3-44 沈黙する世界
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リューゲル城を超えるほどの巨体となって咆哮するネヴァンの姿は、伝承や文献に伝わる龍に酷似している。
「違いますっ!」
だが、それを認めない者がいた。ルナだ。
「断じて違います! あんな、あんなものが、龍であるはずがありません!」
ルナはその醜い姿を、自分や、自分の敬愛する先達たちと同一と認めるわけにはいかなかった。
『そう。あれは龍じゃない』
下から突然聞こえた声に、エルトは目を剥く。
「ヴァルマさん! 大丈夫ですかっ!」
『ああ。本体との繋がりが少し断たれただけからね。問題はないよ。ただ……』
起き上がったヴァルマは、胴体に穴を空いたまま言葉を紡いだ。
『やれやれ、龍骸装をああ使ったか』
「あれはいったい何なんですか!」
『これまで喰らってきた生命の持つ魔力、そしてこのリューゲルに住まう人形たち……彼らを動かす魔力と、彼らの持つ獣骸装を取り込み、龍骸装で無理やりつなぎ合わせて作り出した、彼女なりの龍の再現さ』
「あら、もう戻ってきたのね、ヴァルマ」
龍の頭部。額のあたりから、女神官姿のネヴァンが上半身だけの状態で現れた。
「うふふふふっ、見て! シャン、あなたに相応しい女になるために、私、ここまで来たわ! でもまだよ! 残りの龍骸装も喰らって、初めて完成するの!」
「なんなのよ、あれ……」
自分の理解を超える事態に、リンは途方に暮れる。
しかし、ハイファが自分の傍を離れたことで、すぐに我に返った。
魔力を漲らせたハイファが、ネヴァンに拳を振りかざす。
「ハイファッ!」
『ダメだ! 今の君ではまだ!』
ヴァルマの制止は意味をなさず、ハイファの右の拳が放たれた。
「……あなたの方から来てくれるなんて、気が利くわね?」
「ッ⁉」
拳は受け止められていた。しかも、押しも引きもできない。
「触れた瞬間に、ごっくん、ってしてあげたかったけど、しぶといわね。いいわ、あなたが耐えられなくなるまで、魔力を吸ってあげる!」
宣言と同時に、ハイファを包む闇色の魔力がネヴァンの方へと流れ始める。
もだえ苦しむハイファに、居てもたってもいられなくなったルナが飛んだ。
「その薄汚い手を放しなさい! 化け物!」
龍化した腕の爪を閃かせネヴァンに組み付こうとしたルナだったが、ネヴァンの龍を模した身体の首から生えた巨大な脚がルナを叩き落とした。床に激突し、わずかに瓦礫の中にルナが埋もれる。
「ルナさんっ! この……! ――《エル・パルジア》ッ!」
エルトが放った聖なる光の攻撃も、あまりに巨大すぎるネヴァンの身体には通用しない。
「■■■■ッ!」
ついにハイファの仮面の下半分が砕け、露わになった口から、極大の魔力が放射された。
ネヴァンの胸から上を吹き飛ばし、身体の自由を取り戻したハイファだったが、すでに暴走状態は解け、龍骸装も元の腕に戻ってしまっていた。
「危ない!」
間一髪、リンがハイファを受け止める。魔力放射の反動がなければ地上に真っ逆さまであった。
「ハイファ! ねえハイファ! しっかりしてっ!」
「けほっ、ごほっ……!」
リンの腕の中で咳き込むハイファの口の端を血が伝う。意識はあるが、かなり衰弱していた。
『ここまでとはね……!』
「なにか、なにか手はないんですか⁉」
エルトは縋る思いで、胴に穴の空いた鎧に叫ぶが、返事は芳しくなかった。
『難しいよ。今の僕らじゃ、彼女には勝てない』
「そんな……!」
『でも、手がないわけじゃない』
ネヴァンの背中で二度、三度と連続して爆発が起きる。
月光を背にして飛来した紫の龍が放つ魔力弾による攻撃だ。
「龍? ですが、あれは……」
立ち上がったルナは、その龍の姿に疑念を抱いた。紫龍はまだ幼龍と言える小柄な体躯であり、右腕と左足を鎧のような銀の装甲で包み、両の目はそれぞれ赤と青に色が異なっている。
『あれが僕のとっておきの使い魔。龍としての僕自身だ』
「ああもう! うるさい羽虫ねぇっ!」
消し飛ばされた上半身の回復と並行して紫龍を迎撃するネヴァンだが、小回りは利かないのか、一方的に攻撃を受ける。
紫龍はネヴァンの頭上を取ると、口を大きく開いて白い光を放った。
しかしそれはネヴァンを狙ったものではない。ヴァルマやエルト、ルナの背後の空で停止した光球は、一回り巨大になる。
『あの光の中に飛び込め! 今は逃げることだけを考えるんだ!』
ヴァルマが呼びかけ、リンはハイファを抱えて立ち上がった。
「ルナッ! エルトを連れて先に! ペックも行って!」
「承知、しました……! エルトさま、失礼しますっ!」
「わあっ⁉」
素早くエルトを抱えあげ、光の中へルナが飛ぶ。ペックは躊躇いを見せたが、リンの命令に従ってルナを追いかけた。
『リンくんも急いで! 長くはもたない!』
応える呼吸すらも惜しく、リンは懸命に走る。
「くっふふふ! 逃がさないわ!」
リンの背後に、赤黒い泥が押し寄せていた。
ヴァルマの待つ場所までもう少し。だが、踵はいつ泥に触れてもおかしくない。
「シャン……⁉」
リンはヴァルマの傍にシャンが出現したのを見て、意を決した。
「シャン! ハイファをお願い!」
放り投げられ、一瞬の浮遊感のあと、ハイファはシャンに受け止められる。
「リ――」
ハイファが名前を呼ぼうとした瞬間。赤黒い泥がリンの姿を掻き消した。
ハイファの世界から、音が消えた。
「あら、間違えてリンの方を飲んじゃったわね。ふふふ……」
再び耳朶をうったのは、嘲笑うネヴァンの声。
「リン……うそ、いや……いやあああぁぁあぁっ!」
シャンの腕を抜け出そうとしたハイファを、横から回り込んだヴァルマが食い止める。
『撤退だ。一度体勢を立て直すよ』
「放してシャン! リンが、リンがぁっ!」
『君とシャン殿のどちらが欠けても終わりなんだぞ!』
「関係ない! リンを助けるの!」
『諦めろっ! 生きているわけがない!』
その一喝は、これまでのどんな攻撃よりもハイファに重く響いた。
「リン……そんな……」
ハイファの全身が弛緩する。すでに気を失っていた。
『まったく、君だって限界じゃないか……!』
ハイファを抱えるシャンと、悪態をつくヴァルマの頭上に、影ができる。
「このまま逃がすと思って?」
落ちてくる粘性を帯びた魔力液が、人間としてのネヴァンの形になった。
『思っちゃいないよ。君とは長い付き合いだからね』
ヴァルマたちを守るように、紫龍が降り立つ。だがネヴァンは特段意に介した様子は見せない。
「シャンとその娘を渡しなさい。そうしたら、今回のことは大目に見てあげなくもないわよ?」
『そいつは魅力的だ。だけど、今の君を見たら、信じる気持ちは起きないね』
「そう……。じゃあ死になさ――!」
突如として、ネヴァンの動きが止まった。龍態と人間態のどちらもだ。
「なっ、によ、これは……っ!」
『やっと動いた。ひやひやしたよ。どうだい? 特製の拘束魔法の威力は』
「拘束⁉ でも、この威力は……!」
『すごいもんだろ? なにせ僕がリューゲル城で暮らすようになってからずっと注いでいた魔力を丸ごと使ったからね』
地上から、巨大な銀の鎖が伸び、ネヴァンをがんじがらめにしていく。
『この城が君をここに繋ぎとめる。何百年とこき使ってくれたお礼さ。せいぜい苦しみもがいてくれよ。元・龍姫さま?』
「お、のれ……! ヴァルマアァァアッ!」
絶叫とともに、ネヴァンは地表へと落ちていく。人間態は空中で溶けて消え、龍態は城にもたれかかりながら地面に激突した。
それを見届けたヴァルマは、浮かぶ白い光を睨みつける。
『さて、ここからだ……』
ヴァルマとシャン、そしてハイファを背に乗せて、紫龍は光の向こうに飛び込んだ。
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