3-52 決戦
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龍の王国の夜空には、月が二つ浮かんでいた。
興奮気味のエルトがルナに説明を求めていたが、「ずっとああだったので……。むしろそちらの世界では一つであることに驚きました」という答えしか返ってこなかった。
そしてそれも数刻前のこと。ルナもエルトも眠りにつき、湖畔にはハイファと、小屋から出てきたハイファに気づいて付いてきたペックしかいない。
「やっぱり、二つもあると明るいね」
もたれかかって座るペックに語りかけると、クワァと相槌めいた鳴き声が聞こえた。
「でも、私たちが知ってる世界とあんまり変わらないよね」
また、同じ鳴き声。
「……リンにも、見せてあげたかったね」
今度は返事がない。その代わりに、ハイファの頬を嘴が撫でた。
『眠らないのかい?』
くぐもった声に一人と一頭が振り返る。
腰に手を当て、呆れた様子の鎧が立っていた。
「ヴァルマ……」
『あまり勝手に動き回らないでくれよ。またルナくんが血相かえて僕のところに来ちゃうじゃないか』
「ごめん、すぐに戻るよ。でも、もう少しだけ……」
謝罪の言葉を口にして、ハイファは視線を湖へ戻す。
ヴァルマは無言でハイファの隣に移動し、静かに座った。
『――死ぬつもりだろ、君』
ハイファの肩が、びくりと揺れた。
『正確には、死んでもいいと思ってる、か』
「え……」
『ごまかさなくていい。僕は天才だからね。君がシャン殿にその腕も返すつもりだなんてことはお見通しだよ』
反論しようにも上手い言い訳は思いつかず、苦笑するしかなかった。
「エルトには、リンのためにも死んだらダメって言われたんだ」
『へえ。あの少年、やっぱりそういうこと言ったのか』
「私だって、死にたくはないよ。リンが助けてくれたんだもの。でも、もし、もうそれしか方法がないってなったら私は、私は……」
腕の傷に触れるハイファの横顔に、ヴァルマは短いため息をついた。
『彼女にも君ぐらいの可愛げがあれば、こんなことにはならなかったのにね』
ネヴァンのことを言っていると判断したハイファは、ヴァルマに会ってからずっと気になっていたことを口にした。
「ヴァルマは、どうしてネヴァンと一緒にいたの?」
『なんてことはない。単純な興味さ』
「興味?」
『今思えば、浅慮極まりなかった。でも、見てみたかったんだ。自分たちを偉大な種族と疑わない龍たちが手を焼いた人間が、いったいどんなやつなのか』
妙に棘のある言い方が、ひっかかった。
「龍のこと、嫌いなの?」
『ああ、嫌いだね。僕の方が正しいことを言っているのに、やれ誇りがなんだ、血がなんだと、御託を並べて、偉そうにふんぞり返るんだから』
「そう、なんだ。ルナとかシャッドさんは、そんな風には見えないけど」
『そりゃあ、長く人間の世界に触れているからね。でも、この世界にはまだ人間が穴倉に住んでると思ってるよう連中もいるんだよ? おかしいだろ?』
ヴァルマが仰向けに寝転がり、金属の軽い音が地面に染みた。
『一瞬だけど、彼女の話に乗った時期もあったさ。でも、彼女が自分の目的のために僕を利用しているとわかったら、途端にムカついてね。で、今に至るってわけ』
兜がハイファの方へ向いた。
『別に被害者面をしたいわけじゃない。僕は彼女の共犯者。君なんかより、よっぽど死んだ方がいいやつなんだ』
「そ、そんなこと……!」
否定しようとしたハイファを、起き上がる挙動で遮る。
『だからさ、あまり気負わないでくれよ。君一人が全部背負おうとすることはないんだ。最後の最後まで、君が生き残る方法は考える』
「ヴァルマ……」
それが彼なりの励ましなのだと、そう理解してハイファはそっと笑った。
「ありがとう。よろしくね」
『ああ。それに、君が生き残ってくれないと完全な勝利とはいかないんだ。君がまた少年たちと旅に出るのを見送るのが、僕の最終目標なんでね』
立ち上がったヴァルマは、小屋の方へと踵を返した。
『じゃ、僕はこれで。お月見もほどほどにするんだよ?』
鎧特有の足音とともに離れていくヴァルマへ、ハイファはペックの背中越しに声を投げた。
「よかったら、あなたも私たちと一緒に旅しない?」
ヴァルマが立ち止まり、こちらに振り返る。
『僕、一応はリューゲルの国王なんだけどー?』
「あ、そ、そっか……!」
恥ずかしそうに小さくなるハイファに、ヴァルマはさらに続けた。
『でも、せっかくのお誘いだ。考えておくよ』
顔を上げたハイファが見たのは、再び歩き出しながらも、軽く腕を上げているヴァルマだった。
微笑むハイファにペックが嘴を擦り付け、クルル……と不安そうに鳴く。
「大丈夫。ペックを一人ぼっちになんてしないよ」
リンがしていたように、ペックの頭を撫でる。
「一緒に、頑張ろうね」
気持ちよさそうに目を細めるペックに心が安らぐのを感じる。
諦めることは諦めた。自分にできることを、精いっぱいやるだけ。
ハイファが見上げた二つの月は、あの旅立ちの日に似た光を放っていた。
※※※
黄昏の空に、乾いた破砕音が響く。
かつては役割を与えられた人形たちで賑わっていた街は見る影もなく、瓦礫の山がそこかしこに出来上がっていた。
「やっと片付いたわ……」
無残の一言に尽きる変わり果てたリューゲルを見渡し、この破壊の張本人であるネヴァンがつぶやく。
見上げる視線の先には、半壊した城に力なく埋まる、龍のかたちをした肉塊。
乾いた血の色を晒すそれは、この国を滅ぼした自分の本体。
「あれだけの力があって、この私を一人がやっとだなんて」
肉塊の頭頂には、ぐったりと項垂れるもう一人の自分。完全に動けなくなる直前に、この分身を作り出して力尽きたように眠りについた。
「……あの陰険な鎧、今度こそ屑鉄に変えてやらないと気が済まないわ」
拘束魔法の要となる魔石の破壊に一昼夜かかったことは、ヴァルマに踊らされているようで腹立たしいが、そのすべてを破壊した今となっては些末な問題だ。
あとは自分が本体へと戻れば、完全復活は果たされ、龍の王国への侵攻が始まる。
「ふふ、ふふふふ……!」
悲願であった王国への帰還、そしてあの肥沃な大地を蹂躙することを想像するだけで、身体が悦びで震えてしまう。
「今行くわ。待ってなさ――」
一歩目を踏み出したところで、ネヴァンは感じ取った。
この一帯にはない、異質な魔力。
「……ああ、そうなの」
その意味を理解したネヴァンの口が、邪悪に吊り上がる。
「そっちから、殺されに来てくれたのね⁉」
振り仰いだ空に、白い光が爆発する。
光が形作る魔法陣の中から飛び出した、六つの影。
「……ネヴァン!」
その先頭に、ハイファがいた。
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