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1-0 プロローグ

お越しいただき、ありがとうございます!

 そこは、人が魔法を生活の中に組み込み、魔獣と呼ばれる生物が生息する世界。


「ハッ……ハッ……」


 夜の色をしたローブで全身を包んだ男が、霧の濃い森の中を早足で進む。

 男は、人を殺した。

 腕に抱くこの冷たくなった少女ではなく、街の外れに住んでいたとある老紳士だ。

 しかし、男の胸に罪の意識はない。

 好人物で知られる老紳士の正体は、子供の奴隷を買っては殺し、幼い死体を愛でる外道であったのだ。


 男が真実を知ったのは、老紳士の邸宅に忍び込んだとき。

 老紳士は確かに標的だったが、それはあくまで()()()だったからで、()()()()を説く程度で済ませるはずだった。

 だが、彼が眠る少女の胸に鉄の杭を打ち込む姿を見てしまい、老紳士を『悪』と断定した男は『正義』を執行した。


 すべては、神の教えのままに。教えを守るなら、いつか救いは訪れる。

 消し炭となった老紳士の魂も、神のもとに召され、相応の罰の後に改めて救われるだろう。

 けれど、この少女は違う。()()()()()()()()

 男の信ずる神、慈悲深き闇の龍――バンデロシュオを祀る龍瞳教団(りゅうどうきょうだん)によって与えられない『死』は、『死』ではないからだ。


 たとえ肉体は機能を停止しようと、魂は肉体にとどまっている。まだ間に合う。

 使命感を身体に漲らせ、男は口の端から血をこぼす少女を邸宅から運び出した。


「……そろそろだ」


 森を抜けると、霧の奥に屋敷が見えた。

 中央国家レウンの西端、コンベルの街の辺境に建てられたこの屋敷は、世界に点在する龍瞳教団の拠点の一つだ。

 屋敷に入った男へ、玄関近くにいた教団の信徒たちが歩み寄る。


「おお、導師。おかえりなさいませ」

「おはやいお戻りでしたね」

「交渉はいかがでしたか」


 出迎えに微笑み、男は腕の中の少女を見せる。短いどよめきのあと、信徒の一人が男に尋ねた。


「導師、その娘は?」

「ああ。我らの同胞となる幸運な少女だ」

「同胞……」


 顔を見合わせた信徒たちは、すぐにその言葉の意味を理解し、表情が華やいだ。


「承知いたしました。すぐに準備に取り掛かります。人を集めろ! 新たな『宣教師』の誕生だ!」


 信徒たちがバタバタと動き出し、屋敷の中がにわかに慌ただしくなる。

 男は少女を抱いて屋敷の奥の聖堂へ向かった。

 少女を同胞――龍瞳教団の宣教師にするためだ。


 聖堂の扉を開くと、バンデロシュオの姿を描いた巨大なステンドグラスが目を惹く。

 男が十年前に初めてこの聖堂に足を踏み入れたときから、神の雄姿の虜になっていた。


「導師、これを」


 背後から男に声をかけたのは、この拠点でただ一人の女神官であった。二人の信徒を引き連れている。

 男はその信徒たちの持つ、鎧の腕部に似た装具に視線を運んだ。


「ほう。新たな獣骸装(アニマファクト)か」


 獣骸装とは、人と精霊と魔法が存在するこの世界に生息する魔力を宿す獣――魔獣の骸や骨を素材にして作られる装具で、布教活動を担う宣教師を過酷な環境や異教徒の()()から守るために必要なものだ。


「これはただの獣骸装ではありませんよ」

「どういうことだ」

「本来なら魔獣を素材にして作る獣骸装ですが、これは龍の骸を素材に使っております」

「龍の、骸?」


 龍はこの世界において生命の頂点に君臨する絶対の存在。滅多に人間の前に姿を現さず、仮に出会えたとしても、無事に生還することは至難である。


「よく見つけられたな」

「東の渓谷に獣骸装の材料を調達しに行ったときに発見し、回収したものです」

「なるほど。だが、なぜ回収した時に報告しなかった?」

「話せば、あなたは仕事そっちのけで工房へ見に来るでしょう? それでは信徒たちに示しがつきません。立場を弁えてください」

「むう……」


 女神官の後ろに控えた、二人の付き合いの長さを知る信徒たちが小さく笑う。咳払いで諫め、男は続きを促した。


「それで、獣骸装の技術を龍に使ってみた、と」

「その通りです。私たちはこの装具を龍骸装(ドラグファクト)と名付けました」

「龍骸装……」


 光沢を持った濃い紫の装具に触れる。微かな温もりを、脈動を感じた。

 それはまるで――。


「生きているように感じるでしょう?」


 女神官の見透かした声が鼓膜を震わせる。


「どのような姿であれ龍は龍。秘める魔力は並みの獣骸装の比ではありません。これを使う宣教師は、まさしく教団の象徴と言えます」

「素晴らしい。だが、その二つをどちらもこの少女に?」


 膨大な魔力を蓄える獣骸装は人の身体では一つしか扱うことができない。

 それが男の持つ獣骸装に対する知識であった。

 しかし、女神官の説明が男の懸念を取り払う。


「龍骸装は特別です。龍の魔力は二つ一組の装具にしたことでようやく安定しました」


 得意げに言う女神官だったが、途端に語気を弱めた。


「ですが、完成に至るまでに何人もの宣教師候補を潰してしまいました。今朝、最後の候補者であった少年も、苦しみを与えぬように、清浄の炎で神のもとへ……」


 うつむく女神官の肩に手をやり、男は穏やかに声をかけた。


「あとでその少年の名を教えてくれ。碑に刻み、祈りを捧げよう」

「ありがとうございます。ですので、その娘で最後の起動実験を。失敗したならば、龍骸装は祭具に転用します」

「そうか。では、さっそく始めよう」


 男がステンドグラスのそばに設置された祭壇の前に移動し、少女の身体を床に横たえる。男の後ろに、短剣を握る二人の信徒が立った。

 信徒はそれぞれ少女の左右の腕を掴み、その二の腕に刃を添える。


「――やれ」


 男の号令の直後、少女の両腕が切断された。

 無表情にそれを見届けた男は少女の腕を持ち上げ、流れ出る血で少女を中心にした魔法陣を描いていく。

 その作業を終えると祭壇に少女の腕を置き、腕を失った少女の傍らに龍骸装を並べた。


 準備が整い、男は改めて少女に想いを馳せる。

 どれほど辛かったことだろう。

 どれほど屈辱に耐え、どれほど惨めに生にしがみついたのだろう。

 けれど、これからは違う。共に世界をより素晴らしいものに変えよう。

 決意を胸に魔法陣の前で跪き、聖堂の冷たい空気を吸った男は言葉を紡いだ。


「いと偉大なる我らが神よ。慈悲深き闇を生み出しし龍よ」


 集まった信徒たちの復唱が聖堂に響く。


「かの者に祝福を。気高き龍の魂をもって、かの者に再び立ち上がる力を」


 魔法陣を形作る血が、ズズ……と蛇のように持ち上がり、断面から少女の中へ戻っていく。

 少女の胸の鉄杭が勢いよく押し出され、床に転がる。胸の穴は塞がり始めていた。


「我らと共に歩み、世界に穏やかな闇をもたらす力を!」


 次の瞬間、祭壇から燃え上がった青い炎が、少女の腕を飲み込んだ。

 続けて少女の身体と龍骸装が浮かび、腕の切り口に触れた龍骸装が血液の糸によって縫い合わせられていく。

 血が全て少女の体内に還り、美しかった黒髪が毛先から灰に似た白色へ変わっていく。魔力が集約し、龍の頭骨を模した白い仮面となって少女の顔全体を隠した。


「――!」


 咆哮。およそ小柄な身体からは出せるはずのない叫びが、少女の喉から吐き出される。

 同時に少女の服を千切り飛ばしながら魔力が迸り、衝撃でステンドグラスが粉々に砕け散った。


「おお……! 成功だ!」

「美しい……!」

「あれが、新たな宣教師……」


 信徒たちから声が上がり、男自身もその出来に驚きを禁じえなかった。全身にのしかかる威圧感は、男を本物の龍と対峙しているのかと錯覚させる。

 一糸まとわぬ姿で、降り注ぐガラスの雨を背に堂々と立つ姿のなんと神々しいことか。

 だが、神の御姿を描いた至高の芸術を破壊したのは見過ごせない。挨拶のついでに注意しよう。

 そう思って男は立ちあがった。


「気がついたかな? 私は――」


 男が言葉を発した瞬間、少女がその拳で床を砕いた。光景に追い縋るように、少女の咆哮に劣らない轟音が鳴り響く。


「っ⁉」


 何が起きたのか認識したのも(つか)()、土煙を切り裂いて少女の拳が男の眼前に迫った。


「《ディフェルド》!」


 詠唱を破棄して作り出した魔力の盾が、打ち出された拳を受け止める。だが威力は減殺しきれず、男の足はわずかに床に沈んだ。


「おい! いったいどうなっている⁉」


 近くにいるはずの女神官に乱暴に叫んだが、返事が来ない。振り向いた男は言葉を失った。

 女神官は少女の一撃の余波で左半身が吹き飛び、すでに物言わぬ肉塊と成り果てていた。

 顔面を蒼白とさせた男は、少女の仮面が半分ほど砕けたことで正面に顔を戻す。

 大きく開いた少女の口の中に、魔力の輝きがあった。


「ひ……⁉」


 本能的に察知し、男は身体を逸らす。

 一秒とない間のあと、収束した魔力が一気に解き放たれ、男の盾を突き破って床を抉った。

 光に飲み込まれた信徒の数名が悲鳴も上げられずに塵になる。至近距離での衝撃と飛び散る破片に身体を削られ、男は声にならない叫びをあげた。

 魔力放射を続ける少女は、首をめぐらせて聖堂内を破壊していく。壁や柱は瓦礫の嵐となり、逃げ惑う信徒たちに襲いかかった。


「あ、ああ……」


 ほんの数十秒で、動くものは男と少女だけになった。


「………………」


 魔力放射を終えた少女が、無言のまま男を睨む。

 時間が逆行するように復元された仮面の下。紅く輝く瞳から伸びる視線が、男から抵抗する意思すら奪い取った。


「なぜ……こんな……」


 脚から力が抜け、震えて噛み合わない奥歯が音を立てる。

 少女の足が動いた。一歩ずつ、剥き出しになった地面を小さく割りながら、男へ近づいていく。


「あ……」


 そのとき、男は少女の背後に龍を見た。

 陽炎のように揺らめく、翼を広げた龍の姿がはっきりと見えたのだ。


「は、はは……」


 それだけで、男は()()()()


「ははは、ははははっ! 神よ! バンデロシュオよ! 私も、遂にあなたの――!」


 振り下ろされる拳。

 続く言葉は掻き消え、男の頭は、熟れた果実が地面に落ちるように形を失った。

ご覧いただき、ありがとうございました!


この作品はかなりのストックがあるので毎日更新していきます!


少しでも続きが気になる、面白いと思っていただけましたら、ブクマ、評価の方をよろしくお願いします!


感想も随時受け付けております!

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[一言] Twitterの企画より! 話の導入がまずインパクトがあり、個人的には物凄く好きでした。 ダークファタンジーと言っているだけあって、人や世界の雰囲気がたった数行で「ダーク」に表現できていると…
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