2-3 異形の魔獣
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「わあああっ⁉」
間一髪、落下物の下敷きにならずに済んだリンはハイファのそばに転がった。
「な、なにあれ⁉」
小高い山のように大きな魚。
そう言ってしまえば簡単だが、その姿はあまりにも常軌を逸していた。
紫がかった銀の皮、大きく飛び出した目玉とバラバラな方向へ伸びる無数の牙。
その身体はいくつもの赤い光の筋が走り、明滅している。
そして背中には、蝙蝠や龍のものと似た小さな翼が生えていた。
「――!」
びりびりと鼓膜を痛いほどに震わせる咆哮に、湖付近にいた動物たちが森へ逃げていく。
ハイファは目の前のものが何なのかわからないが、どういうものなのかは理解した。
「魔獣……!」
ハイファの声を聞いたリンの行動は早かった。
「ハイファ、逃げるわよ!」
「う、うん!」
ハイファを乗せてからリンもペックの背に跨り、合図として手綱を強く揺らす。ペックはこの場から離脱するために全速力で走りだした。
「まさか本当に出てくるとはね! でも、陸に出てきたのが運の尽きよ! だんだん弱って、そのうち死んじゃうんだから!」
確認のためにハイファが後ろを見る。だが、荷台のほろの向こうに魔獣の姿はない。
水中に戻った。そう判断した瞬間、視界が一段階明度を下げた。
まさか、と顔を上げたハイファは予想通り最悪の光景を目の当たりにする。
「リン! あの魔獣、飛んでる! 全然弱ってない!」
「うそぉっ⁉」
リンは旋回しながら空を飛ぶ魔獣の姿を見た。小さかった翼は、その巨体を浮かせるに足り得る大きさに変化している。
「あんなのあり⁉」
狙いを定めたらしい魔獣が、リンたちを目がけて矢のように落下してきた。
「わわっ、来た! しかも速い! ペック頑張って!」
リンにどやされる前からペックは全力で足を動かしているが、このままでは森に入る前に魔獣と激突してしまう。
「……っ!」
ハイファは、覚悟を決めた。
「リン! これ持ってて!」
「えっ⁉」
リンがハイファから押し付けられたのは、ハイファの腕の傷を隠す付け袖。
「は、ハイファ!」
リンが呼ぶ声を背に受けながら荷台に転がり込んだハイファは、素早く立ち上がると、腕に意識を集中させた。
「お願い……。出て来てっ!」
ハイファに応じるように傷から闇が溢れ出し、腕を包んでいく。
闇が弾け飛ぶと、ハイファの腕は異形へと姿を変えていた。
全身に力がみなぎり、迫る魔獣の姿も鮮明に見える。
「大丈夫……。きっと!」
荷台から飛び降りたハイファは、踵で地面を削りながら無理矢理その場に留まり、拳を握りしめて大きく跳躍。その衝撃に、茶色を露わにした地面がさらに抉られる。
「ふっ!」
下から振り上げられた拳と魔獣の巨体が激突した。
ドズン、と重たい音が大気を震わせ、周囲の草木が揺れ動き、湖の水面が波を作る。
ハイファの一撃は、魔獣の頭部の中心を捉え、頭蓋を砕いていた。
勢いを失った魔獣の身体が、わずかな滞空の後に地面に落ちる。魔獣はその大きさと重量に相応しい音とともに湖畔にあらたな陥没痕を作り出した。
「や、やった……」
着地したハイファは輝きを失ってぐったりと動かない魔獣に危機の回避を確信し、胸を撫で下ろした。同時に腕が再び闇に包まれ、異形からもとの細腕に戻る。
「ハイファ~!」
背後から聞こえた聞き慣れた声に振り返ると、リンは思いのほか近くまで迫っていた。
「リン――わぷっ」
飛びつくように抱きしめられ、ハイファは肺に詰まっていた空気を漏らす。
「大丈夫なの⁉ いきなりあんなことして、具合悪くなったりしてない⁉」
「リン、く、苦しいよ……! 平気だから落ち着いてっ」
「あ、ご、ごめんごめん」
ハイファに背中を叩かれてようやく腕を解いたリンは、仕切り直しとばかりに咳払いをひとつして、改めてハイファに向き合った。
「またあなたに助けられちゃったわ。腕は使いたくないって、言ってたのに」
「いいの。リンたちを守るためだから」
魔獣を屠る一撃を放った者とは思えない柔和な笑み浮かべ、ハイファは後ろに回した手を組む。
「これで街の人たちもラセン草を採りに来れるようになるね」
「……そうね。街に行ったら、みんなに教えてあげましょう」
「うん。でも……この魔獣、なんだったんだろう」
ハイファは地面に転がる魔獣の亡骸を訝しげに見つめた。
「ねえリン、これ、どんな魔獣か知ってる?」
「私も見たことない。初めて見るわ。っていうかハイファ、ペックより早く魔獣が近づいてるのに気づいたわよね? どうして?」
「えっと、急に傷が熱くなって……」
「傷が? 今はどうなの?」
ハイファは腕の傷に触れたが、熱はすでに消えていた。
「なんともない、みたい」
「その腕、まだまだわからないことが多そうね。とりあえず今は無事を喜びましょ。早くトレリアに向かわなくっちゃ!」
「大丈夫ですかー!」
「え?」
「ん?」
ふと、ハイファでも、リンでもない声が二人の耳に届いた。
「お怪我はありませんかー!」
声がしたのは、ペックの繋がれた荷台より後方。段々近づいてきている。
声の主は、草原を走る深い赤色の髪をした少年だった。背丈もハイファと同じか、少し高い程度だ。
「リン、あれ誰?」
「さあ……?」
白い装束を纏い右手に錫杖を持ち、肩から鞄を提げた少年に、二人はそろって首をかしげる。装束の採寸が合っていないのか、少年は走るのに大分難儀していた。
「大丈夫ですかー! 今そちらに――ぶへっ」
「転んじゃった」
「あらら、顔から行ったわね。ちょっと、あなたこそ大丈夫?」
二人はひとまず、倒れたままの少年の方へ足を動かすのだった。
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