72.この小さな安らぎの地で、なのですわ!
ルヴィアリーラが御前試合で優勝を収めたという情報は瞬くに市井を駆け巡り、また、神王ディアマンテによる牽制もあってか、パルシファルによる営業妨害もなりを潜めていた。
そんなこともあって、アトリエ・ルヴィアリーラは以前のように閑古鳥で、ギルドから舞い込んでくる依頼だけをこなして自転車操業をする、という状態からは脱却できていたものの、人間というのは良くも悪くもそう簡単に変わるものではない。
「これでできましたわ! 次からは片方だけをなくすなどということがないように留意するのでしてよ! あーっはっは!」
「いやあ、すみませんルヴィアリーラさん……助かりましたよ」
靴の片方をなくしてしまった、という青年に、即席で錬成したそれを手渡して、報酬を受け取ると、ルヴィアリーラはいつも通りの高笑いを上げてみせる。
国認錬金術師と肩書がついたからといってルヴィアリーラが変わるわけでもなければ、それは市民たちも同じであり、急に片足立ちで押しかけてきた彼も、ルヴィアリーラに対しては敬意というより気さくに話しかけられる相手、として振る舞っていた。
だが、それで良いのだと、紛失した左足用の靴を履いてアトリエを後にしていく青年を見送りながら、ルヴィアリーラは豊かな胸を支えるように腕を組んで、二、三度満足したように頷いてみせる。
これこそがルヴィアリーラの求めていたアトリエの形であり、そして同時に、何よりも探していた日常なのだ。
ならばもらえる報酬がその日の日銭程度でもある程度は満足がいく、と、言ってしまえばきっと同じ商売人としてリィにはがみがみと怒られるのだろうと、一人静かにルヴィアリーラは苦笑する。
「お姉様、お茶が入りましたよ……」
「ああ、もうそんな時間でしたの。なら一旦アトリエは閉めて、昼食といたしますわよ、リリア」
キッチンにこもってお茶を沸かし、パイを焼いていたリリアが戻ってきたのは、ちょうどそのタイミングだった。
さっきの靴をなくした青年が依頼を持ち込んできた人物としては最後だったこともあって、ルヴィアリーラは表戸に「Closed」の札をかけると、アトリエの戸を閉めて、机に優雅に腰掛ける。
窓辺から覗くライズサン通りは今日も活気に満ち溢れていて、行き交う人々の足音が、カスタネットを鳴らすかのように響き渡り、そしてあれこれと花を咲かせる井戸端会議がそのリズムにコーラスを添える。
そんな雑多なセッションが、生きていると感じられるこの王都の光景が、ルヴィアリーラはかつて滞在していた城塞都市ファスティラと並んで、好ましいと感じていた。
「……お姉様?」
「いい景色ですわね、リリア」
「……そうですね、ルヴィアリーラお姉様」
リリアには、その感覚はわからない。
それでも、ルヴィアリーラが窓の外を眺めながら優雅に微笑んでいる姿は何よりも美しいものに見えるし、その笑顔をもたらしているのが街の活気であるなら、やっぱりそれは好ましいことなんじゃないかと、そう思うのだ。
自分が淹れたお茶に手をつけてくれて、そして最近不格好ながらも焼けるようになってきたパイを食べてくれる。
そんな相手として、「お姉様」と呼べる相手としてのルヴィアリーラがいることこそが、リリアにとっては何よりの幸せなのだ。
だからこそ、少しだけそんな街の活気に嫉妬してしまうところもまたあるわけで。
どことなくむくれたようなリリアに、可愛い子だとルヴィアリーラは苦笑しながらその頬をそっと撫でて微笑みかける。
以前も思ったが、やはり自分に妹がいたのなら、きっとこんな感じだったのだろうと、ルヴィアリーラはリリアを見る度にそう思うのだ。
いつも何かに怯えていたのが信じられないくらい、最近のリリアは表情を豊かにみせてくれるようになって。
「心配いりませんわよ、リリア」
「……お姉様」
「わたくしにとっての一番は、貴女なのですから」
それでも、取捨選択をしろと言われたときにこの街の賑わいとリリアのどちらかを選べと問われたのなら、間髪置かずに後者だと、リリアだと答えるぐらいには、ルヴィアリーラもまた彼女に入れ込んでいる。
だからこそルヴィアリーラは、リリアが作ってくれたパイを優雅に口元へと運びながら、そして「美味しい」と伝えるように微笑みかけるのだ。
「……え、えへへ……ありがとう、ございます……わ、わたしも……お姉様が、一番、ですから……」
「あら、それは光栄ですわね」
勲章も爵位も、そんなリリアの笑顔と比べれば何一つ価値を持つものではない。
だからこそ、勝ち取ったものはこんなささやかな喜びでいいのだと、ルヴィアリーラはリリアが淹れてくれたお茶へと優雅に口をつけながら、そんなことを思うのだ。
思えば遠いところに来たのかもしれない。
十六歳の春、パルシファルからの婚約破棄を言い渡されて、城塞都市ファスティラへと追放されたのが随分遠くに感じられるほどに、濃密な時間を過ごしてきた。
暦は生憎指折り数えていないが、それを数える意味などきっと、どこにもないのだろう。
「リリアも随分とパイを焼くのが上手くなりましたわね」
「……ほ、本当ですか……?」
「ええ、わたくしが嘘をつく理由がどこにありまして?」
「そ、それは……えへへ、ありがとう、ございます」
「きっとその内、『キッチン・ライズサン』に顔を出さないと怒られてしまいますわよ」
覗き込むリリアの虹の瞳には、きっと呆れ返ったように笑っている自分の顔が映っていて、ならばリリアが覗き込む深紅の瞳には何が映っているのだろうと、ルヴィアリーラはそんな、他愛もないことを考える。
まるで水に潜っていくかのように、相手が何をどう思っているのかなんて、考えれば考えるほど息苦しくなっていくだけなのに、深く、深く。
どこまでも潜っていきたいと思うのは、きっと口にしてしまえば呆れるくらい単純な言葉に還元されてしまうのだろう。
だからこそ、ルヴィアリーラもリリアも、敢えてそれを口に出すことはしない。
砂糖とミルクの味がするプレーンなパイを口元に運んで、温かなお茶で乾いた口の中を潤して。
そんな他愛もない日常の一幕を、この勝ち取った安らぎの地で、ルヴィアリーラとリリアは二人、誰に邪魔されることもなく謳歌する。
いつしか外の活気すらも遠くなり、まるで世界から二人だけが切り離されてしまったようなお茶会は続く。
窓辺から差し込む木漏れ日に、時折微睡へと誘われながら、ルヴィアリーラとリリアは幾百の言葉に代えて互いの瞳を覗き込み。
「……優勝、おめでとうございます……お姉様……」
「ありがとうございますわ、リリア」
そんな眠気を退けるかのように、静かに、そして流れるように、安物のティーカップで乾杯を交わすのだった。
これにて第四章完結でしてよ! お読みいただいてありがとうございますわ!




