2-7 終わらぬ脅威
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トレリアは山と川に挟まれた農業と林業に適した環境にあり、高品質な食品や木材を外部に売ることで街としての運営を行っている。
そして西国ミウトスとの玄関口でもあり、名産品の絹織物を始め、多くの物品がこの地に送られ、レウン全域へと渡っていく。その逆もまた然りだ。
国境付近の検問は本来厳しいはずなのだが、レウンとミウトスからそれぞれ数名の大商人が街の自治権を買い取っており、検問の制度を撤廃しているので、人々はほぼ素通りで町を出入りすることができる。
商人の商人による商人たちの街。それがトレリアだ。
「リンさん、本当にありがとうございました」
トレリアに入り、中心街の大広場に止まった荷台から降りたエルトが、腰を折って頭を下げる。
「どういたしまして。こっちこそハイファの話し相手になってくれてありがとう」
ペックに乗ったままのリンがにこやかに言うと、エルトも頷いた。
「僕はこれからこの街にある星皇教会の神殿に行ってみます。もしかしたら、師匠もそこにいるかもしれませんし」
荷台から身を乗り出したハイファも、エルトに手を振る。
「師匠さんに会えるといいね」
「はい! みなさんにも星の加護があらんことを!」
祈りの言葉のあとすぐに駆けて行ったエルトの小さくなっていく背中を見送りながら、リンはハイファに言葉をかけた。
「どうだった? 司教さまのお説教は。ずっと聞いてたみたいだけど」
湖からトレリアまでの道中、ハイファはエルトから人々に向けて行われる星皇教会の説教を聞かされていた。
ペックの手綱を引いていたリンは話半分にしか聞けていなかったので、あまり内容を覚えていないが、時折振り返ってはエルトの話に耳を傾けているハイファの姿を覚えている。
「難しいお話をしてるってことは、わかった」
淡々と答えたハイファに、少しだけエルトを気の毒に思うリンだったが、もう会うことはないだろうと考え、すぐにその気持ちは切り捨てることにした。
再び三人に戻った一行は、トレリアの街道を進み始める。
「なんだか、コンベルよりも賑やかだね」
「そうね。前に来たときに比べると商人の数も店の数も増えてるわ」
きょろきょろと街並みを見ていたハイファは、リンの発言にその動きを止めた。
「来たことがあるの?」
「おじいさんがまだ生きていたころにね。ラセン草のことはさっき初めて知ったけど」
懐かしむように遠い眼差しを空へ投げたリンは、昨日のことのように覚えている日々の光景を想起した。
「やっと仕事の手伝いに慣れ始めて、レウンを出ることになったときにこの街で物資を調達したのよ。これから行くのもその時に取引した商会よ。ティルビィ商会っていうの」
ほどなくして、荷台は木造の大きな建物の前で止まった。
ちょうど建物から出てきたティルビィ商会の主人に迎えられ、リンはおよそ二年ぶりに会う主人と近況報告をしあう。
ダリオの訃報を聞いて涙ぐんだ主人であったが、リンが商談に来たことを知るとすぐに商人としての顔を取り戻し、準備に移った。
ハイファは『ダリオの知人の娘で行商に興味がある』という設定でリンに紹介されると、自身も一児の父である主人にいたく気に入られ、商会側の従業員と一緒にしていた荷物の搬入が終われば焼き菓子とお茶を用意してもらえることになった。
シャンについては、コンベルの時と同じく箱に隠し、彼を隠した箱は売り物でないことをリンとハイファの二人がかりで必要以上に必死で説明した。多少怪しまれたがなんとか納得してもらえたので、今はペックと一緒に外で待機している。
「ウィツスの食器類にシャルギアの染め物、バーナマスの香木。他にも多くの工芸品……。いやはや、ダリオさんの跡を継いだだけのことはある。ここらでは入手の難しい異国の品をよくぞこれだけ」
広がっていた羊皮紙を束ね置いた主人が感心したような言葉を口にする。
商談自体はリンと主人の双方が納得のいくかたちでつつがなく進み、取引も佳境を迎えていた。
「先代に比べたらまだまだですよ。次に来たときはもっと良いものを持ってきます」
主人とテーブルを挟んで座るリンも、商談用の落ち着き払った態度を崩さないまま、主人の言葉が世辞とわかりきった上で応対した。
商談を行う部屋の窓辺で様子を見守っていたハイファは、出されたお茶と菓子を静かに食べながら、リンの仕事姿に驚きを感じていた。
これまで自分と接していたリンと、今商談を行っているリンの雰囲気があまりに違っていたからだ。いっそ別人と言われた方が納得してしまうかもしれない。
「それで、そちらの品はまだ見ていませんが、いったい?」
主人の視線が、まだリン側に残っていた木箱に動く。
「そちらも売り物とお見受けしますが?」
「ええ。お金になるか少し不安だったので、他の取引が済んでからにしようと」
「なるほど。では、さっそく見せていただきましょう」
テーブルに置かれた箱の蓋を開け、中身を覗き込んだ主人の顔から、表情が消える。
「………………」
「ど、どうされました?」
動かなくなった主人にリンが声をかける。空気の変化はハイファも感づいており、様子を窺う身体をわずかに傾けた。
「ラセン草じゃないか……! これは、どこで?」
時が動き出した主人は、商人としてではなく一人のトレリアの住民としての顔でリンに問いかけた。
「街の外の湖ですよ? ねえ?」
答えたリンに視線を向けられ、ハイファもこくこくと頷く。
「あの湖に行ったのか⁉」
主人が椅子を押しのけて立ち上がり、気圧されたリンは首をすくめた。
「もしかして……ダメ、でした? 採っちゃいけない決まりとか?」
「あ、いや、そういうわけでは……。コホン、失礼。取り乱しました」
仕切り直した主人は、箱いっぱいの薬草に今回の商談で一番目を輝かせていた。
「驚いた。魔獣が住みついてからは誰も取りに行けなかったのに」
「多分、もう大丈夫」
リンと店主の注目が、言葉を発したハイファに集中する。
「湖の魔獣は、いなくなったから」
「は?」
少女の言葉の意味を理解しきれない主人が、もう少し詳しい説明を求める視線をリンに向ける。
「そ、そうなんですよ! なんか湖の岸で大きな魚の魔獣が死んでまして! 誰かが倒してくれたんですね! あははは……」
早口に言ったリンは、早々にこの話題を切り上げ、取引に持ち込みたかった。
「いや、そんなはずはない」
しかし、主人はテーブルの上で手を組むと、重苦しく言い放った。
「――あなた方が来る少し前、新たな犠牲者が出ました」
今度はリンとハイファの時が一瞬止まった。
「どういう、ことですか?」
なんとか口を動かせたリンは、震える声で続きを促した。
「あの湖には、旅の人が使う道の反対側に町の人間が使う道があります。そこからラセン草を採りに行った数人の男たちが、重傷を負った一人を残して悉く……」
そこから先は言われなくともわかった。沈痛な面持ちの主人を前に動揺するリンの視線が泳ぐ。
「そんな……! だって、魔獣は……」
魔獣はハイファが、リンはそう口にしかけて、ぐっと飲み込んだ。
当のハイファも目を見開いたまま、突き付けられた事実に言葉を失っていた。
「それに、あなたはさきほど魚の魔獣、と言いましたが、あの湖に出没している件の魔獣は狼に似た四足獣なんです」
追加された情報に、二人はますます戸惑う。見合わせたお互いが何を考えているのかは言葉がなくとも理解できた。
自分たちの遭った魔獣は、いったいなんだったのか?
室内は重く冷たい空気に支配される。
「なっ、なんにせよ、あなた方は運がいい! こうしてラセン草を無事に持ってこれたのだから!」
この状況を少なくとも自分に原因があると捉えた主人は、努めて明るい声を出し、取引を再開した。
「そしてこれを手に入れられる私もね。これだけあれば、それなりの額になりますよ!」
主人の笑みに、リンはこの商談の成功を確信したが、素直に喜ぶことはできなかった。
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