癒えない心
「おかえりなさい水無月さん」
水色の髪。
幼い声。
ああ、アルマか。
「大丈夫ですか?」
まだ月霜の姿が脳裏に焼き付いている。
昨日まで隣で話したり出かけたりしていた月霜が。
あんなに楽しそうな月霜の笑顔が。
その思い出がさらに心を深く抉る。
「放って…おいてくれ…」
「はい…わかりました」
無言でアルマの横を通り過ぎる。
重い足取りで自分の部屋へと向かう。
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「あの、朝食お持ちしました」
お部屋から返事はありません。
何があったのかはわかりませんが、帰ってきた時の顔には正気を感じられませんでした。
虚ろな目をしていて、声も聞き取るのがやっと。
「ここに置いときますね」
部屋の前から立ち去り、階段を降りているとメリッサさんと遭遇しました。
水無月おにいちゃんの友達だということで私も何度か会話をしたことがあります。
「おはよう!アルマちゃん」
「おはようございます。メリッサ様」
メリッサさんはいつも元気です。
今日もその調子は変わらないようです。
「どうされましたか」
「久しぶりに水無月くんと一緒に学校に行こうと思ってね」
あの様子では部屋から出てくるとは思いません。
勝手な判断になりますが。
「今日は学校を休むと伝えておいてくれませんか。どうも体調がすぐれないようなので」
「水無月くん大丈夫?面倒見てあげてね。学校には伝えておくね」
「はい。ありがとうございます」
「いってくるね」
「いってらっしゃいませ」
後で勝手に休むことにしたことを謝っておかなければなりませんね。
元気な足取りでメリッサさんは宿を出て行きました。
私も早く仕事を終えておにいちゃんの様子を確認するとしましょう。
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「大丈夫ですか?水無月さん」
返事はありません。
「何か必要なものがあればなんでもおっしゃってください」
それだけを伝え、部屋を去ります。
朝食は手をつけていないようでした。
「うー、どうしたらいいんだろう」
困りました。
放っておいてくれと言われれば私の判断でできることは限られてきます。
今私にできることは最低限の身の回りのお世話しかありません。
それでもおにいちゃんに何かしてあげたいです。
「どうしたんだいアルマ。そんなところで」
「女将さん。すみません。すぐ戻ります」
「サボりを疑っているわけじゃないよ。水無月さん朝顔色が悪かったけど何かあったのかい?」
「それが、何も話してくれないのでわからないのです。何かしてあげたいんですけど」
「そうだねぇ。何で困っているかわからないとこちらも何をすればいいのかわからないからねぇ」
「それじゃあ、私には何もできないんですか」
「そんなことないよ。料理を作ってあげるといい。人間食べずには生きていけないからね」
「はい!わかりました」
「頑張るんだよ」
私にもできることがありました。
またいろいろな話を聞かせてもらえるようおにいちゃんを元気づけれるような料理を作ってみせます。
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午後になっておにいちゃんの友達だという人が訪れてきました。
日下部さんというそうです。
「今日は部屋から一歩も出ていないんだね」
「はい。そうです。こんなことは初めてで。何か知っていますか?」
「水無月くんがそうなるのも仕方がことなんだ。僕も苦しいよ」
嫌なことを思い出すかのような表情で日下部さんは言います。
「そっとしといてあげてくれ。変にいろいろ聞こうとするのも今はやめていてね」
「でも…」
「事情は僕の心が落ち着いてから君に話すよ。それまでに水無月くんが回復しているといいけどね」
そう言って日下部さんは帰って行きました。
どうやら学校が関係しているようです。
「夕飯の用意しなきゃ。食べてくれるといいな」
そんな願いも虚しく、朝になっても部屋の前には昨晩と全く変わらない状態の冷めた夕飯が置きっぱなしでした。
「朝食…置いておきますね…」
流石に心にくるものがあります。
ですが、今やっていることは私の勝手なのでこの感情をどうすることもできません。
「お風呂用意しています。誰もいないので入っておいてください。洗濯物は置いといてもらえればこっちで勝手にしておきます」
やはり返事はありません。
「失礼します」
そう言って今日も部屋を去ります。
そうして普段の仕事に戻りました。
「あっ」
お昼過ぎぐらいでしょうか。
風呂場を掃除しようと脱衣所に入ると、籠の中に衣服が入っているのに気付きました。
「これ、おにいちゃんが着てたやつだったはず」
毎日顔を合わせているおにいちゃんです。
その服を見間違うはずもありません。
ふと思い部屋へと向かいます。
「食べてくれてる」
お皿の上に置いてあるサンドイッチが少しだけ食べられた跡があります。
「水無月さん。今晩もお持ちしますね」
返事がないのは変わりません。
ですが、少しでも食べてくれただけで私は満足です。
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それから一週間後ぐらいに日下部さんが私を訪ねてきました。
事情を話していく日下部さんはとても悲しそうに話していました。
おにいちゃんと日下部さん、そしてメリッサさんは月霜さんという方ととても仲が良かったようです。
「そんなわけで、これからも水無月くんのお世話を頼むよ」
「はい…わかりました」
「またしばらくしたら来るね」
「お話ししていただきありがとうございます」
それからも朝食、夕飯などを毎日用意しましたがおにいちゃんの姿を見ることは一度もありませんでした。
そして二週間後、また日下部さんが宿を訪れてきました。
今度は水無月と話させてほしい、と。
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あの日からどれぐらい経っただろうか。
アルマの持ってくるご飯をたまに手に取り食べ、気分転換にと思い風呂にも何度か入った。
だが、誰もいない広いお風呂では涙が溢れて止まらない。
広いお風呂が外界とは断絶された空間に感じたのだ。
心の傷は自分でも思った以上に深い。
月霜の存在はそれほどかけがえのないものだった。
同じ異世界人としてもだが、数少ない友達を失ったことは俺をここまで傷つけるとは思ってもいなかった。
まだ月霜のことは忘れられそうにない。
「コンッコンッ」
扉をノックする音が聞こえる。
またアルマが食事を届けにきたのだろう。
アルマにも謝らなければならない。
「水無月くん。いや水無月。僕だ。日下部だ」
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「水無月くん」
「いや、水無月」
距離のある呼び方はやめよう。
僕のくん付けは相手との距離をあまり近づかせないためのものだが今は必要ない。
「僕だ。日下部だ」
少し待つ。
わかってはいたがやはり返事はない。
「今日は君に話に来た」
僕は僕の責務を果たすために。
読んでいただいた方々ありがとうございます
感想などあればお聞かせください
正直おにいちゃん呼びするのは書いててやばいなこの子と思ってます




