3-47 もう二度と、離さぬように
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ハイファは、何も感じなかった。
「……?」
目を開ける。エルトの錫杖は天へと掲げられ、上空を漂う雲のひとつに穴が開いていた。
「え……?」
荒い呼吸をするエルトは、錫杖を乱暴に地面へ突き立て、大きな歩幅でハイファへ近づくと、石碑に両手をついてその退路を塞いだ。
「あなたは! どこまでリンさんの想いを踏みにじれば気が済むんですか!」
戸惑う赤い瞳をエルトはまっすぐに見つめ、叫ぶ。
「リンさんがハイファさんを助けたのは、ハイファさんに生きてほしいからだ! あなたはリンさんの行いに裏切りで報いるんですか⁉」
リンを裏切る。それは、ハイファが決して望むものではなかった。
「ち、違うっ! そんな、そんなつもりじゃ……!」
首を振るハイファへ、エルトは胸の内にため込んでいたありったけをぶつけた。
「だったら生きてください! 最期の一瞬まで、生きるんです! 辛いことがあったら僕が力になります! 僕がハイファさんのそばにいます! いなくなったりなんてしません! だから、だからハイファさんも……!」
エルトの目からこぼれた涙が、ハイファの頬に落ちる。
「……どうして、エルトが泣いてるの?」
「ハイファさんが、涙が出ないなんて言うから……っ。代わりに、泣いてるんじゃないですか……!」
その答えに、ハイファの口元が少しだけ上がる。
「……なに、それ」
だが、本人が気づかないうちに、変化は起きていた。
「エルトが、泣いたら……! わたし、だって……うぅ、あ、あぁ、あぁあぁああっ!」
言い終えるまで笑顔を保てず、ハイファは声をあげて涙を流した。
「やだよ……! リンとお別れなんて、したくないよぉ……!」
エルトは石碑からよろめくように離れ、ハイファと向かい合って座り込む。
「僕だってこんなの、こんなの、いやですよ……! あぁ、うああぁっ!」
少女と少年の泣き声が、高い空と、広い大地に染み渡っていく。
それから二人は自分たち以外に誰もいない草原で声と涙の出る限り泣き続け、ようやく泣き止んだ頃には空が夕日の色に変わっていた。
「ひっく……ぐす、目と喉、いたい……」
「はい……。僕も、こんなに泣いたのは、初めてです……」
目も鼻も赤く、やや掠れた声の二人。エルトは改めてハイファに問いかけた。
「これから、どうしますか?」
「わからない……。けど、あなたが教えてくれるの?」
「え? わあっ⁉︎」
エルトは背後にいた異形の大男に驚き、座ったままわずかに後退する。
「い、いつの間に……」
こちらを見下ろすシャンに、ハイファは静かに立ち上がって歩み寄った。
「私がリンと離れて旅をしようとした時も、こんな風に来てくれたね」
「………………」
シャンはハイファの頭に、ゆっくりと右手を乗せた。
「あ……」
ハイファの視界に白が爆ぜ、一気に広がっていく。
白い虚空を漂うハイファの目の前に、何者かが現れた。
それは、どこか悲しげな眼差しを向けてくる金色の髪の少女。
身に着ける衣服は、ハイファが着ている装束とまったく同じものであった。
「あなたは、誰?」
問いかけたハイファに答えることなく、少女はその細い指でハイファの腕を撫でた。
「もしかして……」
少女は何も語らず、沈痛な表情のまま姿を消す。同時にハイファの視界も元に戻った。
「は、ハイファさん? 大丈夫ですか?」
おそるおそる尋ねてきたエルトに、ハイファは首を一度上下させた。
「シャンが、また教えてくれた」
ハイファはすでに手を下ろし、棒立ちのシャンに微笑んでからエルトに顔を向ける。
「私、ネヴァンと戦うよ」
「……それで、いいんですね?」
「私が、そう決めたの。リンが付けてくれたこの名前と、リンが助けてくれたこの命……。リンが私にくれた全部を、無駄にしないために」
エルトは、ハイファの目にくもりを見つけることはできなかった。
それだけで、自分の選択に間違いはないと信じられた。
「わかりました。ご一緒しますよ。どこまでも」
「ありがとう。エルトがいてくれて、よかった」
ようやく笑顔を見せてくれたハイファに、エルトはほっと胸を撫でおろした。
「戻りましょう。ルナさんたちが待ってます」
「うん」
「……といっても、なんですが」
錫杖を取って、苦笑しながら頭を掻くエルト。ハイファは首をかしげた。
「どうしたの?」
「すみません。夢中で走ってきちゃって、ここがどのあたりなのか……」
「そういえば、私も気がついたらここにいた……。どこなんだろう、ここ」
周囲を見渡す二人の後ろで、シャンが黒煙に姿を変えた。
「シャンさん?」
「どこに行くの?」
黒煙はそのまま前方へと伸び、二人から少し離れた位置でシャンの姿に戻る。
「……もしかして、ついて来いってことでしょうか?」
「そうだよ、きっと」
空いていたエルトの左手を、ハイファの右手が握る。
「エルト、行こう」
「はい!」
決して離さないように、エルトは温もりを宿した手を握り返す。
そして二人は、手を繋いで小屋へと戻る道を歩み始めた。
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