7.それは果たせなかった約束ですわ
ルヴィアリーラ・エル・ヴィーンゴールドが、その四歳までにおける人生の大半を病床の上で過ごしていたことは知られていない。
と、いうのも五歳以降の彼女がまるで別人のように数々の問題を起こして回っていたから──と、そう単純に言い切れるものではない。
それはルヴィアリーラが生まれた時、彼女を産んだ母であるローズリーラが命を落としたことと関係していると、プランバンは考え続けていた。
或いは、もしやすれば伝承にある「異界からの救世」という定めをルヴィアリーラが背負う羽目になったのではないかと、そう彼が日夜思い悩み、荒んだ心境で四年の月日を過ごしたこともまた表沙汰にはなっていない。
異界からの救世。
それはウェスタリア神聖皇国に限らず、この世界そのものに伝わるお伽話のようなものだ。
──もしも、この世界に魔の王たる災いが現れし時、異界より勇気ある者と聖女は救世の旗を掲げて現れる。
流行詩歌として貴族たちの晩餐会でも詩人が歌うこともあるように、その伝承は単純な冒険譚として人々からは理解されているのだが、そうとしか説明できないようなことが、このジュエリティアの歴史には数多く、そして人知れず刻まれていた。
ルヴィアリーラの魔力は、人のそれと──一流の魔法師であるプランバン自身と比べても、極めて異質かつ強大なものだった。
もしも彼女が魔法師として名を馳せたのであれば、ヴィーンゴールドの家は恐らく今よりも遥かに強大なものとなっていただろう。
だが、その強すぎる魔力は幼いルヴィアリーラという器に収まり切るものではなかった。
故にこそそのように幼い子供が突然、理屈では説明が付かない力を持って生まれてきたことに対し、プランバンは我が子に「異界からの救世」が訪れたことを疑っていたのだが、幸いなのか不幸なのか、その理由は異なるものだ。
異界からの救世。
それはジュエリティアという世界では抱えきれない災厄を感知した神々がマナとエーテルを操ることで異なる世界から神々の尖兵となるべき強き魂を呼び寄せて、生まれくる子供に定着させるものだと詩歌には記されている。
だが、もしもそれが事実であるならばとんでもない話だ。
プランバンとローズリーラの夫婦のように、命を賭してまで生んだ子が、繋いだ命が実は別人だったとあれば居た堪れまい。
しかし、それに近い現象が、ルヴィアリーラに訪れていたことも確かなのだ。
高熱に喘いで、いつも夢とうつつの狭間を彷徨っていたルヴィアリーラは、常に誰かの声を耳にしていた。
(ああ、可哀想なルヴィア、私のせいで)
自身とよく似たその声が零す懺悔に対して、病床に伏せるルヴィアリーラは答えを返せない。
ただ、それは酷く悲しそうで。
酷く、自らの存在すらも憎んでいるようで。
それは今、その「声」が消えてしまっても、ルヴィアリーラは夢枕に幼き日の出来事を見ることがある。
そうしていつも、後悔するのだ。
(可哀想? それは……違いますわ)
ルヴィアリーラは幼心に、己の運命とその全てを受け入れる覚悟を決めていた。
むしろ、退屈で仕方ない病床と夢の狭間に語りかけてくれるその「声」があったことに感謝さえしていたのだ。
だが、その声はいつも自分の存在を嘆いていた。
ごめんなさいと、私のせいでと、いつだって啜り泣きながら、炙った鉄板のように熱を持ったルヴィアリーラの額に優しく触れるその声の冷たさに助けられてきたのだから、謝るべきはその存在を肯定してあげられない自分の方だ。
そんな後悔と贖罪こそが、彼女をひたすらに誰かのためへと、誰かの望めばそれを優先することへと突き動かす原動力だったのかもしれない。
ルヴィアリーラは知る由もないが、彼女に語りかける声は、彼女が生まれてきた時、産声を上げることなく死を迎えた双子の姉のものだった。
双子というのは、極めて肉体と魂、いってしまえば構成されているマナとエーテルの波長が近しい。
故に、死を迎えても姉の──「サフィアリーラ・エル・ヴィーンゴールド」の魂は神々の輪廻の輪へと還ることはなく、ルヴィアリーラの魂を仮の住処とし続けていたのだ。
そして、「ルヴィアリーラ」という名前は、本当であればその姉に与えられるべきものだった。
一つの身体に二つの魂。
この世の法則から外れた存在となったルヴィアリーラは、かくして法外な魔力を得ることとなったのだが、その代償に四年間を病床で過ごし、神々の法に反してしまったために魔法が使えなくなってしまった。
それを知っていたからこそ、サフィアリーラは、本来のルヴィアリーラはいつだって嘆き続けていたのだ。
そして、仮の住まいであるのなら、サフィアリーラの魂にも、いつの日か限界が訪れる。
それは、ルヴィアリーラが五歳の誕生日を迎えた日のことだった。
いつも朝目覚めた時に感じる、脳髄を全て鉛に置き換えられたような重苦しさがなく、いつだって苛まれ続けた熱が引いていたのだ。
そして、ルヴィアリーラに──「本来のルヴィアリーラ」の「声」は、「本来のサフィアリーラ」に聞こえなくなった。
だが、彼女は覚えている。
(──ごめんなさい、ルヴィア。私は……消えゆく運命。貴女に何も与えてはあげられなかった、だから──貴女は、幸せに生きて)
確かにサフィアリーラは、ルヴィアリーラが終ぞその名前を知ることのなかった「声」は、泣き笑うような懺悔と嗚咽を残して、彼女の身体から消えて輪廻の輪へと還っていったのだ。
幸せとは何なのか。
ルヴィアリーラは今でもそれを疑問に思っている。
もっと力があれば、自分の中から消えてしまったあの「声」も救えたのだろうか。
その答えは十六歳を迎えた今もわからないままだ。
だが、きっとそうであると信じて、その贖罪であり、名を知ることも顔も見ることも、そして存在しか感じ取ることのなかった愛しい誰かの願いを叶えるために、ルヴィアリーラはこの道をゆくことを、己の正義に従って、困った人をとにかく助けていく、ただそれだけを選んだのだった。
果たしてそれは、結実したのかどうかはわからない。
水の性質を強く持つポーションを媒介にして、リリアの身体から水の清らかさとの等価交換でその汚れを取り除きながら、ルヴィアリーラは眼前に聳えるファスティラ城塞都市を一瞥する。
「これで汚れは取れたはずですわ。そして……少し荒っぽいかもしれませんが」
「……な、何を……きゃっ……」
「はぁっ!」
言うなり、ルヴィアリーラは彼女を縛る鉄の手枷と足枷を物理的に引き裂いた。
それは魔術の補助もあってのことだが、自らの、地の筋力がなければ決して為すことのできない技であることに違いはない。
「……す、すごい……ルヴィアリーラ様……」
「何をこれしき、伊達に鍛えておりませんことよ」
「ありがとうございます……ありがとう、ございます……っ……!」
感涙に虹の瞳を潤ませるリリアに、当然のことだとばかりに引き裂いた枷を投げ捨てながら、ルヴィアリーラは答えてみせる。
そして彼女は思考の片隅に、自らの意識をわずかばかり浸す。
もしも、自分がこの力を、そして錬金術を鍛え続けてきたことに意味があるのだとしたら。
──それは今、この時のためだったのかもしれない。
何を馬鹿な、と、困っている人を助けるなど当たり前のことだと、ルヴィアリーラ自身も笑ってしまいそうになるような考えだ。
だが、リリアの笑顔を見た時に、奇妙な安心感にも似たものがルヴィアリーラの胸に満ち溢れたことは確かなことで。
そして今もその温度は、彼女の心を真綿のように優しく、慈しく、そこに少しの痛みを伴って、包み込んでいるのだった。
エピローグ的なものとルヴィアリーラが魔力ゴリラなのに魔法を使えないことの補足みたいな回でしてよ