1-13 抗うために
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「リンが、奴隷……?」
呆然とするハイファを無視し、カディオがリンの首を掴んで持ち上げる。
「さっき触れた感触がどうにもな。どれ、ひとつ確かめてみようぜ」
カディオはもがくリンの裂かれた服から覗く包帯を剥ぎ取った。
露わになったのは、奴隷の証である焼き印。それも大の男の手の平ほどの大きさのもの。
ハイファは理解した。宿の風呂でリンが包帯を巻いた腹部を触らせなかったのは、その傷を知られたくなかったからなのだと。
「なかなか立派なモン付いてるじゃねぇか。ええ? おい。いい趣味してるぜ。こいつを付けようと考えたやつは」
「くっ……!」
「にしても、ハハハッ! こいつは傑作だ! 奴隷が奴隷を連れてやがった!」
目の端に涙を浮かべて屈辱に耐えるリンに下卑た笑い顔を近づけ、カディオは追い打ちの言葉を浴びせかけた。
「なあ、聞かせてくれよ。どんな気分だった? まっとうな人間のフリして、奴隷のガキを騙して侍らせるってのは!」
「ち、がう……! 私は、ただ、助けたくて……っ」
掠れた声で反論するリン。カディオはつまらなそうに表情を消した。
「助ける? じゃあ何か? お前、ガキの奴隷に会うたび施しをしていくつもりか?」
「それ、は……」
すぐに答えが出すことのできないリンは、もがくことすら忘れて動きを止めてしまった。
「俺はな、お前みたいに自己満足で善意を押し付けて、優越感に浸っているようなやつが一番ムカつくんだよ! それも奴隷風情がよぉっ!」
カディオの形相が怒りに転じ、リンの首を掴む力が強くなる。
「あ、が……!」
言葉にならない苦悶の声を上げるリン。カディオはリンを地面に投げ落とすと、露店に売り物として置いてあった、中に液体が注がれた瓶を手に取った。
瓶の中身は、傷薬 。
「そんなに人間のフリしたいならよぉ、その刻印は邪魔だろ? 俺が消してやるよ」
栓に歯を立てて乱暴に開けると、仰向けに倒れるリンに、その腹部の刻印に薬品を浴びせかけた。
「あ……!」
リンの顔が青ざめ、薬品に反応した刻印が肉の焼ける音とともに煙を吐く。
「あ、ああぁあぁああっ! あぐあああっ!」
絶叫が、空を引き裂いた。踏みつけられたリンの身体が痙攣する。
「痛い……! 痛いいいいぃっ !」
涙と汗に濡れた顔を苦痛に歪ませるリンを見て、カディオは芝居がかった動きで自分の額を叩いた。
「おっとすまん! 間違えた! それを取っ払うには傷薬じゃなくて凄腕の魔法使いが必要か! なんせ二重の呪いがかかってるもんなぁ!」
リンの悲鳴はカディオの笑い声と混ざり合って、コンベルの町に響いていく。
全身を弛緩させて浅い呼吸を繰り返すだけのになったリンを見下ろし、カディオは瓶を放り投げた。
「ヘヘッ、いい恰好になったな。奴隷にゃお似合いだぜ」
カディオの足がゆっくりと上がるが、それはリンを解放するためではない。
死 を与えるためだ。
「こいつの次はてめぇだ、ガキ! そんでその後はこの町の連中みぃんな、俺が『救済』してやるよぉ!」
哄笑するカディオの足が、リンの頭を踏み潰さんと勢いよく下ろされる。
鈍い音が、空に吸い込まれた。
「……あ?」
カディオの顔に、怪訝が灯る。獣の足が、何かに止められていた。
それは、ハイファの右腕。黒い靄のようなものを纏う、細い腕だった。
「てめぇ、いつの間に。いや、どうやって――」
「離れて……!」
ごうごうと大気が震える。ハイファの周囲の小石や砂が、徐々に宙に浮かびあがった。
「リンから……離れてっ!」
刹那、叫んだハイファの両腕の傷が夜の空よりも深い闇を放出し、カディオを突き飛ばした。
「ぐっ! ガキが!」
態勢を立て直してハイファを睨みつけたカディオは、絶句した。
「……おい、なんだそりゃ」
カディオの目が、驚きの色を差す。ハイファの両腕に闇が渦巻いていた。
否、それは闇の姿をした莫大な魔力。カディオが未だかつて対峙したことのない魔力が、ハイファから迸っている。
闇がさらに変容し、ハイファの腕を異形へと変えた。
「これ、あの時の……」
ハイファは自分の身に起きた変化を、今初めてしっかりと認識できた。
夜の森で魔獣に襲われて発現した異形の腕。それも今回は片腕だけでなく両腕。
けれど、初めての時のような恐怖はない。今のハイファの胸にあるのは、リンを苦しませたこの男に対する怒りだった。
ハイファがキッと睨みつけたカディオは、バーゲストの尾を揺らしながら得心言ったように息を吐いた。
「なるほど。この感じ、宿で感じたのと同じ気配だ。獣骸装ってこたぁ、お前も宣教師だったわけだな。それが反乱を起こした、と。それならあのぶっ壊されっぷりも納得できる」
くつくつと喉を鳴らして笑うカディオに、ハイファは眉をひそめる。
「獣骸装? 宣教師……?」
「しらばっくれるなよ、ご同業。そんな小さいのに、俺を驚かせる程度の魔力と気配を放てるとは恐れ入るぜ」
ただな、と続けたカディオのバーゲストの腰巻が激しく蠢く。風を受けたからなどではない。カディオが漲らせた魔力に反応し、それを貪りながら力に変えているのだ。
「ガキの使う獣骸装ごときが、俺より強いなんて道理はねぇんだよぉっ!」
吠え叫んだカディオを中心に、魔力放出の余波による黒い風が吹きすさぶ。
ハイファへ向かって突進するカディオは、構えも取らないハイファが戦闘面では素人であると即座に判断する。
しかし、この時点で彼は対峙するものに決定的な思い違いをしていた。
「臓物ぶちまけて、死んじまい――!」
一撃。
ただ、力任せの拳。
そこに、作戦も、技量も、能力も、何一つとしてありはしない。
しかし、速さも、重さも、正確さも、カディオの経験を上回っていた。
「ナッ……!」
カディオの顔面が湾曲し、声になりそこねた息が噴き出る。ハイファは押し付けるように拳を振り抜いた。
「バァッ⁉」
放たれた矢のように。カディオは錐もみしながら一直線に空を飛び、町の中央にそびえる背の高い建物の外壁に激突。そのまま地面へと落下する。
その光景を見ることなく、拳を振りぬいた姿勢を静かな挙動で解いたハイファは、リンの身体を抱え上げるとその口元に顔を近づけ、リンがまだ息をしていることを確認した。
「なんだ、あの子どもは……」
声のした方に視線を動かせば、こちらに向いた無数の人々の顔が見える。
「あの腕、あいつも……」
「化け物よ! そうに決まってるわ!」
「ここの兵隊は何やってんだ!」
怯え。惑い。警戒。思い思いの感情のこもった遠巻きの視線の中に、自分たちを受け入れるものはなかった。
そんな人々の壁を割りながら、荷台を引いたままのペックがハイファの前に現れる。全速力で走り回ってくれていたのか、その身体は直接触れずとも感じられる熱を帯びていた。
「来てくれたんだね。ありがとう」
ペックは抱えられているリンの頬に嘴を触れて、心配しているらしく、か細く鳴いた。
「大丈夫。ちょっと怪我しただけ。死んだりしてないよ。おいで。行こう」
ハイファは転がっていたボウガンを回収し、ペックを連れて一路、町と外を隔てる外壁の門へと向かう。
騒ぎは既に町中に知れ渡っていたようで、門の前には複数の門番が並んでいた。
「止まれ!」
槍を構える門番たちのうちの一人が、ハイファに向かって叫ぶ。
「どいてください。私たちは、この街を出たいだけです」
「お前たちが龍瞳教団だということはわかっている。ローンベル公の一件を含めて、事情を聞かせてもらおうか」
融通の利かなそうな若い門番の言葉を聞いたハイファは、その隣に街に入るときに荷物検査をした髭面の門番がいることに気づく。
あちらも気づいているようで、ハイファと視線が合うと、ばつが悪そうに目を逸らされた。
「仕方ない、よね……」
つぶやいたハイファは、ペックの背にリンを乗せてから再び門番たちと向かい合った。門番たちは額に汗を浮かべ、槍の穂先をハイファに合わせる。
「――えいっ」
軽い掛け声のあと、地面に振り下ろされたハイファの拳が掛け声からは想像もつかない威力で町を揺るがし、地面を割った。
焼き菓子でも割るかのように簡単に。薄い陶器の皿を落としたかのように脆く。大穴を開けた地面の亀裂が、門番たちの足元まで及ぶ。
「邪魔するなら、加減はできない」
握った拳を小さく構えるハイファ。門番たちはある者は顔をひきつらせ、ある者は嘆息して槍を下ろし、ある者は腰を抜かしていた。
何事もなかったかのようにすたすたと門番たちの間を横切ったハイファは、固く閉ざされた門の前に立った。
門は城塞と同じく、壁と一体化した塔に駐在する別の門番が跳ね橋機械を動かさなければ開かない仕組みになっている。
「お、お嬢ちゃん、その門は……」
髭面の門番がそのことを説明しようとしたのと、ハイファが両開きの門の右側に異形と化した腕を伸ばしたのは同時だった。
最初はびくともしなかった門であったが、ハイファがわずかに力を入れただけで、いとも簡単に荷台も通れるほどの幅まで押し開かれてしまう。
「嘘だろ……」
息を呑んだ門番たちを横目に、ハイファとペックは門の向こう側へ進む。
「どうも、お騒がせしました」
礼儀正しく頭を下げて門を閉め始める少女を止めようと動く勇気のある者は、もはやその場にはいなかった。そこにはただ、沈黙だけが横たわっている。
こうして、ハイファたちはコンベルでの短い滞在を終えた。
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