2-1 青い空、響く呼び声
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青く高い空を、つがいと思しき鳥が翼を広げて悠然と飛んでいく。
揺れる枝葉の間を潜り抜け、うららかな日差しが踊る。
あらゆる感覚がゆっくりとほどけ、自身も草花の香に溶けてしまいそうだ。
「さあさあ! いらっしゃい! はるか遠方の品物から日用雑貨に消耗品! なんでも揃えてますよー!」
リンが割れんばかりに張り上げる客寄せの声さえなければ、だが。
「ここだけでしか手に入らない珍しい品の数々!」
コンベルの街を出て、リューゲルへと向かい始めて数日。リンは道中にある自分の当初の目的地であったトレリアの街での商売の予行演習として、ハイファたちを連れ立っての初仕事に取り掛かった。
「ぜひお立ち寄りくださーい!」
「さ、さーい……」
リンの横にはハイファも客寄せに立っている。
彼女の腕は刻まれた傷と痣を隠すための長い付け袖に包まれていた。
それは森でカルテムに襲われた際に着ていた服の再利用で、裂けた自分の衣服を修繕したときにリンが一緒に作ったものだ。
コンベルを出た翌日に、リンがそれまで聞き及んでいた話とハイファがコンベルで倒した龍瞳教団の宣教師カディオの発言を照らし合わせた。
その結果わかったのは、ハイファが龍瞳教団の宣教師として腕に異形の力――獣骸装を取り付けられたらしいということのみ。
リンと出会った瓦礫の山を築いたのがハイファであるかどうかは、突き止めても仕方のないことであるとして、曖昧なままにするとリンとハイファの二人で決めた。
シャンについても同様で、何かしら龍瞳教団と関わりがあると考えるのが自然だった。
異形の腕はハイファの意思で自由に発動できることも話し合いをしたその夜にわかったが、出来るだけ使わないようにしようと、これも二人で決めた。そこでリンが与えたのがこの付け袖であった。
『大丈夫! ハイファがその腕のせいで悲しい思いをしないように、私が頑張るから! これはその最初だよ!』
眩しい笑みとともに渡されたリンの優しさの象徴ともいえる贈り物を、ずっと大切にすると固く心に誓ったハイファだった。
が、それと客商売は完全に別の話である。
「いらっしゃいませー!」
「ませー……」
頬を赤らめた顔を俯きがちに、鳥のさえずりに近い声量で復唱していると、真剣な表情でリンが振り向いた。
「ハイファ! 声が小さいよ! 道の向こうからやってくるお客さんが、見える前から私たちに気づくように! 近くのお客さんが嫌でも私たちを見るように!」
人をちらほらと見かける通り沿いに荷台を止め、通り側のほろを上げて簡易的な商品棚を作り、あとは全力の呼びかけ。それがリンが亡き恩人から伝授された屋台での商売方法。
「う、うん。頑張る……!」
従業員として働くことになったハイファも前日のうちに当然リンから伝えられた。
しかし、記憶を失ったからなのか、はたまた元来の性格なのか、往来に向かって大声を出すことが少し恥ずかしいハイファであった。
「い、いりゃっしゃいみゃせっ!」
甘噛みしながらも懸命に声を出すハイファを微笑ましく思いつつ、リンも負けじと客寄せを再開しようとしたとき、一組の親子連れがリンたちの前で足を止めた。
「やあ、これはまた随分と可愛らしい行商さんだ」
「いらっしゃいませ! いろいろ揃ってますよ!」
素早く動いたリンが愛想のいい笑顔で接客を開始する。ハイファはその俊敏さに目を剥いた。
「何をお求めですか?」
「私とこの子の分の水と食べ物を。これから山の向こうの村まで行かなくてはならなくて」
確かに、優しそうな顔の父親も、その息子もそれなりに装備を固めていた。麻の衣服に濃紺色のローブをかけ、山越え用の装備を携えている。
「かしこまりました! ハイファ、二段目の木箱にある水筒と保存食をふたつお願い」
「うん、わかった」
ハイファが荷台の中に上っていくと、父親のそばにいた男の子が期待のこもった声でリンに問いかけた。
「ねえ、おねーちゃん! ラセン草はある?」
「えっ? ら、ラセン草? え、えーと、あったかなぁ?」
聞きなれない単語に歯切れが悪くなるリン。
「もしかして、ないの? 母さんの病気も、あれで治るのに……」
そんなリンを不安そうに見つめる少年の後頭部を、彼の父親が小突いた。
「こら、よさないか。困ってるじゃないか。すみません、うちの子が……」
「い、いえいえ! それより、そのラセン草というのは?」
「近くの湖のそばに植生する薬草ですよ。葉先が捻じれているのでそう呼ばれてるんです」
「ああ、この土地由来のものですね」
リンは会話と並行して、脳内にある仕入れ予定品の一覧にラセン草の名前を書き加えた。
「このあたりの風土病も、ラセン草で作った丸薬が特効薬なんですがね。病院もちょうど在庫を切らしているそうで」
「奥様もその病に?」
「ええ。運の悪いことに。おかげで、山向こうの病院で養生することになってしまって」
「リン、おまたせ」
「ありがと! どうぞ、値段はレウン銅貨三枚です!」
ハイファから受け取った商品をそのまま父親に手渡し、代金を受け取ったリンは、膝に手をついて少年に話しかけた。
「ごめんね? 次に来てくれたときまでには用意しておくわ。トレリアにしばらく滞在するから、機会が有ったら私たちを頼ってね」
「あ……うん」
しょげかえる少年に代わり、父親がリンに忠言する。
「無理はしないでください。今は採集に向かうのは危険です」
「危険?」
「その湖なんですが、実は最近出るらしくて」
「出る?」
「魔獣ですよ。魔獣。それもかなり大型のやつが。村や街の人たちにも犠牲者が出てるくらいで。怖がって誰も近づこうとしません」
父親は指でトレリアの方角を示した。
「行商さんもトレリアに行くならこの先の分かれ道を右に曲がったほうがいい。直進して湖の前を突っ切るよりも多少遠回りですけど、安全ですよ」
「ありがとうございます。参考にさせてもらいますね」
「ええ。では、これで」
受け取った品を鞄に詰めた親子は軽く手を振ってから、リンたちが進んできた道を歩いていった。
「巨大魔獣の出る湖か……」
「リン?」
「あ、ううん。なんでもない。それよりシャンはどうしてるかしら?」
「大丈夫。じっとしてるよ」
荷台の奥に座るシャンは、布を被せられている。
商売を手伝ってもらおうとも考えはしたが、心臓の弱い者を卒倒させかねない見た目では客の前には出せず、かといって商品を運ばせようにも満足な意思疎通もできない。
最終的に『なにもしてくれないことが一番の働きなのでは?』という結論に至り、このように身を潜ませることになったのだ。
「それに、ペックも見張ってくれてるから」
荷台の牽引装置を外されているペックが、短い尾羽をぷるぷると震わせながら、布の下で動かないシャンを睨んでいる。
「コンベルでのこと、気にしてるのね。ペック! あんまり張り切りすぎなくていいからね! 私、別にこの前のこと怒ってないから!」
クエー、と返事はするものの箱から視線を動かさないペックに、リンとハイファは苦笑するほかなかった。
「ハイファは腕と首だけ隠せばいいけど、シャンは全身やばい見た目だからね。早くいい方法を思いつきたいわ」
「うん。なんとかしてあげたい」
「でも! その前にハイファにも仕事に慣れてもらわないと!」
いきなり自分が話題にあがって面を喰らったハイファだったが、リンの気持ちに応えるために頑張ると決めた心に嘘はない。
「もう何人かお客さんを呼ぶわよ! いらっしゃいませー!」
「い、いみゃっしゃいましぇー!」
それからしばらく、通りにはつたなくも一生懸命な声が響いた。
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