帰宅
ハツラツとした声で自分の名前を答えたクーアという少女。
自分のことを治療術師と名乗ったクーアは左手の白い手袋を脱いで水無月の左脇腹のあたりに手を伸ばす。
「えっ、あっちょっ⁉︎」
「どうされました?」
突然のことに水無月は痛む体を無理にのけぞらせてしまう。
そのせいで和らいできた痛みが骨身に大きく響いてくる。
アホなことをしたと自覚しながら痛む脇を押さえて苦痛な声を漏らす。
その様子をクーアは心配そうに見ていた。
原因はかわいい見た目をしながらも無自覚に思春期真っ只中の水無月に触れようとしたクーア自身にあるというのに。
クーアは何一つ自分に原因があるとは思っていない様子だ。
そもそも水無月の女性への抵抗は弱いだけなのが問題なのだが。
「あっ!そういえば説明がまだでしたね。私には他人の怪我を癒すことのできる治療魔法が備わっているのです。しかしリルレット先輩のように無条件に治療することはできません」
何を勘違いしたのかクーアは水無月がキョドった理由を説明不足だと捉えたようだ。
クーアは見当違いの良心で一から自分の魔法について説明し始める。
「相手の身体、もっと言えば負傷しているところに直接触ることで高い効果で治療をすることができるのです」
冬が近づいているせいか立派な筋肉をこの二、三年で身につけた上半身裸の水無月の体が寒さで震えてくる。
水無月も早く服を着たいと思うも相手に勘違いさせてしまったのが自分なので、先に治療してもらっていいですか?などと言えなくなっていた。
「ですが先輩のように完璧にとはいきませんので、治療した後は安静にしてもらう必要があることはお忘れなきようお願いします」
リルレットが治療術士の中でも実力者であることを初めて知った水無月。
テルソリアの発言から城内に人はいなかったとのことだが無事だったのだろうかと心配になる。
それと同時に、自分がリルレットについて知らない可能性を全く考慮せず話すクーアに、少し抜けているなあという感情を抱いていた。
「説明は以上です。質問などはありませんか?」
「自分に怪我ってクーアさんの治療を受けても完治にどれくらいかかりますかね?」
「そうですね……二週間、長くても三週間といったところでしょうか。あと薬の作用が切れると普通に痛みを感じるので気をつけてください。呼吸に異常が生じた場合はすぐにお近くの病院に向かってくださいね」
「わかりました。色々と教えていただきありがとうございます」
「いえいえ、それが私の仕事ですから。それでは失礼しますね。少し時間がかかりますがじっと我慢していてください」
改めてクーアは左の手を水無月の左脇腹へと伸ばした。
すらりと白い小さな指が優しく水無月の肌に触れる。
スゥーっとなぞられる慣れない感覚に、全身に鳥肌が立つ。
「んっ……」
「痛かったですか?」
「いえ……そういうわけじゃないです」
ついきしょく悪い声が出てしまった。
恥ずかしくなって目の前のクーアから赤くなった顔を隠すように視線を逸らす。
だがクーアは治療魔法を行使するのに精一杯で気がついていない様子だった。
治療魔法はかなり体力を使うのだろうか。
クーアの額にはじんわりと汗が出ていた。
水無月に触れるクーアの指先も心なしかじんわりと湿っていた。
「汗かいてますね。大丈夫ですか?他の人にタオルを持ってきてもらうこともできますが」
「いえ……すみません」
「謝る必要はないですよ?」
クーアの指先が湿っていたのは緊張による水無月の汗だったようだ。
気遣ってくれるクーアに申し訳ない気持ちいっぱいで謝罪するも、彼女は何故謝られたのかピンときていないようだった。
他者の裸体に直接触ることなど戦場に出る治療術士として当たり前のことなのだろう。
その価値観に水無月は苦しまされているわけなのだが、彼女がいたというのにいささか耐性がなさすぎる気もする。
その後もしばらく指を滑らされ、くすぐったくもなったがこれはなんとか耐え抜くことができた。
「はい、これで終わりです。また何か気になることがあれば騎士団本部にお越しください。この国は治療術士の人数不足に悩まされているので常に滞在しているとは限りませんが一応私はそこにいますので」
水無月の治療を終え、脱いだ手袋をはめなおしながら、クーアは笑顔でそう言うのだった。
水無月は治療をしてくれたクーアへ礼を伝えると近くにいた看護士から戦いで傷だらけになっていた服を受け取って家へと帰ることにした。
その間、日下部やコレニス、共に城内へと乗り込んだグラべオンの騎士たちや忍の二人がいないかと目を凝らしていたが誰一人として見知った人物を見つけることはできなかった。
ーーーーーーーーーー
家に着いたのは日が沈むころとなった。
季節が季節なので日照りがなくなるとさすがに肌寒く感じる。
人々の喧騒が落ち着き始め、静かになっていく街に虫の音が響き始めていた。
家の窓からは灯りがついているのが分かる。
まだ店の営業は終わっていないのでアルマかフォクルが客の接待でもしているのだろう。
遠目で確認できたのはここまでだ。
実際に接客をしているのかどうかは分からない。
賑わっている時はこの距離からでも騒がしい酔っ払いたちの声が聞こえるものだが。
何はともあれ水無月自身が無事に帰って来れたことに変わりはない。
日下部とコレニスも無事で先に家に帰っていることを願い、足を進めるようとしたその時だ、
「お兄ちゃん!」
家の扉が開き、中から薄い水色の髪を短く切りそろえた小さな女の子がひょっこりと顔を出していた。
女の子は水無月の姿を見つけるなりすぐさま駆け寄ってくる。
そのまま勢いで、女の子は水無月の胸へと抱きついた。
「おかえりなさいお兄ちゃん。無事でよかったです」
「あはは、無事っちゃあ無事けども……」
「どうしたんですか?」
女の子の勢いが強いかったあまりに脇腹の痛みが再沸する。
もう幾度目かの痛みだ。
慣れたとは言わないが悶え苦しむほどの痛みではなくなっていた。
「肋骨何本か折れてたみたいで。薬飲んで痛みはだいぶ和らいだけど衝撃が当たるとちょっと痛え」
「ごめんなさい。つい嬉しくなっちゃって」
苦笑しながら言う水無月から女の子は口惜しそうにそっと離れた。
「まあ大丈夫だから気にすんな」
「はい、でも安静にしてた方がいいんですよね?それなら早く中に入って横になってください」
女の子はそう言うなり水無月の手を取って家の方へと引っ張っていく。
無理矢理引っ張られているのに何故か安心感が水無月の心には溢れていた。
家の目の前へと着いた女の子は水無月の手を引いている手とは逆の手で扉を開けて、思い出したかのように、満面の笑顔で言うのだ。
「おかえりなさいお兄ちゃん」
「ただいま、アルマ」
その笑顔に、水無月もできる限りの笑顔で答えるのだった。
そして、傷だらけのコレニスを抱えた日下部が帰ってきたのは、完全に日が沈み夜闇を虫が支配してからのことだ。
日下部の話では傷が多く治療術士を探していたとのことだったのだが慢性的に不足しているグラべオンで見つけるのに時間がかかってしまったらしい。
その結果コレニスの身体を蝕む毒が全体へと広がり、体力を大きく奪われてしまったようだ。
やっと見つけることのできた治療術士が言うには本当に命が助かるか助からないかのギリギリだったとのこと。
「術士が言うにはしばらくは起きないだろうけど重体に変わることはないって。……僕が手間取ったからだ。ごめん」
「いえ、日下部は悪くありません。そう気に病まないでください」
二階のベッド、いつもコレニスが使っているそこにコレニスは意識を失ったまま横たわっている。
皮膚は酷く爛れていて、腫れた腕からは異臭が放たれている。
横たわるコレニスの横、狐の獣人であるフォクルがその手を握って不安な目で見守っていた。
「コレニスの面倒は私が見ておきますからみなさんは食事を取ってください」
「フォクル……」
何か声をかけようと水無月は口を開くが言葉が一つも出てこない。
自分と日下部に目立った外傷がなく、一人コレニスだけ意識を失うほどの重傷を負っているのだ。
それにコレニスのことを一番心配していたのは他の誰でもない、長い付き合いを持つフォクルなのだから。
かける言葉が見つからないのは当然のことだった。
「水無月さん、二人きりにさせてもらってもいいですか?もちろん命に別状がないことは術士の治療を受けたので可能性が低いことは分かっています。ですがここ最近二人でいる時間をあまり作れなかったので」
「……何かあったらすぐに言うんだよ」
「ありがとうございます日下部」
「さあ行こうか」
日下部が水無月の肩に手を置き部屋から出ていくことを促す。
空気は重く、フォクルの声は震えていた。
その声が水無月の心を酷く揺さぶって、その場から逃げるように部屋を出て行った。
部屋の外ではアルマが落ち着きのない様子で中の様子を気にしていた。
「お、お兄ちゃん。コレニスさんは大丈夫なんでしょうか」
「今は気を失ってるけどすぐに起きるよ。心配することは……ない。そうだよな日下部」
「大丈夫。数日後には目を覚ましてるよ。……ご飯食べようか。アルマちゃんが腕によりをかけて作ってくれたんだ。冷めないうちに食べないともったいないからね」
「ああ、そう……だな」
その日の夕飯はアルマの手製の中でも過去一番の出来だったが、今までにないほど冷たく感じた。
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