1-15 あまく、あたたかく
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今回で第1章が完結です。
「ううん……」
頬を撫でる冷たい風。そして、それに混じる生温かい鼻息。
これまで、何度こうして眠りから覚めたことだろう。
「ん……」
目を開ければ、長く一緒に旅をしてきた相棒が、寒さから守ってくれるように寄り添って眠っていた。
その姿がたまらなく愛おしくて、そっと頭を撫でた。
そこで、リンの意識は現実に引き戻される。自分は街にいたはず。それがどうして、こんな草原の真ん中で眠っていたのだろう。
「気がついた?」
聞こえた声は、なぜかひどく安心できた。
「ハイファ……」
スペルシートで焚かれた火の前に座る細腕の少女が、リンの付けた名で呼ばれて微笑む。
「あの人をやっつけたら街にいづらくなって、出てきちゃった。リン、ベッドで眠るのを楽しみにしてたのに。ごめんなさい」
最初、ハイファが何を言ってるのかわからなかったが、すぐに自分の身に何があったのかを思い出し、リンは腹部をまさぐった。
「あ……」
裂かれた服はそのまま、包帯だけが新しいものに変わっている。
「巻いておいたよ。ペックが包帯の入ってる箱を教えてくれた」
なんでもないことのように言うハイファに、リンは消え入りそうな声で尋ねた。
「……見た、よね」
「うん」
ハイファは短く答える。
「私も奴隷だって……?」
「うん」
また、なんでもないように。リンにはハイファの態度が耐えられなかった。
「……ごめんなさい」
ハイファは少し驚いて、丸めていた背筋を伸ばした。
「どうしてリンが謝るの?」
「だって、私、あなたを騙して……」
あの男の言っていた言葉が脳内で反響して、リンの胸を締めつける。
「あなたに偉そうなこと言って、結局、同じ奴隷なのに」
視界がぼやけ、声が震え、思わず膝を抱えてしまう。
「………………」
ハイファが、こちらに近づいてくる音がした。顔をあげると、いつもリンが持ち歩いているキャンデの入った包みが目の前にあった。
「え……」
「これ、食べよ?」
差し出された一粒をリンが受け取ると、リンの隣に座ったハイファは甘い結晶を口に含んだ。
「うん。改めて食べると、やっぱり美味しい。落ち着く」
つぶやいたハイファと、手の上のキャンデルを見て、リンも口に放り込む。
甘い味が、口の中にじわりと広がった。
「ありがとうハイファ。でもね、違うの。これも……ただの真似なの」
「真似……?」
「……私、貧しい家の生まれでね。口減らしで小間使いとして近くのお屋敷に売られたの」
わずかに押し黙ったリンは、やがてぽつりぽつりと語り始めた。
「でも、家事も掃除も上手に出来なくて。そこの旦那様にいつも怒られて、殴られて、何度もご飯を抜きにされたわ」
スペルシートの上の火が、少しだけ強く吹いた風に揺れる。
「少し時間が経つと、事業に失敗した旦那様は売れるものをありったけ売って体裁を守った。その売るものの中には私も含まれていて、お腹の印もその時に売られた先でね。それからは……まあ、いろいろと」
リンの話に耳を傾けるハイファは、ほんの少しだけ、首の傷のうずきを覚えた。
「私を買ったのは、ダリオって名前の行商のおじいさん。ペックともその時に会ったの。でもそのおじいさんが変わった人でね。呼び方はご主人様じゃなくおじいさんでいい、なんて言って」
懐かしむリンの瞳が、火に照らされて揺れる。
「奴隷の私に新品の服を買ったり、毎日の食事を用意したり、本を読み聞かせてもくれた。ハイファとシャンの物語も、おじいさんが話してくれたのよ」
「リンが、私にしてくれたみたいに?」
昼間のことを思い返したハイファにリンは頷き、さらに続けた。
「ただ行商の手伝いをしてるだけだった私も、ハイファみたいに疑ったわ。どうしてここまでしてくれるのかって。何か理由があるのかって。そしたらおじいさんは、理由なんてない。私がしたいからしてるだけだって言ったわ」
リンは膝を抱えていた手の左右を組み替えながら続けた。
「私、お屋敷にいたころから、ずっと泣いたことなんてなかったのに、その時ばかりは涙が止まらなかった。私に優しくしてくれる人なんているんだなって。思いっきり泣いたあとにおじいさんがくれたのが、このキャンデルだったの」
「そのおじいさんは? 私も、会ってみたい」
けれど、リンは首を振った。
「もうずっと前に亡くなったわ。いつもみたいに立ち寄った町で、突然ベッドで寝たいなんて言ったと思ったら、その日の夜にね」
「あ……。そう、なんだ」
ハイファは自分の失言を反省し、リンに向けていた視線を炎の方へ外した。
「亡くなったおじいさんの枕元にはいつの間に用意したのか、行商としての私の身分証が置いてあったの。私はおじいさんの跡を継いで、ペックと一緒に旅を続けた。おじいさんがしてくれたことを私もしようって考えながら」
炎は、リンの胸中の指標のように、ゆらゆらと揺れる。
「でも、いざ売られている奴隷を前にすると、私におじいさんみたいにできるのかどうか不安になって……。そしたらハイファ、あなたが現れたのよ」
二人の目が、再び互いを見つめ合う。
「ボロボロで立ち尽くすあなたが、昔の私にそっくりだった。助けたかった。だから……」
リンの両手がハイファの両腕を優しく掴む。
「だから……っ!」
こらえきれなくなったリンの目から、大粒の涙が溢れ出した。
「騙すつもりなんてなかった! 私はただ、昔の私みたいな誰かを、昔の私みたいに助けたかった! でも、それは、あいつの言う通りで、私の自己満足で……!」
そこから先は嗚咽が混ざり、言葉にはならない。ハイファは右手を動かし、肩に乗るリンの手と重ねた。
「私は、リンに会えてよかったと思ってるよ」
「ハイ、ファ……」
「リンがあの場にいてくれなかったら、私、きっと死んじゃってた。もしかしたら、あの腕を使って暴れまわっていたかもしれない。けど、リンに会えたから、会えたのがリンだったから、私は今こうしていられるんだと思う」
嘘偽りのない純粋な思いに、リンはさらに息が詰まった。
「でもっ、わたし、どれい……!」
「関係ないよ」
リンの額に自らの額をそっと当て、ハイファは告げる。
「自己満足でも、真似でも、リンがどんな人だったとかも、関係ない。私にとってのリンは、私を助けてくれた優しいリンだから」
いつの間にか起きていたペックも、リンを慰めるように嘴を擦り付ける。
「ハイファ……。ペックも、ありがとう」
ぐしぐしと乱暴に目を拭い、リンは立ち上がった。
「よしっ! 元気出た! ハイファ! 私、あなたを必ずあなたの故郷に連れていくわ! あなたの記憶を取り戻す手助けも、頑張るから!」
眩しく笑うリンに、ハイファも微笑みを返す。
「うん。よろしくね」
「ええ! ……あれ? 何か忘れてるような」
一瞬の思考ののち、リンが思い出したように手を打った。
「あ! シャン! やだ、すっかり忘れてたわ!」
実はずっと覚えていたハイファであったが、あえてそれは言わずに、遠くに見えるコンベルの町に振り返る。
「ハイファ、シャンも一緒だった?」
「ううん。置いてきちゃって……」
「どうしよう……。こんな話をした手前、置いていくのは忍びないし、かといって、戻ると戻るでややこしいことになるのは確実……」
うーんと唸るリン。その背後に、ぬうっと巨大な影が現れる。
「ハイファ、何かいい考えない?」
「………………」
絶句しているハイファに、リンは首をかしげる。
「ハイファ?」
「リン、後ろ……」
「後ろ?」
振り向いたリンは、至近距離にいた大男に驚いてその場から飛び退いた。
「うわぁ⁉ びっくりした! シャン! どこに行ってたの!」
自分から離れたのにまた自分から詰め寄るリンに、シャンは相も変わらず無反応を貫く。
「なんとか言いなさいよ! この、この!」
シャンの身体によじ登り仮面の装飾を掴んで、ぐりぐりと彼の頭を揺するリン。
ハイファには、突然現れたシャンが少し不思議に感じられた。
「追いかけてきたの? 全然、気がつかなかった」
「そんなことより! なんで箱から出てきちゃったの! あなたを探して大変な目にあったんだから!」
頭上のリンなどまったく意に介さないシャン。ハイファは彼の視線が自分に向けられているように思えた。
「な、なに?」
ハイファが問いかけると、リンを乗せたまま、ずんずんとハイファに近づき、その大きな手をハイファの頭に置いた。
「ほ、本当になにっ?」
次の瞬間、ハイファの視界が白く弾けた。
白が消え、少しずつ景色が明瞭になっていく。
ものすごい速度で後ろへと流れていく地上の世界。
ハイファは直立の姿勢のまま、風になっていた。
だが、その体験はすぐに終わりを迎える。
「……ふぁ、ハイファ。ハイファ!」
「うっ……」
シャンから下りたリンの呼び声で現実に引き戻されたハイファは、ふらついたところをペックに支えられ、転倒を免れた。
「あ、ありがとう。ペック」
「ハイファ、大丈夫? いきなりぼうっとして」
顔を覗き込んでくるリンに、ハイファは逆に顔を詰めた。
「リン、こ、これっ。知ってる?」
地面に指を走らせ、今見た光景を図にして表す。
描き上げたそれに、リンはきょとんとなる。
「え、なにそれ。キノコ?」
「えっと、お城、みたいだった。下には、街があったよ」
「お城? 下に街? そしてその形……。ああ、わかった! これ、リューゲルのお城よ!」
ハイファが地面に描いたのは、東の果ての国の城の簡単な絵であった。
「でも、どうして急に?」
「わからない……。でも、シャンが私に何かを伝えたいのかも。リン、行ったことある?」
「リューゲルかぁ。一度だけ近くまで行ったことはあるわね。すごく立派なお城で、一度見たら忘れられないから、よく覚えてるわ」
顎に手を当てて遠くを見たリンは、その姿勢のままシャンに目をやった。
「なんでリューゲルなのかしら。ここから結構な距離がある場所よ?」
当のシャンはハイファに向けていた視線を外して、虚空を見つめている、ように見える。
「私、ここに行ってみたい」
腕の傷を撫で、ハイファは決意に満ちた声で訴えた。
「龍瞳教団のことはよくわからないけど……。私の記憶、それにこの腕のことも。きっと何かわかるはずだから」
ハイファの真剣な眼差しを、リンは無下にすることはしない。
だから、ハイファの間違いを訂正することにした。
「それだけでいいの? まだあるんじゃない」
「え?」
「ほら、腕よ。腕」
リンが触れたのは、ハイファの腕の傷。異形と化す際の起点となる箇所。
「知るだけじゃなく、元に戻さないとね」
この時、ハイファはリンがやはり正直で優しい人間なのだと、改めて理解した。そんな彼女だから、そばにいたいとさえ思えた。
「……うん!」
「決まりね。ここにいったい何があるのか、確かめに行きましょう!」
過去を背負う少女と、過去を失った少女。そして正体不明の大男。
三人の旅の始まりを、夜空の星々だけが見守っていた。
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更新は明日、第2章のスタートです!
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