3-74 バンデロシュオ
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「私は……絶対にぃ……!」
赤い光の渦へ猛進するネヴァンは、空を裂く甲高い音に振り返った。
真紅の瞳が、こちらを見ている。その瞳の奥に、彼がいる。
そう理解するだけで、身体が燃え上がるような怒りに支配された。
「アアアァアアァアッ!」
龍態の全身から放たれた触手が槍となり、ハイファを襲う。
ハイファは縦横無尽に空を飛び、槍を回避してネヴァンと門の間に滑り込んだ。
「あなたを、これ以上行かせるわけにはいかない」
「黙れっ! 私はこの時が来るのを待っていた! 邪魔を……するなああああっ!」
激情の叫びをあげながら、龍態が突進する。
「シャンも待ってんだよ。ずっと。ずっとね」
ハイファに激突する直前で、見えない壁がネヴァンを阻んだ。
「な、なにが……っ⁉」
「ヴァルマが教えてくれた。バンデロシュオは神様なんかじゃない」
異形の腕が青く発光を始める。
「龍の王国とこの世界を繋ぐ境界を守る、ただそのためだけにいる精霊」
リューゲルへ赴く前にヴァルマから伝えられた内容を、ハイファは自分でも驚くほど明瞭に理解できていた。
「そして、未来を定められた、強い闇の力を宿す龍に与えられる名前……」
それが自分と同化した彼女とシャンのおかげであり、シャンによって新たな情報がもたらされたことも、同じように分かっている。
「精霊……ですって?」
歪み、反転した彼女の成れの果てを、ハイファはまっすぐに見つめた。
「これはあなたも知るはずだった。でも、シャンはそうはしなかった。あなたが知ってしまえば、利用しようとするとわかっていたの」
「いい加減なことを……っ⁉」
そこでネヴァンは気づく。
「だけど、今は違う」
ハイファの背後で輝く門の中に、何かがいる。とてつもない魔力を宿した何かが。
大気が、世界が震えだす。
「あなたを倒すために、シャンは彼を呼んだ――!」
光の渦の内側から、巨大な一対の腕が飛び出した。
続けて現れたのは、鋭利な輪郭を持つ黒龍に似た姿。
空に広がる六枚の翼は、蒼い輝きを帯びている。
大精霊バンデロシュオ。
それは、選ばれた龍だけが至ることが許される、穏やかな闇を守護する者。
龍の王国に伝わる伝説において、原初の龍がその身を素材として作り出したとされる最終武装。
「これが、バンデロシュオ……!」
ネヴァンは己の目の前に現れた輝きを纏う存在に幾百年ぶりの畏怖を抱いた。
長らく忘れていた、自分より遥かに強大なものへの畏れ。
自分の命が他者に握られることを知った瞬間の怖れ。
それゆえに、その傍らにいる少女の姿が、許せなかった。
「ふざけないで! そんなものがなんだっていうの!」
ネヴァンが吼え、その下にある龍態の口が大きく開き、魔力が収束する。
「精霊ごときが! 私の道を阻むなぁっ!」
発射された赤色の光がバンデロシュオへ一直線に飛んでいく。
しかし、光は激突の寸前で反射されるように龍態へ弾き返された。
莫大な魔力の渦である境界に存在するバンデロシュオの身体は、たかが数万体分の魔獣の命を燃料にした魔力照射など寄せ付けない。
境界がどういう場所なのかも知らなかった、知る必要がないと考えていたネヴァンは全力の一撃が防がれたことに驚愕する。
「そんな……⁉」
「バンデロシュオは、自分だけじゃ王国を侵そうとする者を倒せない。その身体に龍を宿して初めて完成する……」
「っ⁉」
「あなたにも、わかるでしょう?」
バンデロシュオの身体の中央。
蒼い水晶のような部位から感じる、懐かしく、そして愛おしかったはずの命の脈動。
「そう、シャンはもう……!」
すでにシャンはハイファの中にはなく、魔力と思念のみをバンデロシュオへ移していた。
そこでネヴァンは違和感に気づく。
龍態が動かない。先ほどの魔力照射が影響しているとは思えないのに、押すも引くもできない。
「からだ、が……っ!」
龍態を構成する魔獣たちの命が蒸発するように消え、末端から石に似た灰色へと変化している。
「維持が限界だというの……⁉」
歯噛みしたネヴァンは、ハイファを睨みつける。
「一度バンデロシュオとひとつになった龍は、もう龍の王国にも、この世界にも行けないの」
ハイファの顔は、勝ち誇るわけでもなく、ただ、哀しみを帯びていた。
「バンデロシュオを動かすために生き続ける……。その魔力が、尽きるまで」
バンデロシュオが発する輝きは強さを増し、ネヴァンの視界を少しずつ白く染め上げていく。
「シャンはこうなる前に、あなたを救いたかった」
「救う? ならどうして、私と最初に戦ったときにこの力を使わなかったのよ!」
ネヴァンの声は、ハイファではなくその後ろにいるシャンへとぶつけられていた。
「そうすれば、身体をバラバラにされることもなかったはずなのに!」
言葉を発しないシャンに代わり、ハイファは泣くように叫ぶ。
「わからないの⁉ シャンは、最後まであなたを想ってたんだよ! シャンはシャンのまま、あなたを止めたかった!」
「私を、想って……? ふ、ふふ……アハハハハッ!」
その言葉を聞いた途端、ネヴァンは大笑いした。
龍態の目が邪悪に光り、再び門へ、バンデロシュオへ突き進む。
「遅すぎるわ! シャン! 昔から、あなたは後悔するのが遅すぎるのよ!」
迫りくる龍態に、バンデロシュオの手が伸びる。
掌から放たれた雷撃が、龍態を空に縫い付けた。
「………………」
風に髪を揺らしながら、ハイファはバンデロシュオを、シャンを見上げた。
「……いいんだね?」
大精霊は何も語らず、胸の水晶を輝かせる。ハイファは、拳を固めた。
「わかったよ。……もう、私も迷わない!」
足裏に凝縮させた魔力を解き放ち、ハイファが空を裂く。
雷撃を振り払ったネヴァンは見た。見てしまった。
かつての自分と同じ名前を持った少女が、拳を振りかざして迫ってくる。
「ああ……」
彼と並び、彼の想いを一身に受けて。かつての自分のように。
「ああ、なんて――」
羨ましい。
その感情がよぎった瞬間、ネヴァンは龍態と切り離された。
「ぐうううぅぅっ!」
龍態はすでに石化し、上半身のみになってもなお、ネヴァンは諦めてはいなかった。
「まだよ! まだ終わりじゃない!」
幼龍のヴァルマから得た情報で作り出した翼で風を掴む。
「力を失ったなら、また溜めればいい! どれだけ時間をかけようと、私は――!」
「ううん。終わりだよ」
異形の腕が、ネヴァンの手を掴んでいた。
すでにネヴァンにはハイファを喰らう力も、掴まれた腕を分離する力も残ってはいない。
「『龍姫物語』は、ここで終わるの」
ハイファは優しい声音で続けた。
「長かった、とても長かったお話は、ここでおしまい」
バンデロシュオの手がハイファとネヴァンを光で包む。
「な、なにが起こって……!」
言葉の途中でネヴァンの翼が溶けて消えた。
翼だけではない。身体も表層から溶け始めている。
「私を、完全に仕留めるつもり⁉」
ハイファを睨みつけた瞬間、息を呑んだ。
ハイファの異形の腕が。ハイファ自身が。ネヴァンと同様に光に溶けている。
「あなた……まさか自分ごと!」
ネヴァンの顔が蒼白した。
「や、やめなさい! あの私は、あなたに死ねと言ったわけ⁉」
「ううん。あの子は、そんなことは言わなかったよ」
「だったら……!」
「でも、この手を放したら、あなたはまた同じことを繰り返す。命を弄んで、誰かの幸せを奪う。そんなことは、もうさせない。させたくない」
バンデロシュオの六枚の翼の放つ輝きが増し、それに合わせてハイファとネヴァンの視界も光に塗り潰されていく。
「お……おお……! き、える……! わたしの、あい……わたしの……ねがい……!」
その断末魔を最後に、ネヴァンの腕を掴む感覚はなくなる。
もう何も見えない世界で、ハイファはぽつりと呟いた。
「リン、エルト……ごめん。やっぱり、こうするしかなかった……」
少女を飲み込んで、なおも膨れ上がる輝き。
(あ……)
満足に動かない身体で、少女は最後の思考を走らせる。
(まだリンのこと、お姉ちゃんって……呼んで――)
輝きは夜空を昼間のように照らし、やがて音もなく消えた。
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