1-12 暴かれた『嘘』
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宿を飛び出したハイファとリンは、夜の姿に変わり始める街を駆けずり回っていた。
「シャン、いないね」
「どこに行っちゃったのかしら。はやく見つけないと面倒なことになるわよ」
二人の顔には焦りの表情が浮かんでいる。
夜の森の中で姿を見失うのとはワケが違う。ひた隠しにしていたシャンの姿がこんな街の往来に晒されてしまえば、早晩騒ぎになることは明らかだ。
加えてほとんど密輸のように入れたシャンなので、おいそれと人に行方を尋ねることもできない。
まだそれらしい騒ぎが発見できていないことが、不幸中の幸いであった。
「それにしても、どうしてペックは気づかなかったのかしら……」
「お昼寝してたとか?」
「ペックは野営中の夜にしか眠らないわ。そう躾してあるの。気になるのは荷台の様子よ。シャンが入ってた箱は、大きさ的に無理に動こうとすればすぐに壊れるはずなのに、綺麗に残ってた。あれじゃあ、シャンだけが消えたみたいだわ」
「消える……」
「ともかく、騒ぎになる前に連れ戻さないと!」
そう遠くには行ってはいないと判断し、宿を中心に周辺を捜索していた二人は、ハイファの服を新調した老婆の営む服屋の前を通り過ぎ、別の通りに出たところで、人だかりを見つけた。
「リン、あっち。もしかしたら……」
「もしかするかもね。行ってみましょう!」
駆け足気味に近づき、人を掻き分けて最前列へ辿り着いたリンは、すぐさま足を止めた。
「……っ! ハイファ、見ちゃダメ!」
言った時にはすでに遅く、ハイファはその目で確かに見ていた。
それは、十字に交差する道を横切りながら担架を運ぶ男たち。
運ばれている担架には布が被さっているが、その間からだらりと力なく垂れる細い腕には、奴隷の証である焼き印があった。
「可哀想に。子どもの奴隷ばかりだ……」
「ローンベル公の遺体も見つかったそうよ。庭師の人が見つけたって」
「あんなに良い人だったのに」
「怖いわ。強盗かしら……」
複数の会話がまぜこぜになって聞こえる。リンはこれがシャンに関係することでなかったことにひとまずの安堵を覚えたが、すぐに隣にいた初老の男に声をかけた。
「すみません。私たち旅の者なのですが、何があったんです?」
「惨い話さ。この街で一番の金持ちのローンベル公が殺されたんだ。しかも犯人は魔法使いのようで、公の遺体は焼け焦げて炭のようになっていたらしい」
「……あの奴隷たちは?」
「ローンベル公の屋敷で働いていた子どもたちだよ。公は時折、子どもの奴隷を買っては仕事や読み書きを教えていたんだ。多分、公と一緒にやつらに……」
「やつら?」
「旅の人なら聞いたことはないかい? 龍瞳教団という名前を」
「うそ……!」
リンの顔が戦慄に染まる。聞きなれない単語に首を傾げたハイファは、リンの手を一度引いた。
「リン、龍瞳教団って?」
「私も詳しくは知らないけど、自分たちは人を殺してもいいって考えてる狂人の集団よ。いろいろな場所に現れては救済とか言って無差別に人を殺してるらしいの」
リンの言葉の端に、純粋な忌避を感じ取れる。男は話題をさらに掘り下げた。
「実はこの街の近くの森に屋敷があるんだが、そこがやつらの拠点なんじゃないかって噂されていてね。近々調査が入る予定らしいよ」
「森の屋敷……」
つぶやいたリンがハイファと繋いでいた手に、わずかに力が籠る。
男は不思議そうにリンの顔を見てから、低い声音で告げた。
「悪いことは言わない。できるだけ早くこの街を離れた方がいいよ」
「ご忠告どうも。ハイファ、どうやら明日はすぐに出発することになりそうね」
「うん。早くシャンを見つけないと……」
言いかけて、言葉が詰まった。ぞくりと背筋をかけた説明不能の悪寒が、重力となってハイファの身体を硬直させたのだ。
「ハイファ? どうしたの?」
「わか、らない。でも……でも……!」
ハイファが空を仰いだ瞬間。
轟音。
空から砲弾のように飛来した何かが地面を砕いた。ほぼ同時に悲鳴があがり、人だかりは散り散りになる。
「なに⁉」
吹きつける砂を腕で防ぎながらリンが叫ぶ。
「見つけたぜぇ……!」
もうもうと上がる土煙の中から、若い男の声がした。
煙を引き裂いた男の姿に、リンだけでなくハイファも驚愕の色を隠せない。
「よお、さっきぶり。覚えてるか?」
声や恰好が二人の記憶と一致する。宿で鉢合わせした青年、カディオだ。
しかし、その身体は最初に見た時にはないモノ――『尾』を有していた。
獣のような細長い尾がその先端を上に向けて揺れ、加えてカディオの脚部は四足獣が後ろ脚で立ったかのような形状に変化しており、リンにはその姿が魔獣と混じり合っているように思えた。
「龍瞳教団の拠点を潰したのがこんな小娘どもとはな。怒るどころか笑えるぜ」
今しがた耳にしたばかりの言葉に、周囲の民衆がどよめく。
「どういう手品かは知らないが……てめぇら、覚悟はできてんだろうな?」
ヘラヘラと笑うカディオの目に、鋭く冷たい光が宿る。
「俺さ、見た相手が死ぬかどうかがわかるんだけどよ」
ゆらりと持ち上げた右の人差し指で、リンとハイファをそれぞれ指さす。
「てめぇら、もうすぐ死ぬぜ?」
カディオが、にいぃぃっと薄気味悪い笑みを見せる。
ここにいてはいけない。リンはそう確信し、すぐさま行動に移った。
「ハイファ、走って!」
リンはハイファの腕を引いて駆け出し、一目散に路地へ飛び込む。
人通りの少ない路地を抜け、一気に別の大通りに出る。人々の間を押し潜りながら、また別の路地へ。
「やっぱり、あの瓦礫はそういうことだったんだ……!」
走りながら、リンはひとりごちる。
森の中の屋敷。リンには覚えがあった。
ハイファやシャンと出会ったあの場所の瓦礫の山は、もとの状態ならどれほどの大きさの建物になったことだろう。
それこそ、組織の拠点におあつらえ向きなものになるはずだ。
腕が異形に変わるハイファ、異形そのものであるシャン。
そして、今しがた現れた魔獣と混ざり合ったような男とその言動。
頭の片隅にあった可能性が現実味を帯び始めていく。
だが、ちらりと振り向いた時に見えた少女の怯えた顔に、リンの思考はきわめて短絡的な結論を弾き出した。
そんなはずはない。ハイファもシャンも、きっと何もしていない。
宴の喧騒が聞こえる酒場の裏や密集する家々の間をジグザグに進路を取って街を走り回り、リンはハイファを路地裏の物陰に身を潜めさせる。されるがままだったハイファはすでに宿へ戻る道がわからなくなっていた。
「追って来てないわね……。なら、今のうちにこれを」
リンは右手で鞄を漁り、何かを取り出した。
それはハイファの手に収まる程度の小さな笛だった。ハイファが説明を求めるよりも早く、リンはその笛を食んで思い切り息を吹きこむ。
だが、ハイファにはその笛の音が聞こえなかった。
「リン、それは?」
「レックレリムは人には聞こえない音が聞こえるの。これはペック用に調整してある呼び笛。しばらくしたらここにペックが来てくれるわ」
言いながら、リンは森でカルテムを迎え撃ったボウガンに矢をつがえた。
「ペックが来るまで私が時間を稼ぐから、ハイファは隠れていて」
それを聞いたハイファの思考は寸分の遅れもなく言葉に変換される。
「ダメだよ! それじゃあリンが!」
「あいつは普通じゃないわ! 早く逃げないと二人とも殺されるかもしれない!」
「だったら一緒に……!」
「そうだな。その方が俺も都合がいい」
頭上から降ってきた声に、ハッと顔を上げる。
「二手に分かれられると、探すのも手間だからよ」
カディオが屋根の上から身を乗り出し、こちらを見下ろしている。
「かくれんぼは終わりか? まあ、全然隠れられてなかったがな」
リンはハイファを背にして、飛び降りてきたカディオと対峙する。
「来ないでっ! 近づいたら撃つわよ!」
矢を向けられているにもかかわらず、カディオは余裕たっぷりに笑う。
「おいおい、まさかそんなちゃちなオモチャで俺の相手しようってのか?」
なおも近づいてくるカディオに、リンはついに引き金を引いた。打ち出された矢はカディオめがけて一直線に飛び、そして容易く掴み取られた。
「なっ……!」
矢を握り潰したカディオはそれを地面に投げ捨て、さらにリンと距離を詰める。
「正直なところよぉ、魔力の匂いが濃すぎて、お前ら二人どっちから匂ってるのか区別がつかないんだわ。だから、どっちが俺らの拠点をやったのか話せば――」
「ふっ!」
言い終わるのを待たず、リンはカディオの顔面を狙った蹴りを放つ。直撃した感覚があった。
だが、降ろそうとした脚が動かない。
「片方の命で許してやろうと思ったけど、やめだ」
リンの脚は、カディオの左手で止められていた。
「お前、本当に面白いな」
カディオが掴んでいた手を放す。
「そら、お返しだ」
「ああっ!」
直後、鋭利な爪の生えた右手が下段から振り上げられ、リンは路地から大通りへと吹き飛ぶようにして地面に転がった。その拍子にボウガンも手から零れ落ちる。
「うわあ! な、なんだ⁉」
「人が飛んできたぞ!」
居合わせた人々が叫び、倒れ伏すリンを避けるように道を開ける。
「リン!」
リンの身を案じて叫んだハイファだったが、いつの間にか背後に立っていたカディオに蹴り飛ばされ、リンの横に身体を打ちつけた。
「う、く……!」
「お前ら二人、まとめて『救済』してやるよ」
邪悪な笑みとともに宣言するカディオが大通りに出ると、ざわめきが一層大きくなる。
「ば、化け物だ!」
「あの装束、もしかして龍瞳教団⁉」
「は、離れろっ! 殺されるぞ!」
騒ぐ声は次第に力を持ち、恐怖に駆り立てられた人々が離れていく。
誰一人、リンやハイファを気にかける者はいない。
「おーおー、目の前で転がってる女子供ほったらかしにして逃げ出すか。正しい判断だな」
逃げ惑う人々をせせら笑い、カディオは並ぶ獲物を吟味する。
「さて、どっちからやるか……」
「待って……! 待ちなさいよ!」
自身を苛む痛みに耐えながらリンは起き上がり、声を絞り出してカディオを睨みつけた。
「ああ?」
「その子はあなたたちのアジトで倒れてた……。だったら、あなたたちの奴隷でしょ」
リンはカディオの言動から、ハイファと出会ったあの瓦礫の山が龍瞳教団の拠点であったことは察していた。そして一縷の望みを見出してもいる。
「せっかく買った奴隷をむざむざ殺すような真似しても、得にはならないはずよ……!」
奴隷は所有物。そのことを理解しているリンは、少しでもハイファの生存する確率を上げようと、自らが忌む制度さえも利用しようと試みた。
「はぁ? 知らねぇよ。こんなガキ」
だが、それはあえなく失敗に終わる。
「……っ」
「つーか、俺らの奴隷だってんなら、俺らがどうこうしようが構いやしないよな?」
カディオの手がハイファへ伸び、リンは痛みも忘れて叫んだ。
「や、やめて! その子は違うわ! その子は私が――」
「大体よぉ、俺が気づいてないと思ってんのか?」
ギロリと動いたカディオの眼球が、リンを捉える。向けられる視線に嘲笑と侮蔑が混在していた。
「お前の方こそ奴隷だろうが」
言い放たれ、リンは石化魔法を受けたかのごとく身体を硬直させた。
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