1-10 遭遇
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「……おかしい」
リンたちが泊まることにした宿。旅人用に複数ある二階の客室の一つの中で、テーブルに足を乗せて椅子に座る白髪の若い男がつぶやいた。
その傍らには、二人の男が立っている。
片方は背が高く、片方は背が低い。どちらも闇色のローブをまとい、顔を隠している。
白髪の男もデザインこそ異なるが、二人と同じ闇色の装束で身を固めていた。
龍瞳教団。それが彼らの所属する枠組みだった。
「確かに変ですね。昨日の夜に送った伝令の使い魔が戻ってこない」
「ああ?」
白髪の男が、言葉を発した背の高い方を睨む。
「てめぇ、俺がいま『おかしい』っつったよな? 俺が言えば十分だろうが!」
「す、すみません。カディオ様……」
うつむきがちに謝られ、舌打ちをした白髪の男――カディオはテーブルから足を下ろして立ち上がった。
「ったく、しょうがねぇな」
ぼやきつつ、廊下へ繋がる扉の方へと向かっていく。
「どちらへ?」
背の低い方が尋ねると、カディオは気だるげに答えた。
「決まってんだろ。いつまでも返事をよこさねぇノロマどもにゴアイサツだ」
「でしたら、我々も――」
「いらん。夜には戻る。大人しく待ってろ」
一瞥を喰らって動けなくなった二人は、ただカディオを見送るほかなかった。
「支部から連絡が途絶えてんだ。お前ら三下が首突っ込んでどうこうなる問題じゃないだろうが」
苛立ちを隠さずに廊下を進むカディオは、ふと足を止めた。
「あん……?」
最初は、それを気のせいだと思った。
だが、一秒ごとにそれは確信に変わっていく。
大気がどろりとした粘度を持ったかのように、全身を嫌な感触が包む。
この廊下全体を埋めるような、圧迫感を持った気配。
曲がり角の向こうから、『何か』が来る。
「こりゃ、ちっとばかしマズいか……」
ここまでの接近を許した自身のうかつさをなじりながら、腰をわずかに落とし、遭遇に備えた。
もうすぐそこまで来ている。
遭遇まで、三、二、一……。
「あら?」
現れたのは、この宿の給仕だった。
「え?」
「……?」
その後ろには小娘 と、さらに小さな小娘 がいる。
カディオは無言のまま、三人の女の顔を順番に見た。
「お客様? どうされました?」
人畜無害そうな顔が三つ、暢気に並んでいる。どこにも、危険な気配はない。
「……チッ」
カディオは途端にいづらくなって、足早に三人の前から消えた。
「なにあれ。変なの」
曲がり角を過ぎてから、カディオは背後から女どもの会話する声を聞いた。向こうが大声で話しているのではない。一度臨戦態勢に入った身体が、感覚を研ぎ澄ましたままでいるのだ。
「今の方は昨日からご宿泊のお客様でございます」
女性給仕は口には出さないが内心でリンに同意しつつ、自身の仕事を全うすることに傾注した。
「何かありましたら受付までお申し付けください。万が一のお客様同士の問題でも対応いたします。さあ、お部屋はこちらです」
会話は次第に遠のいていく足音だけになり、カディオは未だに震える自分の手を忌々しげに睨みつけた。
「俺も、相当まいってるみたいだな」
拳を固く握って震えを止め、カディオは外へ続く通路を進んだ。
※※※
「わあ、ベッドがある!」
二階の一番奥の客室に通されたリンは、ベッドを見つけるなり、はしゃいだ声をあげて手前のベッドに飛び込んだ。
「んー! ふかふか! 旅の疲れを取るにはやっぱりこれよね!」
「旅人の方はみなさんそう言ってくださいますよ」
まるで子供のような反応のリンに女性給仕はおかしそうに笑う。
「ハイファも来て来て! すっごく柔らかいから!」
手招きされ、ハイファはリンの隣に座った。ベッドに乗った瞬間、腰は柔らかい質感に包まれ、ゆっくりと沈んだ。
「ほんとだ。柔らかい」
「でしょ? 夜が楽しみだわ。でも、その前に色々済ませないとね。給仕さん、この部屋、お風呂はどこかしら?」
「はい。一階の受付奥が大浴場となっております。すぐに入られますか? お客様には旅の方が多いので、いつでもご利用できるよう準備していますよ」
「いいわね! ハイファ、さっそく行きましょ!」
「では、私はこれで、御用がありましたら、なんなりと」
女性給仕は一礼して部屋から出ていった。扉が閉まるのとほぼ同時に、リンはベッドから跳ね起きる。
「よーし! おっふろ! おっふろ!」
「リン、はしゃぎすぎ」
ハイファを連れて一階に降りたリンは、案内に従って受付の奥に続く通路を進み、橙色の明かりが照らす脱衣所に入った。
「ハイファ、その服一人で脱げる?」
「それくらい、できる」
ハイファは素早く服を置いてあった籠の中に脱ぎ入れて裸になり、曇り硝子の戸を開けて浴室に足をヒタリと踏み入れた。
室内は立ち込める湯気でわずかに靄がかり、絶えず温かい空気を供給する湯を溜めている石造りの浴槽は、大浴場の半分ほどを占める広さがある。
「わ! 思ってたよりも立派ね! それに貸し切りだわ!」
少し遅れて入ってきた裸のリンがハイファの横に立つ。
直後、ハイファの目が驚きによって見開かれた。
リンの脇腹にぐるぐると包帯が巻かれている。
「リン、それ……」
認識した時には、ハイファはすでに口に出していた。
「ん? ああ、これ? あなたと会う少し前にちょっとね。でも大した怪我じゃないから心配しないで」
それだけ言って、リンは湯の中に入っていった。
「はあぁぁぁ……さいっこぉ~……!」
奥底から絞り出すような声を上げ、肩まで湯に浸かった身体を弛緩させるリンを見て、ハイファも湯船に入る。温かいお湯により、強張っていた身体から力が抜け、ほう、と息が漏れた。
「やっぱりお風呂はいいわね。旅の疲れなんて吹き飛ぶわ」
満面の笑みを咲かせるリンは、湯船に浸かりながらハイファの隣に移動した。
「なんで隣に? こんなに広いのに」
「……傷、痛まない?」
「え? あ……」
言われてから気づいた。というよりも、思い出した。
包帯で隠してはいるが胸と首、そして両腕。
ハイファの身体には、痛々しい傷が走っている。
「無理せずに言ってね? 痛いの我慢してたりしない?」
リンは自らが血を拭ったハイファの身体の傷がどうしても気がかりだった。
しかし、自分の傷を撫でたハイファはすぐに首を横に振った。
「大丈夫。なんともない。リンの方こそお腹の傷、平気なの?」
湯の中で、包帯が巻かれたリンの腹部に手を伸ばす。
「わ、ちょっ⁉」
リンはなぜか慌ててハイファの手から逃れた。リンの動きに合わせて水面が音を立てて波打ち、短い反響を水滴が落ちる澄んだ音が締めくくった。
「え……」
わけがわからなかったのはハイファの方で、予想外の反応に固まってしまう。
「あっ、だ、大丈夫! 私も大丈夫だから! ごめん! 驚かせたわね!」
リンはすぐに湯から出した両手を激しく振って取り繕う。
「本当に大丈夫だから! 心配しないで!」
「う、うん。そこまで言うなら……」
それ以上の言及をやめたハイファは深く身体を湯に沈めた。
「ハイファは優しいね~。あははは」
どこか白々しく笑うリンに、引っかかりを感じたが、ハイファは踏み込むべきではないと直感し、それからは何事もなかったかのように、リンと共に風呂を満喫することを決めたのだった。
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