3-45 失意に沈む
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眩い光に目を閉ざしていたエルトは、身を撫でる温かい空気に目を開けた。
温かい日差しに、川のせせらぎ。花畑に吹く風が運ぶ甘い香り。
悪夢のような夜の世界とは真逆の穏やかな世界が目の前に広がっている。
「こ、ここは、どこなんですか?」
「……よもや、このような場所に着くとは思いませんでした」
エルトを腕に抱いたまま、ルナは呆然とつぶやいた。
「知ってるんですか、ルナさん?」
「ええ、間違いありません」
柔らかい草地の上に降ろしたエルトに、ルナは確信を持って答えた。
「この地こそ、わたくしたちの故郷。龍の王国でございます。ですが……」
「ですが?」
「どうやら、中心部からはかなり離れた場所のようです」
「そう、なんですか? 確かに、他の龍の姿は見えませんけど」
「人間的に言うなれば、僻地と呼ばれるところです。なぜこのような場所に飛ばされたかは、あの方に聞くほかありませんが」
ルナの視線は、背後の光に動く。
その光を見つめ喉を震わせるペックの気持ちが、エルトには痛いほどわかった。
「みなさんは、大丈夫でしょうか……」
そう呟いた直後だった。光が大きくなり、中から何かが勢いよく飛び出す。
『よし、君たちは無事なようだね!』
地面を滑るように飛んだ紫龍の背に、ヴァルマとシャンが見えた。
「ヴァルマさん! シャンさん!」
少し離れた位置に着陸した紫龍のもとへ駆け寄り、エルトはシャンの腕の中で気を失っているハイファに気づく。
「ハイファさん⁉ だ、大丈夫なんですか⁉」
『極限まで魔力を消費した結果だ。すぐに目を覚ますさ』
「よかった……! あれ?」
違和感がある。一人足りない。
「ヴァルマさん、リンさんは?」
ヴァルマが答えぬまま、リンの姿が見えぬまま、リューゲルと繋がる光が消える。
『……すまない』
「え……」
意味がわからなかった。
違う。わからなかったのではない。わかりたくなかったのだ。
しかし、現実は変わらない。
エルトは崩れ落ち、悲鳴にも似た慟哭の叫びをあげた。
※※※
紫龍を空の彼方に送り出したヴァルマの先導のもと、失意のエルトたちがやって来たのは、森に囲まれた湖だった。
ネヴァンに魔力を吸収されたハイファは、ヴァルマの隠れ家という湖畔に建つ木組みの小屋に運び込まれた。
『僕はやることがあるからね。少し外すよ。その子の世話はよろしく』
小屋にぽつんと置かれた寝台にハイファを乗せたヴァルマは、そう言い残すと地下へと降り、シャンもいつの間にか姿を消していた。
龍骸装の影響でハイファには魔法の効果が薄いため、エルトはルナに看護を任せ、邪魔にならぬよう湖の岸に座り込んでいた。隣にはペックがいる。
「………………」
澄んだ水面に映る自分がひどく無力で矮小な存在に思えて、陰鬱な視線を投げる。
「リンさん……ごめんなさい……」
完全な敗北であった。
龍を模した巨体へと姿を変えたネヴァンを前に、自分たちはなす術もなく逃げるしかなかった。
「あんなの、どうしたらいいんだ……」
あのおぞましい姿を思い出すだけでも、恐怖で足が震えてしまう。
「こんな時、師匠なら――」
うつむくエルトの横顔に、ペックが嘴を摺り寄せた。
レックレリムのこの習性は、自らが信頼する相手にしかしないと知っていたエルトは、手前勝手な己を恥じた。
「慰めてくれるんですね……。すみません。僕なんかより、君やハイファさんの方がずっと辛いのに……」
ヴァルマ自身から何が起きたのかを聞いたエルトは、リンの死を目の当たりにしたであろうハイファが気がかりだった。
ハイファにとってリンはかけがえのない存在だ。それを失ったハイファがどうなるか、想像がつかない。
「エルトさま!」
そこへ、慌てた様子のルナがこちらに走ってきた。
「ルナさん? どうされたんですか?」
息を整えるのも惜しいのか、途切れ途切れの言葉でルナはエルトに報告する。
「ハイファ、さまがっ、ハイファさまが! 姿を消してしまいました!」
「そんなっ⁉」
急いで小屋に戻ると、空の寝台を前に腕を組む銀の鎧がいるだけだった。修復したのか、鎧の胴体の穴は塞がっている。
「どうしてこんなことに……!」
「申し訳ありません。裏の森に人も食べられる果実をつけた木があったので、採りに行った間に……」
平謝りするルナをよそに、ヴァルマは開いたままの裏口のドアを見やる。
『すさまじい回復力だ。これも、龍骸装のなせる業、ということかな』
「ハイファさんはいったいどこへ……」
思案したエルトは、すぐに答えを弾き出した。
「まさか、ネヴァンのところに⁉」
だが、ヴァルマはそれを否定した。
『いや、あそこに戻るには僕の力を使う必要がある。彼女単身では不可能だ』
ヴァルマの手が寝台に触れる。
『ただ、あんな状態じゃ、満足に龍骸装も使えない。遠くには行ってないはずだよ』
「……僕、探してきます」
エルトは錫杖を握りしめ、裏口の方へ向かう。
「でしたら、わたくしもっ」
『少年はともかく、君が行くのはおすすめしないな』
「なぜです⁉」
『今のあの子が龍である僕らに会いたいと思うかい? 下手に慰めても、逆上されるのがオチだ』
「それは……!」
反論しようとしたルナは、続く言葉を見つけられなかった。
『本当は君もわかってるだろうに……。では少年、頼んだよ』
銀の鎧に頷き、エルトは小屋を出た。
扉が閉まり、足音が消える。
ルナに睨まれているのを感じながら、ヴァルマはエルトが去った裏口を見たまま、声を発した。
『何か言いたげだね』
「なぜ、リンさまを助けなかったのです!」
『ここに来た時も言ったが、あれは彼女の選択で僕にはどうしようもなかったんだ。結果として、彼女は正しい選択をしたよ』
「ネヴァンを打倒するためなら、ハイファさまと王がいればそれでいいと⁉」
『最悪の場合はね。彼女……ネヴァンは今のうちに滅しなければならない存在だ。そのために、多少の犠牲は覚悟していたさ』
「勝手に納得しないでください!」
感情が昂ぶり、思わず龍化した腕に、ルナは忸怩たる思いを吐き捨てる。
「私たちは……龍はいつから、人の力を借りなくてはいけなくなったのでしょう……」
『それは八〇〇年前――いや、もっと前の時代からだろうさ。僕は龍のそういう傲慢なところが嫌いで、龍であることを捨てたんだ』
ルナは龍をなじる言葉を諫めたかったが、喫緊の問題を優先した。
「……もしハイファさまが戻らなかったら、どうするのです」
『戻るさ。だって彼女は、ハイファだからね』
ヴァルマはそう答えると、地下へ繋がる階段へ続く扉を開ける。
『いい機会だ。あれを君にも見せておこう。ついて来たまえ』
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