2-2 水面に潜む影
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数回の客とのやり取りをこなすと、リンたちは荷台を元の形態に戻して再出発した。
しかし、ペックの手綱を握っていたリンは、二股の分かれ道の前までやってきたところで、唐突に荷台を止めてしまった。
「………………」
「リン、なんで動かないの?」
荷台から顔を出したハイファが問いかけると、リンは顔を正面に向けたままハイファに問い返した。
「ねえハイファ、最初のお客さんの話、覚えてる?」
「え? たしか、まっすぐ行くと魔獣が出る湖があるとか……」
「そう! 湖!」
ぐあっと勢いよく振り返ったリンにあわせ、彼女の束ねた髪が躍動した。
「そこでしか採れない薬草がある湖が、この道の先にあるのよ!」
「そう、らしいね。でも、急にどうしたの?」
「わからない⁉ これ、すごいことなのよ⁉」
「な、なにが?」
「特効薬の材料になる薬草が生える湖! しかも今は手つかず! これは間違いなく全ての商人の夢のひとつ、利益の独占ができる絶好の機会!」
「あ……」
ハイファはリンが言わんとしていることが、なんとなくわかってしまった。
「行きたいんだ?」
しかし、リンはすぐには肯定しない。
「いやっ、でもね? 私は今ハイファとシャンが一緒なわけだし? 私の都合で二人を危険に近づけるのは申し訳ないっていうか、なんというか……」
「……本当は?」
「行きたい! なるはやで行きたい!」
清々しいまでの即答。なんと儚い自制心であろうか。
「上手くいけば大儲けよ!」
ふんすっと意気込むリンに対して、ハイファは冷静だ。
「大丈夫なの? 大きな魔獣が出るんでしょ?」
「いい? ハイファ。商売をする者は時として危険に身を投じなくてはならないの。命を落とせば確かに元も子もないわ。けど、命だけあっても意味がないのよ」
真剣な顔つきになったリンがさながら世の真理を知る賢者のように言うが、ハイファにはいまいち響いていなかった。
しかし、自分の立場というものもそれなりに理解はしているので、リンの意見を尊重したいのがハイファの心情であった。
「まあ、リンが行きたいなら止めないけど……」
「よし! じゃあ、しゅっぱーつ!」
ハイファが言い終えるより先に動きだした荷台が、湖に続く道を進み始める。ペックが力なく鳴き声を上げたが、ハイファにはそれがなにかを諦めたように聞こえた。
左右を木々に挟まれた一本道はたいした長さではなく、二人の予想よりも早く湖はその姿を現した。
「湖っていうからには、ここよね」
荷台が止まり、ハイファは再度顔を出してリンと同じ景色を見る。
「わあ……」
眼前に広がる光景―森の一部分をごっそりとくり抜いたように大きく広がる湖と、それに寄り添う自然に、息を呑んだ。
陽光に輝く水面には水鳥が浮かび、ゆったりと泳いでいる。
草花が風に揺れ、野生の動物たちも散見できる。
人の手によって作られたものが一つとして見当たらない自然本来の姿がそこにあった。
「綺麗だね、リン」
「そうね。もっと荒れてると思ってたわ」
湖畔の中間まで荷台を進めてペックから降りたリンは、ぐっと拳を固めた。
「さあ! じゃんじゃん見つけてじゃんじゃん採るわよ! ハイファも手伝って!」
「うん。わかった」
空いていた木箱を両手で持ち上げたハイファは、依然として荷台の奥で沈黙を保ったままのシャンに近づき、仮面を付けた顔を覗き込んだ。
「じっとしててね? 急にいなくなっちゃ、いやだよ?」
反応がないことは最初からわかっていたので返事を待たず、すでに採集を始めているリンのもとへ駆け寄る。
「リン、これに入れたら?」
「ありがと! 使わせてもらうわ!」
リンが木箱に投げ入れた草を手に取って観察すると、確かにラセン草の名前の通り、細長い葉の先端が捻じれていた。
「けっこう生えてるわねー! 採り放題だわ!」
ほくほく顔でラセン草を根本から摘みまくるリンの後ろをついて歩きながら、雄大な景色に目をやっていたハイファは、一面に茂るラセン草にふと疑問を感じた。
「ねえ、リン」
「なにー?」
「これ、どれだけ採ればいいのかな?」
「へ?」
「お薬を作るには薬草がたくさん必要なんだって、おじいさんのやり方と一緒に、リンが教えてくれたよね?」
手を止めてハイファを振り仰いでいたリンは短い沈黙のあと、一音だけ声を発した。
「――あ」
同時に開かれた手から、はらりと金になるかもしれない薬草が地に落ちた。
薬を作る場合、大量の薬草が必要となり、それゆえ薬草の取引の可否は基本的にその量で決まる。商売をする上での知識として、そのことはリンも知っている。
だが、具体的にどの程度の量が必要なのかまでは知らなかった。
「そう言えば、どれくらい必要なんだろう。これ」
ハイファが持ってきたのは、リンの持っているうちでも中型のもの。微妙なところだ。
「もしかして、知らなかったの?」
「う……」
ハイファの指摘に言葉が出せないリン。ハイファの後ろにいたペックが、目先の儲け話に目が眩んだ主を嘲笑するように、ケケッと鳴き声を上げた。
「だ、大丈夫よ! とりあえずその箱をいっぱいにしてトレリアの町で売ってみて、それから決めましょう!」
摘み取る速度を上げたリンにハイファは小さなため息をつきつつ、自分も付き合って採集を開始する。魔獣の姿は見えないが、手早く済ませてこの場を離れた方がいいはずだ。
ラセン草を摘んでは箱に入れていく。この作業を繰り返す。
繰り返す。
ひたすらに繰り返す。
やがて、箱はラセン草で満たされた。
「ふー、こんなものかしら」
立ち上がって軽く腰を叩いたリンは、ラセン草の詰まった木箱を荷台に運んだ。
「あとは、町でいくらになるか、ね。ハイファ、お疲れさま」
ぺたんと地面に座るハイファに労いの言葉をかけてから、リンは手に付着した土汚れをどうしようかと考え、いつの間にか湖に近づいていたことに気づいた。
「休憩にしましょうか。ちょっと湖で手を洗ってくるわね」
「あ、リン、待って。私も――」
湖に歩き出すリンを追おうとして立ち上がったハイファは、言葉と動きを中断した。
「……?」
腕が、腕の傷が、熱い。
「それにしても、魔獣なんていなかったわねー。……ハイファ?」
振り向いたリンの方を向いたとき、ハイファは戦慄した。
湖の中から、何かが迫っている。
「リン! そこから離れてっ!」
盛り上がった水面を突き破り、舞うようにして空へ跳ねた、大きな影。
影は、リンを目がけて落下してきた。
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