3-56 飛び立つ流星
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サルタロの神殿の最上階。
街を一望できるそこを訪れたラティアが見たのは、傾き出した陽の光を背に、東の地平線へ視線を投げる教皇の姿だった。
「……なにを、見ているのですか?」
声をかけると、ディアンサは顔を動かさずに口を開いた。
「古い友人から連絡があったの。昔、一緒に旅をしたエルフよ」
「それはまた、ロマリーが聞いたら驚きそうですね」
ラティアは思わず笑ったが、ようやくこちらを向いたディアンサの顔がいつになく真剣だったので、すぐに自身も同じ表情を作る。
「私ひとりを呼び出すということは、何かあったのですか?」
「ええ」
ディアンサが右手を虚空に伸ばす。
「あなたたちを地下に連れて行ったとき、言ってなかったことがあってね」
『無』から現れた一本の杖がその手に収まった。エルフの森の聖樹から作られた、彼女の杖だ。
「実は私、龍に知り合いがいるの」
「そうですか」
「……驚かないんだ?」
「あなたのことですから。話さなかったのにも、理由があるのでしょう?」
ディアンサが柱に身体を預け、懐から一枚の紙を出す。
「ええ。変なやつだったし、龍としての姿を見たのも一度きりだったからね。そいつも、私とエルフの旅についてきたわ。それぞれにとって、短い間だったけど」
ラティアはその紙が連絡の便りなのだと察知した。
「それで、連絡にはなんと? 様子からして、良いものではなさそうですが」
「エルフの森で保管していた私の杖の予備を、その龍に貸したらしいの。だからこっちで何か起きてるのかって心配してくれたみたい」
「それは……いえ、ですが――」
ラティアの戸惑いに、ディアンサは一度頷いた。
「そう。私は何も知らない。龍の方に何かが起きてるってことよ。私の杖を必要とするくらいのことが」
ラティアは、ここに自分だけが呼ばれた意味を理解しかけてきた。
「もしや、あなたの杖をエルトが⁉」
「おそらくね。だから確認させて。ラティア、あなたの弟子がついていった旅の目的地って、リューゲルなのね?」
固い表情で首肯したラティアに、ディアンサは短いため息をつく。
「そう……。じゃあ、アイツもきっとそこに……」
「教えてください! いったい何が起きているのですか!」
ラティアが詰め寄ったその時、街に甲高い音が連続して鳴り響いた。
「魔獣の接近警報……⁉ まさかっ⁉」
ディアンサが再び東の草原へ身体を向ける。ディアンサの背中越しに外を覗いたラティアは、目を疑った。
草原を染めていく『黒』。そのすべてが魔獣であった。
草原だけではない。空にも翼や飛行能力を持つ夥しい数の魔獣たちが見える。
「なんて数……!」
「これは、尋常じゃないわよ……」
ディアンサの顔に汗が滲む。
『魔獣の大群が接近中! すごい数だぞ!』
『壁の鎮静効果も効いていないの⁉』
『担当班だけでは足りない! 非番のやつらも搔き集めろ!』
慌ただしい物音と怒鳴り声が階下から聞こえてくる。
「ラティアさんっ!」
ノックもなく扉が開かれ、ロマリーが転がり込んできた。
「ロマリー! 何事ですか!」
「わわ、わかりませんっ! ですが、今まで見たことのない数の魔獣が、東から接近してま……あ、あああっ⁉」
息が整うのも待たずに報告したロマリーは、すぐに自分の行為の無礼さに気づき、真っ青な顔になった。
「すみませんすみませんすみませんっ! お二人の前に、わ、私みたいな下っ端司教が怒鳴り込んで……!」
ぺこぺこと頭を下げるロマリーだったが、当のディアンサはまったく動じていなかった。
「非常事態だから気にしないで。それよりラティア、ここへ来ることをこの子に話したでしょ?」
「内密に、とは言われなかったので」
「まったく……。まあいいわ」
ディアンサが指を鳴らすと、彼女の装束に着いた緑色の宝石が輝き、ロマリーにも見覚えのある姿になった。
「教皇さまの精霊……」
「ラティア、その子を貸すわ。飛行魔法を強化してリューゲルまでカッ飛びなさい」
公務中のディアンサからは想像もつかない乱暴な言葉に、ロマリーの顔が引きつる。ラティアは近づいた光を手に乗せ、ディアンサの目を見た。
「よろしいのですか? 精霊はあなたの力の源。その身から離れれば、あなたが……」
「一体減ったところでなんともないわ。今は転移魔法に割く人員も時間も惜しいの。リューゲルで何が起きているか、その目で確かめてきて。その対処もあなたに一任します。これは、教皇としての命令です」
厳然とした口ぶりに、ラティアも力強く頷いた。
「……わかりました。ロマリー」
「ひゃいっ⁉」
不意に名前を呼ばれて飛び上がった丸眼鏡の司教にラティアは微笑んだ。
「ここはあなた方にお任せします。私との修行を思い出して、頑張ってくださいね」
「は、はい! でも、あの、ラティアさんはなんで、リューゲルに……?」
最初のロマリーの返事を聞いた時点で既に動き出していたラティアが、手すりに足をかけて神殿から飛び降りる。
「ええええええっ⁉ ラティアさんっ⁉」
身を乗り出したロマリーの前に、ラティアが浮上した。
その手に持った杖に、ディアンサの権能のひとつである風の力を司る精霊が飛び込んだ。
「行きます!」
精霊と同じ緑の光に包まれ、ラティアが魔獣たちの迫る東の空へ飛んでいく。
呆然と見送るロマリーは、ディアンサの咳払いで我に返った。
「ロマリー、私たちも行くわよ」
「えっ、あ、い、行くってどこへ?」
「決まってるじゃない。地上に降りて、この街を守るのよ」
「教皇さまも戦われるのですか⁉」
「たまには教皇の威光ってのを見せておかないとね。さ、付いてらっしゃい!」
装束を翻し、神殿内に繋がる階段に進むディアンサと、それを追いかけるロマリー。
そんな二人の姿を確認し、ラティアは正面に視線を戻した。
鳥型、獣型、果ては人型、さまざまな種の魔獣たちが、怒涛となって押し寄せる。
「まずは、あの魔獣たちを!」
瞬く間に街を囲む壁の外側に出て杖を構えたラティアが、威嚇と警告の意味を込めて杖の先に魔力を収束させ、発射体勢を取る。
しかし、魔獣たちはラティアを意に介さず、減速せずにその横を通り過ぎていった。
「な……⁉」
街の上空を素通りして去っていく魔獣たち。ラティアはその光景に、文献で見たとある記述を思い出した。
「逃げている……?」
魔獣たちの大移動。
それが意味するのは、彼らが逃げの一手しかないと判断するほどの事態の前兆。
例として挙げられるのは、地震や大雨、火山の噴火といった自然災害。
そして、強大な魔獣同士の戦い。
「……!」
急激に胸の中で膨れ上がった不安に押され、ラティアも魔獣たちを無視して空を進むことを選んだ。
「考えても仕方ありません。今は、一刻も早くリューゲルへ向かわなくては!」
一陣の風となったラティアが、東の果ての国を目指して夕暮れの空を飛ぶ。
そのはるか後方で、すぐに終息することになる防衛戦の火蓋が切られた。
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