだ。期待してる。瞳が輝いてる!」
「み、見せてもらおうか。小僧……!」
先ほどまで魔法を披露していた魔法使いさえ、椅子に座ってぐったりとしつつも、視線はエルトに向いていた。
もはや退路はない。
「う、うううう~」
気遣ってくれたリンへの恩義。
ハイファを始めとした店の客たちからの期待。
場の雰囲気を壊したくないという自分の良心。
そして、司教としての矜持。
混乱した頭の中で色々な感情が攪拌された結果。
「――わかりました。こうなったら、僕の全力の魔法をお見せしましょう!」
エルトは、弾けた。
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