3-49 代償と願いと
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エルトは一瞬だけ戸惑ったが、ヴァルマが言う『ハイファ』とはリンを飲み込んだあの女神官であると理解できた。
それと同時に、新たな疑問も発生する。
「なら、僕らが戦ったネヴァンは何者なんですか?」
『彼女も間違いなくかつてのハイファだ。僕らの目の前にいるこの石像は、言わばハイファの善性……正しい心だね』
「ハイファの、正しい心……」
自分と同じ名前を持つ少女の石像を前に、ハイファの胸と腕が熱を帯びていく。
『ハイファはもともと、氾濫する川を鎮めるための生贄として捧げられた少女だ。彼女は幸か不幸か、龍の王国の入り口のひとつに流れ着いた』
「まだ王になる前だったシャンさんが助けて、龍の王国に住まわせたんですよね?」
『そう。ただ、その頃の王国は日を追うごとに激しくなる魔獣との戦いに頭を悩ませていた。そこで魔法の才能を秘めるハイファに目を付け、ハイファも戦うことを選んだ』
ヴァルマの語る内容は、ハイファたちが龍の魔峰で聞いたものとほとんど同じだった。
『まあ、このあたりは君たちも知ってるだろう。問題はここからだ』
見透かしたような口ぶりで、ヴァルマはくぐもった声を地底湖に響かせた。
『ハイファは魔獣との戦いに身を投じる前に、自分にある魔法をかけていたんだ』
「自分に、魔法……?」
「どのような魔法だったんですか?」
『精神を分かち、封印する魔法さ』
ヴァルマが再び兜を石像の方へ戻す。
『戦いを恐れない自分になろうとしたんだ。結果、彼女の精神の一部は、あの石像に封じられた』
「どうして、そんなことをしたの?」
『簡単だよ。愛するシャン殿に報いるためさ』
エルトは石像の少女とあの女神官が同一人物とは思えずにいたが、シャンを愛するという考えの一致から、その事実に納得しようと意識した。
『でも、そこからすべてが狂いだした』
ヴァルマの声が一段低くなる。
『自分の境遇を嘆かなかったハイファも、心には怨嗟が積もっていてね。それが魔法によって表に出て、少しずつ彼女を変えていった。ネヴァンを討った頃には、今と変わらない気性だったよ』
ハイファはあの引き裂いたような笑みを思い出し、わずかに身体が強張った。
『実際、戦争が終わるきっかけになったハイファとネヴァンの一対一の勝負もハイファがネヴァンを嬲り殺して終わった。そのあともハイファは龍たちを焚き付けて、敗走する魔獣たちを狩り続ける、本来なら不要な戦いを広げていったんだ』
「あの、気になっていたんですが……」
エルトが遠慮がちに話に割って入る。
「ヴァルマさんも、本に記された龍と魔獣の戦いに参加していたんですか? 先ほどから、ずっとそばで見てきたような話し方をされてますよね?」
『いや。この頃はまだ幼龍で戦いには出られなかった。これまでの話は全部、王国を出奔して彼女に捕まった僕が、龍骸装にされる直前のシャン殿から伝えられたのさ』
銀の指で兜を叩く音が、冷涼な空気を震わせる。
『なかなか刺激的な体験だったよ。他者の記憶をそのまま送りつけられるのは』
「……シャンは、ハイファが王国にいると良くないから、追放したの?」
口にしたとき、ハイファの胸に小さな痛みが走った。
『そうなるね。色々と手は尽くしたみたいだけど、それも失敗してあの石像の中に彼女の意識はほとんど残っていない。追放の直前に、彼女自身の手で破壊されかけたんだ』
ハイファは石像の損傷が時間の経過によるものでないと理解し、背中に嫌な冷たさを感じた。
『もう彼女が元に戻ることはない。彼女を終わらせるしか、この悪しき歴史を断つ方法はないんだよ』
「……わたくしは」
押し黙っていたルナが、少女の石像とシャンを見つめながら口を開いた。
「ハイファを物語と伝承でのみ認知し、悪と断じていました。ですが、石像となった彼女と、ヴァルマさまのお話と、ネヴァンとなった彼女との対峙で、確信したことがあります」
ハイファとエルトは、すでにルナがこの石像を見ていることを思い出す。
「今の彼女は邪悪な存在……討つべき者。それは変わりません。ですが、彼女を討つことは龍の王国を守るだけでなく、一人の少女を救うことになるのだと」
『意外だったよ。君はシャン殿を糾弾するんじゃないかとばかり』
軽い口調に戻った鎧が、身体をルナの方へ傾ける。
「確かに、王にも責はあるのかもしれません。ですが、わたくしも、愛とはどういうことか、少しはわかったつもりです。王も悩まれたのでしょう。その結果が今のお姿であれば、咎はすでに受けていると考えます」
アレンとシィクのことを思い出しているのだと、ハイファはルナの表情で直感した。
「ですが、シャンさんはどうして龍姫物語にこのことを書かなかったのでしょう?」
エルトの疑問にヴァルマは頭を振った。
『そればかりは、彼に聞いてもらいたいな』
ヴァルマはいつの間にか隣にいた異形の大男に声をかける。
『あの時だって、そこだけは教えてくれなかったよね?』
シャンは無言のまま進み続ける。
『王国に混乱を持ち込みたくなかったのか、それとも――』
エルトが止めようとするより早く、シャンの足は水面に触れた。巨体は沈むことなく、歩を進める度に水面に波紋を作りながら浮島へ近づいていく。
『自分が記す本の中でくらいは、彼女には綺麗でいてほしかった、とかかもね』
浮島に足を乗せ、少女の石像と対峙したシャンは、目線を合わせるように膝を折った。
「シャン……」
悲しそうに見える背中が揺れ、シャンの腕が石像の顔に触れる。
次の瞬間、石像が内側から赤い光が溢れ出した。
「な、なにが起きたんですか⁉」
眩さに手で顔を守るエルトが叫ぶ。だがヴァルマにとってもこれは想定外の出来事だった。
『わからない! シャン殿が関係しているのか……⁉』
シャンが触れた顔を起点にして石像が砕け、内側から小さな光の球が現れる。
「ハイファさま!」
光球はハイファへ向かって一直線に飛び、その体内へと潜り込んだ。
「ううっ……!」
「ハイファさんっ⁉」
背中から倒れそうになったハイファを、とっさにエルトが支える。
「大丈夫ですか⁉」
「へ、平気。ちょっと、びっくりしただけ。でも――」
ハイファはすぐに自力で立ち、胸の中央に手を運んだ。
「今なら、はっきりわかる。あの子は……ハイファは、終わらせてほしいんだって」
『シャン殿がそう伝えてきたのかい?』
ハイファは首を一度横に振り、心地よい温かさを宿した腕の傷を撫でた。
「感じたの。私の中のハイファが、そう願っているのを」
ヴァルマは驚いた様子でハイファの顔を覗き込んだ。
『ハイファの意識が君の中に……。身体はなんともないのかい?』
「うん。なんだかさっきより、元気になったかも」
「いったい、王はなにを……」
岸へ戻ってきたシャンにルナは戸惑いのこもった瞳を向ける。
『でも、ハイファ君の回復は願ってもないことだ。それだけ早く次の手を打てる』
銀色の鎧は再びハイファたちの視線を一身に浴びた。
「次の手って?」
『決まってる。ネヴァンを倒す準備だよ』
「方法があるんですかっ⁉」
やや興奮気味なエルトの声が反響する。
『ああ。そろそろだね』
湖の中で、何かが光った。
「な、なんですか?」
水面を覗き込もうとするエルトを、ヴァルマが手を伸ばして引き止めた。
『おっとそのまま。あんまり近づくと濡れちゃうよ?』
「濡れ……?」
ハイファはすぐにその意味を理解する。
「見て、何か出てくる」
『どうやら、おつかいを無事済ませてくれたようだ』
直後、水面を突き破り、紫の幼龍が現れた。
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