8.ゼロから始まる冒険者生活なのですわ!
「しかし、見事に素寒貧なのですわ!」
ファスティラ城塞都市に無事入ることのできたルヴィアリーラとリリアだったが、いくら便利な錬金術でも服を一から作り出すことなど不可能だ。
そこでルヴィアリーラは路銀として貰っていた500プラムの大半をリリアの服と装備のために使い果たして冒頭の言葉に至ったのである。
「……あ、あの……る、ルヴィアリーラ様、ごめんなさい……あ、いえ、申し訳ありません、私のために……」
その甲斐もあって薄汚れたボロ切れに身を包んでいたリリアは、どこか魔法師然としたゆったりしたシルエットでいながらも動き易さを重視したそれに身を包んでいた。
そして、樫の錫杖を手にしている姿は立派な駆け出し冒険者といったところだろう。
虹の瞳を恥じるようにローブへ設けられたフードを目深にかぶりながら、リリアは慌ててルヴィアリーラへと謝罪するが、彼女がそう言い放ったのは呆れたからではない。
「何を言っておりますのリリア、わたくしは必要だと思ったことと必要だと思ったもののために労力と資金は惜しまないのですわ! つまり……さっぱりしたということなのでしてよ!」
「……さ、さっぱり……?」
「美しい貴女にあのようなボロ切れはとてもじゃないですが似合いませんわ、リリア。本当ならもっと上等な服を差し上げたかったのですが……こほん。嘆いても仕方ありませんわね! これで文字通りゼロからのスタート、自由への門出なのですわ!」
元々あの500プラムは「いらないから」かつて父だった男に手渡されたものだし、ルヴィアリーラ自身は冒険者として必要なものを一式揃えて旅立ったのだ。
ならば、それを誰かのために使うことのどこに問題があるというのか。
最低限、今日と明日、低級な冒険者の宿に泊まれるだけの銅貨だけとなって、すっかり薄っぺらくなった財布に悲しみを抱くこともなく、ルヴィアリーラはどこか誇らしげに豊かな胸を反らしてみせる。
端的にいえばこの元令嬢、極めてアホとまでは言わないが直情傾向だ。
しかし、これは言い換えるのなら、未来への投資、ということになる。
「必要な時、必要なもの、そして必要なものにお金をケチるなど言語道断ですわ、落ちぶれてもわたくしが信条を曲げることなどありませんわ!」
「……ひ、必要……ですか……? わ、わたし……その……」
「ええ、貴女はわたくしの夢に必要な存在! 貴女だからこそなのですわリリア。ですから、どうか泣きやんでくださいまし」
それが難しいことだというのは十分にわかっていたが、ルヴィアリーラは幼い頃に己がしてもらったように、人差し指でリリアの眦に浮かぶ涙を拭ってそっと額に親愛の口づけを落とす。
「あ……え……? わ、わたし……? る、ルヴィアリーラ、様……?」
「さあ行きますわよリリア! 泣いても笑っても冒険者生活が始まるのですわ、だったら盛大に笑ったもんが勝つのでしてよ!」
そう、明後日のことなんてわからなくても、今日の酒は明日につながる。
そんな、幼い頃から何度も何度も読み返してきた冒険譚の一節を脳裏に描きながら、どこか勝ち誇るように、ルヴィアリーラは笑うのだ。
突然のことに困惑するリリアの手を引きながら、とりあえずは事前に調べていた、冒険者組合なる場所を目指して二人は歩く。
俯き、今もどこか迫害されることに怯えているリリアの視界に映るものは、近代的に舗装された石畳だった。
だが、顔を上げているルヴィアリーラの瞳に見えるのは、その石畳を基盤として作り上げられた煉瓦造りの建物たちと、行き交う人々の表情だ。
街は生きている。
それはヴィーンゴールド領内で魔物退治をやっていた時にルヴィアリーラが得た学びであったし、どうやらそれはどこでも変わらないらしい。
表通りを歩けば焼き立てのパンの匂いが、そして行き交う冒険者たちの甲冑がかちゃかちゃと擦れる音が、井戸端会議で笑顔の花を咲かせる民草が、目と耳と、そして脊髄を伝って脳裏に届く。
故に街は一つの生き物なのだし、どこか一角でもそれが欠けていれば、たちまちに元気を失ってしまう、というのがルヴィアリーラの持論であった。
「明日はパンを食べるのも悪くはありませんわね」
「……あ、明日……? パンなんて、そんな、恐れ多い……です……」
「何言ってますのリリア、貴女も冒険者としてお金を稼げばそれは貴女のものになるのでしてよ? それを何に使おうと、法や天に背いていなければ誰も咎められはしないのですわ」
リリアに装備を買い与えたのは、身なりを整えるという意味も大きいが、それ以上に自分の助手として戦場に立ってもらう危険を鑑みてのことだ。
無論、リリアが拒否したのなら冒険にはルヴィアリーラ一人で出るつもりでいた。
だが、戦いは数だよとどこかのお偉いさんが嘆いた通りに、戦場というのは基本的に数的優位が支配する領域だ。
いかにルヴィアリーラといえども、多勢に無勢ではどうにもならないケースぐらいいくらでも考えられる。
「……わ、わたしが……ですか……? そ、その……わたし……初歩的な魔法しか……」
「あら、貴女魔法が使えますのね、ならそれだけでも十分でしてよ! 素晴らしいことですわ!」
なんせわたくしルヴィアリーラ、魔法が一切使えませんもの。
控えめに己のできることを主張したリリアを褒めちぎった彼女は自慢にもならないことを高らかに宣言してどこか得意げな顔をしている。
それをどこか、奇妙だと思う心がリリアになかったかと問われて、首を横に振ればそれは嘘となるのだろう。
だが、そんな無根拠で向こう見ずなルヴィアリーラの姿勢は、そしてそんな当たり前のことでも自分という存在を肯定してくれる彼女の存在は、リリアにとってかけがえのないもので。
じわり、と、鼻の頭に塩辛く熱を帯びたものが滲むのを感じる。
そうして、泣くなと言われているのに、眦へ涙が滲む感覚を、リリアは止められなかった。
それでも、ルヴィアリーラが何も言ってくれないのは、奴隷商のように自分の鳩尾を、胃液を吐くまで殴りつけてこないのはきっと彼女が、優しいからなのだろう。
そんな優しさに甘えたくなってしまうのを堪えながら、リリアは半歩だけ距離を取って、従者のようにルヴィアリーラへとついていく。
二人の耳朶にその声が触れたのは、そんな折だった。
「ど、どうかおねげぇしますだ、冒険者様!」
「しつっこいわね、だからあたしに決定権なんてないって言ってるでしょ!」
ファスティラ城塞都市のメインストリートから接続し、各地帯への分岐路となる中央噴水広場。
年老いた一人の農夫が、冒険者と思しき軽装の革装備に身を包んだ赤毛の女性へとすがりつくも、にべもなく振り払われる姿がそこには見えた。
しかし、途方に暮れる農夫に同情を寄せる者など誰もいない。
彼は切実な事情を抱えて近隣の農村からわざわざこのファスティラ城塞都市へとやってきたのだが、そんな事情など冒険者には、そして市民たちには一欠片とて関係がない。
当たり前だ。
その不幸に付き合ったところで、銅貨一枚分の得にもならなければ、同時に法に触れる可能性だってあるのだから。
だが、そんな法のことなど露知らず、それを見過ごさないのがルヴィアリーラという女だった。
突き放された農夫に駆け寄りながら、彼女はそっと彼を支え起こして問いかける。
「散々でしたわね。もし、貴方」
「へ、へえ……ところであんたさんは一体……」
「わたくしはルヴィアリーラ、後ろにいるのはつい先ほど親友になったリリアですわ! 何かお困りなのでしょう? わたくしでよろしければ相談には乗りますわ、さあ、言ってごらんなさい!」
ふんすふんす、と鼻を鳴らすルヴィアリーラと、親友、という突然放たれた人生において縁のなかった言葉に処理落ちを起こして頬を染め、頭から煙を噴き出しているリリアを不審に思いながらも、聞いてくれるのならとばかりに農夫は語り出す。
「じ、実はオラたちの畑がボガードとゴブリンに荒らされちまっただ……オラたちも戦ったはいいけんど、若ぇ衆が怪我しちまって、そんで……」
「なるほど、委細承知しましたわ」
ダウンローデッド、とばかりに全てを察したように腕を組んで、ルヴィアリーラは農夫の言葉に理解を示す。
「そんで……は?」
「要はその魔物共をちぇすとすればよろしいのでしょう? さあ行きますわよリリア、わたくしたちの──」
「ちょっと待ったぁぁあ!」
脳筋一直線な思考回路が導き出した最適解を語り、未だにフリーズしているリリアを連れて、農夫すら置き去りにして意気揚々と旅立とうとするルヴィアリーラを引き止めたのは、先ほど彼を突き放した女性のものだった。
動きやすいようにと肩にかかるかからないかぐらいまで伸ばした赤毛を翻しながら、ものすごい勢いで戻ってきた女性はルヴィアリーラを指差して正気かとばかりに言い放つ。
「あんた何やってんの!? そいつがどんな事情抱えてるか知らないけど……あんただって冒険者でしょ!? 組合を通さないで依頼を受けたらどうなるかぐらいわかってるわよね!?」
「どうなるのです?」
「豚箱行きよ! わかってて言ってんなら笑えないからやめなさいよ!」
女性はまさに怒髪天を衝く勢いで、口角泡を飛ばしながら捲し立てた。
だが、それもどこ吹く風とばかりにルヴィアリーラは小首を傾げ、大声をぶつけられて正気に戻ったリリアは彼女の後ろに隠れてしまう。
本気でわからなかったのだとはいえ、何か怒らせるようなことをしたのならば頭を下げねばなるまい。
ルヴィアリーラは聖衣の裾を摘んで丁寧に、軽装戦士といった風情の女性へと頭を下げる。
「申し訳ありませんわ、わたくし冒険者になるのが初めてゆえ……いえ、言い訳など無用ですわね。非礼は非礼。この通りですわ」
「大体この状況でボケるとか冗談のセンスが……って、は? 本当に知らないの? そこにいるあんたも?」
女性はルヴィアリーラの後ろに隠れていたリリアへと問いかけるが、返ってきたものはこくこくと何度も首を縦に振る、怯えを隠そうともしない無言の答えだった。
どうか殺さないでくださいとばかりに涙目で縋られては、こちらが悪いことをしているようでなんだか気勢を削がれたような気分になる。
女性は、超弩級の世間知らず二人の姿に頭を抱えつつ、溜息と共に言葉を紡いだ。
「……あのね、あんたたち……駆け出しだってんならまず冒険者ギルドで身分登録しなきゃいけないしそこの爺さんも、依頼ってのは基本的にギルドを通さなきゃいけないのよ……」
冒険者として根本的に必要な何もかもが欠けているし、依頼者も依頼者として必要な何もかもが欠けている。
この状況に頭痛を覚えながらも赤毛の女性はそんな、子供でも知っているようなことを懇切丁寧に説明するのだった。
世間知らずと世間知らずが合わさり最強に見える第二部開幕です